1-21 協力
レイとリリナは村に帰還した。
調達した物資を引き渡し、いつも通りの日常に戻る。
クリフォードがリリナに提示した刻限まで、後一週間だった。
時刻は、次の満月の夜。
場所はエルフ族の里の外縁部。
リリナが好きだった、人気のない湖の畔である。
ただし、問題がひとつだけ存在した。
その場所が、“迷いの結界“の内部にあることだ。
「つまり、リリナはそこに入れないのか……?」
「はい。私にはエルフの血が半分しか流れていません。『魔の森』に住む微精霊が私を余所者と判断するのか、導いてくれないんです」
当然、クリフォードはそれを知っていたのだろう。
だからリローテルで、黒い外套を着たエルフと接触させた。
あのエルフの案内で、“迷いの結界“を越えさせるつもりだった。
だが、クリフォードの腹心と思われた黒い外套のエルフは、実際には別の思惑を持っていた。
これを機に、クリフォードを暗殺する腹積もりだったのだ。
クリフォードの娘の手を借りて、油断させる形で。
「……ややこしい状況になってるな。クリフォードに会うためには黒いヤツの手を借りるしかないが、それは暗殺に手を貸すことになる」
「何とか、期日の前にお父様に接触できればいいんですけど……その場合は、“迷いの結界“を越えられたとしても、里の内部に入ることになる」
リリナはそう言って俯く。
エルフ族の里にとって、ハーフエルフは排斥の対象だ。
もし見つかってしまえば、どうなるのか分からない。
それにクリフォードは元里長だ。おそらく警備は甘くないだろう。
(……いや、俺の異世界式魔術を活用すれば、潜入ぐらいなら……)
レイは思考を巡らせていた。
どうにかして、リリナとクリフォードが会話する機会を与えたい。
たとえ信頼を裏切られるとしても、リリナは覚悟を決めたのだから。
(……あまり巻き込みたくはないが、やってみる価値はある)
レイは立ち上がった。
体育座りをしていたリリナは、不思議そうにレイを見上げる。
「どうかしましたか……?」
「ついてこい。用事ができた」
レイはそう言って自室の扉を開ける。
目的地は――水の精霊術師、エレンの家だった。
♢
淡い水色の髪をショートカットにした背の低い少女――エレンは、村の南に広がる草原をのんびりと散策していた。
レイとリリナが後方から近づいていたことに気づいていたのか、
「……どうしたの?」
エレンは振り向きもせずに声をかけてきた。
水精霊ウンディーネが、何処からかレイを見ているのだろう。
精霊は純真な子供とエルフしか見ることが叶わないとされている。
『前世』を宿しているレイが見えないのは必然だった。
そして、精霊が見えるどころか契約を交わしているのが精霊術師だ。
明らかに常識を越えている。
その希少性が理解できるというものだ。
「お前に頼みがある」
「……?」
エレンは不思議そうに振り向いて小首を傾げる。
子供らしい仕草だが、昔よりも可憐さが増していた。
「エルフ族の里を囲む“迷いの結界“を突破したい。お前の水精霊だったら、俺たちを内部に導けるはずだ」
精霊術師のエレンなら“迷いの結界“を越えられる。
エルフ族の里にさえ侵入できれば、レイは異世界式魔術を応用することにより、クリフォードに接触する自信があった。
そして黒い外套を着たエルフの暗殺計画について伝え、リリナとの接触時刻を変更する。
だが、それには幾つかの問題がある。
レイが侵入する間、取り残されるエレンが危険であること。
『魔の森』の屈強な魔物を打倒して進み続ける自信がないこと。
レイはそんな不安も含めて、事情をつらつらとエレンに語った。
リリナの個人的事情に踏み込むことだが、道中で許可は貰っている。
「……そう。ウンディーネ、できる?」
エレンは無機質な表情のまま、傍らの空を見上げると、
「……できるって」
「よし、後は『魔の森』が突破できればいい」
「……流石に危険だと思います。レイ様とエレンちゃんは確かに強いけれど、そのぐらいで『魔の森』は踏み込める場所じゃない」
「戦力の問題なら分かってるよ。俺は馬鹿じゃないからな」
レイは淡々とした口調で言う。
「自分の実力ぐらい理解しているし、何よりエレンを危険に晒すわけにはいかない。俺だってアルスにぶっ飛ばされるのはゴメンだ」
「……えへへ」
「いちいち照れるな、鬱陶しい」
「……辛辣。レイだって、リリナさんとイチャイチャしてるのに」
「し、してない、ですよ……?」
髪を指で弄りながら、子供っぽく目線を逸らすリリナ。
何で疑問形なんだよ、と突っ込みかけたレイだったが、リローテルの裏通りで抱き合った光景が脳裏に回帰して、言葉が詰まる。
「……うわぁ。こんな甘ったるい空間にいさせないで」
心底嫌そうに毒づいたエレンに、レイとリリナは口々に言った。
「お前にだけは言われたくない」
「エレンちゃん、どの口がそれを言うんですかね……?」
突如として暗い空気を纏った二人に、エレンは慌てて謝罪する。
どうやら自覚がないようだった。
ともあれ。
エレンも協力してくれることになった。
残る問題は、『魔の森』を突破する戦力である。
(……『魔の森』の近くにはアイツが住んでるはずだ。とはいえ、この姿じゃ俺だと信じられないかもしれないから、賭けなんだけどな……)
レイは村へ戻りながら、思考を巡らせていた。
「戦力のアテはあるが……一応、デリック兄さんも連れて行くか」
「魔術だけなら上手いですからね」
「それに、エドワード兄さんと違って暇だろうしな」
「……二人とも、なんか、当たりキツいよ……?」
それはデリックが夜な夜な専属のメイドと、あんなことやこんなことを毎日のようにして、屋敷中に嬌声が響かせているせいである。
要するに信頼度の低下は自業自得だった。
「それと、リリナは村でお留守番だ」
「え、これは私の問題なのに、私が行かないなんてこと……」
「黒いヤツに怪しまれそうだ。ヤツは俺が何をしようと気に留めないだろうが――リリナは違う。お前は暗殺計画の要だ。その動向には注目されているはずだ」
「……でも、それらしい気配は感じませんけど」
「ヤツは俺より強く、隠れるのも上手い。分からなくても勘が告げてるんだよ。ヤツは俺たちを定期的に見張っている――ような気がする」
「……結局。あいまいな答え」
ジト目を向けるエレンに、レイは肩をすくめた。
「世の中に、絶対はないんだよ」
♢
「は? なんで俺? 出発は明日? え、なんで?」
「グダグダ言ってる暇で準備しといてね」
「いや、ちょっと、そんな面倒くせぇこと絶対やらね――」
「――デリック兄さんが魔術研究とかぬかしながら、専属メイドさんと夜な夜な編み出した『妙な』術式のこと、エドワード兄さんにバラしてもいいんだけど――」
「――よし分かった。兄さんがお前を守ってやるからな!」
「……まったくもう。このエロガッパ」
「いや、あの、リリナさん……? あの、俺、一応、貴族」
「カタコト言ってる暇で準備しろよ」
「了解!!」
シュタッッ!! と敬礼して部屋に消えていくデリック。
何故こんな男になってしまったのか。
幼い頃は明るく聡明で、優秀な子だったような気がするのに。
「あいつは本当に魔術学者を名乗ってもいいのか?」
「王都の魔導学園で発表した論文が凄かったみたいで、今も期待の星らしいです……デリック様は昔から、頭だけは良かったですからね」
その代わり家庭内の評判は地に落ちているようだが。
レイは苦笑を浮かべた。
「あれでデリック兄さんは強い。保険としては十分だろう」
「……しかし冷静に考えると、伯爵貴族の子息を保険として活用するって、随分ぶっ飛んだやり方ですね」
リリナと会話を交わしながら、レイは思考を回転させていく。
自室に入り、ベッドに飛び乗った。
腕を組みながら枕に頭を乗せ、ひたすらに黙考する。
(……手は整った、後は時間の問題。……目的地まで急いで二日、か)
そして。
リリナには話していないことが、ひとつだけあった。
(……クリフォードは、『前世』でアキラと交渉した――あのときの銀髪のエルフなのか?)
レイはそれを疑っていた。
仮にクリフォードが事件の黒幕だとしたら、レイは、奴がリリナと接触する前に殺してしまうかもしれない。
その場合、いくらリリナが覚悟を決めたとはいえ、彼女の繊細な心に深い傷を負わせることになってしまうから。
(……まずは行ってみなけりゃ、何も分からないが)
――嫌な予感がすると、レイは思っていた。