1-15 親友の旅立ち
グリフォンを討伐した翌日。
真夜中までアルスと話し込み、屋敷で軽く眠ったレイは、眠たげな瞳をこすりながら村の広場に赴いていた。
「……アルス。本当に行くのか?」
「あぁ」
がやがやとした喧騒の中央にいたのは、大荷物の中身を確認するアルスとマルク、治癒術師の少女にランドルフ、そしてエドワードだ。
それにしても随分と急な話ではあるのだが、仕方のないことだ。
アルスはランドルフに弟子入りすることになったのだから。
グリフォン戦の後、アルスは頭を下げて頼み込んだのだ。
(……もっと、もっと強くなりたい――か)
今でも必死さの滲むアルスの声が脳裏を過ぎる。
アルスはレイのように頭が良くない。
強くなろうとしても、我流で剣を振り続けることしかできない。
レイの剣術は『女神の加護』を基盤にした女神式剣術。
つまり『女神の加護』が師範のようなモノで、見たことのある高みを追い求めて鍛錬することができる――が、アルスは違う。
がむしゃらな模擬戦と訓練では、限界を感じていたようだ。
だから、師範を求めた。
身に宿す圧倒的な才能を正しく伸ばしてくれる強者を欲していた。
(…………不安だったのは俺だけじゃない、か。そりゃそうだよな)
魔物討伐依頼を終えたランドルフが村を離れる以上、弟子となるアルスもついていく形になる。
父のマルクはアルスが頼み込むと、即決で頷いた。
――デカい男になって、たまには帰ってこい。母さんも喜ぶ、と。
慈しむようにアルスを眺め、そんな言葉を告げた。
アルスの母は、アルスが生まれてすぐに亡くなっている。
顔も良く知らないというのに、アルスはよく墓に出向いていた。
「今までお世話になりました」
アルスは村人たちに向けて、頭を下げる。
広場で懸命に鍛錬を重ねるレイやアルスを見ていた村人たちは、それぞれ思い思いの言葉を投げかけた。
――頑張れよ。お前は強くなると思ってたんだ。あの“炎熱剣“の弟子なんて凄えじゃねえか。お前が有名な冒険者になったら、昔遊んでやったことを自慢話にするわ! ……寂しくなるな。たまには帰ってこいよ。おいおいアルス、エレンちゃん置いていっていいのかよ――
「……あ」
やがて、村人たちの注目がレイやエレンに集まる。
エレンは静かに涙を流していた。
「……どうしても、行くの?」
エレンが震えた声音で、問いを投げかける。
――もっと三人で一緒にいたい、と。
昨日、何度も語り合ったことだ。
そして、何度もアルスが否定したことだ。
アルスは一度目を瞑ると、迷いなき意志で断言した。
「あぁ。このままここにいても、オレは先に進めねぇ」
「……わたしも連れて行って」
「駄目だ」
「どうして?」
「理由は言えない。でも、まだお前はこの村にいなくちゃならない」
「意味わかんない、わかんないよ!!」
エレンは首を振って叫ぶ。
アルスの後方では、ランドルフが馬に乗って待機している。
確かに精霊術師であるエレンを、この村から出すのは危険だ。
だがアルスの言い方を考えると、それだけではないらしい。
(……村人の誰かに、エレンを呼び止める理由でもあるのか?)
レイは首を振って思考を止めた。
いま考えることではない。
「ごめん。それでもオレは強い冒険者になる為に、ランドルフさんについていくことにしたんだ」
「……なんでそんなに強くなる必要があるの? アルスはもう十分強い」
「まだ足りない」
「そんなことない! アルスはレイみたいに、頑張らなきゃ辿り着けない目標があるわけでもないじゃない!」
「オレ、できたんだ。目標」
「…………え?」
エレンの淡い水色の髪が、揺れる。
アルスは何度か口を開こうとして止める。それでも息を吐き、覚悟を決めたかのように告げた。
「オレはお前につり合う男になりたい。どんなときでもお前を護れるような男になって……ここに帰ってきたいんだ」
かぁぁ、と頬を紅潮させながら、動揺したようにエレンは言う。
「あ……え……わ、わたしは……そんなこと、気にしないのに」
「オレが気にするんだよ、水の精霊術師さん」
アルスは苦笑する。
実際のところ、エレンが世界にたった数人しかいない精霊術師であることが明るみに出れば、それこそ村にはいられなくなるだろう。
アルバートの計らいで、王国に報告されていないだけだ。
だが、この村から出てしまえばアルバートの庇護はなくなる。
エレンの存在は簡単に世に明かされる。
彼女は稀少な精霊術師だ。
きっと、いろいろな危険に巻き込まれてしまう。
さまざまな強者が、エレンを攫いに来るかもしれない。
「――そうなったとき、オレにはまだお前を護れる自信がない」
レイの思考と同様のことを、アルスがつらつらと語る。
エレンは驚いたように目を瞠っていた。
今アルスが言っていることを信じられない、と表情に現れていた。
「だから、待っててくれ」
アルスは少しだけ照れ臭そうに告げる。
エレンは服の袖で瞼を抑えた。
「そんなに泣くなって。すぐに強くなって、自信満々の顔でお前を迎えに来るから。そう決めたんだ」
「……うん…………分かった」
エレンは耐え切れなくなったように、アルスの胸へと飛び込んだ。
村人たちに冷やかす様子はない。
それどころか、エレンに触発されて泣いている者すらいた。
――まるで、英雄譚の始まりを見ているような気分だった。
「そしたら二人で何処かに行ってみよう。この村も暖かくて好きだけど、エレンだって外の世界も、見て回りたいだろ?」
「……うん。でも、まだ」
「ん?」
「まだ、一番大事な言葉、聞けてない」
アルスの胸に顔を押し付けながら、エレンはぎゅっと抱きついた。
止まらない涙をアルスの胸で拭き取り、アルスは苦笑していた。
「好きだ、エレン。愛してる」
「…………わたしも」
そして二人は唇を交わすと、どちらからともなく静かに離れた。
「……待ってるから」
エレンは花のような笑顔を浮かべて告げる。
そうして、少しだけアルスから距離を取った。
「……レイ」
自然と、皆の視線がレイの方を向く。
エレンとの別れは済ませた。
なら、次はもう一人の親友であるレイ――誰もがそう思ったのだろう。
「はぁぁぁぁぁー」
緊張する空気の中、レイは疲れたように嘆息した。
感動的な別れがぶち壊しである。
先ほどまで打って変わって微妙な空気が漂う。
「いや、おい」
「俺たちの気持ちを考えろ、アルス。なぜお前らのイチャイチャをこんな長々と見せつけられなきゃいかんのだ」
「そ、そりゃ、ちょっと申し訳ないっつーか恥ずかしいけど……」
「照れんなよ気持ち悪い」
「ひどくねえ!?」
「大げさなんだよ、お前らは。今生の別れでもあるまい」
レイはそう言って再度ため息を吐く。
アルスはポリポリと頭を掻いた。
今更ながらエレンは恥ずかしさに悶えている。
「……俺もそう遠くないうちにこの村を出る。だからお前と次に会うのは、たぶん三年後だな」
誰もが憧れる冒険者試験を受けられるのは十五歳になってから。
それを知っているアルスは、端的に頷いた。
「あぁ。お前より遥かに強くなっててやるから安心しろ」
「は、無理だろ。そもそも現時点で俺の方が強い」
「それを越えてやるって言ってんだ。舐めんなよ、レイ」
レイとアルスは不敵な笑みを交わし合う。
親友と切ない別れなんて、レイの柄ではない。
これぐらいの方が丁度いいのだ。
「お前はオレの憧れだった。だからもう憧れるのはやめる。何せ、お前を越えていかなきゃならねえからな」
アルスは拳を掲げてきた。
応じるように、レイは拳を打ち付ける。
(いつの間にか……デカい男になりやがって)
『前世』の記憶があるレイからすると、アルスはまだ子供にしか思えなかった。こんな立派なことを言えるような男になるのは、まだ先のことだと考えていた。――だが、成長は早いものだ。
昔はアルスにいろいろなこと教え、導いていたレイ。
今では対等の立場で、拳を合わせている。
「また今度な」
「ああ」
さよならとは言わない。
また会うことを知っているから。
そして。
ランドルフと治癒術師の少女は馬に乗り、アルスはその速度についていくように疾走する。
彼らが小さな粒のようになり、木々の向こうに消えていくまで、レイたちはずっとその後ろ姿を眺めていた。