1-14 グリフォン
大きく翼を広げたグリフォンは、巨体を存分に見せつけてくる。
レイはその威圧に尻込みしながらも、何とか魔術を構築した。
イメージは拳銃。
自らの手を銃に見立てると、人差し指から土の弾丸を射出する。
タァン!! と、乾いた音が鳴り響く。
グリフォンが巨大な炸裂音に動揺した。動きを止める。
その肉体に、目にも止まらぬ速度で突き進んだ土弾が突き刺さる。
(貫通は無理か……!)
レイの異世界式魔術が生み出したこの術式は、確かにイメージ通り凄まじい速度の弾丸を放てるのだが、魔物の硬い体や魔力で強化された人間に対して有効的なダメージにはなりにくかった。
その上、弾速と質量に比例して消費魔力量が半端ではなく多い。
ただ、避けにくいのは事実。
そして、いくらグリフォンの身体が硬いとはいえ、反応すらままならない速度で弾丸を叩きつけられれば、痛みはあるに決まっている。
総合的に見て、ひどく牽制に向いた術式だった。
レイが連続して術式の引き金を引くと、グリフォンが嫌がるように翼を振りながら後退する――が、すでにアルスが接近していた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」
雄叫びと共に剣を振り抜く。高速の剣閃。
だが。
グリフォンは強引に巨体を回転させてアルスの剣を躱すと、思い切り翼を振るって宙に浮き上がった。
「……逃がすか!!」
アルスが後を追うように跳躍する。
宙では単調な動きしかできず、グリフォンとは自由度が違い過ぎる。
そもそも魔物は好戦的で基本、戦いからは逃げない。
総合的に考えてそれは悪手だ――とレイは思ったが、アルスが本能に身を任せるのはいつものことであり、いま考えるべきはそのフォローだ。
「こっちを向け」
――“音爆発“。
レイは振動を増幅させる術式で、己の言葉の音量を引き上げた。
ゴバッッッ!! と、言葉の内容すら把握できないほどの爆音にグリフォンが驚いて嘶きを上げる。
アルスが慌てたように耳を抑えた。
あくまで注意を引く程度の音量に調節してある。
レイの魔力量だとこれが限界でもあった。
ともあれ、レイは続けて“閃光“を作り出す。
カッッッ!! と、レイ自身が強烈な光を放った。
グリフォンが目を潰されて態勢を崩す。
そして、アルスはレイに背中を向けていたので影響はない。
「もらった!!」
アルスは剣を叩きつけた。
紅蓮の血しぶきを巻き上げ、片翼が斬り落とされる。
だがアルスは舌打ちしていた。
本来なら胴体を真っ二つにする予定だったのだろう。
グリフォンが必死の旋回をして、何とか目標を外したのだ。
とはいえグリフォンのダメージは甚大。怪物は慌てたように片翼を羽撃かせるが、宙でバランスを取れなくなって地面に墜落した。
(…………いける!)
レイは疾走する。
空気を切り裂くような勢いでグリフォンに肉薄した。
それでもグリフォンの戦意は衰えない。殺意が篭った瞳でレイを威嚇する。だから何だ――と、レイは自らを鼓舞した。
(……よく見ろ。動きを――予想しろ!!)
グリフォンは嘶きを上げると、高速で爪を振り回してきた。レイは体を投げるようにそれを躱す。回避する。転がって立ち上がる。
レイにはアルスのような超人的な反応はできない。
ならば情報を集め、思考しろ。予測しろ。想定しろ――それだけが、大した才能のないレイが強くなる術。それは険しい道だろう。
届かないかもしれない。強くなんて、なれないかもしれない。
個々の才能には限界があり、レイがどれほどの努力を積み重ねても越えられない壁があるかもしれない。
そんな思考から逃げるように、剣を振り続けた。魔術を撃ち続けた。戦術を練り続けてきた。それでも微々たる進歩しかない。
――俺は本当に強くなっているのか? と。
荊のような不安に、心が締め付けられるようだった。
大した才能がないと認めることを怖がった。
それでも。
――だからこそ。
劣等感に苛まれている場合では、ない。
(……そうだ。結局、やることは変わらないじゃないか)
強くなったような気がしなくとも、レイはこの七年間、血の滲むような努力を繰り返してきた。苦しかった。何度も諦めようと思った。
その度に、前世の死に様が脳裏に過ぎるのだ。
アリアの涙とローグの嗤いが、折れかけた心に力を与える。
もう、あんな思いは、二度としたくなかったから。
誰だって、何だって救えるような強さが欲しかったから。
だから。
――レイは誓うのだ。
本当の英雄、絶対的な最強に成り上がるのだと。
その為ならレイは、どんな努力も惜しまない。
(……倒す!! 俺の努力は、この七年間は決して無駄なんかじゃなかったと!! 今、ここで証明してみせる!!)
レイは硬く、固く剣を握り締めた。もう迷いはなかった。
グリフォンの懐へ躊躇いなく踏み込んでいく。
碧い瞳に覚悟の炎が燃え上がる。
ようやく地面に降りたアルスが、会心の笑みを浮かべた。
「やっちまえ、レイ!! ――お前の実力を見せつけてやれ!!」
そして。
ランドルフが柔らかく目を細めた。
「そうだ。アルスとは違い、血の滲むような鍛錬が透けて見える研鑽された強さを持つお前に、唯一足りなかったもの――」
レイは躱す。躱す。まるでグリフォンの動きをすべて把握しているかのように、ゆらゆらと体を動かす。回避動作が効率化されていく。グリフォンのデータを取る度に、動きから無駄が削ぎ落とされていく。
無駄のないレイに余裕が生まれる。だから隙を突ける。斬撃の回数が増える。
急速に追い詰められていくグリフォンは狂乱したように雄叫びを上げると、爪を大振りにしてきた。
だがレイはすでに屈み込み、その軌道から回避していた。
カウンターを狙って剣を握る手を引き絞る。
「――自分は、それだけの努力を重ねてきたという、揺るぎない自信だ」
レイの雄叫びと共に、研ぎ澄まされた銀閃が空気を切り裂く。
音もなくグリフォンの体が真っ二つに斬り飛ばされ、決着がついた。
♢
「……レイ達は、強いね」
ランドルフは唐突に後方から響いた声に、驚かずに返答した。
「タイプはまるで違う二人だが、な。互いが互いの憧れになってる。良い関係だ。子供の頃が懐かしいよ」
「あの二人は、それに気付いてないけどね」
ふふっ、と。
淡い水色の髪をした少女は笑みを浮かべる。
「ところでお前は何だ? 最初からこの辺りにいたようだが」
「ウンディーネにグリフォンを追跡させたの。ここにいるのを見つけたけど、今のわたしじゃ、ちょっと倒せない。だからあなた達を呼ぼうと思ったんだけど、その前に来ちゃったから」
「それで慌てて隠れたのか?」
「うん。あの二人、わたしが一人で森に入ると怒るんだもん」
プンスカと頬を膨らませる少女に、ランドルフは苦笑する。
それはレイとアルスが少女のことを大切にしているということだ。
そのことを説明してやろうとして、ランドルフは違和感に気づいた。
「いや、待て。ウンディーネに、追跡させた? ウンディーネ、だと……? まさかとは思うが、お前――」
「――ご想像の通りだよ。わたしの名はエレン。水の精霊術師」
少女は笑い、右の掌を差し出した。
何もないはずなのに、ランドルフはそこに威圧感を覚える。いるのだ。精霊が。見えなくともそこにいる。間違いなく。
「精霊術師が、あの二人の幼馴染?」
「うん。いつもわたしを護ってくれるの」
「とんでもない奴らだな……」
流石にランドルフは呆れていた。もはや驚くのが疲れる。
見たこともない効率的な剣術と独特の魔術を使うレイ。
超人的な反応、近接戦闘の神懸かり的な才能を宿しているアルス。
そして世界にたった数人しか現存しない精霊術師の一角。それも使役するのは水精霊ウンディーネだ。
こんな辺鄙な村にこれだけの才能が集まったことが奇跡。
いまや後進を育てる立場のランドルフは、エドワード達に進言することに決めた。
この子たちは冒険者になるべき存在だ、と。
「……ハァ。レイ達が戻ってくるぞ。気づかれたくないんだろ?」
「あ、やばやば」
ててて、とエレンは慌てたように木陰に走っていく。
こうして見ると普通の子供にしか見えない。
そして丘の方でガッツポーズをするアルスと、これまでより強い顔になったレイを眺めて、ランドルフは苦笑を浮かべた。
「しかし……結局俺は何をしに来たんだろうな」
グリフォン。
危険度B。それなりに習熟した冒険者でないと討伐は難しいとされる、異形の怪物。
きっと十二歳の子供が二人で倒したと言っても信じてはくれない。
――これから先の未来を担う者たちに、託した。
そうギルドに説明したら聞こえがいいかもしれない。
ランドルフはそんな想像をして、愉快そうに肩を震わせた。
♢
レイ達はグリフォンの死体から、魔石と高く売れるらしい爪を剥ぎ取り、ランドルフのいる方へと歩いていく。
嬉しそうに飛び跳ねていたアルスは、息を吐いて真剣な顔をすると、
「なあレイ。オレ決めたよ」
「……何をだ?」
「この村から、出ていくことにした」