2-11 不穏
真っ白な髪に、未熟な体躯をした少女が周囲の注目を集めていた。
レイは無表情な彼女の様子を眺めつつ、そっと息を吐く。
セーラが悠然とした歩調で森から現れたのは、第一次試験が終了する数分前だった。
心配していたので、安堵の気持ちが胸を満たしている。
そんなレイたちを見つけたのか、セーラは気まずそうに俯きながら近づいてきた。
「……この前は、ごめん、なさい」
彼女は頭を下げる。
アルスは驚いたように仰け反りつつ、答えた。
「お、おお。大丈夫だけど、いきなり逃げられるとビビるからやめてくれよ?」
「……うん。いきなり逃げたのは、負けて、動揺、しちゃって……」
「コイツの強さが頭おかしい部類なだけだから気にしなくていい」
レイが言うと、アルスが納得しかねた顔でこちらに視線をやる。
「……お前が言うのか?」
エレンとリリナも似たような視線を向け、呆れたように肩をすくめていた。
レイは分が悪いことを察知し、咳払いして話題を変えた。
「しかし、随分と遅かったな。何かあったのか?」
レイ自身、森の違和感を調査していたからこそ、セーラに何があったのか気になる。
だが、セーラは無言で首を振った。
「……セーラ、ただ、ちょっと迷っただけ。危なかった」
「おいおい、試験時間あと数分だったぞ。ほんとギリギリだな」
アルスが目を瞠る。
レイは対照的に眉をひそめていた。
仮にも冒険者学園を首席で卒業した猛者が、この程度の森で迷うだろうか。
森の歩き方など、冒険者の基礎中の基礎のようなものだ。
学園生なら知っていて当然と言っても過言ではない。
「セーラ、遅かったね? いったいどうしたの?」
そこで、優しげな声をかけてきたのは、ふわふわの狐耳に端正な顔立ちをした美少女だった。
「貴女ほどの実力者が、あの程度の魔物の群れに苦戦するとも思えませんの」
彼女の言葉を継ぎながら近づいてくるのは、金髪をツインテールにしている、しなやかな体つきの美少女だ。
先ほどライドという黒髪の少年と共にいた二人である。
「……ノエル、マリー」
セーラは彼女たちのほうに振り向き、少しだけ表情を明るくする。
その様子からすると仲は良いようだった。
マリーがキッとレイを睨み付けてくるのはご愛敬である。
そういえば宿屋の前で謎の喧嘩を売られたことを思い出した。
「……いろいろ、あった」
「話したくないなら、あたしは聞かない。でも、いつでも話して良いからね?」
ノエルと呼ばれた少女は、仕方ないなあという風に尻尾を揺らし、セーラの頭を撫でた。
難しい表情をしたままのセーラに、マリーが鋭い口調で告げる。
「ふん、首席の貴女がそんな調子ですと、わたくしの格まで下がりますの」
「要するに、心配させるなって言っているんだよ?」
「ち、違いますわ!」
「……マリーは、いつも、優しい」
「か、勘違いしないでください! わたくしはあくまで首席として誇りを持てと言っているだけで……」
淡々と言うセーラに対して、頬を紅くして顔を背けるマリー。
レイが苦笑を浮かべていると、彼女は憎々しげにこちらへ視線を向けてきた。
「……よく分からんが、そう怒るなよ」
「ふん」
レイがなだめると、彼女は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
そこで、パン! と手を叩き合わせたような快音が響き渡った。
皆の視線が一斉に音の発信源に向けられる。
レイの視線の先には、実直そうな顔つきの青年が泰然と佇んでいた。
ユアン・ボールズ。
迷宮専門の現役冒険者にして、第二次試験の監督である。
「さて、これで全員だな? 第二次試験を開始するぞ」
ユアンは皆を見回しつつ、淡々とした口調で言った。
受験者はいつの間にか静まり返っており、ユアンの一字一句を聞き逃さぬように待機している。
そのピリピリとした緊張感のある空気に感心し、レイも改めて気合を入れ直した。
「まあ試験内容は簡単だ。予測はついていると思うが、俺の後ろにあるこの迷宮。名もない既踏破迷宮にして最深層は地下五階。出没する魔物も大したことはない。そこで、最深部の俺がいる場所まで辿り着けたら合格とする」
もちろん魔物は大したことはないと言ったが、プロではない君たちにとっては厳しいだろうとユアンは補足する。
(……迷宮か)
レイはふと思う。
もともと死亡者が出ることを想定しているとはいえ、迷宮に潜らせるのは厳しいのではないか、と。
たとえば第一次試験では、森を歩いている最中に試験官と思われる数名の視線をレイは何度か察知していた。
受験者が本当の窮地に陥ったときに救出するためだろう。
だが通路の狭い迷宮ともなれば、そう監視することもできないだろう。
「質問があれば、挙手をしろ」
ユアンが皆を見回しつつ言うと、近くに立っていたマリーが堂々と手を掲げた。
「何だ?」
「踏破さえすればよろしいのですか? 人数制限も、時間制限もなく?」
「その通りだ」
ユアンの落ち着き払った返答にマリーは頷いたが、そこでアルスが気楽そうに手を挙げる。
「迷宮内って狭いですよね。通路は特に。これだけの数を一斉に入れたら、身動きが取れなくなって踏破どころじゃなくなる」
「ふむ。そうかもしれないな」
「……なるほど、受験者の間でそのあたりの連携ができるかどうかも試しているのか」
レイは小さな声で呟く。
ユアンはただ、と前置きすると、
「冒険者試験はポイント制で成績がつけられている。確かに俺がいる最深部まで到達さえできれば、とりあえず二次試験の突破はできるが、そのあたりも考えておいたほうがいい」
――なるほど、性質が悪いとレイは思った。
他の受験者たちも互いを牽制し合うように視線を飛ばし始める。
「さて、それでは俺が迷宮に入った一時間後から開始としよう」
ユアンは地面に砂時計を置くと、くるりと背を向け、さっさと迷宮内に入っていった。
ここから一時間は暇がある。
レイは近くにいたリリナ、アルス、エレンを呼びつけた。
ちなみにダリウスはしばらく前から、ふらふらとどこかに消えている。
あの男にはよくあることだ。
「どうした? レイ」
「いや、ちょっと妙なことがあってな。いちおう説明しておこうと思って」
レイは第一次試験ギリギリまで森の調査をしていた。
その結果として、いろいろと不穏な点を見つけたので注意を促したいのだ。
「この迷宮を囲むように広がる森林。ここをうろついている魔物は、人為的に改造されたものが多い」
「なっ、それは、どういう……?」
「ここに棲息しているだいたいの魔物が、魔力生命体としてのバランスを崩壊させて寿命を捨てる代わりに、一時的に強力な力を手にしている。これは自然には起こり得ないんだよ」
「確かに、なんか妙に強いなとは思ってたけど……」
「おそらく魔物学者を呼べばすぐに分かる。俺ですら分かったんだからな」
「つまり、魔物をわざわざ改造して、ここに放流している奴がいるってことか?」
アルスが真剣な表情で尋ねてくるので、レイも頷く。
リリナとエレンも、レイの根拠もない言葉を信用してくれていた。
そのことが少しだけ嬉しい。
「そうだと思う。このアストラの東にある名もなき森。誰かの私有地だったりしないよな?」
「ええ。強いて言うなら、冒険者学園がよく訓練に利用しているぐらいでしょうか」
「そうか。学園があるのは、アストラの近くにある街だったな……」
「それ以外だと、まあこの辺りですとギルドマスターの権限が強いでしょうし、とはいえ名目上はノーマン伯爵の領地に位置していたと思います」
「……ノーマン伯爵?」
レイは聞き覚えがある名前に眉をひそめ、直後に気付いた。
マリー・ノーマン。
あの冒険者学園次席だという金髪ツインテールの美少女の実家だろう。
ともあれ。
「……今の段階じゃ、流石に何も分からないか」
「マリーさんにも相談してみてはどうですか?」
「あんまり疑いたくはないが、ノーマン伯爵が魔物の実験をしている可能性も捨てられないんだよな」
そうだと仮定すると、マリーに尋ねるのは危険すぎる。
王国法では、魔物の解体や改造自体は違反にならない。
だが、それは魔物研究者としての資格を取った者に限られる。
その上、改造した魔物を野に放っているのは明確な犯罪だ。
黙って見過ごせるわけがない。
「試験官のユアンさんに相談すればよかったんじゃないか?」
アルスが首を傾げる。
レイとしては、プロに相談したところで、これは法に関する問題なので頼りにはならないと考えている。
あくまで彼らは冒険の専門者だ。
伯爵家の三男であるレイ本人のほうが、まだ詳しい。
「……ふむ」
実家のグリフィス伯爵家は遠く、その力は借りられない。
この地の権力者と言えば、冒険者学園。ノーマン伯爵家。冒険者ギルド。
魔物を改造し、それがある程度の成功を収めている時点で、専用の設備と資金源があることは確実だろう。
当然である。
魔物の肉体を弄るのは簡単なことではない。
いったい――どこが、黒幕なのか。
それとも全く無関係の組織が何かしら画策しているのだろうか。
どこかの陣営に相談しても良いのだが、もし黒幕に当たってしまった場合、確実に命を狙われる。
これは、それほどまでに重大な問題なのだ。
気になるのは、それだけのリスクを冒してまで魔物を改造し、その結果として何を求めているのか、だ。
今のレイには、敵の目的が見えてこない。
「……おい、あと少しだぞ」
考え込んでいると、周囲のざわめきが鳴りを潜めてきた。
どうやら刻限が近づいてきたらしい。
簡素な砂時計から、ゆっくりと砂が流れ落ちていく。
「……まったく、ゆっくりと考えている暇もないな」
「とりあえず二次突破してからだな。レイ、リーダー頼んだ」
「パーティで行くのか?」
「周りもそうしてるみたいだし、いいんじゃない?」
エレンが六人程度で一塊になっている学園生たちを見ながら、感心したように呟く。
最初からパーティ編成も決めていたらしく、この二次試験の対策も完璧のようだ。
対照的に、一般の受験者はパーティに困っているか、端から連携など諦めていて、何もしない者も多い。
迷宮は五、六人のパーティで挑むのが最も効率が良いというのは、誰でも知っている常識だ。
それをしないのは、余程の馬鹿か、自信がある者だけである。
「……さて、問題は、順番だな」
レイは腕を組み、まずは様子見をしようと思い、淡々と呟く。
直後、砂時計の上半分から、完全に砂が消え去った。
さまざまな不安要素を抱えつつ――第二次試験が、始まる。