2-26 悪意
――レイたちを襲ってきたのは、上から降ってきたのが二体、物陰から飛び出してきたのが三体。あの巨体でよく隠れられるものだと思いつつ、動揺することもなく剣を引き抜いた。そしてレイの真横を挟んで拳を振りかぶった二体のゴーレムに対して、一体には蹴りを食らわせて吹き飛ばし、もう一体には振り向きざまに剣を振り抜いて魔石を叩き斬った。
着地と同時に回し蹴りを敢行した三体目のゴーレムにレイは冷たい視線を向けると、直撃せんとした足を、下段から剣を振り上げて斬り飛ばした。
右足を失ってバランスを崩し、ぐるりと回転して転んだゴーレムの上に飛び乗り、レイは魔石があるはずの場所に突きを入れる。ゴーレムは仮にも頑丈な石造りとはいえ、レイの繊細な魔力制御により研ぎ澄まされた刃を前にしては一たまりもない。
ビシリと、簡単に亀裂が入り、内部の魔石が砕かれた。それで三体目のゴーレムも動作を停止する。
しかし、そんなレイの背後に、気配。――最初に吹き飛ばした一体目のゴーレムだろう。やはり無機物だけあって痛覚がないのか、魔石が砕かれるまで動きは止まることなく、そして的確だ。術者の腕が良いのだろう。しかし、レイの表情はあくまで変わらなかった。
「遅い」
一言。いくら無駄のない動きであろうと、根本的な速度がレイに及ばない。振るわれたゴーレムの拳をかがんで回避しつつ、体を回転させて上段から叩き斬った。ゴーレムは真っ二つにされて倒れ込む。そしてときを同じくして、ズシン……! と地響きが鳴り響いた。セーラが二体のゴーレムを魔術で片付けたのだ。そちらを振り向くと、セーラは若干怯えた様子を見せつつも、気丈を装ってそこに立っている。
レイは彼女と視線を合わせて頷いてみせた後、再びマリアスに振り向いた。
「なるほど。ゴーレム程度では意にも介さないというわけか!」
マリアスは言う。大仰に両手を広げて、愉快そうに哄笑を上げている。
狂気が窺える彼を睨みつけながら、レイは告げた。
「よぉ、イカレ野郎。計画が潰されたら途端に癇癪か? 子供かよ」
「これは賭けだった。計画が失敗して貴族の庇護を失った以上、もはや私に生きる術などない。どうあがいても牢獄入りだ。そう――王国法がある限りは、の話だ」
だとしたら、とマリアスは呟き、三日月型に口元を引き裂く。
「王国そのものを潰す可能性に賭けるほうが、まだ有意義というものだろう?」
「……結局、お前は自分が生き伸びることしか考えてないわけだ。そのために、他人がどうなろうと知ったことじゃないらしい」
平然と答えを返してくるマリアスに舌打ちしながら、レイは剣を向ける。
「そんなことはない。私とて、人並みの善意は持っている。だが、優先するのはあくまで自分だ。こんなのは当たり前のことだろう? 当然、できる限り他人を傷つけないようにとは考えていたが、この状況では仕方がない。そこの出来損ないのせいで、私の計画が狂わされたのだから。残された方法は限られている」
「……まず、そもそもの計画とやらの時点でおかしいだろって言ってんだがな」
「ほう、どういうことだ?」
「お前の計画は、セーラを傷つけている。仮にも生みの親だろ。こいつの気持ちを考えたことがあるのかよ?」
レイが斬りつけるような口調で言うと、マリアスは心底理解できないとでも言いたげに眉をひそめ、首をひねった。
「――何を言っている? ソレは兵器だろう? 検体番号百二十二番。個体名はセーラ・テルフォード。確かに私が生み出した人形の一体ではあるが、決して人間などではない」
「……、」
レイは何も言えなかった。
これ以上、問答の意味を感じないと確信した瞬間だった。
「……マス、ター」
「今更何をしにきた出来損ない。貴様が本来の性能を発揮できなかったせいで、私の計画はご破算だ。いったい何のために生み出してやったと思っているのかね?」
マリアスの蔑むような視線に対して、セーラは悲痛そうに表情を歪めている。見ていられなかった。 セーラの、そんな表情を見たくはなかった。
セーラはもう、マリアスなどには二度と会いたくなかったかもしれない。
それでも彼女は事態の解決のために、レイをここまで案内してくれた。
彼女はもう役割を果たしたのだ。
ならば、彼女に導かれたレイも、その役割を果たさねばならない。
――元凶を倒し、この事態を解決する。
「……ひとつ尋ねよう。なぜ、貴様がここまで抗う、レイ・グリフィス? そこのセーラや学園生、そしてこの街の人間を、なぜ貴様がそこまで助けようとする? いくら調べても繋がりは見えないな。まったくもって、命を懸ける理由が見当たらない」
「お前には一生分からねえよ」
レイは吐き捨てるように呟きながら、マリアスのもとへ歩いていく。
――こんな男が、たとえ実力はあるのだとしても、これほどまでにくだらない人間が、冒険者学園の二代目学園長を務めているのかと、レイは失望を覚えていた。この冒険者学園を創設したのは、前世における戦友、ヴァル・エイドリアン。彼の遺志を、冒険者という存在に懸けた想いを、こんなつまらない男が踏みにじっている。それだけでは気が済まず、錬金術の禁忌に手を伸ばし、一人の少女を操り人形にして、最後には王国そのものを滅ぼそうとしている。それだけは許せなかった。
その瞳に、強い戦意を宿してレイは剣を握り直す。
「セーラ、下がってろ。俺が片付ける」
「あ……」
立ち尽くしている彼女に告げる。返答はなかった。
相対しているマリアスは、レイがゴーレム三体を瞬殺したような実力者であると理解しているはずなのに、その態度に動揺はなかった。
「受けて立とうじゃないか。奥の部屋で、魔物生産兵器『ビースト・パンデミック』は正常に機能している。ただただ魔物を量産し、その上部の地上に一直線の通路から、外へ排出している。もはや私の仕事はない。私の錬金術の秘奥が本当に王国を滅ぼせるのかどうか、高見の見物というわけだ。……つまり、暇つぶしにはちょうど良い」
「へえ、なるほど。奥の部屋の兵器とやらを潰せば、この事態は収束するわけだ」
「――できるのなら、やってみろ」
狂気の錬金術師は嗤う。
いまだにレイの実力が理解できていないほどの無能――というわけではないだろう。分かっていてなお、レイに勝つ自信があるのだ。それだけの技術と経験を携えている。
そもそも錬金術を極め、人造人間錬成という命と魂の領域まで足を踏み入れた怪物だ。そんな男が弱いはずがない。それどころか、今のレイよりも強い可能性のほうが高い。
レイも成長したとはいえ、いまだ前世の自分にはまったく敵わない。
せいぜい三割程度の実力が引き出せればいいほうだろう。
対して、眼前のマリアス・バーソンは老練の元冒険者。冒険者養成学園の長に抜擢されるほどの功績を上げている熟練にして、錬金術という戦闘には不向きな魔術を以ってそこまで成り上がったほどの人物。 その実力は、相対しただけで肌に感じる。
肌が粟立つような、研ぎ澄まされた殺気。
もしかすると勝てないかもしれない。
レイはその事実を淡々と理解していた。
理解していてなお、それは足を止める理由にはならない。
やるべきことがある。
託された想いがある。
今まさに起ころうとしている悲劇がある。
悲しみに顔を伏せた少女の涙がある。
一度は失いかけて、けれど掴み直した信念がある。
――何よりこの手には剣がある。
ならば勇者が戦わない理由など一片たりともなかった。
「行くぞ、クソ野郎」
忘れるな。
この世界は決して、貴様のようにのさばる悪意を許しはしないということを。