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転生勇者の成り上がり  作者: 雨宮和希
Episode1:旅立ちの日まで
21/121

1-20 リリナ

 ザクバーラ王国の西部には、世界で最も広大な面積を占め、大陸を縦断する森林があった。

 いつしか人々は、その地を『魔の森』と呼称するようになっていた。

 強大な魔物が多く棲み着いていて、通常とは比べ物にならないほど巨大な樹木が幾つも屹立している。

 巨木と比べると人が蟻のようにも思える。その体格差から伐採することもできない。


 その地に足を踏み入れたことのある冒険者は、『緑色の空』にうんざりして帰ってくると云われていた。


 何度か開拓が試みられ、その度に匙を投げられた難所である。


「……もう十数年前ですね。当時はエルフと人族の仲は悪くなかった」


 その森の中央。

 巨木が立ち並ぶ森でなお圧倒的な存在感を示すのは、雲を貫き天へと登る『世界樹』である。

 その付近にはエルフ族の里が存在していた。

 エルフ族の里には“迷いの結界“という固有魔術が展開され、魔物や冒険者が無断で入り込めない場所となっている。

 森に住む微精霊の導きが見えるエルフ族がいないと、元の場所に送り返されてしまう――そんな術式が、エルフ族の里を護っていた。


 当時、人族とそれなりに友好的な関係を築いていたエルフ族は、『世界樹』の中に広がる迷宮を冒険者に攻略させるなど、里の内部に人族を呼び込むことにも積極的だった。

 エルフ族の里は、迷宮都市の一角と呼ばれたことすらあった。


「……私の父と母が婚約したのは、そんなときでした」


 オースティン家はエルフの中でも高位の家系で、通常のエルフより優秀な能力を宿している――ハイエルフを輩出すること多かった。

 当時のオースティン家の当主――クリフォード・オースティンは、ハイエルフの天才魔術師で、エルフ族の里長を務めていた。


 クリフォードは人族との友好の証として、ザクバーラ王国の貴族であるフレイ・メイヤールとの婚約を発表。それは建前で、実際にはフレイの美貌にクリフォードが惚れたのだろうと云われていた。

 とはいえ、誰もがその婚約を祝福した。

 種族の壁を越えてエルフ族と人族の間に子供が生まれる。笑顔が生まれ、幸せな未来が形作られる。困難は多くとも、その先に悲劇はない。

 誰もがそう信じていた。


「直ぐに父と母は正式に結婚。暫くして私が生まれました」


 エルフ族の里長とザクバーラ王国の貴族の間に生まれた子供。

 少女はリリナと名付けられた。

 皆に祝福された友好の証――ハーフエルフ。


「小さい頃の話なので詳しくは覚えていませんが……幸せだったことだけは覚えています。…………今でも朧げに、思い浮かぶんです。笑顔を浮かべるお母様と、生真面目ながら微笑するお父様が」


 そんな日々が永遠に続くと思っていた。

 ――あの事件が、起こるまでは。






 ♢






 王国歴四九五年六月三〇日。

 後に『エルフ狂いの惨劇』と呼ばれる最悪の悲劇が巻き起こった。


 狂気に染まった王国の貴族が手勢を使って里に潜り込み、襲撃。“迷いの結界“が破壊され、数多の魔物に里が蹂躙された。

 五〇〇人を越えるエルフの死亡が確認。里は壊滅的な打撃を受けた。


 同時に。

 エルフ族と人族との間に、二度と修復できない深い亀裂が刻まれた。






 ♢






 地獄。或いは、それ以上の惨劇が広がっていた。

 死体。死体。死体。死体。何もかもが紅に染まった亡骸。かつて人だったはずの何か。残骸。絶望に顔を歪めている生首。人の尊厳というものに唾を吐きかけているような光景。

 たった一日前まで深い緑の匂いが広がる暖かい場所だったはずのそこには、鼻が曲がるような腐臭と鉄臭い血の匂いが充満していた。


「……こ、れは」

  

 アキラは呆然とした表情で呟いた。何もかもが遅かった。報告を聞いて駆けつけたときには、夥しい数の死体で埋め尽くされていた。

 

「……勇者だ」

  

 誰かがポツリと呟いた。木の枝に座り込んでいたり、血みどろに染まった木の幹にもたれかかっていたり、死体に混じって倒れていたり――そんな死にかけのエルフ達が、一斉にアキラに目を向ける。

 その目に写っていたのは静かな憎悪。そして闇よりも深い絶望だった。


「お前まで、俺たちを裏切るのか……?」


 絞り出すかのような声音だった。アキラは足を止めた。片腕を失っているエルフの青年に目を向ける。そこに崩れ落ちていたのは、何度か話したことがある男だった。――助けに来た、など口に出せるような状況ではなかった。アキラは崩れ落ちている彼に近寄ろうとすると、


「来るな」


 冷たい拒絶にあった。水を打ったように静寂が広がる。


「ここから去れ。今すぐに」

「……待ってくれ。今、治癒術師の部隊を呼んでる。お前だって、まだ助かるかも――」

「――頼む。これ以上お前と話していると、俺は、お前を殺したくなる……!! あの連中と同類に見える! そうなるのは、嫌なんだよ……」


 エルフの青年は頭を抱えた。その近くにいた誰かが、アキラに向かって思いの丈をぶつけるように叫んだ。それは慟哭だった。


「今更何しに来たんだよ。何が勇者だ。お前は何も!! 何も護れてねえじゃねえか!? ――ああ!? それともエルフは別かよ!? テメェにとって、エルフは人間じゃねえのかよ、おい!!」

「消えろ人族。消えないのなら俺たちが殺してやる。たとえ死んでも貴様らの仕打ちを忘れはしない。心しろ。貴様ら人族は我々の信頼をドブに捨てた!!」

「二度と、信じない……!」

「同胞を返せ……何でこんな、ただ人死を生むだけの惨劇を……」


 罵声が飛び交う。憎悪だけが渦を巻いていた。それも当然だと思う。人族は文字通り、エルフ族の信頼を切り捨てた。

 具体的には、単純なことだ。

 この状況を作り上げた勢力は、冒険者として迷宮に挑むという口実でエルフ族の里に潜り込み、里を支えている“迷いの結界“――それを維持している魔術師を皆殺しにしたのだから。

 そんなことをすれば、どうなるかは分かりきっていた。

 ただでさえ強力な『魔の森』の魔物が、堰を切ったように里を襲撃した。尋常ではない数の魔物の襲撃。その結果がこれだ。

 それが王国から見れば悪意のある一部の勢力の仕業だとしても、エルフ族から見れば何ら変わらない。そういう壁があった。今まさに、その壁を乗り越えようとしていた時期だったというのに。

 アキラは無言で拳を握り締めた。悔しさが胸中を満たしていた。


「許してくれとは言わない!!」


 アキラの大声に、皆の罵声が止まった。

 でも、と――アキラは言葉を重ねた。膝をついて、頭を伏せた。


「それ、でも。治癒術師の部隊だけは、受け入れてくれ……! このまま放置すれば、死んでしまう者がたくさんいる!! エルフ族に、魔力がまだ残っている治癒術師はいないんだろう!?」

「だが、お前らが、殺したんだ……!!」

「いまさら人族の施しなんて受けない! 消えろ!」

「――頼む」


 真摯な声音で訴えながら、アキラは土下座をやめなかった。

 罵声と共に飛んでくる石やゴミに耐えながら、告げる、


「俺は、これ以上、誰にも死んでほしくないんだ」


 その表情にエルフ達が息を呑む。

 何故そこまで、と、誰かが呟いた。


「お前らは、同胞がただ死んでいくのをただ見ているつもりか?」

  

 勇者は頭を下げ続ける。


「俺は、お前らを助けることはできなかったけれど……それでも、まだ救える者を置き去りにするわけにはいかない……!!」


 呆然としているエルフたちの中で、一人立ち上がった者がいた。


「分かったよ、勇者アキラ。その施しを受けてやろうじゃないか。僕たちだって、仲間を死なせたいわけじゃないんだ」

「ありが――」

 

 アキラは感謝を告げようと顔を上げたところで、その銀髪のエルフと視線か交錯した。愉悦に歪む不気味な表情。この状況を楽しんでいるかのような瞳。アキラは確信を抱いた。

 この悲劇を作り上げた下手人はこいつだ、と。


「どうした、そんな顔をして。僕たちは、人族にこんな仕打ちを受けた後で、お前を信じてやろうと言ってるんだぞ……?」

「………あぁ」


 アキラは何も言えなかった。何かを言えるような立場になかった。このエルフはそれを知っていて、アキラを見下すように嗤ったのだ。

 ――気づいたところで、何もできないだろう? と。

 アキラは動けなかった。固く、拳を握り締めて。ただ一人でも多く助ける為に、そこで耐え続けていた。







 ♢


 



 

 その後。

 勇者アキラは、勝手にエルフ族の里へ戦力を送り込んだ貴族アルファス・マクレーンを捕まえ、投獄した。

 だが。

 おそらく『迷いの結界』の破壊に手を貸したであろう銀髪のエルフとの繋がりは、ついぞ吐かなかった。

 そして当然、人族とエルフ族との仲が修復することはなかった。


「……私の存在は、里では持て余すようになりました」


 リリナは皆から祝福される友誼の証から一転、忌み嫌われる侮蔑の対象となった。その頃、子供だったリリナは突如として態度を変えた大人たちに、恐怖と不安を抱いていた。


「人族と結婚した父クリフォードは、里で微妙な立場となり、このまま失脚すると思われたところで、私を追放して、お母様を殺した。少なくとも、そういうことになっています」


 己の家族を血祭りに上げることで人族との敵対を告げたクリフォードは、里民の復讐心に訴えかけて揺らぎかけた実権を取り戻し、これまでよりと誇り高く、強く孤高な里の構築に力を注いだ。

 もう二度と悲劇を繰り返さない為に。


「私はお母様の死体を見て、頭が真っ白になって、それからどうしたのか覚えてません。『魔の森』から放り出されて、気づいたら私はアルバート様に助けられていました」


 そして、リリナはアルバートに仕えるようになった。

 この村にハーフエルフを蔑視する者などいなかった。

 幸せだと思える日々を送り、リリナの心は少しずつ解されていく。

 数年が経過すると、アルバート家がもう一つの家族なのだと、リリナはそういう風に思えるようになった。

 そしてレイが生まれた。


「私はレイ様の専属になりました。一生懸命、お世話をするうちに姉みたいな愛情を抱きました。ずっと、このままでいいって……そう、思いました。お父様とお母様のことは、忘れることができそうだった」

 

 そう。

 今更になって、父から手紙が届くまでは。







 ♢







 レイとリリナは馬車を牽いていた。

 街で買い出した物品をすべて乗せ、ゆっくりと馬を歩かせている。


「……会いたい、会って話がしたい、と。そう書いてありました」


 リリナは空を見上げていた。

 レイはそんなリリナを眺めていた。


「……でも、信じたいけど、信じ切れないんです。本当にお父様は、権力を守るためにお母様を殺したのかもしれないって、そう思ってしまう」

「……なるほど、な」


 レイはことのあらましをおおよそ聞き終えると、頷いた。


「そこで接触してきたのが、あの黒いヤツか」

「はい。彼は人族との融和を推し進めようとしていて、その為にお父様を殺そうとしています。……彼の話だと、かつて私は彼らの手によって逃されたんですが、あのときの父は私を母もろとも殺そうとしていたみたいです。…………父からの手紙は、今度こそ私を始末しようとしているのかもしれないと言っていました。そんな男を生かしてはおけない、と」

「……リリナは、どうしたいんだ?」

「レイ様が一緒にいてくれたら、私はきっと大丈夫です」


 リリナは儚げな微笑を浮かべた。

 その瞳には信頼が宿っていた。


「レイ様が近くにいてくれたら、私は父に裏切られても……きっと耐えられる。信じて、手紙に書かれた場所に向かってみようと思います」

  

 リリナはそこまで言い切ると、少しだけ不安げにレイを上目遣いで眺めた。その頬は恥ずかしそうに紅潮している。


「ついてきて、くれますか……?」

「あぁ」


 レイは苦笑した。

 縮こまっているリリナを思い切り抱き寄せる。

 ひゃぁ、と可愛らしい悲鳴が聞えた。


「安心しろ。信じて進め。お前がどういう選択をしようと、俺がその道を切り拓いてやる」

「……カッコいいことばっかり言って。調子に乗ってるんですか?」


 照れ隠しのように視線を逸らしながら、リリナは口を尖らせる。

 レイは軽く笑った。


「ひでぇ言い草だ。やるべきことを言葉にしているだけなのに」

「……私、メイドなのに。レイ様を支えないきゃいけないのに、このままじゃ、寄りかかってしまってます」

「いいんだよ。勇者ってのはいろいろなものを背負うから。そうやって生きていくものだから。俺は、今は勇者じゃないけれど、気持ちだけは、意志だけは、信念だけは、勇者として在りたい」


 黄昏の空がレイとリリナの影を伸ばす。

 山々の間に沈む太陽は淡く綺麗な光を瞬かせ、美しく空を彩る。

 前に続く道の先には、村があった。

 レイはリリナを護る覚悟を決め、馬の手綱を引いた。


 


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