1-24 エルフ族の里
クリフォード・オースティンは、エルフ族の里を見下ろしていた。
『世界樹』に寄り添うように建てられた、円柱状の塔の頂上。
テラスのようになっていて窓から景色を一望できる。
眼下に広がっているのは夜闇に包まれた『魔の森』。そして淡い灯りがいくつも重なり、明るく照らされている里の光景だ。
ここがクリフォードの住処。
地上を見下ろすことができて、かつて里を纏め上げた長に相応しいと思われる塔。だが、悪い言い方をすれば――天の牢獄である。
「…………こんな夜更けに、何用だ?」
クリフォードは姿勢良く豪奢に飾り付けられた椅子に座りながら、突如として後方に現れた少年を誰何した。
魔術を使ったわけではない。
単に透き通るような窓硝子が、何者かの姿を映し出しただけである。
当然、気配そのものには気づいていたが。
「レイ・グリフィス。リリナからの返答を伝えに来た」
「グリフィス……だと。伯爵貴族の子供がわざわざこんなところまで来たというのか。あの森と結界を越えて、誰にも気づかれることなく?」
「いろいろと手を借りて、何とかな」
「……そう、か」
クリフォードは窓の反射越しにアルバートの面影を見ていた。
性格は似ても似つかないが、確かにアルバートの息子なのだろう。
つまるところレイと名乗る少年は、グリフィス伯爵領から『魔の森』を踏破。何らかの手段で“迷いの結界“を越え、ついには里の誰にも気づかれずにこの塔に潜入したわけだ。
その神懸かった手際には戦慄すら覚える。
到底、この年齢の少年に成し遂げられることではない。
「……時刻と場所を変更したい。お前は満月の夜に湖の畔と手紙に書いていたな? その二日前だ。リリナはその日に現れる」
「何故わざわざお前が侵入してきてまで、日時を変えるのだ?」
クリフォードは気難しい顔のまま、尋ねた。
今のクリフォードは非常にデリケートな立場にあり、そう簡単に塔を脱出できるわけではない。
だが、エルフ族の風習で満月の夜は質素ながら祭りが開かれる。
警備が緩くなるそのときであれば、誰にも気づかれずに湖の畔まで迎えるだろうと考えていたのだ。
レイはしばらく壁に背を預けて腕を組み、黙考していた。
そのさまは子供には見えない。
「……言うべきか迷ったけど、仕方ない。いいか、少し信じられないかもしれないけど、今から言うことは真実だ」
レイは嘆息しながら、クリフォードに向かって告げた。
「お前がリリナに送った使者。手紙を渡したエルフだが……あの男は、この機会を利用してお前の暗殺計画を企んでいる」
「何を……!?」
クリフォードは心の底から驚きを覚えた。
脳裏に過ぎるのは、浅黒い肌に長い銀髪の美青年である。
――そんな、まさか。
こんな状況に陥っても協力してくれるのはジェイルだけだった。
クリフォードにとって唯一の腹心だと思っていたのに。
(…………本当に、ツケが回ってきたのかもしれないな)
手紙の日時を言い当てたレイが嘘をついているとは考えづらい。
わざわざ出向いてきたことに納得もできる。
「この情報を利用して、逆にあの男らを潰すこともできるだろう。――だが、ひとつだけ聞かせろ。クリフォード・オースティン」
レイの周囲に漂う空気が一変した。
冷たい氷のように研ぎ澄まされた殺気。
レイはゆっくりと白銀の剣を引き抜き、その鋒をクリフォードに突きつけてきた。その度胸にクリフォードは驚く。
圧倒的不利なのはレイの方だ。
ここはエルフ族の里であり、レイは不当に侵入してきたのだ。
もしクリフォードが少しでも応戦すれば、すぐにエルフの戦士が駆けつけてくるだろう。そうなれば数の差で簡単に潰せる。
だというのに。
何の躊躇いもなく剣を抜き放てるその胆力に、感嘆を覚えた。
「お前が追放したリリナと今更会おうとする、その真意は何だ?」
底冷えするような眼光がクリフォードを捉えていた。
返答によっては殺す覚悟すら決めている。
「……伝えてくれたことに、感謝はしている。だが、なぜ家族の話にまで口を出されなければならない?」
「悪いが、今のリリナは俺のメイドなんだよ」
大切に思っているから、彼女に傷ついてほしくない。
その事実が態度で示されていた。
「…………そう、か。リリナは良い主人を持ったな」
クリフォードは頬杖をつくと、レイには見えないように笑った。
♢
レイは椅子に座るクリフォードの後ろ姿を睨んでいた。
危険を承知で剣を突きつけて威嚇しているが、反応はない。
いったい何を考えているのか見当もつかない。
「……何の為に、リリナと会う約束をしたのかと聞いたな?」
だが。
クリフォードは唐突に椅子から立ち上がると、振り返った。
リリナに似ている銀色の髪を長く伸ばしていて、額には純金のアクセサリー。厳格そうな顔立ちには揺らがない眼光が宿っていた。
ハイエルフは長寿ではあるが、それでも無数の皺が滲んでいる。
もはや数百年は生きているのだろう。
『前世』で遭遇したことはない。
おそらくアキラが生きていた頃は族長だったはずだ。
王国貴族の一人が暴走したあの大事件を知らないはずがない。
人族を恨んでいてもおかしくないだろう。
「……簡単なことだ」
クリフォードは床に杖をつきながら、淡々とした口調で告げた。
「今度こそ確実に、あのハーフエルフの娘を殺す為だ。誇り高きエルフ族の血に、薄汚い人族の血が混ざりあった禁忌。せめて、かつて道を間違えた私自身の手で引導を渡してやらなければならない」
「決まりだな」
饒舌に語るクリフォードの言葉を被せるように、レイは抜き身の刀のような殺気を叩きつけた。
空気が急速に冷えていく。
二人の視線が火花を散らした。
「お前がリリナに会うことはない。今ここで死ぬからだ」
「やってみろ、小僧」
クリフォードは不敵に笑みを浮かべ、悠然と腕を広げる。
強者の余裕か、瞳には喜色が滲んでいた。
(…………予想はしていたが、やはり、こういう男だったか)
レイは落胆が隠せなかった。
クリフォードは、あの事件が起きたときの族長だ。
人族との融和を掲げていて、積極的にエルフ族の里に冒険者や商人を呼び込んで交流を深めていた。
そして『エルフ狂いの惨劇』という裏切りにあった悲劇の男。
あの事件で何百人ものエルフ族が殺された。
元を辿れば人族と融和を掲げたクリフォードのせいだ。
少なくともエルフ族の里民はそう考えた。
クリフォード自身も深い信頼を踏み躙られたのだ。
人族を恨んでいるだろうとは思っていた。
あの事件以後は“迷いの結界“を同族以外に開くことなく閉鎖した点からも想像はできるし、人族の伴侶であるフレイ・メイリーンを殺したという噂にも説明がついてしまう。
(……それでもこんなに落胆するのは、きっと期待していたから)
リリナが信じると言った。信じたい、と目で語っていた。
家族の絆。親子の愛情。
そういう儚くも美しい光景を、できることなら護ってやりたかった。
もしかすると、クリフォードは本当に、リリナに再び会おうとしているのかも――と、微かな希望を抱いていたのだ。
「……ごめんな、リリナ。お前が夢見た結末は、用意できそうにない」
レイは小さく呟くと、右手を掲げて指を鳴らした。
直後、地響きが鳴る。二人が佇む塔に激しい揺れが襲いかかる。
「ほう。貴様……まさか塔に細工を仕掛けていたのか?」
「勝算もなく敵の前に姿を見せるとでも?」
「いいのか、また人族がエルフ族を攻撃した事実を残しても。あのハーフエルフの主人なんだろう? 禍根は増すばかりだぞ」
「俺はあいつを護りたい。後のことは、またそのとき考えるさ」
「主人だからか?」
「いいや――家族だからだ」
クリフォードが僅かに目を細めた。
レイは不敵に笑って睨み返す。ぐらり、と円柱状の塔が揺れた。
途中に時限爆弾の術式をいくつか置いておき、指を鳴らして起爆。
塔を半ばから圧し折ったのだ。
里の家々には被害を与えない方向に倒す程度の配慮はしてある。
激しい揺れ。狂っていく重力感覚。恐怖を煽る浮遊感。
そんな状況を把握していたレイは迷いなくクリフォードに突撃を仕掛けた。空白の一瞬。クリフォードが動揺した隙を突いて、殺す。
逆に、ここまで用意を周到にして仕掛けたこの一瞬で殺せなければ、今のレイでは何をしようとクリフォードには届かない。
「――“閃空“」
レイは覚悟を決めて長剣を構える。切り札の魔術のひとつを解放。白銀に輝く剣にすべて切り裂くような風が纏わりつく。
そのままの勢いでクリフォードの懐まで踏み込んだ。クリフォードはバランスを崩して動揺している。――行ける、と確信を覚えた。
勝負は一瞬の交錯だった。
刹那の間に円柱状の塔はぐらりと地面に倒れ、砕け散る。
里全体を揺らすかのような轟音を鳴らした。




