1-23 オーガ
それは蹂躙と呼ぶのが相応しい光景だった。
レイ、デリック、エレン――そして、ダリウス。
奇怪なスケルトンを先頭に、レイ達は『魔の森』を進んでいく。
「ほい」
ダリウスが軽い口調で呟く。
無詠唱魔術。風の刃を創り上げる簡素な術式。
だというのに。
轟ッッッ!! と、凄まじい音が炸裂した。
瞬く間に大地が抉れる。
そこに現れたはずの魔物は、跡形もなく消滅していた。
(……この分なら心配いらないか。それにしても……)
ダリウスは『魔の森』でも圧倒的に強かった。
勇者アキラを苦戦させるレベルの実力者なのだ。
このぐらいはやってのけて当然ではある。
だが改めて観察するとダリウスの神懸かった魔術の技量が、いったいどれほどの修練の果てにあるものかレイは想像もできなかった。
これが真の意味での強者。
狂ったように魔術を研究し続けて極地を追い求めた。
その異様なまでの執念が寿命という壁を越え、魔物に身を落としながら、それでも魔術を調べ続けているのが眼前の骸骨である。
元ザクバーラ王国の宮廷魔術師筆頭、ダリウス・マサイアス。
「――要は術式を常に、脳内に用意しておくことだよ。この技術は簡単なようで難しい。何せ並列思考しているようなものだからね。だが、このボクには造作もないことだ。だからこそタイムラグなしでぶっ放せる」
「ふむふむ。ちなみにコツとかは――」
先程から森を歩きながら、デリックはダリウスに質問を続けていた。
ダリウスも満更ではなさそうに返答している。
魔術学者の好奇心が、スケルトンへの恐怖を忘れさせているらしい。
ダリウスは世界最巧の魔術師と呼んでも過言ではない。
確かに興味は惹かれるだろうが――もう少し集中して欲しい。
「……この気配は、魔物じゃないね」
そんなとき。
突如としてダリウスが足を止めた。
レイも微かに違和感を覚えていたが、当たっていたらしい。
「……エルフか?」
「そうだね。狩りにでも来たのかな? ボクなら軽く蹴散らせるけど……アキラ、いや、レイの目的は侵入なんだろう?」
「まだ気づかれていないな?」
「ああ。ボクより早く気づけるわけないさ」
「ならいい。ここから先は俺達で行く。ダリウスはここに残ってくれ」
レイは淡々と言った。
ダリウスには魔物特有の瘴気が体から流れ出ているので、魔力を扱える者には気づかれやすくなっている。
いくら優れた魔術師とはいえ魔物の特性はどうしようもない。
だからレイは、ここから先は三人で向かうと決めた。
元々『魔の森』さえ踏破できれば問題はない。
後はエレンの手を借りて“迷いの結界“を突破するのみ。
ダリウスは頭蓋骨を傾げながら、言う。
「……いいのかい。確かにボクは気づかれやすいけど、アナタたちだけだとエルフに見つかったとき、キツいと思うよ」
レイはダリウスの耳元に顔を寄せて、小声で告げる。
「ダリウス。どうせ監視術式ぐらい使えるだろう? “迷いの結界“を越えてすぐのところにエレン達を置いていく。必ず見張ってくれ。もしエルフ族にバレたら、どうにかしてエレン達を逃がすんだ」
「やれやれ。アナタも中々に難しい注文をつける」
「……エレンは精霊術師だ。本当なら村から出すだけで危険が大きい」
「……ほう、それは驚いた。だから結界を越えられると……」
「ああ。それとデリックはああ見えて強い。お前が辿り着くまでの時間稼ぎぐらいこなせるはずだ。その為にわざわざ連れてきた」
「オーライ。まったく、そんなに保険を何十もかけて。精霊術師の子がそこまで大事なのかい、惚れてるのか?」
「バカ言え。ちゃんと護ってやらなきゃ親友に殺されるんだよ」
「だとしたらアナタはボクを信頼しすぎだ。大切な友達を胡散臭いスケルトンなんかに託すものじゃないよ」
ダリウスは型をすくめて言った。
レイは怪訝そうに顔を歪めると、
「何言ってんだ、お前だって俺の友達だろ? 信じない理由がねえよ」
まるで何でもないことのように告げた。
スケルトンの男は驚いたように瞳の奥の光を揺らめかせると、
「……ああ。アナタは変わらない。やはり勇者アキラなんだね」
「何だよ、まだ疑ってたのか?」
「いいや、そういうわけじゃない。ただ嬉しかっただけだよ」
レイは首を傾げるが、ダリウスは笑うだけで何も答えなかった。
何にせよ、今は先に進むしかない。
「……ウンディーネ、わたしたちを導いて」
エレンの先導のもと、レイ達は鬱蒼と茂る森を進んでいった。
♢
「……気づかれずには、進めないか」
もう少しで“迷いの結界“に入る。
そんなとき、進行方向に人型の巨体を発見した。
強靭な筋肉を惜しげなく晒し、纏っているのは腰布一枚。
厳つい顔立ちをしていて、頭には角が生えている。
オーガと呼ばれる強力な魔物だった。
(……俺一人だったら躱せるけど、この二人がいるからな)
レイは思考を巡らすと、戦う覚悟を決めた。
近くにはまだエルフが彷徨いている。
おそらくダリウスの瘴気には気づいているだろう。
ダリウスを置いてきた判断は正解だったということだ。
(……今の俺ならオーガは倒せる)
レイはふっと呼気を吐くと、一気呵成にオーガの懐に踏み込んだ。
だが、レイに気づいたオーガは咄嗟に腕を振り回す。
レイはスライディングのような形で腕を躱しながら、股下を潜り抜けていく。振り向きざまにふくらはぎを斬りつけた。
オーガがバランスを崩すが、戦意は衰えていない。
傷ついた足を思い切り回転させてきた。駒のように風が唸る。
レイは危なげなく後方に跳び下がりつつ、“拳銃“を次々と放つ。
レイのイメージが構築した土の弾丸が、オーガに叩きつけられる。
しかし、オーガの強靭な肉体にダメージはなかった。
(――牽制できれば、十分だ)
その隙にレイはオーガに肉薄している。
オーガが慌てて腕を大振りするが、レイは効率的に躱していく。
そのままの勢いで懐に踏み込み、剣を下段に構えた。
この硬い肉体を斬り裂けるのか。
レイは、白銀の剣を強く握り締め、袈裟斬りに振るう。
目にも止まらぬ速度で斬撃が迸った。
だが。
(……浅いか)
オーガの筋肉に阻まれ、致命傷には至らない。
だがレイはそれを想定していた。
ぐるりと跳躍しつつ回転して、オーガの背中に回り込む。
レイの視界に映ったのは無防備な後頭部だ。
オーガが慌てたように振り返ろうとするが――遅い。
刹那。
魔力を研ぎ澄ました一撃が、容赦なくオーガの首を斬り飛ばした。
レイは危なげなく着地すると、ゆっくりと息を吐く。
思っていたよりも時間がかかる。
やはりオーガ級の魔物となると少し厳しい戦いになるのだ。
ダリウスを連れてきて正解だった。
『魔の森』を正面から突破する能力は確かに必要だが、いま大切なことはリリナの望みを叶えてやることなのだから。
♢
リリナは夜の街道を馬で駆けていた。
先導しているのは、浅黒い肌に長い銀髪、切れ長の瞳をした美青年。
ハイエルフのジェイル・マリオット。
「……いったいどこまで行くの?」
「『魔の森』の近くだと言ったはずだ。そもそも殺す計画を取り止めて普通にクリフォードに会うとしても、どのみち近日中にこのあたりまで来なければならないだろう」
「それは……そう、だけど」
今頃エドワードは心配しているだろう。
レイ、デリック、エレンについては把握している。
だが、リリナに関しては突然消えたようなものだ。
「もう少しで着く。無理やりで悪いけど、我慢してくれ」
(……私は、この人たちをどうしたいんだろう?)
ジェイルの言葉を聞きながら、リリナは疑問を抱いた。
父親を信じる。信じたいと思った。
子供の頃の淡い思い出が微かな希望だった。
だとするなら、父を殺そうとするジェイルは敵だ。
それなのにリリナに敵愾心はあまりない。
つまるところ、リリナはどちらも信じ切れていないのだ。
だから状況に流されてしまう。
「信じろ」
ジェイルは馬を走らせながら、真摯な口調で告げた。
「――俺たちは、お前を失いたくないんだ」
いったい何が正しいのだろう、と。
リリナは哀しげに、満ちかけた月を仰いでいた。