2-14 階層主
強大な魔力の気配を感じていた。
アルスが最深部に降りてから数秒後、階下から吹き上がってくるのは、濃密な殺気だ。
レイは目を細める。
エレンやリリナたちも即座に表情を引き締め、階段のほうに向き直った。
「……この迷宮のボスか?」
レイは静かに呟く。
――通常、迷宮には階層主と呼ばれる魔物が存在する。
それは地下十階、二十階などといったように、区切りの良い階層に現れることが多い。
迷宮学者によれば、階層主は迷宮と成りうる魔素の濃い場所を掘り進めた張本人らしい。
魔素が濃い場所には魔物が生まれやすく、そして魔物にはそれぞれの個体に適した空気中の魔素率が存在する。ゆえに迷宮と成りうる条件は、地下に掘り進めるほど魔素が濃くなっていく特殊な法則を持つ場所だということ。
階層主はその先駆者であり、自らが最も居心地の良い魔素率の階層に留まるのだ。
魔素が濃い場所ほど強い魔物が生まれやすく、強い魔物に適している。
だから、そのときの階層主よりも強い魔物はさらに地下へと潜る先駆者となり、また階下の階層主となる。そして、魔素を追い求めて地面を掘り進めることができるほどの魔物など、大概が強大に決まっている。ゆえにその存在は迷宮内でも否応なしに目立ち、冒険者たちの間でも注意を喚起されるようになった。そして階層主の後から参入した魔物たちによって、さらに堀り進められ、迷宮は複雑になっていくとされている。
とはいえ世界樹の迷宮や古代遺跡を基にした迷宮など、例外とされるものも多々存在していて、正直なところ既存の理論だけでは説明できず――その謎は、いまだ解明されていない。そもそも迷宮の大半は既踏破だ。つまり冒険者がその階層を潜り抜ける際に階層主とされる魔物は倒されている可能性が高い。だというのに同じ迷宮内で、その後も階層主らしき強大な魔物の存在が確認されている例は多いのだ。
アキラが迷宮に潜った回数は多くないが、実際に階層主と遭遇したこともある。
一際違うオーラと実力を宿していたので一目で分かった。あれは最早、何かしらの突然変異が起きたとしか思えず、ただ迷宮を掘り進めた先駆者と考えるのは非合理だ。その頃から階層主に関しては非常に気になっていたことではあるが――ともあれ。
「いること自体は別におかしくない。ただ……」
この気配は、明らかに地下五階クラスの階層主の威圧ではない。
レイは厳しい視線を向けた。
眠っていたライドは目を開けると、「やっぱり何かいたか」と呟く。最初から気づいていたのか、とレイは密かに驚愕する。
だが、尋ねている暇はなさそうだ。
なぜならその直前に、ゴッ!! という戦闘音が響き始めたからだ。
アルスの戦闘が始まったのだろう。
「俺たちも行くぞ」
レイが言うと、エレンやリリナたちは頷く。
ノエルやマリーも意識を切り替え、真剣な表情をしていた。
「さっきの錬金術師と、何か関係があるのか……?」
レイが先陣を切って階段を駆け下りつつ、ふとした呟きを漏らす。
すると、ライドが怪訝そうに視線を向けてきた。
「錬金術師?」
「ちょっといろいろあってな。ただ説明している時間がない」
話は後だ、と意見を一致させる。
――だが、その集団の最後尾で。
セーラだけは、どこか怪訝そうに眉をひそめていた。
◇
「ただのミノタウロス……じゃ、ねえよなぁ」
アルスは眼前の怪物を仰ぎ、口元に弧を描いて呟いていた。
牛頭の巨人。腰には粗雑な皮が巻かれ、大きな手には棍棒が握られている。
ミノタウロス。
ただしその身から噴出する覇気は、明らかに通常の個体が発するものではなかった。
そう何度もミノタウロスと交戦したわけではないが、ここまで来ると流石に個体差とは呼べない。明らかに何かが違う――というレベルを越えている。外見だけミノタウロスにした別の魔物と言われたほうが信じられるぐらいだ。通常の個体と比べて異常なほど筋肉量が多く、体格も二回りほど大きい気がする。
何より、その身に宿す魔力量が尋常ではない。
空気中に漏れ出ている魔力の密度から、その事実は容易に察せられた。
「……来るかよ」
ミノタウロスが腰を低くして棍棒を後ろに引く。その強烈な眼光は明確にアルスへと向けられていた。対応するようにアルスも腰を落とす。
最後にミノタウロスと交戦したのは――確か、二か月前だったか。
熟練の冒険者でも単独では挑まないほどの難敵。その強さの秘密は、単純に膂力が高く、速く、硬いことだ。ゆえに弱点が見当たらないといわれている。ただでさえ強い個体だというのに、さらに特異な強化がなされていることは火を見るよりも明らかだ。
明らかに冒険者試験に出すような魔物ではないが――それを言うのも今更だし、そもそも考えるつもりがない。アルスはレイとは違う。複雑な物事を考えるのは得意ではない。
今アルスにできるのは――ただ、眼前に立ち塞がる脅威を撃滅することだけだ。
ゆえに明らかに不自然な点が散見されるこの冒険者試験に関する考察はレイに任せ、アルスは戦闘のみに意識を向けていた。
だが、そこでミノタウロスの後ろに、ひとりの青年が立っていることに気づく。
「アンタは……!?」
その言葉の直後に。
ゴバッ!! と、予想を遥かに越えた事象が、刹那の間に連続してアルスを襲った。
◇
レイたちが最深部に辿り着くと、そこには驚愕の事態が展開されていた。
まず目に入ったのは規格外の威圧を発するミノタウロスの巨体。だがそれ自体は、おそろしいとはいえ予想通りではある。だからレイの驚きはもっと別の要因によるもの。ミノタウロスの巨体と共に、アルスへと攻撃を仕掛けている人物がいたのだ。
その実直そうな顔つきをした青年は間違いなく、第二次試験官のユアン・ボールズ。
「フン……お仲間の登場か」
冷めたように言い放ったユアンに対し、思考のすべてを置き去りにしてレイは大地を踏み締め蹴りつけた。駆ける。一瞬で肉薄。ユアンは目を見開きつつも手にしている槍を振り回した。その形状は穂先が三本刃になっている――トライデントだ。レイはそれに対して地面スレスレを潜り抜けるように回避すると、剣を鞘から引き抜く。ギラリ、と鋭く魔力を流した刃を流麗な手さばきで振り抜いた。
ユアンは「ぐっ!?」と呻きつつも、後方に飛び下がって剣を回避する。流石はプロの冒険者といったところか。だが、まだレイの攻撃は終わらない。宙にいて身動きが取れないユアンの隙を突く。”土弾”。右手を拳銃に見立て、目にも止まらぬ速度で土くれの弾丸が連射された。ユアンは咄嗟に身体強化を強めて両手を交差するが――その上から徹底的に弾丸の雨を叩きつける。
両手で放った”土弾”により、おそろしい勢いでユアンが地面を転がっていく。
それを見たレイは戦闘のみに向けていた意識を周囲に戻した。あの異様な強化がなされているミノタウロスを相手に、アルスが傷もなく紙一重で回避していく。それは攻撃を見切っていることの証左だった。試験官が受験者に攻撃していたことにショックを受けたのか、動きを停止していたライドたちも正気を取り戻し、ミノタウロスへの攻撃に加わっていく。――だが、そこで。
レイは階段からまた新たな人物が降りてきていることに気づいていた。
くすんだ茶色の長髪に、視線の鋭いつり目。豊満な体つきには野生的な衣装を纏っていて、右手には曲刀をぶら下げた戦士。話したことはないが、その姿を街で見かけたことはある。
なぜなら彼女の名前はマーシャ・モリンズ。この冒険者試験の――第一次試験官だからだ。
「アンタが……排除対象みたいだな」
彼女は首を鳴らしつつ、しゃがれた声音で言う。レイに向けられたその視線には、明確な殺気が込められていた。それに加えて。
「……余所見をしている場合か?」
ゆらり、と。
レイの背後で、淡々としたままの声音が聞こえてくる。
――あの弾丸の雨を受けて、平然と立っていられる。レイは密かに冷や汗をかいていたが、冷静に考えると当然だ。ユアンは、名高き冒険者試験の試験官を任されるような人物。プロのなかでも名声を得るような熟練の戦士に決まっている。
「……くそったれが」
レイは前後を熟練の戦士に固められ、悪態をついた。
こんなところで死ぬつもりはない――必ず、潜り抜けてみせる。
そう誓った次の瞬間。
二人の冒険者は、容赦なく受験者へと襲い掛かった。