2-22 少女の願い
――名もなき迷宮、第三層。その階段手前の広場にて。
レイたちは呆気に取られていた。
「……いや、落ち着け。よく見ろ、まだ誰も死んでいない」
だが、レイは額に流れた冷や汗を拭きつつ、仲間たちに向けて言う。
広間の中央に君臨しているのは、紅の瞳を輝かせるセーラ・テルフォード。彼女はレイたちを見て一瞬だけ顔を歪めるが、直後に首を振り、険しい表情で睨んでくる。
レイたちが今いる階段の側には、数十人にも及ぶ受験者、それも学園生たちが苦しそうに呻きながら倒れ伏している。皆、まだ息はある。
その反対――この広間へと繋がる道の側には、セーラの使役する魔物の群れが待機している。そこにはユアンとマーシャの二人も佇んでいた。
「――ほう、まだいたのか。尻尾を巻いて逃げ出したかと思えば、今更のこのこと顔を出しにきて、お前たちはいったい何がしたいんだ?」
ユアンが愉快そうにレイたちを嘲笑う。マーシャも鼻を鳴らした。ただの挑発。だが、彼らの瞳に感情は見えない。その言葉は悪意によるものではなく、レイたちの感情を揺さぶろうとしている戦術的な判断。徹底してプロのやり方だった。レイはそれを察して、むしろ感情の波が落ち着いた感覚があった。
「……ぐ、ぅ…………」
「ディン……大丈夫か!?」
これまで盾役をしていたのか、最も消耗が激しい少年のもとにライドが駆け寄る。
冒険者養成学園の元生徒会長を名乗っていた男だとレイも記憶していた。
「まだ、や……まだ、終わってへん……」
彼はその狐のように細い目を見開き、膝に手をついて立ち上がる。周囲を見れば、他の生徒たちも、ディンと同様に立ち上がろうとしていた。
「……どうして……そのまま、倒れていてくれればいいのに……」
セーラが険しい表情で呟く。いつも無表情なあの少女には、珍しい激情だった。
「……セーラは、みんなを殺したくない……こんなこと、当初の計画にはない。説得すれば、きっとマスターも納得する。だから……今は、倒されて、くれれば……それだけでいいのに」
セーラが必死に訴えかける。苦手な言葉を、精一杯ひねり出して。
ユアンとマーシャは何も対応していなかった。近くに佇む数体のゴーレムも状況観察に徹している。ということは、おそらくこの言葉は真実なのだろう。――それは、そうだ。そもそもレイたちの推測が正しければ、セーラという人造の魔族は、魔族の能力に対抗するために生み出されたのだから、味方である人族を虐殺する意味はまるでない。せいぜい口封じぐらいか。しかし今後、セーラを兵器として運用するつもりなら、どのみち明るみに出ることであり、結局のところメリットは薄い。
「……お願い。確かにセーラ、身勝手、だけど……でもこれは、マスターの言うことだから……どうしようもないことだから……セーラは、みんなを、これ以上、傷つけたくない。だからもう立たないで……」
つまり、セーラがこの場を制圧するだけでこの状況は解決する。だからこその性能実験。冒険者試験の受験者を相手に、セーラの実力を証明することが目的なのだから。
そして、すでにそれは終えたようなものだ。錬金術師のゴーレムによって、ディンたちがやられている場面は、あますことなく黒幕たちの前に映し出されていることだろう。後は完全に制圧し、地上に帰還するだけ。セーラはそれで充分だし、ディンたちにも危険がない。試験なら来年になってから受け直せばいいし、もしかすると、すでに貴族の根回しが進んでいて、不慮の事故だの何だのと理由をつけ、もう一度受けられるかもしれない。むしろ、その可能性のほうが高いだろう。加えて、この実験に関する口を封じる代わりに、受験者に大金を積んでくれるかもしれない。
話を聞けば、ディンたちに降参を促しているユアンも、そう説明している。
「……何度も言ってるやろ。そういう問題やないって」
それでも、ディンたちは聞く耳を持たなかった。もはや立ち上がれない者もいたけれど、彼らの大半はボロボロの体のままで、再び、各々の武器を構え始める。
「お前ら……?」
レイは呆然として、彼らに尋ねる。どうして彼らは敗北を認めないのか。
対面を見ればセーラも仕方なく、再び魔物たちに指示を出している。
――今度こそ制圧するために。
「……べつに、試験が惜しいわけやない。そんなん、また来年受け直せばええ。だから倒されるだけで見逃してくれるっちゅーなら、やぶさかやない。不幸中の幸いってことで、しめしめって思うやろ……本来なら、な。でも……」
ディンはボロボロの体でなお、不敵に笑いかけてきた。
いつも通りに、訛りのある口調で。
「同じ学園の友達が起こした間違いを正さないわけにはいかないやろ」
ディンの周囲の者たちも、口々に言う。
「事情は、よく知らねえけどな。でも、セーラは、こんなことする奴じゃねえだろうが。アイツをそこから解放せずにただ負けるだけなんて、俺の意地が許さん」
「……あんな辛そうな顔してる奴をそのままの居場所に置いておけるかよ」
それらの言葉のすべてが、セーラの感情をひどく揺さぶっているようだった。
レイは、少しだけ笑みを浮かべる。
この学園の連中は揃いもそろってお人好しだという事実を、ようやく理解した。
それが、下層への階段が空いているのに、ここから逃げない理由でもあるのだろう。
「……セーラは、本気だから。後悔しないで…………!」
セーラは叫び、手を前に差し向け、その軌跡を追うように魔物たちが走り始めた。連続的に地響きが鳴る。彼らは当然、セーラの近くにいることで強化されている。これまで何体も倒してきたオークやコボルトが中心の群れとはいえ、決して楽な相手ではない。レイが剣を握って戦闘態勢に入りかける。魔力を熾し、その身に纏った。
戦いが再開される。
その直前。決然とした表情のマリーが、セーラに向かって叫んだ。
「セーラ!!」
彼女の声に反応し、魔物の軍勢が動きを止める。いや、セーラが指示したのだ。
「……何、マリー?」
「貴女はどうして、そのマスターとやらの命令に従うんですの?」
「セーラは、ホムンクルス。マスターのために生み出された、人形。だから、役割を果たす……果たさないと……セーラの存在意義がなくなる」
「そんなことじゃ、ないでしょう? いえ、確かに、最初はそうだったのかもしれない」
マリーは言葉を続ける。優しく、包み込むように語りかける。
「――でも今、貴女がわたくしたちと戦っているのは、大切なものがあるから」
「……、」
「それを守るために、雁字搦めにされている。失いたくないものが多くて、失うことが怖いから、貴女はマスターとやらに逆らうことができない。そうでしょう?」
「……知ったようなこと、言わないで……」
「言いますわよ。これまでも、これからも。わたくしは貴女の友達ですから」
その言葉を聞いて、セーラは愕然としたように狼狽える。
「セーラは、人間じゃない……ただの人形で、兵器で……人造の、魔族で……、みんなとは違うバケモノなのに……どうして……みんなはそうやって……?」
「そんなの、おれたちの知ったことじゃねえんだよ」
ライドが淡々とした調子で肩をすくめた。
「おれが知っているのは、セーラっていうひとりの女の子だけだ。だから、友達が苦しんでるなら手を貸してやる。ただそれだけの話だ」
ノエルがライドに笑いかけ、彼は「ガラじゃねえな……」と額に手を当てる。
レイはセーラの近くに佇むゴーレムに目をやるが、動く気配はない。
マリーが切り込むように告げる。
「――貴女がマスターと言っているのは、そこにいるゴーレムを操っているのは、わたくしたちが通っていた冒険者学園の長、マリアス・バーソンでしょう?」
「……気づいていたのか」
ダリウスがポツリと呟く。
僅かに、ゴーレムを通じて術者の動揺が見えた。
「わたくしは貴族の娘ですので。マリアスの奇妙な点にも、ある程度は気づいていました。まあ貴女の反応を見るまで、確信はなかったのですが……本当に、残念ですの」
マリーは嘆息する。
周囲の生徒たちは動揺していた。これまで通っていた学園の長がこの事件の黒幕だと言われているのだから、当然の反応だろう。ライドたちですら目を瞠っていた。
「……まあいい。とにかく、そこを通してくれセーラ」
レイは言いながら、前へと足を踏み出した。そのまま歩き始める。
「お前を縛っている連中を、お前を苦しめている連中を、俺が潰しにいく」
「……っ!! そんなこと……できるわけない」
セーラは首を振る。だが、その瞳には迷いがあった。
『セーラ、そこまでだ』
無機質な音声が響き、びくりとセーラの体が震えた。
それは状況を観察していた三体のゴーレムのうちの一体から発せられたものだった。
『いったい何をやっている? 無駄な会話はやめて、さっさと実験を再開――』
「――”大砲”」
レイは刹那、異世界式魔術を起動すると、そのゴーレムを木っ端微塵に吹き飛ばした。
凄まじい爆音が炸裂する。同時に、レイの意を汲んでアルスが動いた。敵陣のユアンとマーシャも判断に迷いがない。残り二体のゴーレムを守るために走り出す。
『セーラ! 何をしている!? 私のゴーレムを守れ!!』
機械的な音声がゴーレムから放たれ、表情を歪めたセーラが魔物を動かす。
だが、アルスは囮だ。錬金術師はどうやら、このゴーレムを倒しうる性能を持っている者はレイとアルスのみだと考えている。それこそが間違いだった。
「――水よ」
「なっ……!? くそっ!!」
エレンの精霊術が起動する。圧倒的な水流が、アルスに対応しようとしていたユアンたちの間隙を潜り抜け、二体のゴーレムに直撃し、破砕していく。
轟!! という、凄まじい音が炸裂した。
ユアンたちとアルスが交戦を始める。
彼に襲い掛かる魔物たちに対して、ノエルやリリナも対応した。
だが、その魔物たちの動きは再び停止する。
セーラが動揺のあまり、彼らへの指示を止めたのだ。
アルスたちも何合か斬り合うと、両者共に後方へと跳んだ。
ユアンたちは悔しげに歯噛みしている。
「これでお前の言葉を遮る者は誰もいない。錬金術師はもうお前を監視していない」
レイは言う。不敵に、笑みを浮かべる。
「セーラ、お前はどうしたいんだよ。言ってみろ。自分は錬金術師の人形なんかじゃないって証明してみせろよ」
「でも……でも、マスターは、すごく、強い……元々、一流の冒険者で、秘奥に手を伸ばした錬金術師……だから、セーラたちじゃ、勝てない……絶対に。セーラは、セーラ以外の誰かに、苦しんでほしくない」
「信じろ、俺は強い。だから、そいつに勝てる。約束する」
「そんなの、むちゃくちゃ。根拠になってない」
「それじゃお前も手伝ってくれよ」
レイは軽い調子で言った。セーラは不思議そうに顔を上げる。
「……え?」
「お前がいれば百人力だ。俺は強い。でも今はまだ力が足りないかもしれない。だから俺が約束を守るために、守れるように、力を貸してくれよ」
「はっはっは!! まったく、恰好つかねえ奴だな!」
「うるせえなアルス! いま大事な話してんだよ! 取り込み中!」
レイがアルスと叫びあっていると、セーラは俯き、ぽつりぽつりと語り始める。
「……セーラがマスターに逆らえないのは、みんなが人質だから」
「……そうか」
「マスターは、セーラが失敗すれば、今度は生徒を研究に使う、実験体にするって、言ってる。それだけは、止めなくちゃ……いけない。だから……セーラは、成功しないと……」
そう考えている理由は、錬金術師の実力を知っているからだろう。ゆえに逆らえない。絶対の頂点として錬金術師を置いているから。あるいは、そういうふうに記憶されているのか。
レイは僅かに目を細め、そんなことを分析していた。
息を吐き、何か言おうとしたそのとき。
「――本当に、手のかかる子ですわね」
後方から近付いてきたマリーがレイを追い越し、セーラに近づいていく。
「その悩みを、相談をすればよかったんですのよ。もっと、わたくしたちを頼ってくれればよかった。わたくしは貴族ですし、みんなにも、それぞれいろんな武器がある。確かに、そんなことになれば大変ですわ。誰かが苦しむのは、いけないことですからね」
「……そう、だから、セーラは……」
「だったらそんなふざけた実験、丸ごとぶち壊してしまえばいいんですの」
びっくりしたように、セーラは目を瞠った。
「……ねえセーラ……今からでも間に合いますわよ」
マリーはしゃがんでセーラの目線に合わせると、彼女の肩に手をかけた。
「貴女はどうしたいのか、言ってみなさい」
そう言って、マリーは後ろに下がろうとするセーラをそっと抱き寄せた。
セリフを取られたレイは、肩をすくめる。しばらくマリーになされるがままだったセーラは、やがておそるおそる彼女を抱き締め返した。そうしてポロポロと、その瞳から涙を零し始める。
雫と共に言葉が流れた。
「……セーラは、マスターの計画なんかに従いたくない。みんなと、一緒に、いたい」
セーラはぎゅっと、マリーを強く抱きしめ、自分の想いを言葉にする。
「はい。よく言えましたわね」
それが少女の願いだった。
胸の内に秘めていて、それでも隠し切れなかった純粋な感情だった。
対してこれまで冷静を保っていたユアンが、表情を歪める。
「……ふざけるな、セーラ。お前は所詮、マリアス様の傀儡だと忘れたか? すでに実験は最終段階、取り返しのつかないところまで来ている。今更、我々を裏切るなど――」
「――おいクソ野郎」
怒りを示すユアンに対して、アルスが吐き捨てるような調子で告げた。
「この状況でまだやる気かよ?」
この場にいる全員の視線が、ユアンとマーシャを捉えた。
ディンたちも、ライドたちも、セーラに従う魔物すらも、殺気を滲ませている。
マリーに抱きしめられているセーラも、強い瞳で彼らを睨んでいる。
「……ユアン」
「仕方ない、か。ええい……」
即座に状況判断を済ませると、ユアンとマーシャは撤退していく。
ライドがアルスに尋ねた。
「追わなくていいのか?」
「試験官やるほどに熟練のプロだぞ? 戦いはともかく、迷宮探査技術じゃ勝てねえだろ。どのみち追いつけねえし、今は連中に関わってるような暇はねえ」
そんな二人の会話を聞きつつ、レイは後ろを振り返った。
「行くぞ、アルス」
「ああ。仕方ねえなあ、まったく試験中だってのに」
「まあ黒幕を捕まえれば合格するかもですし?」
「流石にそんな単純じゃねえだろ……それが一番楽だけどさ」
「面倒なことはさっさと解決するに限る」
すべては、この、セーラというたった一人の少女の願いを守るために。
目指すは彼らが元いた居場所、冒険者養成学園。
倒すべきはその長、禁忌の錬金術マリアス・バーソン。
「このふざけた悲劇を、ぶっ壊しにいくとするか」
少年少女は立ち上がる。
どれだけ辛くても、苦しくても、背中には失いたくないものがあるから。
その拳に、強い意志を握り締めて。