表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生勇者の成り上がり  作者: 雨宮和希
Episode1:旅立ちの日まで
30/121

1-29 想い

 レイは煮え滾るような怒りを宿して、眼前の敵を睨みつけていた。

 魔力による身体強化を十全に漲らせる。

 ジェイルに剣の鋒を向けて、中段に構えを取った。


「……相変わらずクソ野郎だな、テメェは」


 レイの気迫を受けて、ジェイルは薄く笑みを浮かべる。

 土埃を払ってゆっくり立ち上がると、大げさに肩をすくめた。


「グリフィス家の子息か。子供にしては悪くない攻撃だったが……そう何度も通じると思うな。さっさと消えた方がいいぞ」

「……そういうお前はジェイル・マリオットだったか。テメェが黒い外套なんか着てなきゃ、最初から気づいていたってのに」

「へぇ? 僕の名前を知っているのか」

「そりゃそうだ。『前世』の因縁を晴らしにきたんだからな」

「……?」

「勇者アキラが、死を越えてお前を殺しに来たって言ってんだよ」


 レイの後ろではリリナが呆然と涙を流し、真横には傷だらけのクリフォードが膝に手をつきながら立っている。

 対面のジェイルは怪訝そうに眉をひそめて、呟く。


「なん、だと……?」


 銀の長髪に浅黒い肌をしたハイエルフ。

 アンデットを操る術式――禁忌とされた死霊術の使い手にして、かつての『エルフ狂いの惨劇』の黒幕。


 メイヤール伯爵家を殺してアンデット化させると、傀儡にした彼らが飼っている部下を、ジェイルの権限で“迷いの結界“を通し、当時の結界を維持していた『四賢人』を、それぞれの睡眠中に暗殺させた。

 死霊術でアンデット系の魔物を里付近に集中させておき、結界が解けた瞬間、エルフ族の里を地獄に叩き落とした。

 その結果として、エルフ族は何百人も命を落とした。

 言葉では計り知れないほどの笑顔が失われた。


『どうした? そんな顔をして。僕たちは、人族にこんな仕打ちを受けた後で、お前を信じてやろうと言っているんだぞ?』


 ――どの口がほざいている。

 まともな状況下だったのなら、そう、何度も叫びたかった。

 人族とエルフ族を隔てた張本人。

 事件の黒幕だと察していても、証拠がない。

 そしてジェイルはエルフ族の里で信頼されている。

 だから。

 アキラは当時、ただ眺めていることしかできなかった。


『お前は僕を殺せない』


 十数年前。

 人族を恨んでいるエルフ族の里――その情勢を味方につけ、アキラが真実を知りながら手を出せなかった相手に。

 転生して再び世界に舞い降りたレイが、いま剣の鋒を向けている。


「クリフォード、大丈夫か?」

「……当然。同胞を殺した屑を、生かしておくわけにはいない」

「そう、か。もう事情は把握しているらしいな。だったら話は手っ取り早い。――クソ野郎を倒して、それで終わりだ」


 断言するレイに、ジェイルは苛立ったように告げる。


「ガキが一人増えたぐらいで……立場が逆転したつもりなのかい? 言っておくけど、お前らが殺されるまでの時間が伸びただけだぞ」


 その言葉と共にダリウスが一歩、前に出る。

 そういうふうに死霊術で操られている。

 王国の元宮廷魔術師にして死後も魔術を究め続けた化物。

 クリフォードに対する、ジェイルの切り札。

 レイは彼を見て、目を細める。


「……ダリウス、お前なぁ。あっさり操られてんじゃねえよ」

「いや、申し訳ない。しかし、どうやら、このジェイルという青年はずっとボクを観察していたらしい。――いつ、ボクの魔術への妄執が弱くなるのか、その想いが風化していき、ただのスケルトンになるのかを」


 ダリウスは淡々と告げる。

 彼がいくら理性を保っていると言っても、所詮はスケルトン。

 すなわち魔物であり、つまりは魔物なりの本能がある。

 ――生前に強い心残りがあるアンデット系の魔物は、人と同等の理性を保っている場合が多いという研究資料がある。

 だが、それは強い心残りがあるからこそ。

 妄執とも呼べるそれは時と共に風化し、やがて心残りが消えれば、それを基に保たれていた理性は失われ、ただのアンデットと化す。


 アンデットは死霊術によって操ることができるのだが、その魔物が生前と同じように思考力を保っている場合は例外だ。

 勿論、エルフの死兵を数百も同時に操っているジェイルの死霊術が、おそろしく優秀であることは間違いない。

 とはいえ、それでもダリウスが操られているということは――


「……お前の未練は、消えたのか?」

「どう、かな。究めようとして、努力し続けた魔術に絶望したことを、未練が消えたと呼ぶのなら、そうかもしれない」

「――嘘つけ。お前はあんなに魔術が好きだったじゃないか」


 『前世』で初めて会ったときからダリウスはスケルトンだった。

 途轍もない魔術の技量で何度もアキラを翻弄した。


「……アナタは、ボクが魔術を極めようとした理由を知っているかい?」


 ダリウスは静かな口調で、淡々と語る。


「魔術を究めれば誰かを救えると――そう、信じていたからだ」


 その言葉の直後の出来事だった。

 ダリウスが右手を上げる。その掌から“魔弾“が射出された。

 レイは咄嗟に身を屈めて回避する。

 後方に着弾して爆発。レイが風の勢いに押されてつんのめった。

 魔術の基本である魔弾術式だが、練度が異常すぎる。

 そして当然、ジェイルがその隙を逃すはずがない。

 周囲を囲んでいるエルフの死兵――グールから魔術が放たれる。


(……ダリウス、お前は――)


 レイは舌打ちをした。逃げ場がない。体内の魔力を活性化し、身体強化をひたすらに強めていく。

 “魔弾“と並んで基本的な魔術である“障壁“を使って防御すればいい。誰もがそう思うだろう。しかし。

 ――レイの異世界式魔術は、“障壁“が使えない。

 似たような術式なら作り出せるかもしれないが、少なくとも今のところレパートリーには存在していなかった。

 レイの異世界式魔術は変則的で初見殺しだが、ピーキーすぎて対応力に欠ける側面がある。

 

「舐めるなよ」

 

 だからと言って対応策がないわけではない。

 レイは剣の持ち方を変えると、竜巻のようにぐるぐると振り回す。

 同時に魔術を起動。イメージは――プロペラだ。

 剣が高速回転する。レイは魔弾を防御しながら跳躍。そのまま一点突破すると、剣を持ち直し、ジェイルの方へと疾走していく。

 だが。

 ジェイルが下がり、ダリウスが前に出る。彼がスケルトンであることを考えると、接近戦なら力押しで崩せるはずだ。

 だが、たとえ今は骸骨であっても王国最高峰の魔術師だ。

 簡単に近づけるはずがない。

 

「“地割れ“」

  

 ドン!! と、レイが走っていた大地が裂けた。地面を割く土属性と、地中の水分を奪う水属性の複合魔術。対するレイは体を独楽のように回転させると、その勢いで剣を振り回す。

 斬撃が、飛んだ。

 轟、と風が唸る。

 “閃空“。魔力波を斬撃の形状で放ったのだ。

 ダリウスが展開した障壁術式が二枚割れる。だが、ちょうど三枚目で押し留められた。どうやら威力を見極められている。

 レイは自ら放った斬撃の勢いで後方へ下がり、割れた地面を蹴り飛ばして地上に回帰した。

 地割れは深く、もはや崖のようになっている。

 レイはその威力に戦慄しながらも“拳銃“の引き金を引いた。

 ダリウスは咄嗟に障壁を張る――が、間に合わない。初撃をまともに受け、乾いた音を響かせて仰け反った。

 ――軽い、とレイは思った。

 速度重視に設定した土弾の威力で、あれだけ大きく隙を晒している。

 これがスケルトンの欠点だ。

 レイがダリウスの懐へと踏み込んでいく。

 その。

 次の瞬間。


「これが隙だと思ったのかい?」


 キュガッッッ!! という爆音が炸裂した。

 レイはまったく反応できずに容赦なく後方に吹き飛ばされる。おそろしい勢いで巨木に叩きつけられ、ずるりと地面に崩れ落ちた。

 灼熱の痛みが体内を駆け巡っていく。痛みで途切れがちになる思考能力を強引に回復させながら、遠く離れたダリウスを睨めつけた。


「なん、だ……今のは……!?」

「ただの“魔弾“だよ。『聖剣』に頼り切っていたアナタはやはり戦術が拙いな。強さとは――力の使い方を知ることだというのに。ただ、圧倒的な力を振り回すだけで良かったアナタは、世界の例外だった」


 レイは吹き飛ばされる寸前の記憶を思い出す。確かダリウスが纏っているゆったりとしたローブを突き抜けて、光線が迫ったのだ。

 

(……そう、か。ダリウスは手を背中に回して、魔弾を準備。それが後ろからローブを突き破って、接近した俺の目の前に出てきたのか……!)

  

 それを容易にこなせる理由は当然、スケルトンは骨しかないからだ。

 本来なら腹がある部分でも魔術を通せる。

 スケルトンの欠点をレイが把握した瞬間の返し技。スケルトン故の利点を活かす攻撃。レイはその発想に恐怖すら覚えた。

 レイはふらつきながらも、立ち上がる。

 実力差は理解した。ジェイル単独なら倒せる自信はあったが、ダリウスまで協力しているとなれば、厳しいと言わざるを得ない。


『……護ってくれるんですよね、英雄様?』


 だが。  

 それは決して、諦める理由にはならない。


「まだ戦うのか?」

 

 木に背を預けて腕を組むジェイルが、嘲るように告げる。

 ダリウスは心なしか哀しい瞳でレイを眺めているような気がした。


「あぁ――このふざけた悲劇を、ぶっ壊さなきゃならねえからな」








 ♢






 




 ――動け。

 まさに満身創痍。血の海を作り上げる傷だらけの肉体は、クリフォードがいくら命じても微動だにしない。ここで終わりなのか。肉体はもはや死んでいて、この戦いを見届けることしかできないのか。

 ふざけるな――と、クリフォードは思う。

 これは、この事態は、クリフォードの責任だ。

 ジェイルが黒幕だと見抜くことができず、エルフ族の同胞を何十人も犠牲にし、フレイとリリナに心の傷を負わせてしまった。


『ごめん……なさい』


 リリナの哀しい顔は見たくない。彼女に父殺しの罪を負わせるわけにはいかない。だから、まだ死なない。戦う。戦えるのだ。まだ立っている。まだ魔力はある。まだ――身体は動くのだ。

 ならば足りないものは何だ。

 己の身を突き動かす信念に決まっている。

 リリナを護る。娘を護る。今度こそ大切にする。たとえ自分にそんな資格はないと知っていても、それはリリナが理不尽な目に遭う理由には決してならないから。

 こんなに情けない父親で済まない。

 そういう謝罪と、感謝を告げる為に呼び出したはずだから。一緒に暮らすことはできなくとも、娘に信じられなくても、それでもクリフォードはリリナの家族なのだ。少なくとも、そう在りたいと願っている。

 ならば。


 あの少年にすべてを背負わせてなるものか。


 腹部に突き刺さったレイピアの傷がひどく痛む。それは彼女が流している涙の証明そのものだ。

 クリフォードが、リリナを信じさせてあげられなかった。

 だからこそ、この傷を負ったのだ。

 ならば、それは受け入れるべき傷だ。その上で笑顔を浮かべて、娘を迎えてやるのが家族の仕事であるはずなのだ。


 ――戦え。


 眼前では、自分よりも遥かに弱い少年が必死に戦っている。

 実力差は歴然だというのに躊躇いもなく立ち向かっていく。

 貴族の子息が、たかがメイドの為に命を懸ける。そんな馬鹿げたことをする理由なんて、決まっていた。

 ――大切だから。

 リリナを家族だと思っていると、少年は言った。

 そんな人間を失いたくない。失うわけにはいかない。彼を失えば、きっとリリナは哀しむ。そんな結末をクリフォードは認めない。多くの同胞が死んでしまった過去は変えられない。――だけど。

 悲劇が起こりえる未来は、いくらでも変えられるはずなのだ。

 クリフォードが戦えば、リリナの笑顔が護れるかもしれない。

 ならば。

 ――こんなところで蹲っている理由が何処にある?



「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 魂が咆哮を上げる。まだ、体は動く。

 軋みを上げる肉体に力を込め、クリフォードの体内で魔力が唸る。命を搾り取るかのように“魔弾“を作り、限界まで練り上げ、その制御を手放した。魔力が暴走する。直後。

 

 天地を揺るがすかのような轟音が響き渡った。


「……少、年。手を、貸すぞ」


 ダリウスの障壁が突き破られ、グールが何体か消滅する。

 ジェイル達は咄嗟に飛び退いていた。

 レイは驚いたように、告げる。

 

「……まだ動けるのかよ」

「この、命が……ある限り」

「死ぬなよ。お前が死ぬと、リリナが哀しむ」


 レイがあまりにも真摯な瞳で告げているので、思わず押し黙った。

 死ぬ覚悟を否定されて、クリフォードは少しだけ笑う。


「……それは、私の台詞だ。お前こそ、死ぬな……!」


 息も絶え絶えに告げると、レイも同じように笑みを浮かべた。

 さあ。

 ここからは、護る為の時間だ。









 ♢








「……本当に、面倒臭い連中だな」


 ジェイル・マリオットは苛立ち紛れに舌打ちした。何が覚悟だ。何が信念だ。どうして、そんなに痛めつけられてもまだ立ち上がれるのだ。

 ジェイルにはまったく理解ができない。


「お前には、一生分からねえよ」


 レイが淡々と言いながら肉薄してくる。この無駄が少ない太刀筋。燃えるような眼差し。逆境でなお立ち上がる、その精神。

 その要素すべてに嫌悪感があり、心当たりがあった。


「どうやら本当に勇者アキラのようだが……君のような人間が、あの聖剣ナシで僕に勝てるとでも思っているのか?」

 

 ジェイルは腕を広げて告げる。

 持ち前の莫大な魔力量を惜しみなく使い、周囲のグールを動かした。

 ジェイルの守りを固めるような形で移動していく。

 こうしている今も地響きが鳴り続ける。

 ダリウスは執念を見せるクリフォードに足止めされているのだ。

 だからレイに対しては、ジェイルが戦うしかない。

 とはいえ負ける気がしなかった。

 相手は聖剣に振り回されていた未熟な英雄様である。


「……勝てると思ってるわけじゃない。でも、勝たなきゃ誰も救えない」


 レイは襲いかかるグールを次々と斬り捨てていく。

 それだけではない。

 グールの間隙を縫うように魔術が飛んでくる。

 高速で飛んでくる土弾がジェイルの体に炸裂した。――鬱陶しい。

 『聖剣』を失い、転生して、それなりに努力はしていたらしい。

 だが――それだけだ。

 今のレイに、あの頃のような圧倒的な力はない。


 ジェイルは洗練された動作でレイに肉薄すると、剣を鞘走らせた。

 金属と金属が擦れる音が鳴り響く。

 レイが受け流したのだ。

 だが弱く、遅い。

 ジェイルはすぐに態勢を入れ替え、レイを蹴り抜いた。

 吹き飛ぶと同時、用意させておいたグールの魔弾が着弾する。


「ごっ……がぁぁああああああああああああああああああ!!」


 爆音、そして絶叫。

 ジェイルはこれでもエルフ族の里で二番目に強い男だ。

 死霊術でダリウスを操っていることを考慮すれば、今や最強を名乗っても過言ではない。

 ダリウスやクリフォードには及ばなくとも、レイよりは強い。

 その確信がある。

 

「……今日が終われば、ようやく僕が里長に成り上がる」

「お前みたいな奴が、長になれると思うな」

「僕はクリフォード唯一の配下だぞ? 実際に昨日まではそうだったし、里の民はいまだそう思っている。里長代理としての仕事をこなすことも何回かあった。――ここでクリフォードが死ねば、確実に僕が長になる。そういうふうに動いてきた」

  

 別に御大層な目的があるわけではない。

 ただエルフ族を地獄に叩き落とした張本人であるジェイルが、エルフ族の里の頂点に立つという図式に興味があっただけだ。

 里長にまで成り上がれば、死霊術で密かに手を回し、間抜けな民が気づいたときにはすでに、奴隷のように支配することすら可能だろう。

 ジェイルの目には、その未来が浮かんでいた。

 それが、その光景が面白そうだったから、ジェイルはわざわざクリフォードを殺そうとしていたのだ。

 ダリウスというスケルトンに目をつけ、娘であるリリナの居場所を探り、用意周到に時を待ち続けた。

 すべては今日の為。

 それを邪魔される不快感は尋常ではない。


「まぁ、リリナを扇動してクリフォードを刺させたのは、ただの趣味だけどね。実際にはダリウスだけで十分だった」

「テメェ……」

「父を殺しにかかる娘。美しい図式だと思わないかい?」

「……反吐が出る」

 

 レイは身を焼かれながらも再び剣を構える。

 煮え滾る怒りを宿したように、ジェイルを睨んでいた。

 ――まだ、立つのか。

 ちりちりとした苛立ちを覚える。ジェイルは誰かの顔が絶望に歪む光景を眺めることが好きだった。だが、眼前の敵にはそれがない。

 どれだけ翻弄されても傷つけられても、決して折れることがない。

 だからジェイルはこの男が嫌いなのだ。


「いい加減に、終わらせてあげるよ」


 







 ♢









 レイとジェイルの攻防が繰り広げられている一方、クリフォードとダリウスの戦闘も熾烈を極めていた。

 徐々にレイ達との距離が離れていく。

 クリフォードがダリウスを誘導しているのだ。


「ジェイルだけなら、レイでも倒せると思ったのかい?」

「……お前と戦うよりは、マシだろう」

「そりゃそうだ。ボクは強いからね」


 クリフォードは脳が焼き切れるかと思う速度で魔術を展開する。

 それでもダリウスには追い付けない。

 クリフォードは百年以上も魔術の研鑽に励んでいた。

 自分以上の魔術師など、そうはいないと自負していた。

 ――だが、このスケルトンは次元が違う。

 魔術の技量が隔絶している。

 かろうじて拮抗している理由は、スケルトンの動作が緩慢な上、クリフォードが持つハイエルフの圧倒的な魔力量とは差が生じていて、ダリウスが魔力消費に気を使っているからだ。

 ダリウスが肉体を持っていたときは、どれほどの術式効率、魔術構築速度だったのだろう。

 ――それとも、これだけの技量に達したのは、スケルトンに化した後なのだろうか。


「……それだけの腕があって、なぜお前は魔術に絶望した?」


 クリフォードは荒い息を吐きながら、尋ねる。

 どれだけの想いが体を奮い立たせても、流石に限界が近い。

 そしてジェイルの死霊術が、どの程度の強制力でダリウスを動かしているのかも何となく分かってきた。

 レイを囲んでいるグールの方は強制力が強く、おそらくはジェイルが直接、傀儡のように操っているのだろう。

 だが、ダリウスの場合はもう少し自由意志がある。

 これはダリウスがまだ理性を失くしきれていないことに関係しているのか。

 それとも、単純にダリウスには『戦え』という命令だけ与えて、後は本人に任せた方が強いと考えているのか。

 おそらく両方だろう。

 クリフォードが会話を仕向ければ、予想通りダリウスは応じた。


「……誰も、救えなかったからだよ」

  

 ダリウスはそう言って、骨の指を動かした。

 それだけで、幾つもの土柱が隆起する。


「これだけの魔術の腕があって、ボクは大切だったモノを何一つ救えなかった。護れなかった。――フレイだって、そうだ」


 己の妻の名前を聞いて、クリフォードは動きを止める。


「それはお前のせいではない。妻に心の病を負わせてしまった、私の不徳が致すところだ」

「……いいや、そうじゃない。これはボクのせいなんだよ。救えたはずなんだ。実際に、救える術式を生み出すことはできた。そのときにはもう、手遅れだったけれど。……彼女を、救いたかった。ボクが、スケルトンになった理由だってそうだ。ボクは戦場で死んだ。近くには妻が住んでいる村があった。だから、ただ死ぬわけにはいかなかった。助けたい人がいた。その為に魔術を使いたかった。……ボクの魔術が人を救えるのだと証明する為――その妄執が、ボクを意思のあるアンデットに変えた」


 それでも妻は救えなかったと、ダリウスは淡々と言った。


「ボクは魔術を究め続けた。魔術の真髄に達すれば、きっと何もかも救い出せると思った。護り抜けると思った。でも、そうじゃなかった。そりゃ、当たり前のことなんだけどね。――勇者アキラが死ぬときまで、そんな当たり前にすら気づけなかった」

「……」

「十数年前、アキラが聖剣を失って、戦場に出なくなったとき。ボクが代わりになればいい。それだけの意志と力はある、そう思っていた。でも、それは自惚れだと気づいたときには、もう手遅れだった。アキラがいつも護っていた場所を簡単に踏み躙らせてしまった。多くの笑顔が失われて、その結果がアキラの死だ。――ボクは、何も救えなかった」

「だと、しても」


 悲嘆に暮れるダリウスに、クリフォードは踏み込んでいく。


「お前がいなければ、もっと多くの人が死んでいたはずだ」

「……かもしれない。でもボクは、ボクの魔術は、大切な人を誰一人として護れなかった。すべて火の中に消えていった。多分、そこからだろうね。ボクの未練が徐々に消え始めたのは。魔術を究めて大切な人を護りたかったのに、もう護りたい人が誰もいないんだから当然だろう」

「お前の理性をここ最近まで繋ぎ止めていた理由は……フレイ、か?」

「彼女を元に戻して、やりたかった……! ボクは魔術を信じていたから! 究めればそれができると思った! 魔術の真髄に近づいて、苦心して、そのときにはもう、手遅れだった!!」

「――それでも彼女は笑って死んだ! 精神を病んで、表情も動かせなかったはずの彼女は――笑って死んだんだ! きっと最後に、お前の魔術が通じたのだ! 少なくとも、私はそう信じている」


 クリフォードが叫ぶと、ダリウスは僅かに動きを止めた。

 そう。

 フレイの死を聞いて、クリフォードが密かに里を抜け出し、ダリウスに会いにいったとき、フレイは安らかに眠っていた。

 ――口元には、僅かな微笑が浮かんでいたのだ。

 それはダリウスがいなければ決して成し得ないことだ。

 フレイが最後に何を思って笑ったのか。  

 それはクリフォードには分からない。だけど、クリフォードは確かに彼女の笑顔に救われた。

 ダリウスが生み出した奇跡に救われたのだ。

 ダリウスの魔術で、確かに救われている人間がいることを、教えなければならない。

 確かに失う笑顔は多かったかもしれない。

 だが、それ以上に多くの笑顔を生み出しているのだと、知らせてあげなければならない。


「絶望するのは早い。未練を失くすのは早い。お前は魔術を究めたと言うが、いまだ私一人すら殺せていないのだから」

「……死霊術の範囲内で可能な限り手加減されていると、アナタなら気づいているでしょうに」

「諦めるな、ダリウス。お前は、その程度の男ではないはずだ」

「何を、言って……」

「お前の魔術の技量で、ジェイルの死霊術式を破れないわけがないだろう!! アンデット系魔物の特性? 絶対的不利な術式構成? だからどうした。お前はその程度の壁には何度もぶつかったはずだ。それを何度だって乗り越えたから、それだけの魔術師になったはずだ。なぜ挑戦しない? なぜ戦わない? なぜ誰かを救う方に頭を回さない? 絶望したからか――違う!! お前は現実から逃げているだけだ!!」

「そんな、ことは……!」


 ダリウスの返答を無視して、クリフォードは言い続ける。

 体がふらつき、何とか膝に手をついて押し留まる。

 意識が朦朧とする。もはや話すだけで精一杯。――だけど。伝えたいことがある。話さなければならないことがある。


「――戦え。立ち上がれ、ダリウス。私が尊敬する最高の魔術師よ。お前に救われた私が言う。お前にはまだ、護るべきものはたくさんあるはずだ。大切なものなんて、これからいくらでもできていくはずだ。……今、ジェイルと戦っているあの少年――本当は、護りたいのではないか? 無理だと諦めていないか? とうなんだ、ダリウス!?」

「それでも、それでも――仕方ないじゃないか、ボクは!!」


 ダリウスは狼狽えたように、数歩後ろに下がった。

 

「ボク、は……もう、何度も、何度も…………」


 骸骨の目の窪みから、涙が流れた。

 どういう構造になっているのか。そんなことはどうでもいい。

 ダリウスは頭を抱えた。クリフォードはそれを見守っていた。

 これは、彼が再び立ち上がる為の儀式。

 大切な誰かを守る。

 王国最高の魔術師が、魔術を行使する理由そのもの。

 それを――再び取り戻すという覚悟の証明だった。


「……そんなの、護りたいに、決まってる」


 その言葉が聞ければ十分だった。

 クリフォードは今度こそ崩れ落ちて、意識は闇に閉ざされた。





 ♢







 ――護りたいに、決まっている。

 ダリウスは勇者アキラが好きだった。

 誰よりも尊敬していた。  


 ただの村人だった少年が王国の未来を背負わされる。


 ダリウスはその事態に哀れみを感じていた。

 だが、アキラは予想に反して弱音を吐かなかった。

 聖剣という強大な力を唐突に授かっても、彼は決して驕らなかった。

 誰とでも気安く接して、いざという時には誰よりも先に戦う。

 その在り方はまさに英雄そのもので、どうしようもなく憧れた。

 そのとき、ダリウスはすでにスケルトンとなっていて、王国でも危険性のある兵器のような扱いを受けていたというのに、アキラはまるで関係なしに声をかけてきた。

 気安く、当たり前のように。


『何言ってんだ、お前だって俺の友達だろ? 信じない理由がねえよ』


 だから。

 死んでしまったときは、これ以上なく哀しかった。

 何も護れない自分の力に絶望した。悲嘆に暮れた。嫌気が差した。それでも魔術を捨てることはできなかった。

 まだ心の何処かで、信じていたから。

 ――この力で誰かを救えるときが来る、と。


 だけど。

 フレイを死なせて、ダリウスは再び絶望を感じた。


 ――アキラが転生して、会いに来てくれたと知ったとき。

 本当は、とても嬉しかった。

それを口に出すことはなかったけれど。

 それでも。

 ダリウスにはまだ、大切だと思える人が存在しているのだと、知ることができた。

 まだそれを認められなかっただけだ。

 すべて失って、自分には何もないと思い込みたかっただけだ。


(……あぁ)


 ――何だ。

 簡単なことだった。ジェイルの死霊術式ごときで、なぜダリウスは絶望していたのだろう。こんなものは破れる。クリフォードに言われるまでもない。本当はそんなこと、とっくに気づいていた。


 身を引き裂くような痛みと引き換えに、ダリウスは選択する。

 もう一度。

 運命に、抗う道を。


「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 意識が焼き切れるかと思った。それでもダリウスは止まらない。持ちうる魔力のすべてを費やして、死霊術の解除に苦心していく。


「何を、している……!?」


 ジェイルが愕然と目を見張った。命令の強制力が強まる。

 それでもダリウスは、咄嗟の術式改変で逃れた。

 次から次へと術式を練り上げ、ジェイルの術式を解析、改変していく。激痛が脳を駆け巡る。ジェイルが主導権を握る術式に対して強引に介入しているのだ。

 これぐらいのリスクはあるに決まっていた。意識が薄れていく。それでも意志だけは捨てなかった。

 ダリウスのすべての魔力が犠牲となって、王国最高峰の術式介入技術が――ジェイルの術式を捻り潰していく。それだけでは終わらない。

 死者を愚弄する悪魔の術式を、この世から抹消させていく。

 魔術の真髄。神の領域へと足を踏み入れていく。

 ――これが、ボクにできる限界だ。

 そう思ってレイの方に目をやると、ボロボロの彼はこちらを見もしなかった。ただ、一言だけ、呟くように言った。


「信じていた」


 それだけで満足だった。

 ダリウスの執念が生み出した術式“削除“が完成する。

 死霊術式がジェイルの手から消え去った。

 操っていたはずのグール達が制御不能に陥る。

 そこで、ダリウスの意識は途切れ、地面に倒れ伏した。


 ――ボクはお前を助けたぞ、アキラ。


 ダリウスは、誰よりも尊敬する英雄に、そんな意志を向けた。


 ――今度はお前が、みんなを助ける番だな。





   









 ♢













「あいつはすごい魔術師なんだよ」


 レイは周囲のグールを斬り倒しながら、笑って言った。

 ジェイルも同様だった。

 己の手駒だったはずのグールに襲いかかられ、剣で対処している。

 何度操ろうとしても、二度と死霊術が発動することはない。


「こんな……こんなことがあるものか!! 死霊術式そのものを世界から消し去るだと!? そんな神のような所業が、人の手で、できるわけが……できるわけがない!!」

「できないことをできるようにするのが魔術師。……あいつが、よく言っていた言葉だ」

  

 ――なにが魔術に絶望した、だ。

 この期に及んで新しい術式を開発するなど、全然諦めきれていないではないか。

 レイは苦笑する。そして感謝した。

 クリフォードと、ダリウス。

 二人の意志は受け取った。

 それぞれの期待と、想いは、ちゃんとこの背中に乗せた。

 後は――役目を果たすだけだ。


「ようやく一対一だな……ジェイル」

「クソッタレが……」


 レイとジェイルは向かい合う。

 空気が緊張を孕んでいく。凍っていく。

 冷たい殺気が周囲を満たしていく。

 ――最後の戦いが、始まる。

 


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ