1-13 追跡
レイとアルスの眼前に転がる何十ものオークの死体。
血染めの草。
木にぶち撒けられた内蔵。
そして鼻を塞ぎたくなるような腐臭。
端的に言って、地獄だった。
レイは静かに目を細める。
突然だったから驚きはしたが、光景そのものは見慣れている。
それどころかレイ自身が何度もこの地獄を作り上げてきた。
「う……おぇぇ」
アルスがグロテスクな光景に耐え切れず、嘔吐した。
仕方のないことだろうとレイは思う。
ランドルフは無造作に手近なオークの死体に触れると、
「レイ。この光景から何が分かると思う?」
「……グリフォンがやったって言うのか?」
「そうだ。よく見てみるんだ、この死体の群れを。どうして俺がグリフォンの仕業だと分かったのか、その理由がある」
荒く息を吐くアルスを横目に、レイは周囲に目を走らせた。
斬り裂かれたような傷。確かにグリフォンの爪で引っ掻かれたようにも見える――が、剣や斧でも似たような傷はつくれる。
何か、違うような気がする。
レイはふと何かに気づき、声に出した。
「魔石が……剥ぎ取られていない?」
「そうだ。だから少なくとも人間の仕業じゃない。殺しておいて魔石を採らないのは有り得ないからな。売ればかなり儲かるし……放置すればグールを生み出すことを知っている」
魔物は魔石を核として動いていて、殺して魔石を剥ぎ取れば、魔力を失った死体は自然と地に還る。
だが、魔石を剥ぎ取らないまま死体を放置すると、死体をなお巡り続ける魔力が汚染され、グールという魔物を新たに生み出してしまう。
これは誰でも知っている原則だった。
つまり、オークを皆殺しにしておいて、その魔石がすべて残されている時点で人間がやったわけではない。
魔石は利用価値が高く、高値で売り飛ばせる。
捨て置く理由もない。
そして。
この森に棲むゴブリンやガードックでは、そもそもオークを倒せない。
仮に倒せたとするなら、オーク以上の数が必要なはずだ。
そして犠牲も生まれるに決まっている。
この場にある死体がオークだけであることを考えれば、やはり新らしくこの森にやってきた異分子――グリフォンの仕業に決まっていた。
「……なるほどな」
「理解できたな? とりあえず魔石を剥ぎ取るぞ。これだけのグールが生まれたら、村にかなりの被害が出るかもしれんからな」
「分かった。アルス、動けるか?」
「あぁ……」
レイは悪臭に眉を顰めながら、さっさと魔石を剥ぎ取っていく。
アルスが嫌そうな声音で、レイに問いかけてきた。
「なぁ……なんで、レイはそんなに冷静でいられるんだ?」
「なんで、か」
――慣れているから。
ただ、それだけ。
それ以外の理由なんてなかった。
だが、その事実をアルスに言うのは躊躇われる。
世界最強の英雄に成り上がるという夢すら話した幼馴染に、レイは秘密を語ることを怖がっていた。
流石に信じてくれないだろう。
レイの『前世』が墜ちた英雄アキラだったなどという世迷い言は。
少なくともレイがアルスの立場だったら信じない。
頭がおかしくなったか、夢を事実だと思い込もうとしているのか。
そんな推測をするのが関の山だろう。
「俺だって、そんなに冷静じゃない。はやくこの場から離脱したいんだよ。それはアルスも同じだろ?」
「……まあ、そうだよな」
結局、レイは言葉を選んだ。
嘘は言っていないが、真実も語らないように。
それ以降はアルスも喋ることはなかった。
淡々と作業を進め、魔石取りを終わらせる。
「よし。状況は理解しているか?」
「グリフォンはここでオークの大軍に襲われた。大半を始末したが、おそらく数の差に負け、怪我をして逃走。追いすがるオークロード達から逃げていたら、自然と俺たちの村の方に来た」
「そうだ。そして、オークロード達はお前が始末した」
「……だから、グリフォンは安心した。見つけた人里で、肉食ゆえに人を攫い、喰らおうとした」
「が、怪我の影響で狩人の男に意外と手こずり、人が集まる気配を察してまた逃げた」
「いいや。逃げはしても……まだ狙ってはいるだろうな」
「そう、良い推理だ。グリフォンは今頃、のんびりと療養しているだろう。村の人々を虎視眈々と見定めながら、な」
ランドルフに思考が誘導されていることに、レイは気づいていた。
アルスは呆けたように二人を見ている。
相変わらず頭は回らないらしい。
「で……その肝心のグリフォンがどこにいるか、だが」
ランドルフは馬の手綱を引いて歩きながら、言う。
「まったく分からない」
レイはズッコケそうになった。
「……いや、おい」
「慌てるな。だから探すんだろう?」
「見つかるのか?」
「グリフォンが再び村襲撃に向かっていなければ、な。あの魔物は見晴らしが良く、小高い丘を好む。心当たりはあるか?」
「……そう、だな」
「少し東に行けば、木がまばらで緩やかな丘があると思うけど」
アルスの言葉に、レイは頷く。
こういう土地勘のようなものにアルスは優れていた。
ランドルフは二人の目を見ると、
「よし。なら、最初はそこに向かってみるか」
「グリフォンが村に襲撃に行っていた場合はどうする?」
「心配はいらない。あの村にはエドワードとリリナがいるからな。冒険者のように魔物を探すことはできなくても、襲い来る魔物を倒すことはできる。そもそも、俺よりもお前たちの方が、あの二人の腕を知っているんじゃないのか?」
「まあ……そうだな」
エドワードとリリナは七年前からレイ、アルス、エレンの三人の訓練に付き合ってくれている。
その実力は身に沁みて理解していた。
最近では、模擬戦全体の三割ほど勝てるようにもなってきたが。
「あの村には衛兵もお付きで雇ってる冒険者もいない。貴族が住む村にしてはありえないことだ。それが許される理由は、隣の街に俺がいるからでもあるが――それ以上に、あの二人の腕が信用されてるからだ」
「……なるほどな」
「さて、無駄話が長くなってきた。急ぐぞ」
ランドルフは馬に飛び乗ると、思い切り手綱を引く。
レイとアルスは再び魔力を身体に流し、競争が始まった。
♢
「――当たりだな」
木陰に身を潜めながら、ランドルフは呟いた。
少しだけ見晴らしの良い小高い丘の上で、グリフォンが眠っている。
雄々しき獅子の肉体に鋭い鷲の翼を生やしている。
眠っているばずなのに、なぜかレイは圧倒されていた。
「呑まれるなよ」
息を呑むレイに、ランドルフが告げる。
「魔物の怪物性はそれだけで人の精神を惑わせる。体が大きく、異形であればあるほど……な。今、お前にはグリフォンが強い存在に見えているかもしれない。だがな、本気でやれば、今のお前でも倒せる」
「……本当かよ。そんな風には見えないが」
「それが呑まれてるってことだ。赤髪を見てみろ」
ランドルフが指差したアルスの方を振り向くと――嗤っていた。
アルスは無意識なのか、口元を歪めて武者震いをしていた。
オークの死体の群れには人並みに気味悪がっていたような男が、それよりも遙かに強大な魔物を眺めて、瞳に喜色を浮かべている。
レイ達の会話など聞いてすらいなかった。
「こいつは強い奴を見ると実力が引き上げられるタイプだな。自然と集中力が研ぎ澄まされて、本来の実力が出せると言った方が正しいか」
「そりゃ……そうだろうな。アルスは天才だから、間違いなく」
レイは気落ちした口調で言う。
最強になると決めたときから覚悟していたことではあるが、ことあるごとにアルスとの才能の違いを認識することがある。
「……レイ。お前は強い。年齢からは考えられないほどにな。過小評価してる場合じゃないぞ」
頭に大きくて分厚い手を置かれる。
あの“炎熱剣“ランドルフに認められることは素直に嬉しかった。
それでも、少し割り切れないことはある。
だが、そんなことを考えている場合ではない――と、意識を切り替えるレイを見て、ランドルフは少し考えるように顎を手に当てると、
「そうだな……思ったより傷も深いようだし、あのグリフォンはお前ら二人でやれ」
「え、グリフォンには手を出させないんじゃなかったのか?」
「方針変更だ。お前は少し自信ってものを身に着けた方が良い。『自分は強い』と……そう思え。根拠のない自信は持てないタイプなら、俺が根拠を持たせてやる。いいか、全力で戦えよ」
「いや、ちょ――」
ドン! と、レイはランドルフに思い切り突き飛ばされた。
放物線を描いて吹っ飛び、丘の方に転がっていく。
「マジかよ……!!」
その音に気づきグリフォンが目を覚ましたのか、首を振る。
ギョロリ、と。
レイと視線が交錯した。
「……アルス、来い! やるぞ!」
「ああ!」
グリフォンが翼を広げ、風が唸りを上げた。
――戦闘が始まる。
日刊26位!
更新頑張ります!