2-17 その裏側で
「――ディン! どうするの!?」
「構わんでええ! とっとと脱出するのが先決や!!」
名もなき迷宮、第三層。
冒険者養成学園の元生徒会長、ディンは方針を脱出に切り替えていた。
周囲には、突如として戦闘能力が跳ね上がった魔物たち。先ほどまでは危なげなく排除できていたゴブリンやコボルドなどの魔物が、なぜだか急激に強くなっていた。途中で合流したいくつかのパーティの指揮も担当しつつ、ディンたちは何とか魔物を排除、あるいは牽制し、だが押し込みきれず、徐々に後退していく。
「お、おい会長! 試験はどうすんだよ!?」
「元会長や。だいたい、この状況で試験が続けられるわけないやろ。明らかに学生の手でどうにかなる範疇を超えてる。今はさっさと逃げるしかない!」
「くっそ……! いったい何でこんなことに……!!」
口の悪い大柄の少年は舌打ちをする。ディンもその気持ちは痛いほどよく分かった。
皆、この試験を目標にしてきた。この難関と呼ばれる試験を突破し、憧れの冒険者になる。そのために学園に入学し、卒業するまで努力を継続してきた。だというのに、その人生を懸けた試験中にこんな異常事態に巻き込まれるなんて、ひどく運がない。
ディンは悔しさに歯噛みするが、不平を口にしていても状況は変わらない。
まずは生き残ることが先決だ。
――しかし。
「何だ……!? 動きが読まれてるぞ! 退路を塞がれた!」
誰かが怯えたような叫びを上げる。周りを囲み、じりじりと距離を詰め、受験者に襲い掛かっている魔物たちを見て、ディンはわずかに目を細めた。
(……やっぱり、指揮している奴がおるな)
いくら何でも魔物に知能が芽生えたとは考えづらい。それこそ数十分前までは本能のままに動いていたような生物だ。しかし今のようなディンたちの思考を読んで退路を塞ぎ、着実に追い詰めるような戦法は、それなりの知能がないとできないことだろう。つまり現実的に考えれば、魔物を従え、指揮している何者かが存在する。
となれば、答えは明白だった。おそらくディン以外にも、その可能性に思い至ってる者はいるだろう。これでも三年間、学園で勉強しているのだ。ちゃんと知識は蓄えている。あえて口には出さないだけだ。それを言葉にしてしまえば、さらに絶望の空気が蔓延するのは目に見えている。
――そう、魔族がいる。
魔物を強化し、従え、指揮する能力。そんな力を魔族以外が持っているはずもない。そして人族と敵対している魔族なら、この試験に介入してくる理由にも納得できてしまう。冒険者とはすなわち、魔物や魔族に対する傭兵だ。ゆえに未来の敵となる冒険者の卵を摘み取るために、魔族の兵が襲撃を仕掛けても何らおかしくない。ならば、ディンたちが今やるべきことはただ一つ。この厳しい状況を何とかして生き延びて、いずれこの事態に勘付き、駆けつけるであろう熟練冒険者たちの庇護を受けることだ。
ディンは冷や汗をかき、乾いた唇を舌で舐める。そこで、気づいた。
――ちらちらと、皆の視線がディンに向けられている。縋るような眼差しだった。
これでもディンは元生徒会長。皆を率いてきた実績がある。その一年の積み重ねが信頼になっているのだ。ならば、どれだけ怖くとも、不安と緊張で倒れそうでも、その信頼を裏切るわけにはいかない。――どんな絶望的な状況でも、必ず皆で生還してみせる。
ディンは覚悟を決めた。
鋭く呼気を吐き、思考を整理する。
現在、入り口のほうから魔物が押し寄せ、今も深部への道は開けられている。脱出しようとするディンたちの思考回路を見抜かれているのだ。ここはいったん、さらに迷宮の奥へと潜っていくしかない。それはいずれ追い詰められることを意味しているとはいえ、このまま無理に入り口への道を突破するために戦い続ければ、人死にが出るだろう。
「……退くで! 牽制しつつ、徐々に後退していけ!!」
ディンは叫ぶ。周囲の仲間たちの応じる声があった。――冷静に観察すると、やはり浅い層から魔物が侵攻してきているようで、すでに一層から三層を探索していたほとんどのパーティは合流していた。つまり、残っているのはセーラやライドたちのような、あっさりと深層まで潜ることができた実力者のみだ。 彼らなら、そう簡単に死にはしないだろう。
(今できることは、時間を稼ぐことだけ……!)
そうすれば、試験官たちが気づいて助けに来てくれるかもしれない。
ディンは初めて遭遇する明確な命の危機に冷や汗を流しつつも、全パーティをまとめ、的確な指揮をすることに思考を集中していった。
◇
「……これで逃がした、とでも思っているのか?」
錬金術師は愉悦の入り混じった口調で呟きを漏らした。その眼前には、いまだゴーレムの視界が映し出している数十もの映像があった。一時、ライドの奇妙な術式で五体のゴーレムが使用不能になるというアクシデントはあったが、大勢に影響はない。むしろ、あのランドルフの弟子であるアルス、瞬時にゴーレムを切り伏せる実力を持つレイの二人でも撤退せざるを得ないという時点で、セーラの有用性は十分にアピールできている。あの化物のような実力を持ったヒトダマの存在も不可解だが、どうせレイかアルスの切り札か何かだろう。あの手の突出した怪物は一世代に一人は現れる。ときには二人現れることもあるだろう。
「…なるほど。確かに、これは素晴らしいですな」
錬金術師が思考を回していると、後方で豪奢な椅子に腰掛けている老人が呟いた。その声音には興味の色が宿っている。錬金術師はにこやかな笑みを浮かべ「そうでしょう」と返答すると、再び映像のほうに向き直り、笑みの質を変えた。
「ほうほう……いくら相手が冒険者の卵とはいえ、中々のものでは?」
「やはり魔族は一味違う性能を持っていますのぅ」
今回、招いた『客』たちは錬金術師が流す映像を眺めつつ、談笑をしている。――今のところは上手くいっている。元々この場に招待した時点で協力は約束されているようなものだったが、最後の一押しも完璧だ。後は受験者を逃がすことさえなければ何の問題もない。
「少々、失礼いたします。すぐに戻りますので」
錬金術師はいったん席を外すと、廊下に出る。
すぐ近くにある別室の扉を開き、その内部に足を踏み入れた。
貴族らしく、ところどころを飾り付けられた雰囲気の良い部屋。その奥、窓際に備え付けられたソファには一人の男が腰掛け、優雅に足を組んでいた。
長い銀色の髪、その合間からは鋭い瞳が覗いている。シミひとつない褐色の肌に、妖しい色気を醸し出す美しい顔立ち。長身だが細い体格には、紺を基調とした貴族服を纏い、その上に黒いコートを羽織っていた。
そして何より、その瞳には紅の灯火が存在した。すなわち王国内に存在することは許されないはずの――魔族の外見的特徴を持っている。彼は薄く笑いながら、テーブルに置いてあるワイングラスを手に取った。カラン、とグラス内の氷が揺れ、綺麗な音を奏でる。
「……どうなってる?」
彼は低い声で錬金術師に尋ねてきた。
錬金術師も肩をすくめながら、彼の対面のソファに腰掛ける。
「素晴らしい成果だ。お前のアドバイスに従った甲斐があったというものだ」
「ならば良かった」
「これでセーラの性能は認められたも同然。後はあの成功作と同じ比率で錬金し、アレと同様の性能を持つ人造魔族を量産するだけだ」
「そうだな。今回、集まってくれた貴族たちの後押しがあれば、多少は違法紛いであろうとも、王も許容してくれるはずだ。何より、人造魔族は戦力になるからな。魔族のアドバンテージである魔物の従属を、人族側も行えるようになるのは最大の利点だ」
「ははは! そうだろう! となれば、この功績で私の地位も急上昇だろうな」
錬金術師は上機嫌に高笑いをする。
眼前に佇む魔族の青年は、薄く笑うだけで何も言わなかった。
「それにしても魔族のお前が、ここまで協力してくれるとは思わなかったよ」
「……言っただろう? 俺はもう仲間に裏切られて、魔国を追放されたんだ。今こうして、お前に匿ってもらっている以上、人族が魔族に滅ぼされるのは非常に困る。それに、奴らには恨みもあるしな」
「ははは! まあ最初は魔族の研究のために、実験台として拾っただけだがな!」
錬金術師はいったん立ち上がり、近くの棚に置いてあったボトルを手にすると、空のグラスにワインを注いでいく。
その芳醇な香りを堪能しながら、呟いた。
「そのときはまさか、かつての魔国軍の幹部にして”銀影”の異名を取る――ローグ・ドラクリアだとは思いもしなかったがね」
「過大評価さ。所詮、今は落ちぶれた身だ」
ローグは苦笑し、口元に寄せたグラスを傾ける。
「改めて感謝しよう。この成果は、お前が魔族の情報を提供してくれたからこそ、だ。これで私の成功は約束された。研究中に王国にバレたらと気が気ではなかったが、最早ここまで来れば問題はない。後はセーラが、受験者を封じ込めるだけだな」
「……いいや、もっと攻めてもいいんじゃないか?」
ローグは僅かに目を細めて、錬金術師にアドバイスをしてくる。
「いくらこの試験の受験者が王国の将来的な戦力とはいえ、この計画が成功すれば必要なくなる。――ならば、殺しても構わないだろう。それぐらいの衝撃があってこそ、王国へのアピールもしやすくなるというものだ」
「ふむ……確かにそうかもしれないな。今更怯える必要はない、か。いや、しかし……」
「お前が人造魔族を量産すれば、何なら王を脅すことすら可能だろう。貴族たちの後押しもある。強気に行くに越したことはない」
「……そう、だな。ははは、流石はローグ。いつでも私にはない策を授けてくれる」
「大したことは言っていないさ。それで、他に問題はなさそうか?」
「うむ。ランドルフの弟子も、ゴーレムを瞬殺し、警戒していたレイという少年も、ユアンとマーシャの二人がかりなら抑え込める実力であることが分かったからな。なまじ半端に強い分、セーラの実力の証明になってくれる。後はじわじわと追い詰めていくだけだ」
「焦らないほうがいい。存分に強さをアピールしろ。貴族を怖がらせるぐらいでいい」
「確かにそうだな」
ぬかりはない。
約束された勝利に酔いしれ、錬金術師は嗤う。
なぜだか脳内に奇妙な違和感があったが、上機嫌ゆえに無視をした。
すると、ローグはさて、と呟き、グラスに注がれたワインを飲みほして立ち上がった。
「お前はそろそろ戻るべきだろう。貴族たちが怪しむ」
「うむ。だがローグ、お前はどこかに行くのか?」
「少し気になることがあってな。俺は直接現地に出向いてみる」
「大丈夫か? 流石に本物の魔族だと知られれば、困ったことになるが……」
「おいおい、これでも俺は、元魔国軍の幹部だぞ?」
ローグの紅の双眸が、炯々とした妖しい輝きを灯した。
ゾクリと、少しだけ錬金術師の背筋に怯えが走る。
だが、その硬質な雰囲気は一瞬で取り払われ、ローグは薄く笑みを浮かべる。
「それに……ランドルフも、そろそろ怪しんでいる頃合いだろうからな」
――錬金術師は胸中に密かな安堵を浮かべながら、「好きにしろ」と肩をすくめた。