2-5 嵐のような一幕
アストラの街。
その裏通りにある小汚い宿屋の前で、レイはとある少女と相対していた。
綺麗な金髪をツインテールにしている端正な顔立ちのお嬢様だ。
紺を基調とした洒落たブレザーを着ていて、丈の短いスカートからは、シミひとつない白磁のような肌をした脚がスラリと伸びている。
「俺は確かにグリフィス伯爵家の三男――レイ・グリフィスだが……」
「やはり、そうでしたか」
腕を組むツインテールの美少女はふふん、と高圧的に笑うと、
「申し遅れましたわ。わたくしはマリー・ノーマン。ノーマン侯爵家の娘ですわ!」
「お、おう……」
レイが引き気味に返事をすると、マリーと名乗った少女は指を突きつけてくる。
「エルフの里問題を解決させた裏の立役者……ふふ、わたくしは知ってますわ」
「まあ別に隠してないからな」
レイは平然と言う。
エルフ族との外交関係の回復は、建前上はアルバート・グリフィス伯爵の功績扱いになっているが、貴族が調べればレイが深く関わっていることぐらい容易に分かるだろう。
自由な身分が欲しかったので、褒章などを下手に受け取りたくなかった。
マリーは少しだけ恥ずかしそうにしながら、
「ゴホン! と、ともかく、なんでそんな功績もある貴方が、冒険者などという夢があるとはいえ不安定な職に就こうとしているのかしら?」
「それ、そっくりそのまま返すぞ。なんで侯爵家の娘が冒険者になろうとしてるんだ?」
「な、どうして……!?」
マリーは驚いて愕然としている。
もしかして、こいつポンコツだろうか、とレイは思った。
「いやお前……その制服、冒険者養成学園のやつじゃん」
「あ!? いえ、ふふふ、よく気づきましたわね」
「誤魔化せてないですよね……」
「ああ、間違いない。こいつはポンコツだ」
リリナが呟き、レイが深く頷く。
マリーは顔を紅くして黙り込んだ。
このお嬢様はいったい何をしにきたのだろう、とレイは嘆息する。
「……俺にはやるべきことがある。冒険者になるのは、そのために最も都合が良いからだ」
仕方なく、前の質問に答えてみた。
これで少しはマリーも話しやすくなったのではないかと思っていると、
「マリー、何やってんのおまえ?」
路地の向こう側から男の声が聞こえてきた。
そちらに目を向けると、二人の男女がこちらに向けて歩いてくる。
片方は、天パ混じりの黒髪に眠たげな瞳をした、だるそうな雰囲気の少年。
もう片方は明るい茶髪に狐耳を生やし、ふさふさの尻尾を揺らす小柄な少女だ。
「ら、ライドさん!? どうしてここに……?」
「ハァ……ノエルがお前の匂いを追ったんだよ」
「えへへー、これでも狐獣人だからね!」
「あ、事情は分からないけど、多分マリーが絡んできたんでしょう? いやほんと、うちのマリーが申し訳ない。ほら、おまえも謝れ」
「な、なんでわたくしが!? 謝る要素がな――って」
ライドと呼ばれた黒髪の少年は愛想笑いしながら、マリーの頭を下げさせる。
何だか狂犬の飼い主みたいな印象を受ける男だった。
「お、おう」
レイは状況についていけずに引き気味の返事をする。
ライドはマリーの口を抑えつつ、ぺこぺことレイたちに謝る。
「この娘、誰彼構わず突っかかる習性があるんで、いや申し訳ない」
ライドはそう言うと、じたばたするマリーを肩がけにして去っていく。
その隣で狐耳をぴょこぴょこ揺らしながら、ノエルと呼ばれた少女は笑っていた。
ライドに背負われたマリーは涙目になりながら、レイに告げてくる。
「い、いいですか! わたくしは学園次席のマリー・ノーマンですわ! 試験では、必ず貴方より上だってことを証明してやるのですわー!」
そんな負け犬の遠吠えのような声と共に、嵐のような一幕は終わりを告げた。
宿屋の前でしばらく呆然としていると、思わず呟きが零れる。
「いったい何だったんだ……」
「学園次席って言ってましたね」
「あんなのが学園で二番目に強いのか……」
「確かノーマン侯爵家というと魔術師の家系ですし、強くても不思議ではないんじゃないですかね。普通だったら貴族は王都の魔導学院から、そのまま国の魔術師団に入るんじゃないかなとは思うので、なんで冒険者学園にいるのかは分からないですけど」
「そういや暴れ娘が一人いるみたいな噂を聞いたことあったな……」
マリーは貴族らしい高圧的な振る舞いをしていたが、そのくせ明らかに平民のライドにあっさりと連れ去られていったのが少しだけ引っかかる。
そういえば、あの学園は身分を気にしないという話を聞いたことがあった。
「あそこの初代学園長はアナタも知っているヴァルだったからね」
「……あいつが創設したのか、学園を?」
「そうだね。完成したのは、ちょうどアナタが力を失って引きこもってたあたりかな」
「道理で知らないわけだ……」
レイはダリウスの言葉に驚き、納得しながら呟いた。
ヴァルとは『前世』におけるアキラの友人である。
当時は二十台半ばの青年で、粗雑な振る舞いの男だった。
レイは少しだけ哀しくなって、拳を握り締めた。
アキラは、『前世』の己は、ヴァルの期待に応えることができなかった。
そして今、ヴァルはもう――この世にはいない。
レイが転生して記憶を取り戻す前、ヴァル・モンクトンは静かに息を引き取ったらしい。
戦争で魔族から受けた呪いの後遺症で衰弱死したそうだ。
(……そうか、あいつが、冒険者のために学園を創ったのか)
『前世』の知人に関してはこの一年で可能な限り、その行方を調べていた。
グールイーターとなっていたクリストフなどのように、哀しい結末に陥っていた者も多かったが、それでもレイは追求を止めなかった。
せめて、その最期を、死に様を知ることは、力を失ったアキラが裏切ってきたいろいろなものに対する責任だと思ったから。
「……レイ、とりあえず宿に入ろう。いつまでもここに立っていても仕方がない」
「そうだな……」
レイは頷き、心配そうなリリナに「大丈夫だよ」と苦笑を返す。
しんみりとしてしまったが、それは決意を忘れていないことの証明でもある。
いろいろなものを裏切ってきた過去を乗り越え、自分の足で前に進むと誓ったのだから。
(……それに、あれだけ調べてもアリアの行方に関しては何も分からなかった)
もしかすると、また何処かで会えるかもしれない。
それが、どんなに儚い希望なのか分かっていて、それでも願わずにはいられなかった。
(……考えても仕方がない。とりあえずは、冒険者になることが最優先だ)
レイは嘆息しつつダリウスやリリナと共に宿屋の扉を押し開き、内部に入る。
そして部屋を確保し、ゆっくりと長旅の疲れを癒していく。
日が暮れ、夜の帳が下りて――レイはまどろみのなかへと落ちていった。