2-19 炎熱剣
――ランドルフは、その怪物に一度だけ遭遇したことがあった。そのときのことは今でも夢に出てくる。もう十年以上も前のことになるのか、王国、北の国境付近のクラルサ砦。人族を圧倒する魔国軍を指揮していたのが、銀の長髪が特徴的なその青年だった。
当時のランドルフは中堅の冒険者として、組んでいたパーティと共に軍に協力し、次々と魔物や魔族を屠っていた。そのとき冒険者という自由な立場を利用して、密かに敵の裏手に回り込んで食料を燃やそうと考えたランドルフたちは、戦場を大回りして静かな森の内部を進んでいた。隠密行動なら手慣れている。大半の魔族の目は砦に向いている。人族は防戦一方に見えるだろう。ゆえに、気づかれないだろうと高をくくっていた。
しかし。
その男は、魔国軍の幹部は、まるで予期していたかのように。
軍の指揮官だというのに悠々と、ランドルフたちの前に姿を現したのだった。
その、悪意の塊のような男の名は――
◇
「――ローグ・ドラクリア……!?」
「おや、俺の名前を憶えてくれているとは、ありがたいことだよ、”炎熱剣”」
「忘れるものかよ……!!」
ランドルフは猛烈な危機感を覚えていた。なぜ、この男がここにいる。ここは王国東方にあるアストラの街、その近隣の森だ。魔国は北方で、はるか遠い。魔族はこんなところにいてはいけないはずなのだ。まともに侵入すれば必ずどこかで見つかっているはずだ。だが現状、彼はこの場に立っている。それが意味するところは、
(……なら、誰かが匿っているってのか!?)
「まあ、そんなところだ」
まるでランドルフの思考を見透かしたかのように、ローグは肩をすくめる。
そして迷宮の入り口に跳躍し、ランドルフの前に立ち塞がった。
対してランドルフは咄嗟に、後方へ飛びずさる。
「本来ならこんなところで姿を見せるつもりはなかったんだがな。しかし、お前に動かれては計画どころではない。ゆえに、止めさせてもらうというわけだ。仕方なくな」
「随分と過大評価を受けたもんだな……ってことは、やっぱり冒険者試験には、何かがあるんだな。お前が暗躍するぐらいの、計画とやらが」
「――そうだ。お前が知る機会はもう、未来永劫ないがな」
「舐めるな。もう、あのときの俺とは違う……!!」
ランドルフは魂を奮い立たせた。弟子が異常事態に巻き込まれているとなれば、傍観しているわけにはいかない。たとえ立ち塞がる障害が、かつて大惨敗を喫した、規格外の怪物であろうとも。それでも、譲れないものは確かに存在した。
――今や最強の冒険者と名高い“炎熱剣”が、その真価を見せる。
「炎よ、すべてを在るべき姿に還す始まりの炎よ、我が剣の秘奥となりて――」
ランドルフは剣を抜き、その手を胸の前に着き出した。
その、目を奪われそうなほどに澄んだ黒の鉄剣に、火が灯り、徐々に燃え上がっていく。
「――不遜にして魔なる者どもを緋の輝きのもとに斬り裂き、その怒りを示せ……!!」
轟!! と、ランドルフの黒剣に莫大な炎の渦が展開された。そのすべてを灰燼に還すほどに圧倒的な火力を見たローグは、高揚したように不気味な笑みを浮かべる。
これこそが”炎熱剣”の由来。ランドルフを最強と知らしめた、超絶技巧の魔術技。
周囲に生えている草が木々が灰になり、燃え広がることもなく消えていく。
「はは、ははははははははは!! いい、いいぞ、ランドルフ・レンフィールド! 俺の期待は間違っていなかった! お前は強くなると思っていたが……これほどとはな!」
「戯言はいい。――そこを、通してもらうぞ」
「だが! だがランドルフ、お前は本当に、この俺を超えたと思っているのか!? あの日あのとき勇者アキラがいなければ、俺に傷一つつけられなかったお前が!!」
「……、」
それ以上、ランドルフは問答に付き合わなかった。
両手を大きく広げるローグに向かって剣を構え、一直線に突き進んでいく。
互いの眼光が交錯し、火花を散らす。場の熱量が比喩ではなく異常に上昇した。
直後。
ズズン……!! と、大地を揺るがすほどの爆音が轟いた。
◇
「……何、だ!?」
突如として巻き起こった地震に、レイたちは目を瞠って動揺した。
しかし、アルスが口元に指を立てて、静かにするように指示を出す。レイは大声をあげかけていたリリナの口を慌てて塞ぐと、鋭く息を吐いて感覚を研ぎ澄ました。
――確かに、近くまで何かが迫ってきている。気配はないが、足音が僅かに聞こえた。ということは、おそらくゴーレムだ。魔物であれば気配も感じ取れる。
「……、」
どう、動くべきか――。迷宮の隅にある小部屋内に、異様な緊張感が立ち込める。数十秒にも渡る長く重い沈黙の後、レイとアルスが同時に舌打ちをした。
「駄目だ、こっちに来るぞ……!」
「どうする……!? 」
「一か八か、この迷宮を脱出するしかねえだろ!」
「分かってる。でも、それじゃセーラを助けられない……っ!」
ライドの正論にレイは顔を歪める。その間にも、ゴーレムの足音は接近していた。
「――わたくしが、彼女を説得します」
それまで暗い顔で俯いていたマリーが顔を上げた。その目尻には涙が浮かんでいたけれど、喚くだけだった先ほどとは違い、確かに毅然とした光が宿っていた。
「もう、驚きません。もう、怖がりません。覚悟は決めたんですの。もう一度、彼女に会いに行きます。何が彼女をそうさせているのか、わたくしが確かめます」
「でも……!?」
先ほどは話を聞いてくれなかったと、レイはマリーに反論しようとした。
「大丈夫」
彼女は右袖で涙を拭きつつ、立ち上がる。
「――あの子は、優しい子ですから。わたくしたちを殺すなんて、あの子にできるはずがない。あの三年間の日々が、すべて演技だったなんて、そんなはずはない。彼女は、そんなに器用の子じゃないですの。だから、わたくしは彼女を説得します」
――友達ですから、と。
その言葉を聞いて、ノエルがふと表情を緩めた。
「そうだね。あの子はそんな子じゃない。あの子は、兵器なんかじゃない。確かに人の手で造られたのかもしれないけど……それでも、あの子は優しい人間だ。それさえ分かっていれば、動揺することなんて、何もなかったんだ。馬鹿だな、わたし」
「……仕方ねえなぁ」
二人に目を向けられて。
ガリガリと黒髪をかき上げながら、ライドが嘆息する。
「面倒臭ぇ。敵はデカい。間違いなく貴族の手が入ってる。だから今すぐ逃げ出してぇ。でも、仕方ないからやるしかねぇなぁ。不本意にも……おれはあいつの友達だからな」
ライド、ノエル、マリーの三人が立ち上がる。
セーラと三年間、同じ学園で過ごした者たちが、覚悟を決める。
「そういうわけだから、すまねぇ。力を貸してくれよ」
ライドは笑みを浮かべて、レイに手を伸ばしてくる。
レイと彼はまだ数度会っただけの仲だ。性格はあまり掴めていないし、会話だってそんなに交わしたことがない――けれど、目指すべきものは一致している。その身に潜んでいる揺らがない信念だけは、確かに その瞳から感じ取っている。
なら、それだけで十分だった。レイは口元をつり上げる。
「気にすんな。――友達だろ?」
ライドはその言葉に一瞬だけ目を瞠るが、やがて苦笑を浮かべた。
「……まったく、相当なお人好しだよな、アンタ」
「おいおいバッカだな。レイ、ライド。握手なんてダセえだろ?」
ライドの手に応じようとするレイに、アルスが気楽な感じで口を挟む。
彼は不敵な笑みを浮かべながら、拳を握って前に突き出した。
「こうすんだよ」
コツンと、アルスが握った拳に、レイとライドは自分の拳を打ち合わせた。
馬鹿なのはどっちだ、とレイは苦笑する。
そこでムッとしたエレンも拳を差し出してくる。リリナも敏感に反応した。
「男の子だけで、ずるいな」
「あ、じゃあ私も混ぜてください……!」
「まったく、緊張感がないなぁ……」
「こういうのも重要ですのよ?」
結局、その場にいる七人全員の拳が中心で打ち合わされることになる。
ダン!! とゴーレムの足音が、ついにこの小部屋の目前まで迫ってきていた。
このゴーレムを排除すれば錬金術師に居場所を知られ、おそらくはセーラにも情報を伝えられ、また魔物たちに追い回される、地獄のような状況に戻ることになる。それでも、レイたちの表情に憂いはなかった。――やるべきことは決まっていた。
レイとアルスは視線を交錯させて、互いに剣を抜く。
「じゃあ俺たちはセーラが憂いなく連中を裏切れるように」
「黒幕をぶっ潰しに行こうぜ……!!」
――さあ、ここからが反撃の時。
あの心優しい少女を兵器として扱う者どもの計画に、嵐よ吹き荒れろ。