2-2 冒険の街
アストラの街。
ザクバーラ王国の東部にある巨大な城砦都市であると同時に、冒険者ギルドの本部が置かれている街だ。
その別名は冒険都市アストラ。
春の訪れが近いこの時期になると、もうすぐ冒険者試験が実施されることから、アマチュアの冒険者志望の人間が増え始めている。
ランドルフ・レンフィールドはそんな浮き足立った者たちを暖かい目で眺めながら、雑踏を歩いていた。
(……今期の受験者は有望そうな奴が多いな)
そんな風に感じる。ランドルフはいつも、この時期になるとアストラの街を訪れて冒険者試験に協力しているから、それなりに詳しいつもりだった。
ランドルフと同じように街中を歩く本職の冒険者たちも、どこか微笑ましそうだ。
昔の自分を想起して、懐かしんでいるのだろう。
(どこかで見た顔ばかりだな)
ランドルフにとっては、そんな彼らも微笑ましく感じるのだが。
これでも、そろそろ四十代にさしかかるベテランだ。
一部では最強の冒険者と呼ばれた時期もある。
いつの間にか前線で剣を振るい、手柄を打ち立てようとする気概は薄れ、新人の育成に力を注ぐようになっていた。
冒険者試験の試験官をやるようになったのも、その一環だ。
若い才能の成長を手助けすることが何よりも楽しい。
これも老いだろうかと、ランドルフは苦笑する。
冒険者ギルド本部はアストラの中心に位置している巨大な建物だ。
頑丈さと人数の収容だけを考えた無骨な造りで、装飾などないも同然である。
これも荒くれ者が多い冒険者の気性を顕しているといえるだろう。
ランドルフはその両開きの扉をゆっくりと開く。
酒場も併設されているその内部を悠然と見回した。
一斉に集中した鋭い視線は、すぐに驚きの眼差しに変化する。
「”炎熱剣”……!」
「ランドルフさんだ……ってことは、もう試験の時期か」
「”炎熱剣”のランドルフ……そういえば最近、何の噂も聞かなかったね」
「なんか、弟子をとって育てていたとか聞いたことあるぜ」
正解だ、とランドルフは内心で思いながら、カウンターへと足を進める。
美人の受付嬢は感激したように笑みを浮かべた。
「お久しぶりです! 今年も試験に協力してくれるんですか!?」
「ああ。ベテランとしての責務ってもんがあるだろ?」
「いつもありがとうございます。冒険者は個人主義が多くて、試験官集めはやっぱり苦労するんですよー」
「ま、今年は俺の弟子も出るからな。アレがどのくらい戦えるのかも見ておかねえと」
「ええ、本当ですか!?」
ギルド内に、一気にざわめきが広がった。
やはり弟子をとったという噂は本当だったのか。どういう奴なのか。こんなこと、初めてじゃないのか。今年の試験は見物だな――など、ひそひそ話が多く聞こえてくる。
ランドルフは苦笑を浮かべた。
(いつの間にか、俺の影響力も大きくなったもんだ……)
そして一ヶ月前にいったん別れた、赤髪の弟子に思いを馳せる。
アルスは強い。
はっきり言って試験に落ちる心配はいらないだろう。
だが、この”炎熱剣”の弟子という期待には応えられるのか――と、そこまで考えて、ランドルフは首を振った。
(あれだけの才能が……俺の予想を越えねえはずがねえだろうな)
たった二年。
ランドルフがアルスを鍛えたのはそんな短い間だったが、あの意欲の塊みたいな少年はすべてを貪欲に学び、吸収し、自らのものへと変えていった。
ランドルフが十数年も研鑽を重ねて成り立たせた剣やその他冒険者としての技術を、圧倒的な戦闘センスで凌駕し、自分なりに改良していった。
驚きの連続だった日々を思い返しながら、受付嬢との話を進める。
「それで、ギルドマスターはいるのか?」
「はい! 現在は三階の執務室にいるはずです! って、ひゃあ!」
「ありがとう。良い笑顔だ」
元気の良い受付嬢の頭を軽く撫でると、ランドルフは上階への階段へ向かう。
歴戦の風格をした冒険者たちが、自然とランドルフの通る道を空けた。
「悪いね」
ランドルフは気さくに笑みを浮かべ、階段を上っていく。
冒険者ギルド本部は四階立てになっていて、一階は酒場と、総合事務や魔石の買取などをしているカウンター。二階は依頼掲示板と依頼受付のカウンター。
三階からはギルド運営に携る者以外は立ち入り禁止になっている。
ランドルフぐらいの有名冒険者であれば、許可なしで入れるのだが――これは、試験実施に協力しているから、ということでもあるのだろう。
そんなことを考えつつ、ランドルフは三階のなかでも一際大きい執務室の扉をノックする。
すぐに返事が聞こえて、扉を開いた。
「何かと思えば、ランドルフではないか」
高級そうな真紅の絨毯が扉から続き、その先には、木製の机が置かれていた。
どっかりと椅子に座り、机に肘をついているのは、白髪の老紳士。
しわの滲む顔立ちに、きっちりとしたスーツのような服を着込んでいる。
年の割にスラっとしていて、その眼光は猛禽のように鋭い。
「やあやあ、こんにちは。ランドルフくん。僕を覚えているかい?」
そして、執務室内にいたのは白髪の老人だけではなかった。
人の良さそうな笑みを浮かべた恰幅の良い中年男性が、机の横に立っている。
「マリアスか。また太ったみたいだな。痩せる努力をしろ」
「失敬な。これでも朝晩にちゃんと走っているのだが」
「なら、食生活が悪いな」
「残念だが、美食主義だけは変えられないな」
マリアスは苦笑して肩をすくめている。
この男は、ランドルフと同期で冒険者になった仲間だ。
今では冒険者稼業をとうに引退し、だらしない肉体になってしまっているが。
「それで、何でお前がギルドマスターと一緒にいるんだ?」
「今期の冒険者試験について話し合っていたんだよ」
「うむ。今年は少し厳しめにしようかと相談されてのう」
白髪の老紳士――冒険者ギルドマスターは、悩ましげに答える。
ランドルフは眉をひそめると、マリアスに尋ねた。
「合格基準を厳しくするってことか? なぜ?」
「今年は優秀な卒業生が多いからねえ。国からの要請で毎年の合格最大人数は決まっているし、基準を上げないと合格ラインに達する受験者が増えすぎるんじゃないかという懸念があってね。ギルドマスターの意見を仰ぎにきたのさ」
マリアスは大仰そうな言い回しでそんなことを語る。
少しだけ自慢げな表情だ。
語っている内容が示しているように、マリアスは冒険者養成学園の長を勤めている。
生徒に三年間、冒険者としての基礎を教え込み、魔物との戦闘訓練などもきっちりと積むことによって、冒険者の平均的な実力を底上げすると同時に、若い才能が摘まれることを防ぐ――つまりは死者を減らすことを目的とした学校である。
毎年の合格者の八割以上はこの学園から出ていることが、その効果を示している。
マリウスはそんな学園の二代目学園長に就任していた。
「……へえ。今期の卒業生はお前がそこまで言うほど優秀なのか」
「もちろん。百年に一度の世代だよ、一般の受験者に申し訳ないとすら思うね」
「確かに、少しだけ噂を聞いたことがあるな。セーラ、だったか」
「そう、我が学園の主席卒業生だ。彼女は強いよ、おそらく――君の弟子よりも」
マリウスは不敵に笑う。
ランドルフは少し意外に思って、口笛を吹いた。
「知ってたのかよ。それにしても、自陣満々じゃねえか。俺の弟子も、強いぞ?」
「それでも、彼女には適わないだろうね。他の上位卒業生には並ぶかもしれないが」
「さて、そんなにお前の思い通りになるとは思えないがね」
ランドルフは言う。その確信があった。
脳裏を過ぎるのは赤髪の弟子だけではなく、茶髪の少年剣士や水色の髪の精霊術師だ。
アルスの言い分を考えると、彼らも間違いなく試験を受けにやってくる。
普通に学園の卒業生が合格して終わりだなんて、そんな結果にはならないに違いない。
『――オレは、レイよりも強くなりたいんだ』
ある意味では、この場こそがそれを試す場となるだろう。
――本当に楽しみだとランドルフは笑いつつ、試験についての話し合いを始めた。