1-31 野に咲く花のように
ゆっくりと、レイの意識が浮上する。
暖かな朝の陽射しに照らされ、少しだけ眩しさを感じていた。
薄く瞼を開ける。
ひどい疲労感で、体は動かなかった。
だが、苦痛はない。腕や脚を動かしても大丈夫だ。
どうやら傷は治っているらしい。
「……起きましたか?」
「リリナ、か」
後頭部に柔らかい感触があった。
膝枕をされているのだろう。
「……ジェイルはどうなった?」
「辛うじて息があったので、エルフ族の総意で牢獄の奥に幽閉しています。処罰に関しては今後決めるみたいですね」
「……エルフ族の、総意?」
「――はい、そうですよ。少しだけ体を起こせますか?」
リリナが微笑しながら、言う。
レイは言われた通り、怠さを抱える体を動かしていく。
すると、眼前に広がっていたのは、昨夜こっそりと忍び込んだときに把握していたエルフ族の里の光景だった。
「……どうして」
「あの後、エドワード様がお父様をつれて里に入って、里の皆を集めたんです。そして……ジェイルが何を起こしたのか、説明したんです」
「エドワード? 兄さん達が来ていたのか?」
「はい。私が突然村から消えたので、捜索していたみたいで」
「……なるほど、な。それで俺たちが『魔の森』に向かったことを考えて、ここまで探しにきたのか」
「はい。里には向かうかどうか迷ったんですけど、治癒で意識を取り戻したお父様も証言したので、里の皆は信じてくれたみたいです」
「……そう、か。良かった」
どうやら里の外れにある平原に寝かされているようだった。
地面には毛皮のシートが敷かれている。
その周囲では多くのエルフと共に、エドワードやデリック達が忙しそうに会話を交わしながら、動き回っていた。
「やぁ、我が息子よ!!」
陽気に高笑いしながら声をかけてきたのは、アルバートだ。
レイは呆れ顔になりながら、
「……父さんまで来てたのか。領地は大丈夫なのかよ」
「なぁに! 母さんがいるから少しぐらい平気さ! それより、もう怪我は大丈夫なのかい?」
「あぁ。体が怠いだけだ」
「……そうか、良かった。それに、良くやった。お前のおかげで、またエルフ族との交流が再開できそうだ」
アルバートは真剣な表情でそう言うと、ふと顔を緩めて、レイの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「さぁ、行こうか。エイブラムの旦那」
「……少しだけ、待ってください」
アルバートが傍に控えていた老齢のエルフ族の男に告げると、気難しそうな顔をした彼はそんな風に言った。
エイブラムと呼ばれた老エルフはレイの前で膝をつくと、深々と頭を下げた。
「この度はありがとうございました。真に憎むべき敵を、我々はこれまで知ることができなかった。深く確かめもせずに、人族に対して交易を絶ってしまった」
レイが戸惑っていると、エイブラムは悔やむように語る。
「真実を知ることができた、そして里長――クリフォード様を失わずに済んだのは、あなたのおかげです。傷を負い眠っている里長、そして民の皆に代わり、あなたに、心より御礼を申し上げます」
「……俺は、リリナを失いたくなかっただけです。そんなに大したことはしていない。あなたたちに真実を伝えたのは俺の家族だし、俺はジェイルを倒しただけだ。そんなに気にしなくても大丈夫ですよ」
苦笑しながら告げる。
それは本心からの言葉だった。
レイは己がやりたいようにやっただけであり、別にエルフ族と人族との関係性を思ってだとか、そんな複雑なことは考えていない――と言えば嘘になるが、それでもあのときはリリナのことしか頭になかった。
護りたいと思い、その意志に従った。
詰まるところレイは、自分の為に命を懸けたのだ。
だというのに、感謝をされても仕方がない。
エイブラムはエルフ族の里における最年長であり、クリフォードの相談役のような立ち位置にいるらしい。
次代の里長がジェイルになるだろうとも考えていたらしく、この度の事件の真相をクリフォードから聞き、ひどく衝撃を受けたようだった。
エイブラムはもう一度レイに挨拶すると、アルバートと共に里の中央の方へと歩いていく。
「また交易が再開するんでしょうか?」
「父さんは抜け目ないからな。この機会を逃そうとするわけがない」
「ですよね」
リリナは楽しそうにクスクスと笑う。
レイは僅かに目を細めた。
命を懸けて戦った理由は、その笑顔を護りたかっただけなのだから。
「……ダリウスの奴は生きているのか?」
「ボクならここにいるよ」
リリナに尋ねると、すぐ近くから声が聞こえた。
レイが音の発信源に目を向けると――そこにいたのはヒトダマだった。
青白い炎が燃えているような球体。アンデット系の魔物だと思われるそれから、ダリウスの声が放たれている。
「……何だお前? その姿は」
「いや、死霊術式を根絶するときに無理をしすぎたようでね。肉体どころか骨まで失ってしまったらしい」
「どういう理屈なんだ、それは……」
「女神の権限にまで干渉した代償としては、安いものだ。アナタみたいに『加護』があったわけでもないからね」
「……?」
「説明しても分からないよ」
ダリウスは苦笑していそうな調子で言う。
そこでレイが起きたことに気づいたのか、エレンが駆け寄ってきた。
心配そうな顔でレイを見上げる。
「大丈夫?」
「あぁ」
「本当に? あんなにボロボロだったのに?」
「治癒術師の腕が良いんだろうな……」
レイは自分の腹部を撫でながら、感嘆する。
周囲を見渡すと、グリフォン事件のときも世話になった治癒術師の金髪美少女を発見したので、声をかけようとした。
――だが。
「あ、あれ……?」
ペコリとレイに頭を下げると少女は慌てて背を向け、去ってしまう。
ちらりと見えたが、その顔はなぜか少しだけ紅潮していた。
「あぁ―、レイ様が治癒されてるとき、無意識なんですけど、あの子の胸を触ってましたからね。きっと、恥ずかしいんでしょう」
「ええ!? おいおい、マジかよ……」
「……むっつりすけべ」
リリナはニヤニヤと生暖かい視線を向け、エレンからはジト目を向けられる。レイは覚えもないのに針のむしろの気分だった。
そんなこんなでしばらく四人で雑談していると、
「お、段々、体も動くようになってきたな」
「それじゃ、お父様のところに行きましょうか。レイ様に会いたがっていましたし」
「エイブラムさんの話だと寝てるんじゃなかったのか?」
「レイ様と同じく傷は癒えてるんだから、そんなの叩き起こせばいいんですよ!」
リリナは満面の笑みを浮かべて歩き始める。
それが少しだけ怖かった。
「しかし、アナタは今生もまた戦いの道を歩む気かい?」
「別に戦いたいわけじゃない。でも、『前世』で取り零したものがたくさんあるからな。仕方ねえんだよ」
レイは肩をすくめてダリウスの質問に答えつつ、リリナの後をついていく。
道中、まだぎこちないながらも、エドワード達とエルフの民が談笑している光景が見受けられた。
少しずつでも、歩み寄ろうとする姿勢が見えていた。
「……そうか。アナタはこれからどうするんだい?」
「クリフォードに会いにいくんじゃないのか?」
「もっと大きな話さ。人生の展望を聞いている」
ヒトダマのダリウスはゆらゆらと揺れながら尋ねる。
レイは考え込むように顎に手を当てると、
「……とりあえず冒険者になる。一年後の試験を受けてな」
「一年後なのか? アナタなら今でも試験ぐらい……あぁ。十五歳制限があるんだったかな」
「そうなんだよ。ただ、試験に向けて鍛えるにしても、村近くの魔物だと物足りなくなってきた」
「そりゃそうだろうね。もっと遠出した方がいいんじゃないのか?」
「……ああ。だから、旅に出ることにしたよ」
レイがそう言うと、二人の話を聞いていたのか、エレンとリリナも振り返った。
エレンは不安そうに顔を歪める。
アルスは一年前、ランドルフに弟子入りして村を後にした。
ここでレイすらいなくなるのは嫌なのだろう。
その気持ちはレイにもあるが、それ以上に気になることがある。
各所に『前世』での野暮用を残しているからだ。
調べなければならないこともたくさんある。
たとえば――歴史書にすら記載のなかったアリアの生死。
アルバートにそれとなく聞いてみたことはあるが、なぜかアリアの存在すら知っていなかった。
他にも、北方の戦場は今どうなっているのか。
かつての戦友たちの安否はどうなのか。
(……今回の件で、俺にもそれなりに力がついていると確信できた。これなら、もう村を飛び出しても大丈夫……生きていけるだろう)
レイは己の掌を見ながら、そんな感慨を覚える。
リリナは豊かな双丘を揺らしながら、胸を張った。
「レイ様を一人にはさせません。私もついていきますよ!」
「なら、ボクも行こうかね。いつまでも幽霊屋敷に留まっているわけにもいかないだろうし」
ダリウスも続くように言った。
レイは僅かに目を瞠ると、素直に感謝を告げる。
だが、エレンだけが哀しげな瞳で空を見上げていた。
「みんな、わたしの傍からいなくなっちゃうんだね」
「心配するなよ」
レイは軽い調子で言った。
「そろそろアルスが迎えに来るだろう、多分な」
「なんで分かるの?」
「勘だよ。それに、少なくとも俺とは冒険者試験で会えるだろ?」
エレンは髪をくるくると指でいじりながら、嘆息した。
「わたしだって、護られるだけじゃないもん」
「お前が実は強いことぐらい俺だって知ってるよ。アルスだってそうだろ。ただ、あいつは好きな子に戦わせたくないんだろ。だから俺もできる限りあいつの意思に従ってる」
「……むぅ。わたしだって、レイたちを守れる」
「なら、もっと強くなって、アルスにそれを証明してみせろよ」
レイは苦笑する。
そうこうしていると、クリフォードがいる寝所に到着した。
心なしか足早にリリナが部屋の扉を開ける。
「……お父様!」
「リリナ。それに、貴方たちも来てくれたのか」
クリフォードはベッドの上で体を起こしていた。
窓の外を眺めていた彼は、駆け寄ってくるリリナに反応すると、その厳格な表情を崩して微笑する。
「感謝する、少年。いや……転生勇者だったか?」
「レイ・グリフィスだ。どっちでも合ってるけど、そう呼んでくれ」
「転生勇者……?」
エレンが「?」を頭の上に浮かべながら首を傾げる。
レイは「あとで説明するよ」と流しつつ、
「レイ殿。娘を護ってくれて、ありがとう。そして……君が潜入してきたとき、騙すような真似をして済まなかったな」
「一人でジェイルを相手にケリつける気だったんだろ? 俺たちを巻き込みたくなかった……いや、ジェイルさえ始末すれば、俺たちに勘違いされたまま殺されてもいいと思ってたんじゃないのか?」
「返す言葉もないな」
「ま、アンタが俺を倒して、ご丁寧に森の外まで運んでくれたから状況を理解したんだけどな」
だから「おあいこ」だと、レイは肩をすくめる。
クリフォードは憑き物が採れたように微笑を浮かべた。
「これからも、リリナを頼むよ。私には勿体無い娘だから」
リリナを中心に雑談していると、そんな風にクリフォードが言った。
レイは愉快げに笑みを浮かべると、
「なんだ、俺のものにしていいってことか?」
「そうだ。むしろ君以外には認めたくない。こんな有り様でも一応、父親としての役割があると思っているからな」
「お、お父様……ちょっと、や、やめてよ……!」
かぁぁ、と頬を紅潮させるリリナ。
レイとクリフォードが悪い笑みを交わし合っていると、リリナは耐え切れなくなったように部屋を飛び出していった。
エレン、ダリウス、クリフォードは苦笑を浮かべる。
レイは仕方なく彼女の後を追いかけた。
すると、彼女は暖かい陽光が差し込む花畑の中に立っていた。
野に咲く花のように可憐で華奢な体が向きを変える。
リリナは恥ずかしそうに後ろで両手を繋ぎながら、上目遣いで背の高いレイを見つめた。
「……あの、レイ様」
「何だ?」
「言わなきゃいけないことがたくさんあります」
彼女の声音は少し震えていた。
レイは里で最も綺麗な花畑の光景を視界に収めながら、言う。
「一つずつ言ってみてくれよ」
「護ってくれて、ありがとうございます」
「うん」
「お父様を助けてくれて、ありがとうございます」
「うん」
「心配かけてしまって、ごめんなさい」
「……うん」
「でも、無茶しすぎです。もっと、自分を労ってください」
「……うん。分かってる」
レイが噛み締めるように返答すると、彼女は突然、胸の中に飛び込んできた。慌てながらも、何とか受け止める。
「……大好き、です…………!」
振り絞るように紡がれた言葉。
レイはリリナの耳元でそっと何事か囁くと、彼女の銀髪を撫でた。
しばらく二人はそうして抱き合っていた。
いつまでも、いつまでも。
互いが大切に思い、護り抜いたものを確かめるかのように。
一章完結。
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さて、ハズレ術師の五章を進めないと……。