2-20 友達
――マリー・ノーマンは侯爵家の令嬢だ。ノーマン侯爵家は魔術師の家系。ゆえに、マリーもまた貴族の子供が多く通う魔導学園に入学し、王国魔術師団の一員として華々しい功績を上げることになるのだろうと漠然と考えていた。しかし、物語の中の英雄譚に憧れた彼女は、冒険者学園への入学を希望し、また家庭内でさまざまな思惑が錯綜した結果、最終的に父ライノスの親バカ精神が押し通り、マリーは冒険者の道を目指せることになった。高位貴族の娘ゆえの、その複雑な事情に気づいたのは当時よりもう少し後の話だ。
それでもマリーが夢を追うことができたのは、すでに侯爵家には六人の子供がいたという事実が大きいだろう。今ではこの無理に等しい希望を通してくれた家族に、マリーはとても感謝している。冒険者学園に入らなければ、きっと、こんなにも素晴らしい友達に、出会うこともなかったと思うから――。
「ちょっと貴女! どこへ行こうとしていますの!?」
「……? 次の授業の、教室に行かないと」
「それは逆方向ですわ!」
「……あれ?」
「あれ、じゃないですの! まったくもう!」
「……マリー、頭良いね?」
「こんなのは頭の問題じゃないんですけれど……はぁ、仕方ありませんわね」
その少女と初めて話したのは、一年生の春。入学して数日が経過したときのことだった。
肩まで伸びた純白の髪に蒼い瞳、まるで人形のように整った顔立ちと相まって、どこか神秘的な雰囲気を纏っていた。名前は、セーラ・テルフォード。誰とも話しているところを見かけたことがなく、常に一人で行動している。周りの人間も彼女に近寄りがたさを感じているようだった。それはマリーも同じだ。だから、普段はひどく無表情なセーラの口元に少しだけ笑みが浮かんでいるのを見て、マリーは意外に思った。
「……あれ、貴女、わたくしの名前を知っているんですの?」
「……? クラスメイトなら、当然」
「そう、ですわね……」
――でも貴女は他者に興味がない人間だと思っていた、とは、言わなかった。歯切れの悪いマリーに対して、セーラは不思議そうに首を傾げている。表情そのものはあまり変わっていないが、よく見ると感情の変化が分かりやすい少女だった。
「……ん。ここ、どこだろ?」
「それが分からないのに進んでいたんですの……?」
「……何となく、こっちな気がした」
「勘だったんですの!?」
マリーはやれやれと嘆息する。思っていたよりも不思議ちゃんな少女だった。マリーが勝手に彼女に対して浮かべていた高貴なイメージを、叩き壊されたような感覚があった。
「と、とにかく、もう休み時間も残り少ないですし、急ぎますわよ」
マリーはそう言って、セーラの手を取る。「……あ」と、彼女は呟いた。
「どうしたんですの?」
「……手」
「あ、嫌でしたか?」
「……ううん、嬉しい。一緒に行く」
そう言ってセーラは微笑した。マリーを無条件で信頼している、純粋無垢な笑みだった。
「……、ええ、行きましょう。セーラって呼んでもいいんですの?」
セーラはこくりと頷き、マリーの手を握り返す。
マリーはそのとき理解した。この少女は他人に興味がないとか、そんな氷のような性格ではない。感情を表現するのが下手なだけで、本当はとても心優しい少女なのだということを。
「まったく貴女は、放っておいたら危なっかしいですの。これからは何か困ったことがあったら、わたくしを頼りなさい」
――だからマリーは、この純粋な少女を自分が守りたいと、そのときは思った。
「……ん。やっぱり、マリーは優しい」
「ふん、困っている民を助けるのは、ただの貴族の務めですの」
なお、それからしばらくしてセーラがマリーよりもはるかに強いことが明らかになり、愕然としたのは余談である。
「むきー! 何が守るですのよ!? 恥ずかしい……自分を殴りたい……」
「……マリー、どうしたの? 殴ったら、痛い、よ?」
「知ってますわよ! ええい、自己嫌悪に浸ってるだけですの! 貴女はちょっとどこかに行ってなさい!」
「……しょぼん」
「それは口で言っても意味ないですわよ!?」
「マリーはすごい。だから、じこけんお? する必要ない」
「うう……し、仕方ないですわね」
――そんなやりとりを繰り返してきた。取るに足らない、どこにでもあるようなやりとりを、何度も何度も、積み重ねてきた。ありふれた日常が、どんどん重みを増していく。くだらないと思っていたものの積み重ねが、徐々に、大切なものへ変わっていった。
当人だけが、その事実に気づかないままに。
――なんて馬鹿だったのだろう、とマリーは思う。失ってはいけなかったものを、失ってから気づくなんて、本当に救いようがない。
いま思えば、冒険者試験が近づくほどにセーラの様子はおかしくなっていた。そのときのマリーは目の前に迫っている憧れの冒険者につながる試験、それを受けるという事実に高揚し、緊張し、その準備に集中力を割いていたから気づかなかった。いや、何となくは気づいたうえで、放置していた。おそらく緊張しているのだろう、と楽観視して。それよりも大切なものがあると、当時は思っていたから。
『……ごめん』
――だからセーラに、あんな表情をさせることになってしまった。
「絶対、止めてみせるんですの……!!」
セーラよりも、大切なもの?
――そんなもの、あるはずがない。冒険者試験なんてクソ食らえだ。自分の憧れなんて二の次だ。いまマリーが動いているのは、貴族の義務とか責務とか、そんなもののためではない。困っている友達を、助けたい。苦しんでいる友達の姿を見て、何とかしてあげたい。
ただ、それだけの話。
ここにいる七人全員も感じているであろう、ひとつの願いだった。
◇
「――前提に戻ろう。セーラを造ったのは錬金術師。セーラは明らかに不本意だが、その黒幕の指示に従っている。となるとセーラは何らかの制約をつけられている可能性が高い」
その戦いは一瞬だった。
近くに迫っていたゴーレムをレイとアルスの二人が斬り捨て、七人は小部屋から出る。
ひとまずレイたちはゴーレムが来た方向とは逆に走り始めた。
レイは周囲の警戒をしながら、言葉を続ける。
「制約、ですか?」
「ああ。たとえば命令には逆らえないように脳を調整されてるとか、な」
「そんな!? それでは、どうしようもないのでは?」
「これは最悪の場合だ。少なくともセーラが自由に動けない事情があるのは間違いねえ。そうじゃなけりゃ、心優しいアイツがおれたちに攻撃するはずがない――そう言いたいんだろ、レイ?」
「ああ。――しかし、呪いという可能性も……いや、流石にないか」
「どうした?」
ブツブツと呟いているとアルスが怪訝そうに声をかけてくる。レイは「何でもない。考え過ぎだろう」と答えつつ、後方から迫る魔物の群れの気配を感じ取り、速度を上げる。
「……そう、ですわね。なら、もしかして、わたくしたちが彼女を説得しにいく意味はないんですの……?」
「いや、セーラを止める役は必要だ。そうでなくても、彼女と一緒にいてやってほしい。もしかすると何かを人質に取られているのかもしれないし、何をすれば制約を取っ払えるかも分からない。あの子からできるだけ事情を聞き出して、俺に連絡してくれ」
「了解ですの……って、どうやって連絡を?」
「これを持ってろ」
「何です、これ……ただの石にしか見えないのですけれど」
「いずれ分かる。――それより、来るぞ!」
前方から現れたのは三体のオーク。通路を横並びに塞いでいる。しかし後ろからも魔物の群れが迫りつつあり、挟み撃ちの状況に陥っている。
「――水よ」
エレンの精霊術が前方に飛んだ。水で創られた大槍が一体のオークを吹き飛ばしていく。
残り二体。
だが、レイが動くまでもなかった。マリーがすでに高速で詠唱を始めている。
「火よ、万物の根源たる灼熱の炎よ、我が前に立ち塞がる脅威を燃やしたまえ……!」
二体目、三体目のオークを灼熱の火炎が燃やし尽くしていく。
前方の曲がり角から、さらにコボルトが何体か姿を見せるが、俊敏な動きで肉薄したノエルが両手に携えた双剣を目にも留まらぬ速度で動かし、すべての首を断ち切った。
レイたちは角を曲がり後続に備えると、その先は異常な熱気が溢れ、一体の魔物が君臨している。ヒトダマがぼう、と燃え続け、周囲には何体もの魔物が倒れ伏していた。そんな死体の数々は、次々と淡い光となって消えていく。
「――やぁ、探していたよ」
「ダリウスか! セーラたちは!?」
「ボクが抑えきれなくなって撤退すると、連中はそのまま上階へと昇っていった。今は第三層にいるはずだ。学園生が危ないかもしれないな」
「くそ、確かにいつまでも最深層にいる理由はないだろうな。マズい……!」
「ボクが道案内をしよう。彼女らの居場所は追跡魔術で把握している」
「この魔物のお方、マジで便利ですわね……」
「べ、便利……このボクが、便利という言葉で片付けられるとは……」
「ああっ! すみませんですの!?」
「実際いまのコイツは便利アイテムみたいなもんだし」
「レイイイイイイイ!? いくら何でもそれはひどいんじゃないかね!?」
「――で、ダリウスお前、試験中いなくなっていたけど、その間は何をしていたんだ?」
「あ、ああ……。どうも試験関係者がきな臭くてな、背後関係を洗っていたんだ。すると僅かだが、妙に怪しいところが出てきてな。心配になって見に来たら案の定、事件が起きていたというわけだ。――安心しろ、黒幕はすでにボクが掴んだ」
ダリウスが自信に満ちた声音で告げる。この男が姿を消している間、何もしていないはずがないとレイは思っていたが――本当に、期待には応えてくれる魔術師だった。
しかし。
「便利だ……」
という声が、どこからともなく聞こえてきた。
一瞬の沈黙。
「…………泣きたい」
「ヒトダマが泣いたらどうなるんだ? 消火作業?」
「アナタは人間なら、もうちょっと血と涙を持ってくれ」
ともあれ。
レイたちはダリウスの援護もあって何とか魔物の大群を切り抜けると、駆け足で第三層への階段を昇っていく。
息を僅かに切らしつつも長い階段を昇りきり、レイは第三層に足を踏み入れていく。
そして、階段手前の大広間に展開されていた光景は――
「……セー、ラ…………?」
――ただの地獄だった。




