2-27 熟練の戦術
初手はレイが仕掛けた。
地面を砕くほどの脚力で突進すると、一歩でマリアスの懐まで飛び込んでいく。
そのまま容赦なく、その首を刈り取らんと剣を振るった。
だが。
「遅いな」
マリアスはニヤリと笑い、口元で詠唱を唱えた。レイにその内容は聞こえない。詠唱の内容が聞こえてしまえば、術式の概要を理解されてしまう可能性が高いので当然ではある。だが、詠唱の音量調節など戦闘中の緊張状態で意識できる者は少ない。つまりマリアスはレイに肉薄されてなお冷静だった。レイの剣が微動だにしないマリアスの首を斬り刻む。その直前、マリアスの足元の地面が突如として浮き上がり、変質。鉄製の壁となってレイの剣を防いだ。ギィン! と甲高い音が鳴り響き、レイの剣が弾かれる。レイはその勢いに逆らわずに地面を蹴って宙でくるりと回りながら後退し、着地する。
十メートルほどの距離をおいて、再び相対した。
「……、」
レイは無言で、再び突貫した。マリアスは先ほど操った鉄製の壁に手を突きいれると、それ全体がぐにゃりと液体のように変化していく。レイはいったん右に跳躍し、そこら中に屹立している円柱状の物体を蹴って方向転換。マリアスから見て左上の方角から接近する。しかし、マリアスは宙を跳ぶレイに向かって、液体のようになった金属の一部を矢のような形状で撃ち放ってきた。レイはそのうちの三本を剣で弾き、さばいたものの、残り二本はかわしきれずに体をかすめていく。外套に穴が開き、その下の簡素な革鎧にも傷がついた。しかしレイの勢いは止まらない。流動する金属を待機させながら不敵な笑みを浮かべるマリアスに向かって、上段から剣を振り下ろす。だがやはり、マリアスが操る液体金属が体の周囲を球体のように囲って防御する。レイは「――ふっ」と鋭い呼気とともに魔力による強化度合を一段引き上げた。肉体と剣がついていかずに負傷する、または壊れるリスクを受け入れたうえで剣を振り下ろしていく。レイの神速の一閃はマリアスの鉄製の防御にすら亀裂を入れた。ギャリィィィ!! という凄まじい音が炸裂し、魔力強化されたレイの白銀の剣が鉄製の壁に食い込んでいく。だがレイは、そこで驚きに目を瞠り、咄嗟に防御の壁を蹴って後方に跳んだ。その瞬間、剣撃を防御していた壁の一部が変質し、レイに向かって槍のような形状で伸びていく。レイは空中でどうにか態勢を変え、追尾するように伸びてくる槍を剣で受け流していく。そして、その反動で地面に跳び、再び着地をした。
――液体のようにうねる金属を体の周囲で流動させ、レイの剣撃を防御している。なるほど、これは突破口を開くのが中々に難しい。だが、時間をかけていられない状況だというのも、また事実。さて、どうやって攻撃を届かせるか――と、レイは思考する。先ほどの剣の一閃で、魔力強化の度合を高めれば、金属による亀裂を入れられることは分かった。そしてレイが狙ったのは金属による防御が厚い箇所。当然、マリアスもレイが攻撃すると思われる個所に金属の比重も高めているのだろうが、何らかの手段でその思考の裏をかき、防御が薄い箇所に本気の剣撃を叩きこめば攻撃は届くはずだ。もしくはマリアスが反応できないほどの速度で動き回り、防御が追いつかない箇所に攻撃を叩きこむ。あの液体金属がどれだけの速さで動き、どれだけの硬さを持っているのかにもよるが、どちらにせよ厳しい手段であることは間違いない。レイは思考を回しつつ、剣を握り直した。
うねうねと、マリアスの周囲で今も金属は流動している。実に錬金術師らしい合理的な魔術だった。単純で、それゆえに隙が見当たらない。ただ防御に関しては完璧だが、攻撃に関しては今のところカウンターしか見当たらなかった。確かにカウンターを警戒して攻撃しづらくはなるが、大したダメージは受けていない。まだ、何かあるだろう――と、レイは息を吐き、集中力を研ぎ澄ましながら突撃していく。
「馬鹿の一つ覚えだな?」
マリアスは嘲笑うように呟くと、指をパチンと弾いた。刹那、流動していた液体金属の動きが急激に変わる。それはまるで波のように、レイに向かって押し寄せてくる。これに絡めとられたら終わりだろう――と、レイは本能的に悟った。地面を蹴り、上空に跳躍する。
だが、その瞬間、マリアスは「それを待っていたよ」と口元の笑みを深くした。
宙では身動きが取れない。「はぁっ!!」とマリアスは渾身の魔力を込めたのか、液体金属は再び動きが素早くなり、一気に上空へと、面積を広げながら押し寄せてくる。
このままではレイは液体金属の中に突っ込まざるを得ず、金属が硬化して身動きが取れなくなる。それでも、まだ手段はあった。レイは「”大砲”」と一言。包み込んでくるように広がる液体金属の一部に向かって異世界式魔術を起動。直後、レイの掌から魔術で作成されたずんぐりとした球体が高速で射出されていく。直後。
轟!! という凄まじい爆発音とともに液体金属の包囲に風穴が空いた。
レイは爆発の煽りを受けながらも、剣で近くの液体金属を叩き、その反動で脱出していく。
そして真下に佇むマリアスを睨みながら降下していく。――今なら、マリアスが操っている液体金属はほとんどがレイよりも上空だ。手元には十分に防御しうるだけの液体金属が残っていない。レイの判断は迅速だった。後方の液体金属が急激に動きを素早くし、レイに覆いかぶさるように肉薄してきた刹那、「”大砲”」を再び振り向きざまに放つ。これは何度も連発できる術式ではない。体内魔力が急激に奪われていく感触に冷や汗をかきつつ、掌から砲弾が射出されていく。すでに液体金属は迫りつつあり、彼我の距離は数メートルもない。ゆえに、それは放たれた瞬間に炸裂した。
爆音とともに、巻き込まれたレイの肉体もぶわっっっ!! という余波とともに地面へ落ちる勢いも増していく。多少の傷は受けたが動くことに支障はない。マリアスは僅かに顔を歪めつつも、初めて大地を蹴って後退した。だが、対するレイの判断は迅速だった。「”土弾”」と、一言。指を拳銃に見立てて、術式を確立。レイの右手から、目にも留まらぬ速度で魔術の銃弾が放たれていく。マリアスは苦渋に顔を歪めつつも、手持ちの液体金属を薄く引き伸ばして盾のように展開した。ガガガガ!! と、弾丸が弾かれていく。だが、マリアスの視界は塞いだ。レイのその隙に着地し、マリアスの死角を疾走し、周囲の円柱を回り込むように接近していく。銃撃が止んだことを確認したマリアスは液体金属の盾をぐにゃりと歪め、視界を広げる。レイがいた方向に目をやるが、すでにレイはマリアスの真横に回り込んでいる。音もなく数メートルの距離まで肉薄すると、下段から剣を振り抜いた。マリアスは直前で反応し、何とか後方に飛びずさって回避しようとしたが――遅い。レイの白銀の剣閃が迸り、マリアスの腹部を袈裟斬りにしていく。そう思われた。
だが。
ギィン!! という金属音とともに、レイの剣はマリアスの腹部に弾かれた。
「甘いな」
「お前……!?」
マリアスは一言で断じた。レイの焦燥感が急激に上昇していく。先ほど焦っていたのはレイを罠に引き込むための演技だったらしい。マリアスの白衣とインナーを引き裂いた先には、皮膚の色と同化した液体金属が薄くまとわりついている。しかも、それはレイの剣を受けて傷一つない。当然だ。なぜなら、マリアスの体を覆っているのは、周囲で操っているような鉄とはまた別の金属。それも希少性が高く、伝説的な硬度を誇るミスリルで創られていた。レイの驚愕を見たマリアスは不敵に笑みを刻み、悠然とした雰囲気を携えながら、
「これでも私は二十年以上は冒険者をやってきたベテランだ。魔術にかまけて、戦術のせの字も知らない連中とは一緒にしないほうがいい」
「――ッ!?」
告げる。
ここまでの戦い、そのすべてがマリアスの計算の上。
レイはまんまとマリアスが仕掛けた罠に引っかかった。周囲はいつの間にか液体金属で囲まれている。宙で突破して降りてきたことが仇になった形だ。
ゆえにレイは全力で後退しようとしたが、一瞬、足が止まる。逃げ場がないからだ。脳内でいろいろと突破の手段は浮かんだが、とっさの焦燥に思考が追いつかず、レイの足が止まったのは事実。――それは明確な隙だった。
「こんな戦術はプロの冒険者では当たり前だ」
そして、マリアスがその隙を見逃すほど甘い相手であるはずがない。
「身に焼き付けろ、アマチュア」
その言葉の直後の出来事だった。
周囲から一斉に伸びてきた数十の槍が、レイの体を串刺しにした。