2-28 勇者の憧憬
セーラ・テルフォードは呆然とその光景を眺めていた。足は鉄杭で打たれたかのように、その場から動かない。ゆえに、二人の戦いを見ていることしかできなかった。
――下がってろ、とレイは言った。
マリアスを前にして、セーラを背中に庇ってくれた。
――行くぞ、クソ野郎、と、迷うことなく前へと足を踏み出してくれた。
それは、きっと自信があったからではない。勝てると確信していたからではない。敵の強大さに気づいていなかったからではない。レイは、そんなに間抜けな人間ではない。彼我の実力差は最初から気づいているはずだ。ならば、その態度の理由は決まっている。怯えるセーラを安心させるため、自分の背中にいる者の恐怖を取り払うために、レイは堂々と啖呵を切ったのだ。その在り方はまるで、物語に謳われる勇者のようだった。唐突に力を失い、最後は悲劇に堕ちた英雄――アキラ。学園で彼のことを学び、力を失くして逃げた臆病者と笑う者がいる中で、セーラだけはその勇者に漠然とした憧れを抱いていた。
本当に力を失くして逃げた臆病者だったとしても、彼が亡くなった理由は、他者を守るために無謀な戦いに身を投じたからだったはずだ。ならば、その最後の瞬間だけは臆病者などでは決してない。無力な状態で他者を守るために戦うという行為は、絶対に学園生ごときが笑い飛ばしていいものではない。それは、聖剣を持っていた頃の活躍よりも、その輝かしい功績の何よりも、英雄と称えるに相応しい行いだとセーラは思うのだ。
レイの後ろ姿に、勇者の憧憬を幻視する。だからこそ不安に思った。レイは他者を、セーラというひとりの少女を守ろうとして、無謀な戦いに身を投じているのではないか、と。
この戦いが本当に無謀なのかどうかは、セーラに判断がつかない。マリアスはセーラが思っているよりも大したことないかもしれない。レイはセーラが思っているよりも、ずっと強いのかもしれない。
だけど、それでも、心配で、セーラは胸が押しつぶされそうだった。
まだレイは、会ってから数日しか経っていない相手だ。
けれど、無愛想なセーラに対して、面倒見良く接してくれた。
一度は刃を向けたというのに、友達だと言ってくれた。
雁字搦めにされた兵器としての呪縛を、必死に解き放ってくれた。
――人間として、助けてくれた。
それだけあれば十分だった。もうセーラにとって、レイはとても大切な存在だった。
だから。
「……あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
レイがマリアスの策に嵌まり、今まさに槍に貫かれんとしているとき。
セーラは恐怖を乗り越え、足を動かすことができたのだ。
もちろん恐怖が拭えたわけではない。畏敬が消え去ったわけではない。
セーラの本能にはマリアスを創造主として認識するように刷り込まれていて、彼に反逆しようとすると、頭が割れそうなほどの違和感を覚える。多少、命令を解釈したり、ゴーレムを倒す程度ならできても、直接マリアスに攻撃をしかけるなどありえない――と、本能が認識してしまっている。その領域を禁忌として、怖がってしまっている。
それでも。
マリアスに規定された範囲内でしか動けないのなら、創造主に命じられたことしか実行できないのなら、セーラはずっと彼の人形のままであり、きっと人間にはなれないだろう。
それは嫌だった。
セーラは、変わると決めたのだ。
一度は傷つけてしまった大切な皆に、友達だと言われた。
セーラという存在を認めてくれた。
だから、自分が犯した罪の責任を取ると決めた。
この状況を解決し、主の暴走を食い止め、大切な皆を守ると決めたのだ。
そのためにレイについてきたのではなかったか。
ならば、レイに任せて怯えているだけでは――何の意味もないだろう。
「……魔族領域展開、起動」
ゆえにセーラは呪縛を超える。
恐怖を乗り越え、その身に殺気を纏う。
かざした掌の先に魔力を込め、術式を構築していく。
「万物を構成する基本的要素のひとつ、四大の一角にして始まりとされる火の概念よ」
視界の先では、今まさにレイが追い詰められていたところだった。
セーラを助けてくれた彼を、友達だと言ってくれた彼を、失うわけにはいかない。
絶対に。
「天上で燃え、地で渦を巻き、彼の者に仇なす賊を灰にせんと吼えろ……!!」
詠唱が完成する。
直後。
レイの周りを囲むように、灼熱の炎が一斉に地面から噴き出した。
轟!! と圧倒的な火力が渦を巻く。
その莫大な熱量を前にレイを貫かんとしていたマリアスの槍の数々はどろどろに溶けてしまい、その意味を失って地面へと落ちていった。
魔力で身体強化しているレイなら、辛うじて耐えられる温度だろう。
「セーラ、貴様……!!」
これで勝負が決すると思っていたマリアスが、セーラを憎々しげに睨む。
だが、セーラは恐怖を堪え、歯を食いしばりながら睨み返した。
――自分はもう錬金術師の人形などではないのだと、その行動で証明してみせた。
◇
「――助かった、セーラ」
レイはゆっくりと息を吐いた。
セーラが慌てたように駆け寄ってくる。
マリアスは液体金属の上に乗り、器用に浮遊しながら後退していく。
セーラはそれを見て、レイの周囲の炎を鎮火させたのだ。
「レイ……! だい、じょうぶ……?」
「ああ。でも、ちょっと熱いかなぁ……」
レイは僅かに顔をしかめる。数か所、皮膚の表面に僅かな火傷が散見された。
セーラはレイのそんな様子を見て、しゅんとして俯く。
「……ご、ごめんなさい」
「馬鹿だな。気にするところじゃねえよ」
「……?」
「そうでもしなきゃ俺は死んでいたんだから、どうだ、命を救ってやったんだぞって威張ってればいいんだよ」
レイは苦笑し、セーラに穏やかな視線を向けると、
「ありがとな。お前のおかげで、まだ戦える」
これまで以上に苛烈な視線で、地面に降りたマリアスを鋭く射抜く。
残された時間は少ないだろう。
死に物狂いでこの男を倒し、魔物生産兵器を破壊しなければならない。
「……レイ、一人じゃ勝てない」
そんな中、セーラがマリアスを睨みつけながら、告げる。
「……セーラも、戦う。二人なら、勝てる」
その体はまだ、少し震えていることにレイは気づいていた。
それでも、その瞳には勇気があった。
「下がってろって言った手前、何かアレだな。恥ずかしいな」
「……それは、レイが格好つけなのが悪い」
「違いない」
苦笑したレイはマリアスに剣を向け直しながら、再び戦意を高めていく。
その隣で、セーラが自然と構えた。レイを支えるかのように。
「悪いが、手伝ってもらうぞ。行けるな?」
「……ん。問題ない」
「そこの実験体が加わった程度で、実力差が埋まるとでも思っているのかね?」
「さて、な。やってみなきゃわかんねえだろ」
「笑い種だ。私は創造主だぞ? 私に創られた人形ごときが敵う存在であるはずがない」
「……セーラは、もう、あなたの人形なんかじゃない」
そこでマリアスは一瞬、冷めた視線をレイたちに向けると、鋭く息を吐いた。
「……手加減は終わりだ。これ以上やるなら、本気で行く」
暴力的なまでの威圧感がその場を席巻する。
それでもレイは、その強大な錬金術師に剣を向け、走り出していくのだった。
ただし、今度は一人ではない。
その後方では、とある魔術師が背中を守っている。
「やってみろ……!!」
――地下での戦いは激化の一途を辿っていく。