2-23 暴走
「――ほう、まさか、こういう展開になるとはな」
ランドルフが荒い息を吐いていると、相対しているローグは興味深そうに呟いた。
すでに”炎熱剣”の火力は著しく低下している。そして、悠然と佇むローグに傷はない。
――強い。
成長したつもりのランドルフだったが、いまだに実力は隔絶している。
平たく言えば敗北寸前だった。
「……まあ、いいだろう。こうなれば、とくに撃退する理由もない」
ローグは意味深に呟いた後、剣を構えるランドルフに背を向けた。
「どうしたよ。逃げるのか?」
「ああ。君の成長に感服したからな」
「ふざけたことを言いやがる」
「本心だよ。それに、少々状況が変わった。もうお前を食い止める理由はない」
「どういうことだ……?」
「いずれ分かる」
ローグはランドルフを一瞥し、淡々と返答すると、そのまま歩き去っていった。
追うことはできない。そんなことをすれば、今度こそ殺される。
ランドルフはその事実を肌で感じ取っていた。
しばらくその背中を見つめていたランドルフだったが、やがてローグが完全に視界からいなくなると、地面に大の字で寝転がる。疲れが一気に体へ押し寄せていた。
「くっそ……あの野郎、あのときよりも力つけやがって……!」
迷宮に弟子たちの無事を確かめにいきたいのに、もはやその体力はない。
ランドルフの意識は、ゆっくりと闇に沈んでいった。
◇
マリアス・バーソンは怒りに打ち震えていた。
信じられない。セーラは、あの程度の性能しか持たない個体ではなかったはずだ。
理論上はあの場にいる全員を数秒で殺しきれる、それだけの実力を有していたはずだ。
創造主たるマリアスの命には忠実に従う、そういうふうに造ったはずだ。
だというのに――何だ、この現状は。
「くそ……!?」
これまで迷宮の様子を映していた映像のすべては灰色に染まり、もはや何も見ることはできない。ゴーレムがすべて破壊されたことで、記録が不可能になったのだ。スペック上は余裕を持ってゴーレム破壊を阻止できたはずだ、とマリアスは拳を強く握る。
――『人造魔族錬成計画』検体番号百二十二番、個体名セーラ・テルフォード。
自分で考え行動する、自律駆動兵器としての能力を養うことを目的に学園へと入学させた――しかし、創造主の命令に背くなど、そんなふうに造った覚えはない。厳密には逆らっていないが、本来の性能をまるで発揮できていないあの惨状では似たようなものだ。
「……さて学園長殿、実験目標の『受験者全員の速やかな制圧』を達成できていないようですが、どうなさるおつもりですかな?」
後方から、愉悦混じりの声が聞こえる。
この場に呼びつけた五人の貴族のうち、その派閥を統括する老人の声だった。
もはや映像は見ることができない。つまり実験目標が達成できたところで、彼らに人造魔族の性能をアピールすることは不可能。とはいえ、これまでの映像だけでも、セーラの性能は十分に戦略兵器に及ぶものだと確認できるはずだ。ゆえに、マリアスは一縷の望みを懸けて振り返り、貴族たちに愛想笑いを浮かべる。
「確かに実験目標は達成できなかったようですが……人造魔族が有している性能は、これまでの映像で十分に確認できたのではないかと存じます。……魔物を従属させ、強化する能力。これは、人族にとって最も有用な能力だと考えております。ぜひ、これからも皆様のご協力をお願いできると――」
「――すまないね。我々は、創造主の命に逆らうような兵器は求めていないのですよ」
椅子の手すりに肘を置き、頬杖をつきながら、貴族の老人は言う。
「書類上の性能を大きく下回る成果。あの個体は、兵器というよりも人間ですな。確かに自律駆動に足る思考能力は有しているようだが、その代わり感情に振り回されすぎている。性能は十分でしょう。しかし、あの様子ではただの幼い少女。そんなものを軍は求めていない」
「し……しかし! 性能が十分ならば、これから改善の余地はあるかと考えております」
「ほう。具体的に、どうやって?」
「セーラを躾け直し、主への絶対の忠誠を取り戻しましょう。そして、予定通りにクローンを量産し、あなた方の協力をもとに、王国軍に配備いたします。セーラの性能ならば、必ずや功績を上げることでしょう。決して、不可能なことではないと――」
「――何度も言わせないでくれ、マリアス学園長殿」
老人は憐憫の瞳でマリアスを見つめると、
「期待外れだ。もう一度、一から造り直すことを推奨いたしますぞ」
一息に切り捨てた。マリアスは歯噛みする。
「……そん、な……!?」
そんなことは不可能だ。すでにマリアスが持ちうる資金のすべてを、このセーラという個体に費やしている。もう一度セーラに匹敵する性能の人造魔族を造り出すなど不可能だ。成功の確信をしていたから、マリアスは学園の資金にすら手を付けている。錬金術には資金が必要だから、仕方がないことだ。それに、いずれは使い切れないほどの大金が入ってくるのだから問題ないとマリアスは信じ切っていた。これでは、どうしようもない。
しかし貴族の彼らが資金的な協力をしてくれるのなら、と思ってマリアスは顔を上げる。
「では、我々はこのへんで失礼いたしますぞ。予定が埋まっているのでね」
だが、老人はすでに立ち上がり、手元のコートを羽織ったところだった。他の四人の貴族も帰りの準備をしている。まさかこのまま見捨てるのか、とマリアスは焦燥を覚える。彼らの協力がなくなれば、マリアスに待っているのは牢獄入りの末路だけだ。何せ魔国軍の幹部だった魔族を保護し、禁忌とされた人造人間錬成に足を踏み入れ、公正に基づくはずの冒険者試験に干渉し、学園の資金にすら手を付けているのだから――彼らにこれらの不祥事をもみ消してもらわねば、次の個体を錬成するどころではない。
「ああ、これからは連絡はしてこないでもらいたい。申し訳ないが、我々は時間を無駄遣いするほどの暇はないのですよ」
「そんな……!? アルダートン侯爵!!」
「しかし、マリアス学園長。あなたのおかげで気づけたこともある。それだけは感謝しておきますよ。のぅ、ベドソン伯爵?」
「ええ、本当に。たかだか元冒険者の成り上がり風情が、役に立つこともあるようで」
「辛辣ですな。もう少し優しく言ってあげたほうがよろしいかと。はっはっは!」
マリアスが呆然としていると、やがて彼らは準備を整え、部屋から出ていこうとしていた。このままでは、マリアスの人生が終わる。華々しい功績どころではない。ただの罪人。禁忌を侵した最悪の犯罪者、そう呼ばれ、牢獄に幽閉されたまま一生出てこれないだろう。
――なら、この五人を恐怖で縛り付けるしかない。単純に、力で脅すのだ。それがどれだけ薄い望みなのか勘付いていながら、マリアスにはその方法しか残されていなかった。これでも元熟練の冒険者にして、秘奥を極めた錬金術師。だから、マリアスは異様な殺気を醸し出しながら、貴族たちに向かって足を踏み出した。
刹那。
「……な」
「マリアス学園長。あなたは今、侯爵様に何をしようとしていた?」
絶句する。なぜならマリアスの首元には、いつの間にか刃が突きつけられていたからだ。
身軽そうな黒装束で身を包んだ、黒髪の女。マリアスはその顔を知っている。アルダートンが子飼いにしているプロの冒険者、”死神”の二つ名を取る鎌使い。いったい、今までどこに潜んでいたのか、マリアスはまったく気づかなかった。
「おやおや、どうしたんだい?」
ゆっくりと、老人――アルダートン侯爵が振り返る。すべてを知っているかのように、透徹とした瞳がマリアスを捉えた。マリアスは絶望する。同時に、この結末はある程度予想できていた。高位の貴族ほど子飼いにしている冒険者は強い。こんなのは当たり前の話だ。そして、貴族が護衛のひとりも連れずに、こんなところまでやってくるはずがない。マリアスが気づかなくとも必ずどこかに潜んでいると――心のどこかで気づいていた。
現に”死神”だけではなく、ドアを開いた先には金髪の魔術師風の少女が待機していて、天井からは、奇天烈な恰好をした少年が降りてきた。名前は知らないけれど、彼らはいずれも尋常ではない覇気を放っている。貴族の護衛をしているだけはあった。マリアスも元熟練の冒険者ではあるが、まるで勝てる気がしない。
「クレア。マリアス学園長殿が怪我をしてしまうだろう? その鎌をしまいなさい」
柔和な笑みを浮かべて、アルダートン侯爵が言った。クレア、と呼ばれた”死神”は大人しく鎌をマリアスの喉元から引き、背中に戻す。――これは警告だと、マリアスは確かに理解した。次、彼らを脅そうとすれば、マリアスは間違いなく殺される。どの冒険者も、そういう目をしている。ゆえに、マリアスは「本日はありがとうございました」と引きつった笑みを浮かべ、彼らが去るのを見届けることしかできなかった。
「くそっ……!? なぜだ、なぜこうなった……!? 私の計画は、完璧だったはずなのに……!! くそっ、ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
やがて、すべてを失ったマリアスは、その瞳に昏い炎を宿して、立ち上がる。
――すべて、セーラと、あの連中のせいだ。
もう、どうなっても構わないとマリアスは思う。もはや死んだような身だ。
ならばせめて、あの連中だけは殺してから死ぬ。それはどす黒い憎しみの光だった。
「……改造魔物を、すべて解放する。こうなれば街の被害など知ったことか。どのみち重罪人。今更気を使ったところで何も変わりはしない。だったら、この私がすべて破壊してやろう……!!」
――すべての計画を狂わされた錬金術師は、ついに暴走を始めた。