1-4 魔術
窓から小鳥の鳴き声が聞こえる早朝。
レイは起きる前に魔力操作の練習をしていた。
体内で魔力を動かし、強化する部分を微調整する。
『前世』の経験である程度のコツは掴んでいるとはいえ、あの頃はチート頼りで、かなり荒削りなやり方だった。
もっと無駄を削り、繊細に操る為にはやはり練習あるのみだ。
より素早く、より精密に。
それを意識して魔力を制御し続ける。
魔力による身体強化は、強化度合いを下げれば魔力消費が少ないので、訓練にはうってつけだった。
「……レイ様?」
部屋の外からリリナの声が聞こえ、扉が開く音がした。
おそらく起こしに来たのだろう。
だが、今は良い感じに集中できているので、もう少し待ってもらうことにした。
そう思っていると、妙に艶めかしい声がレイに迫る。
「起きてません、よね……?」
妙な危機感を覚えたレイは起き上がろうとしたが、間に合わず、暖かく柔らかい感触が後頭部に当てられた。
「えへへ……」
「――何してんの?」
「ひゃぁ!?」
寝たフリも忘れて思わずレイが声をかけると、リリナはびっくりしたように声を上げる。
「……あ、その……」
レイはリリナに抱き締められていた。
頭が胸に包まれている感触が心地良い。
レイはニヤニヤしながら、リリナの顔を見た。
真っ赤だった。
茹で上がったような頬だった。
「ねえ、何してんの?」
「あ……う……」
リリナはレイを抱き締めたまま硬直していた。
目が右往左往している。
相当慌てているようだった。
そんなに慌てなくても五歳児の子供を抱き締めていた程度、適当に誤魔化せそうなものだが。
「う、うるさいですー!!」
せめてもの抵抗なのか、リリナは更に強くレイを抱き締めた。
「ちょ、苦し……っ!」
「ふふん」
(なんでちょっと自慢げなんだよ!?)
レイは魔力で身体強化すると、照れ混じりのリリナの拘束からどうにかこうにか抜け出した。
ぜえぜえと息を吐くレイに、リリナは目を瞠る。
「いつの間に、魔力を扱えるようになったんですか?」
「ちょっと前にな……」
レイは疲れたように言葉を濁す。
リリナは怪しむように小首を傾げていたが、そう簡単にレイが希少な転生者だなんて発想には行き着かないだろう。
ところで、それとは別にレイは気になることがあった。
「もしかして、ずっと前から?」
「な、何がですか?」
「いや、さっきみたいに抱き着いてたの」
「気づいてたんですか……?」
小声になって、俯くリリナ。
今日まで全然気づいていなかったのだが、自ら墓穴を掘っていくハーフエルフの美少女である。
「俺のこと好きなの?」
「ち、ちがいますよ!」
「違うのか……」
しょぼんとするレイ。もちろん演技だが、リリナはわたわたしながら、
「そうじゃなくて、あの、私に弟がいたらこんな感じかなぁって……」
自信なさげに言いながら、目を逸らしていく。
リリナは十二歳ぐらいだったか。
確かにそんな想像をしてもおかしくはないだろう。
「仮にも貴族の息子に何をやってるんだか」
「アルバート様には言わないでください……お願いですから」
「はいはい」
「ちょ、レイ様、ちゃんと聞いてくださいよ!」
別にわざわざ言うつもりはないが。
レイは涙目のリリナに苦笑しながら、部屋を出た。
♢
(――さて)
寒空の下で、レイは立ち尽くしていた。
早朝、屋敷の裏庭。
いつものように冒険者になる為のトレーニングをしているのだと、屋敷の人間は皆思っている。
実際それは間違いではない。
ただ、レベルが跳ね上がっているだけで。
(……掌の上に、炎を生み出すイメージ)
右手を差し出すような形で、念じる。
集中する。
魔力を掌に集めながら、妄想を具現化する。
何をやっているのかと言うと、魔術の練習である。
『前世』では必要なかったが、今生では魔術による攻撃が必要になる機会も来るだろう。
そのときの為に、魔術も扱えるようになりたかった。
(……やっぱり、上手くいかないな)
『前世』の記憶が蘇ってから、数日が経過していた。
剣の鍛錬と同時に魔術の練習もするようになったのだが、いまだに一度も成功したことがない。
剣術はある程度の覚えがあっても、魔術には全くない。
手探りの状態から始まっているのだ。
仕方ないといえばそうなのだが――
(諦めてなんかいられないよな……)
レイは深呼吸して、意識を切り替える。
魔力の流れは間違っていないはずだ。
つまり、問題はイメージの方にある。
自らの妄想を、どれだけ信じ切れるか。
(……俺はある程度、物理法則を理解している。だからこそ掌から炎が生まれるなんて荒唐無稽だという理屈を捨て切れていない。頭で理解はしていても)
何故か。
アキラを勇者だと選定した少女――アリアは、異世界の出身だった。
それどころか方法は分からないが、異世界とこの世界を行き来していたらしい。
アキラは彼女からいろいろな話を聞き、興味を持ち、学んだ。
だから世界の理屈が分かる。
対して、魔術は想像して創造する。
基本中の基本である"発火"の術式すら、レイはイメージし切れていないのだ。
『前世』で、ザクバーラ王国の宮廷魔術師筆頭のセリスと呼ばれていた女は、魔術とはこうあるべし、という理屈を饒舌に語っていたものだが、当時は適当にあしらっていた。
まさか来世で役に立つとは思わなかったが。
(……待てよ。なら、ある程度『俺やアリアの理屈』に沿ったイメージだったら、信じられるんじゃないのか?)
レイは想像する。
掌から炎が生まれるイメージが無意識下で信じられないのなら――まず、自らの手をガスバーナーだと見立ててみよう。
これはアリアがちょくちょく異世界から持ってきていた物品だ。レイもよく知っていて、イメージしやすい。
魔力の流れを制御する。
右手に流すのは、ガスバーナーのスイッチを押すタイミングのイメージ――
「うおっ!?」
ごうっ、と。
掌の上に火柱が立った。
青白い炎だ。
おそらくレイのイメージがガスバーナーだったからだろう。
別のイメージなら、また別の事象が起きるはずだ。
体内魔力が減少していくのを感じる。
だが、この程度なら全然大丈夫だ。
魔物相手に有効な魔力消費量まで引き上げると、せいぜい十回やそこらが限界だろうか。
そもそも殺傷性の薄いこの術式で魔物を仕留めようと考えることが、すでに魔力効率が悪いのだが。
(なら、ライターだと……)
シュボッ!! と青白い炎が消え、通常の橙色の火が燃え上がった。
レイは更に油が燃えるイメージを加える。
(魔力を油に見立てればいいんじゃないか?)
そう思った刹那。
おそろしい勢いで火力が増した。
「やべっ……!?」
咄嗟に魔力の流れを術式から切り離す。
魔力制御に長けていたからこそできることだった。
危うく暴走するところだった。
強すぎるイメージは暴走に繋がる――そういえば、セリスはこれも言っていた気がする。
(練習して、感覚を掴まないと)
魔術――そして、アリアから学んだ異世界の知識は、レイの戦術を大幅に強化してくれるだろう。
レイは人並みに心が湧く感覚を覚えていた。
「……今のは、レイがやったのか?」
だからこそ。
誰かが近づいてきた感覚に気づいていなかった。
「エドワード兄さん……そう、だよ」
エドワード・グリフィス。
物静かな雰囲気を醸し出す、背の高い完璧超人だ。
ついこの前、王都の魔導学院を首席で卒業し、グリフィス伯爵家の領地に戻ってきたばかりだ。
勉学に優れ、剣技に優れ、魔術に優れる。
『前世』視点で見ると器用貧乏であるようにも感じられるが――今のレイには、凄まじく遠い相手だ。
子供の頃のレイが、密かに憧れていた人物でもある。
エドワードは顎に手を当てて黙考すると、ゆったりとした調子でレイに助言する。
「……随分と無茶な術式構築をするな。もう少し、基本に忠実な想像では作れないのか?」
「うーん……そうやりたいのは山々なんだけどね」
それで術式を作れるのならレイもそうしている。
現代的な思考が邪魔をするから、できないのだ。
「……そうか。でも、これからは魔術の練習をするときは、もう少し開けた場所でやるといい。この狭い裏庭では、下手をすると屋敷を燃やしかねない」
その言葉は完全に正論だった。
レイは素直に謝罪した。
♢
家族と一緒に朝食を取り、レイは屋敷の外に出た。
朝食の席では、次男のデリックに関する話題が上がった。
デリックは残り数ヶ月で、王都の魔導学院に通うことになる。
冬を越したら学院の入学式だ。
グリフィス伯爵家として恥をかかない為にも、この秋から冬の間に、勉学や剣技、魔術をある程度学ぶことになった。
面倒臭がりのデリックはひどく嫌がっていた。
デリックは村の悪ガキとつるんで遊んでばかりだったから、母親のカリーナとしてはお灸を据えたかったのもあるだろう。
アルバートが王都に出張中なのでエドワードが教えることになったのだが――どうなることやら、とレイは思っていた。
そんなことをつらつらと考えつつ、村の広場に辿り着くと、そこでは燃えるような赤髪を逆立たせるアルスが、じっと木剣を見つめていた。
「……よ! レイ」
レイは思わず息を呑む。
アルスはレイに気づくと、明るく声をかけた。
「……なぁ。今日も模擬戦、やろうぜ?」
そして、舌なめずりをした。