1-12 遙か高み
レイは剣を中段に構えたまま、相対する剣士の様子を見た。
ランドルフは剣を肩に載せ、膝も曲げていない。
隙だらけ――のはずなのに、手を出せない。
無策に突っ込めば、そのまま暗闇に呑み込まれそうな想像すら脳裏に過ぎった。
(…………レベルが、違う)
レイは改めて実感していた。
最強の冒険者の一端を目の当たりにして、チートに頼り切っていた英雄アキラが見ていた世界は、どれだけ狭かったのか――悟った。
どれだけ今の自分が弱いのか、自覚した。
最強の力『女神の加護』を宿していた聖剣。
己よりも強い相手に遭遇すると、体が無意識のうちにそれを求めることに、レイは嫌気が差していた。
(くそ、今はそんなことを考えている場合じゃない。どうにかして、突破口を切り開かないと……)
レイはランドルフから一定の距離を保ち、円を描くようにゆっくりと移動する。アルスと挟撃する形に持っていこうとした――が、そうはさせないとばかりにランドルフがレイに向かって肉薄してきた。
(――フラッシュ!!)
レイは咄嗟に魔術を発動する。
“閃光“。
己の体が強烈な光を宿し、電球のように輝いた。
その辺りの魔物であれば目をやられて動けなくなるが、ランドルフは当然のように目を瞑りながら、レイの懐まで踏み込んでいた。
(近接戦で目を瞑るなんて、怖くないのかよ……!)
戦慄と共に舌打ちしたレイは滑るように後退しながら、追い払うように袈裟斬りを繰り出す。
だが、ランドルフは容赦なくそれ以上の斬撃を叩きつけた。
金属音が鳴り響きレイは吹き飛ばされるが、何とか剣は手放さない。
「そんな威力のない攻撃に意味はない。牽制にもならないぞ」
「俺は、意味のない攻撃なんかしねえよ……!」
レイはランドルフのアドバイスを否定する。
その点については自信があった。
何せ『女神の加護』を基礎にした剣術だ。
その五割も再現できていないとはいえ、この場の誰よりも無駄を削った効率的な剣であるはずだ――そうでなければならない。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
レイの思考を証明するかのように、絶妙なタイミングでアルスが疾風の如くランドルフに接近していた。
まさに無鉄砲そのもの。
急停止すらままならない速度でアルスは剣を振る。
ランドルフは体を振って躱すと、勢い余るアルスの軌道上に剣を置いた。
身体強化をしすぎたアルスでは止まることはできない――はずだった。
アルスはぐるりと体を回し、なんと、剣を捨てた。
ランドルフの剣を空いた両手で掴む。
おそろしい量の魔力を両手に纏い、痛みがないように強化していた。
そして、勢いは突撃したときのまま。
がくっ、とランドルフはアルスの体重に引っ張られ、態勢を崩した。
レイはその隙を突く。
強化された速度で右側から回り込む。
懐まで踏み込み、神速の剣閃が唸りを上げる。
「……良い腕だ」
ランドルフが本当に驚いたように目を瞠ったのが見えた。
直後。
ランドルフはアルスがしがみついたままの剣を強引に振るい、目にも止まらぬ勢いでレイの剣を弾き飛ばした。
「なっ……」
絶句。
レイは凍りついていた。
その隙に喉元に剣を突きつけられ、決着はついた。
――だが、レイの驚きはそんなことよりも遥かに深かった。
(……本当に、ここまで違うのか)
最後に見せた動き。
一瞬だけ引き出したランドルフの本気である。
レイはそれに魅せられた。
あれだけ強引な挙動で、アルスという荷物を抱えながら、レイの七年間鍛え続けた剣撃よりも速く、剣を振り抜いた。
天才的な身体強化だった。
あるいは努力の賜物か。
何という、繊細な魔力制御。
あれだけの速度と力を引き出して、五体満足で立っていられる。
それは、元々の肉体が鋼のように鍛えられていた上で、魔力による強化度合いを全身にバランス良く丁寧に調整したおかげである。
レイには今の戦い以上の速度も力も出せない。
これ以上の強化はより素早くシビアな調整を迫られる。
少しでもミスれば怪我をする危険が高くなる。
それと魔力制御に手一杯になり、思考が追いつかないからだ。
それは詰まるところ――ランドルフとの実力差そのものだった。
「ちく……しょう……」
――遠い。
レイは悔やしかった。
今の段階ではランドルフに勝てないことぐらい分かっている。
それでも果てしない道のりを痛感したのだ。
世界最強。
本当の英雄。
借り物の力ではなく、真の強さ。
それを手に入れることが、どれほど大変なことなのか。
七年間。
これ以上なく努力してきたつもりだった。
休む暇もなく戦い、強さを追い求めていたはずだった。
(だとしても……諦めない。諦めてやるものか……っ!!)
レイの脳裏にアリアの顔が過ぎった。
それだけで、また立ち上がれるような気がした。
「……凄いな、お前」
いつの間にか、ランドルフがレイの頭に手を置いている。
低く、耳に染み入るような優しい声音だった。
「どれだけ努力すれば、その年でその強さが手に入るんだ?」
「……馬鹿にしてるのか?」
「俺の目を見ろ。そんな風に見えるか?」
「……いいや。だとしても、目標には遥か遠い」
「ほう。何を目指している?」
レイはランドルフの賛辞が真実だと認めた上で、端的に呟いた。
「世界最強」
笑われるだろうか――と、レイは思った。
子供の夢にありがちなものだ。
世界最強の英雄になる。
物語の中の英雄に憧れて、自分もそうなりたいと考える。
よくあることで、成長する中で自然と、現実に気づいてしまう。
それでもレイは真剣だった。
だから、これまでアルスとエレン以外に話したことはなかった。
だというのに、ランドルフに話した理由は何だろうか。
最強の冒険者と呼ばれたこともある彼なら、レイの夢を笑わないかもしれないと、無意識下で期待していたのかもしれない。
「ははははははははははははははははははははははははははは!!」
結論から言うと。
笑われた。
めちゃくちゃ笑われた。
ランドルフは苦しそうに息切れしながら、まだ肩を震わせる。
「ははは……面白かった。そんなことを言う奴、久々に見たからな」
だが、ランドルフは楽しそうだった。
少なくとも馬鹿にしているわけではなかった。
「面白い奴だ。かなり気に入ってきたぞ」
「認めてもらえて光栄だ」
レイは嘆息しながら返答すると、剣を鞘に収める。
剣を自ら放り投げ、取りに行っていたアルスも戻ってきた。
「……さて、お前らは足手まといにはならないようだ。それはよく分かった。だが、グリフォンと戦うにはまだ足りないな。雑魚はお前らに任せる。だが無理に出しゃばるなよ。特に、赤髪の方」
ビシッ! と指摘されて、アルスは緊張したように背筋を伸ばした。
「お前のセンスは抜群だ。思い切りが良く、直感が冴えてる。動きは天才的だが、少し考えが足らないな。本能に頼りすぎるなよ」
「は、はい……分かりました」
カチコチのアルスに、レイは苦笑する。
戦闘になると思い切り良く剣を手放すのだから、面白い男だ。
「俺の評価は?」
「お前はむしろ、あれこれ考え過ぎのようだな。剣に魔術……いろいろ使えるようだが、ある程度パターン化しておいた方がいい。……『こう来たら』、『こう動く』ってな。もともとお前の剣は効率的で隙は少ないなが、だからこそ予想はしやすい。後……相手が自分より強いときも、戦闘時に慎重になりすぎるなよ」
「……なるほど」
ランドルフの言葉に、レイは素直に頷いた。
参考になるアドバイスが多い。
「ところでお前ら、馬は使えるか?」
「少しは。だが、自分の馬はない。アルスは乗ったこともないだろ」
「馬? ないぞ!」
「とりあえず威張ることじゃないな」
レイはこれでも貴族の三男だ。
エドワードやデリックに混ざり、馬術の練習をしたことはある。
そこまでの自信はないが、一通り扱えるはずだ。
そんなことを考えていると、ランドルフが口笛を吹いた。
村の方から立派な体格の馬が駆けてくる。
ランドルフのものだろう。
「冒険者になるなら馬は必須だぞ。歩いて移動するのでは速度が足らない。そもそも旅も多くなるからな」
「そうかー……」
アルスが考え込んでいる。
レイとは異なり、アルスの家は狩人だ。
馬を買うような金はないのだろう。
(……いや。二年ぐらい森で魔物狩りしてるんだ。かなり魔石を溜め込んでいるはず。かなりの金になると思うが……多分、気付いてないな)
レイは後で教えてやろうと思いながらも、話を進める。
「で、どうする? 俺はエドワード兄さんに頼めば、馬は借りることができると思うけど」
「まあ今はいい。魔力で身体強化して俺の馬についてこい」
「なるほど、訓練の一環か」
「いや、単に俺がお前らに合わせるのが面倒なだけだ」
「……そうかよ」
適当に言うとランドルフはひらりと馬に乗り、走らせた。
――疾い。
咄嗟に追跡するアルスを更に追うように、レイは脚を重点的に強化し、恐ろしい勢いで大地を蹴った。
この先は北の森だ。
密林というわけではないが、それなりに茂っている。
木や草、地面の凹凸。いろいろと障害物が多く、少なくとも馬でまともに走れる道ではない――はずなのだが。
「どうした、ついてこれないのか?」
ランドルフは巧みに馬を走らせながら、飄々と告げる。
レイとアルスは木にぶつかりそうになる度、魔力による強化を弱めたり強めたり、急制動をかけたりして、四苦八苦していた。
森で全力疾走はしたことがなかった。
難しい。一瞬で移りゆく状況に理解が追いつかない。
だから無駄な魔力消費が多くなったり、いちいち速度を弱めたり、強引に軌道を変更する必要がある。
――想定しろ。
レイは自らに言い聞かせる。
予想するのだ。
今この状況を見極め、次はどういう状況になっているのか。
それを一秒ごとに考え続けろ。対応策を練り続けろ。
予想を外した場合は大人しく速度を落とせ。
(……いける!!)
思考を単純化したレイは、これまでより遥かに速く駆けた。
一方、本能に身を任せたらしいアルスは、すでにランドルフに追いついている。
その才能に戦慄を覚えながら、レイも猛追した。
「……よし、二人共追いついたな。止まれ」
ランドルフはレイとアルスを、手を上げて制した。
そして馬から降りる。
「ここを見てみろ」
ランドルフが指差した先にあったのは――
「なっ……」
「うわっ!?」
――何十もの、オークの死体だった。