1-27 本当の敵
リリナは約束の場所に姿を見せた。
静寂に支配された湖の畔には、一人の男が立ち尽くしている。
曇り空によって月が隠れていた。
暗い視界の中、対面している人物がゆっくりと灯りをつける。
ぼう、と。
その男は発火術式を扱うと携帯型のランプに灯し、傍に置いた。
仄かに明るくなり、クリフォードの姿が認識できるようになった。
「……リリナ、か」
「お父様……」
クリフォードは静かに湖を眺めている。
やがてリリナに目を向け、その姿を認識すると目を細めた。
「大きくなったな」
「やめてください、そういうこと言うの。お父様は、今度こそ私を殺すために呼び出したんじゃないんですか?」
リリナがそう言うと、クリフォードはしばらく答えなかった。
低く、太い声音で尋ねてくる。
「その話を誰から聞いた?」
「……お父様が送ってきた使者から。きっと、今度こそ私を殺すつもりだったんだろう――って」
「……」
「否定、してくれないんですね……?」
リリナは弱々しく尋ねると、小首を傾げた。
だが、クリフォードは厳然とした表情をするのみだった。
「……ジェイルの奴はどこにいる?」
クリフォードは周囲をざっと眺めつつ、呟いた。
この場に来た以上、レイから話を聞いているのだろう。
まさかジェイルがわざわざ変更した今日のことまで知っているとは思わないだろうが、警戒しているような素振りを見せている。
「答えてもいいですけど、その前にひとつだけ聞きます」
「何だ?」
「貴方に今日のことを伝えた、レイ様はどうなったんですか?」
「ああ……」
クリフォードは僅かに目を細めると、
「森の外に逃げたはずだ。お前には会わなかったのか?」
「いいえ」
「そうか……それで」
何やら納得したように呟いている。
しばらく黙考した後、真摯な瞳をリリナに向けてきた。
「リリナ、今から語ることを信じて欲しいとは言わない。……だが、話だけは聞いてほしい。これはお願いだ」
「なっ……」
ゆっくりと膝をついて、土下座のように頭を下げる。
リリナは動揺しながらも、その言葉に首肯した。
頷こうと、していた。
刹那。
「撃て」
轟ッッッ!! という凄まじい爆音が炸裂した。
「………………あ」
リリナは呆然と声を漏らした。
“魔弾“が圧倒的な魔力量により、光線のようにクリフォードに突き刺さったのだ。
直後、地面が粉砕されて煙に包まれた。
確かにジェイルとの算段では、クリフォードが隙を見せた瞬間に攻撃を開始することになっていた――だけど。
なぜ、何かを語ろうとしたこのタイミングなのだ。
「……ッ!!」
リリナは首を振り、雑念を捨てると前方を見据えた。
“魔弾“の方向から一人のスケルトンが姿を見せた。
骸骨の上に高級そうなローブを身に纏い、知性の光を宿している。
そして、あの威力の“魔弾“。
生前は高位の魔術師だったに違いないだろう。
これがジェイルの切り札。
クリフォードに打ち勝つ算段があるとはジェイルから聞いていたのだが、たった今この瞬間までリリナは半信半疑だった。
確かにジェイルは強いかもしれないが、それ以上にクリフォードの実力を理解していたから。
ハイエルフの天才魔術師。
百年以上も、エルフ族の頂点に立ち続けた男。
そんな怪物に対して、スケルトンは無造作に近寄っていく。
風魔法で土煙を払い除けた。
すると、腕から血を流すクリフォードが這いつくばっている。
クリフォードは瞠目しながら言う。
「……スケルトン、だと。まさか、ダリウス・マサイアス、か……? だとしたら、どうしてお前が、こんなことを……」
「……いや、ボクも意外だったんだけどね」
ダリウスと呼ばれたスケルトンは肩をすくめると、
「どうやら今のボクは存外――操られやすいみたいだ」
「……っ!?」
クリフォードが飛び退いた瞬間、先ほどまで彼がいた位置を吹きすさぶような風の刃が切り裂いた。
二人の高位魔術師の攻防が始まる。
圧倒的な手数の魔術が乱舞して、余波が地響きを鳴らす。
美しかった湖の畔は一瞬で荒野へと変えられた。
「なんて、戦い……」
リリナは慌てて後方に飛び退いていた。
腕に自信はあるが、あの戦いに介入できるわけがない。
魔術師としての高みに達している二人。
世界最高峰と言っても過言ではない魔術師達の衝突である。
戦場の周りを囲んでいた『魔の森』の硬い巨木が、まるで枯れ木のように削られ、切られ、消し飛ばされていく。
だが、互いの差は歴然だった。
ダリウスは立ち止まったまま動いていないのに対して、クリフォードは休む暇もなく動き続けている。
それは防御術式の性能の違いであり、経験に裏打ちされた戦術の差であり――すなわち魔術師としての腕の差だった。
それに加えて『魔の森』から、エルフ族の戦士が姿を現す。
総勢二十人。
人族との融和を掲げるジェイル派の戦士達だろう。
彼らは遠距離から淡々と弓を引き、そして“魔弾“を放った。
どこか機械的な動きをしていて、様子がおかしい。
だがジェイルと同様に黒い外套を着ているので、姿はよく見えない。
彼らは、明らかに実力が隔絶している二人の戦いに介入するような無理はせず、ダリウスの補助に専念している。
対応に追われるクリフォードの体に傷が増えていった。
クリフォードは老体に鞭を打って疾走しながら、
「――ジェイル! いるなら出て来い!!」
大声で叫びを上げた。
寡黙な性格をしていたが、あのような声も出せるのか。
クリフォードは至るところから血を流しながら、激怒していた。
「……クリフォード様、僕らは今日、貴方を討つ」
リリナの後方からジェイル・マリオットが姿を見せる。
鎮痛な表情の中に、覚悟の光を宿していた。
「貴、様……! 死者を愚弄するような男だったとはな……!!」
ゴバッッッ!! という爆音が大地を揺らした。
クリフォードはダリウスの多彩な攻撃を受けながら、叫ぶ。
「リリナ、君が止めを刺すんだ」
ジェイルが言う。
「あんな戦いに介入なんて……」
「頼む。心苦しいことをさせているのは分かっている。だが、魔術耐性が非常に高いクリフォードに対して、魔術では致命傷を与えにくい。つまり、ダリウスでは時間がかかるんだ」
「あなたの仲間の戦士たちは……?」
「君ほどの力がないんだよ。君はレイピアの達人なんだろう? 君の力は何となく察している。これから、ダリウスが大きな隙を作る。そこにレイピアを叩き込むんだ。……フレイだって、それを望んでいる」
リリナの脳裏に、枯れ果てたフレイの姿が浮かんだ。
それで覚悟は決まった。
リリナはレイピアを鞘から引き抜くと、疾走する。
「大丈夫、君ならできる。あの男を、倒せる」
「……分かりました」
ダリウスが何をやったのか、クリフォードが地面に叩き伏せられた。
追い打ちをかけるように戦士たちの“魔弾“が着弾する。
それでもクリフォードは強引に立ち上がり、次の攻撃に備えようとしていたが――死角から迫っていたリリナに慌てて右手を向けた。
その掌で風の刃が唸りを上げる。
(あ、死んじゃったかな……)
刹那。
肉薄していたのがリリナであることにクリフォードは瞠目した。
リリナは届かないと理解して、なおレイピアを突き出す。
ジェイルの読みが甘すぎることに対して、リリナは怒りを覚えた。
だけど。
自らの願いは叶えられなくとも、せめて母親の願いは叶えてやりたいと思ったから――命を引き換えにしても、命を奪おうとする。
しかし。
リリナの命が途切れる瞬間は、いつまで経ってもやってこなかった。
だから。
クリフォードの腹部を、リリナのレイピアが貫いた。
時が止まる。
リリナの思考に空白が生まれた。
何が起こっているのか、まるで理解できなかった。
脳が理解を拒否していた。
「……今、なんで……なんで私を、殺さなかったんですか?」
「リリナ――」
呆然と質問するリリナに対して、苦渋の表情をするクリフォードは濁流のように血が流れ、震える体を強引に動かした。
リリナを庇うように抱え込みながら、叫ぶ。
「――伏せろ!!」
その言葉の直後の出来事だった。
周囲一帯を焼き尽くすかのようにダリウスが巨大な火球を放つ。
エルフ族の戦士たちが、全力で“魔弾“を射出する。
そう。
それはまるで味方であるはずのリリナごと、始末するかのように。
――どうして、と呟くこともできなかった。
「……大丈夫だ、リリナ。今度こそ私が護ってみせる」
クリフォードが苦しそうに呟きながら、魔術障壁を張った。
持てる力のすべてを注ぎ込むかのような咆哮が上がった。
次の瞬間、天地を揺るがすような轟音が炸裂する。
リリナは現実から逃げるように固く目を閉じる。
恐ろしい振動が響き渡り、リリナは震えて縮こまった。
やがて、攻撃が収まると――
「……馬鹿だなぁ、君は」
――愉悦混じりの、ジェイルの声が聞こえた。