2-16 脱出
――魔力嵐。
ライドが放った、その言葉が聞こえた瞬間。
轟!! という凄まじい音が炸裂し、鋭く風が渦を巻いた。
「何だ……!?」
レイは吹き荒れる風に目を細めた。
ライドを囲み、いっせいに襲い掛かっていたゴーレムたちの動きが変わる。
これまでゴーレムたちは効率的な動作で的確な攻撃を繰り出していたのだが、突如として不自然な挙動に変化した。滑らかで素早かった動きは、今や見る影もない。明後日の方向に拳が飛び、味方同士で相打ち。あるいはバランスが保てなくなり、他のゴーレムを巻き込んで転倒。そして、すべてのゴーレムが地面に倒れ込んだ。
その中央には、不機嫌そうに鼻を鳴らすライドが無傷で立っている。
「これはいったい――」
レイを挟みこんでいるユアンとマーシャも動揺をあらわにしている。熟練冒険者の二人ですら気を取られるような異常事態。だがレイだけは違った。前世において、予想外の出来事になど何度も遭遇している。ゆえに動揺を即座に封じ込めることができた。
だからこそ二人の隙を見逃すはずもなかった。瞬きするような刹那の間に膝を曲げ、ライドのほうを向いているマーシャめがけて大地を蹴る。
「――なっ」
「遅い」
疾風の如くマーシャの懐に潜り込み、下段から鋭く剣を振るった。
だが直前で反応される。辛うじて曲刀による防御が間に合った。ギィン!! と甲高い金属音が鳴り響く。だがレイは構わず、さらに魔力で腕を強化し、思い切り振り抜く。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ぐっ……!?」
マーシャの体を浮かし、数メートルほど吹き飛ばした。ユアンは陣形のカバーをするべく動き始めるが、それも遅い。レイは土を銃弾に見立てて異世界式魔術を起動。ユアンの足元に連射して行動を止めると、階段に向けて走り出した。
千載一遇の機会。これを逃せば、待っているのは仲間が全員死ぬ未来だけだ。
「――アルス!」
レイは走りながら、叫ぶ。セーラによって強化されたミノタウロスの攻撃を何とかしのいでいたアルスは、レイの瞳を見て悔しそうに顔を歪めた。だが、直後に頷く。どうやら意図は理解してくれたらしい。
――この場はいったん退く。それ以外に生き延びる道はない。
「リリナ! ノエルたちを連れて来い! 退くぞ!」
「分かりました!」
レイは叫びつつ、駆ける。ミノタウロスの拳をかわした後、アルスとエレンも階段に向けて動き始めた。後方からユアンとマーシャが追ってくるが、レイの速度には届かない。
もともと階段前にいたライドは、その近くに倒れ込んだゴーレムをどかしつつ、セーラの近くから動かないノエルたちに警告する。
「ノエル! マリーを引っ張ってでも連れて来い!」
ノエルは冷静そうな表情で頷き、リリナと共にマリーの体を抱えようとする。だが、マリーはその拘束に抗いながら、真っ直ぐにセーラだけを見据えていた。
「やめてください! こんなの、認められない! わたくしは、セーラに――」
「――今は、生き延びることが最優先だよ」
喚くマリーに、ノエルが淡々とした口調で言う。リリナと共にマリーを抱え、階段に向けて走り出した。「何をしている!? 逃がすな!」と、ユアンからの指示が飛び、俯いていたセーラが顔を上げる。その顔に浮かんでいたのは何の感情も見えない無表情だった。ひどく機械的な動作で、ノエルたちに手を向ける。同時に、アルスたちを追うミノタウロスの速度が格段に上がった。セーラの指示によるものだろう。
「マリーさん! 今この場で話をするのはリスクが高すぎます。お願いです……!」
「セーラ! 貴女はそんな人間ではないでしょう!? 目を覚ましてください……!!」
「……世界に呪われし黒の怨念よ、舞い、そして狂い踊れ」
マリーの絶叫を無視して、セーラは魔術を詠唱する。マズい――と、レイは焦る。ノエルとリリナはマリーを抱えているので回避が難しいはずだ。アルスたちも加速したミノタウロスに追い詰められている。そして時間をかけすぎたせいでユアンとマーシャも再びレイに迫りつつあった。
「くそ……!」
ライドも歯噛みしている。どうやら、ゴーレムたちの動きを封じている奇妙な術式を使用するだけで精一杯のようだった。つまり彼もまた動けない。
これでは先ほどまでと状況は変わっていない。それどころか悪くなっている。レイは脱出を諦め、この厳しい状況の中で起死回生の策を探す覚悟を決めた。
冷や汗をかきながらも、ぐぐっと膝を曲げ、リリナたちのもとに向かおうとする。
だが。
その、直前。
レイの右肩に、熱い炎の感覚があった。
「――遅れて済まないね。どうやら、困ってるみたいだ」
レイが目を向けると、そこにいたのは火の玉そのものだった。ヒトダマ。燃え盛る炎を肉体としている、どこにでもいるアンデッド系の弱い魔物。そのはずだった。
しかし、その飄々とした声を発した個体に限り、定説は覆される。
「ああ……!」
気づけばレイの絶望感は取り払われていた。たった一人の存在の出現によって。
「俺を、助けてくれ。お前の力が必要だ」
「気にすることはない。アナタが困難に立ち向かうのは、最早いつものことだろう?」
レイの言葉を受けて軽い調子で呟くと、その魔物は火の勢いを強めた。
ぼう、と炎が燃え盛る。
その身から放たれているのは、ヒトダマとは思えないほどに濃密な覇気。
それも当然。
今は一介の魔物とはいえ、元は世界最高峰と呼ばれた魔術師なのだから。
「――魔術師、ダリウス・グランフォード、ここに推参する」
その言葉の直後の出来事だった。
セーラが今まさに発動しようとしていた魔術が突如として制御を乱され、霧散していく。
ダリウスが小声で何かを呟いた直後ミノタウロスが唐突に地面に倒れ込み、ユアンとマーシャの進む先に土の壁が形成され、その足を阻んだ。
魔族と化したセーラを相手にしても、その力は圧倒的。
レイはそのヒトダマに、あの偉大なる魔術師の後ろ姿を幻視する。
真紅のマントをたなびかせ、無駄に格好つけながら不敵に笑う男の後ろ姿を。
「ここはボクが時間を稼ごう。アナタたちはいったん退け」
その頼もしい言葉に従い、駆けこんできたアルスとエレンに続き、マリーを抱えたリリナとノエルが階段を駆け上がっていく。彼女らを確認したライドも階段を昇り始め、皆を導くために最後まで残っていたレイは、ダリウスの魔術に翻弄される彼らを一瞥する。
ダリウスが稼げる時間は、おそらく十分といったところだろうか。
彼は最高峰の魔術師だが、それでも扱う魔力は弱小魔物であるヒトダマのものに過ぎない。ゆえに人間だった頃、スケルトンだった頃よりもはるかに魔力量は減少している。
セーラたちを殺せるほどに大規模な術式を扱えば消滅もあり得る。ダリウスはそんな無茶はやらないはずだ。言葉の通り、時間を稼いでくれるのだろう。ゆえに、その時間でどれだけ態勢を立て直し、セーラたちへの対策を練れるか。この迷宮を離脱するのも手だが、果たして間に合うのか。
レイは高速で思考を回しつつも、階段を昇り始める。
――刹那、ダリウスと戦闘中のセーラと、一瞬だけ視線が交錯した
顔には機械的な無表情を浮かべることができても、瞳に映った悲しみまでは隠せない。
そう。
彼女の瞳には、確かに悲しみが映っていた。
「……待ってろよ」
レイは拳を握り締め、約束するように呟いた。
その言葉が聞こえたのか、セーラは辛そうに顔を歪めて、目を伏せる。
そんなセーラを見たレイは今度こそ振り返り、上層を目指して疾走していく。
――そうだ。
何を躊躇っていた。何を混乱していたのだ。
確かに、詳しいことは何も分からない。
レイはまだ彼女のことをほとんど知らない。理解していない。いったいどんな過去があって、なぜこんな事態を引き起こしているのか、それがレイには分からない。
けれど、彼女の笑顔を見たことがある。
ノエルたちと仲良く話し、控えめながらも笑みを浮かべていた彼女を見たことがある。
あんなに辛そうな表情を浮かべている時点で、今この状況は彼女の望みではない。
絶対に。
ならば、レイがやるべきことは決まっていた。
「俺が必ず、お前を助けてみせる」
――転生勇者は、その想いを魂に誓った。