4-21 正体
街で断続的な戦闘音が鳴り響く中、レイは一直線に教会へと向かっていた。
酒場で夕食を取っていたレイは、膨大な魔力の気配を感じ取った瞬間、カウンターにあり金をすべて放り投げて表通りに出た。そして、確信したのだ。
「来たな、ローグ……!」
予想よりも随分と早い到着だが、文句を聞き入れてくれるわけもない。圧倒的な魔力の気配が都市の各地に散らばっていく中で、レイは少し考える。
――俺は、どこに向かうべきだ?
魔力の気配のうちどれがローグなのか、そこまでは流石に分からない。魔力感知に長けたエルフならまた別だろうが、レイに感じ取れるのはどの魔力も強大なことだけだ。
レイの体は一つしかない以上、同時に敵を相手取ることはできない。いや、ローグと判別がつかないほどの魔力の気配を、同時に相手取れると思うのはただの慢心だろう。
どれだけ守りたくても、現実的にできるできないは厳然としてある。
レイは勇者として、常に理想と現実の狭間に立たされている。レイ一人では、救えない人はいる。絶対に。その中で、最良の選択を選ぶ。
そして、後は仲間たちを信じるのだ。アルスやルイーザも動いてくれるはずだ。
ならば、レイがやるべきことはこの連中の首魁だと目されるローグ・ドラクリアを止めることだ。この不可解な襲撃には必ず目的があり、それはローグが中心に違いない。
そこまで考えた時、レイの脳裏に過ったのは聖女イヴの悲しそうな笑みだった。
『イヴはこれでも女神教の重鎮だからねぇ。捕えられれば、いくらでも利用できる。魔族にとって狙う価値は、十分にあるんじゃないかな?』
正直なところ、勘だった。
ローグが狙っているのは聖女イヴではないかという、ただの推測。
女神教の総本山である教会都市ベリアルを狙う理由を考えれば、教会の重鎮である聖女イヴの身柄を心配するのは、もちろんおかしな話じゃない。
だが、レイには予感があった。
もしかしたらイヴはローグにとって、女神教の重鎮であるという以上の利用価値があるのかもしれない、と。逆に言えば、それ以外に心当たりがない。『賢者』ルイーザを殺すつもりなら、これまでに殺せる機会はいくらでもあったように思う。
ローグが何を考えているのか。
それは前世でもついぞ分からなかったが、今回の戦いで何か見えるかもしれない。
そんな予感と共に、レイは屋根上を飛び移りながら教会に近づいていく。
すると夜闇の中でも、その異変はすぐに分かった。
「燃えてる……!?」
体を魔力強化してさらに飛ばすと、徐々に人々の悲鳴が聞こえてくる。
教会のシスターや神官たちが悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
それも当然だろう。この都市で最も巨大な建物にして象徴的存在が、今まさに火に包まれているのだ。危機を認識するのにこれ以上のことはない。
「一応、結構な魔術的防備が張ってあったはずなんだけどな……!」
どうやらあっさりと突破されたらしい。改めて敵のレベルに戦慄する。
逃げ惑う人々に逆行するような形でレイは進んでいく。
しかし、そんなレイが目に留まったのだろう。周辺で暴れていた異形の怪物どもが、ぎょろりと一斉に睨みつけてきた。そのどれもがアンデッド系の魔物。
「ローグの手駒か……!」
ローグが持つ魔剣の能力。死霊の生成。街を混乱させている隙に目的を果たそうという算段なら、この能力を行使するのは当然だろう。だが、そのおかげでこの近辺にいる魔力の気配がローグだということは分かった。迷いなく進むことができる。
レイは手早く近くの魔物を切り捨てると、一気に教会の中へと突入していく。
街の人々も心配ではあるが、冒険者や衛兵たちが徐々に対処を始めていた。あの分なら死人は出ないだろう。ローグが生成する魔物は厄介だが、殺傷能力はそこまで高くない。時間稼ぎの時にしか使わないから、足を引っ張ることを中心に作られているのだ。
あまりにも急な襲撃にしては迅速な対応。おそらくルイーザやアルスがきちんと手を回してくれていたのだろう。だから準備することができた。
レイは二人に感謝しながら、さらに教会の奥へと進んでいく。先ほどイヴと話した中庭を通り、燃え盛る教会の本殿へと侵入していく。
体を魔力で強化していれば、この程度の熱さなどものともしない。
「イヴはどこだ……?」
流石に燃え盛る教会の中には人は見当たらない。すでに避難したのだろうか。だとしたら、それに越したことはない――と、考えたその時だった。
ちょうど上の階から、破壊音が鳴り響く。同時に、濃密な魔力が顕現した。
これまでは抑え込んでいた魔力を解放し、戦闘態勢に移行した証。そこまで来れば、魔力感知に鈍いレイでも分かる。この魔力は間違いなく、ローグ・ドラクリアのものだ。
肉体強化を強め、階段を蹴るように昇っていく。
昇り切った先は、大きな広間だった。壁際は炎に包まれているというのに、いまだ火の手のない中央付近では、一人の青年が一人の少女を捕まえている。
そこにいたのは魔国軍最強と呼ばれし男、ローグ・ドラクリアで。
彼の手で首を掴まれて苦し気に呻いていたのは、王国の聖女イヴだった。
「ローグ、その手を放せ!」
レイは迷いなく斬りかかった。イヴをぶらさげているローグの右腕を一撃で斬り落とすつもりで、渾身の振り下ろしを見舞った。
「レイか」
しかしローグはあっさりとイヴを掴んでいた手を放し、後退する。
「この都市に来ているとはな……大方、ライナスあたりが面白がって話したか」
崩れ落ちそうになったイヴの体を、レイは抱き留めた。はぁはぁと、酸素を求めて呼吸を荒げている。意識の覚束ない瞳が、ようやくレイを捉えた。
「…………た、助けて、くれたの?」
「まだだ。でも、今からお前を助けてやる」
安心させるように笑うと、イヴは苦しそうにしつつも微笑を返してくれた。
「一応聞くが……そいつを返してはくれないのか?」
「返すも何も、元々お前のものじゃないだろう」
「確かに俺のものじゃないが、お前のものでもないはずだ。なぜお前が庇う?」
「……本気で聞いてるのか? 俺が人を守る理由なんて、分かり切っているだろう」
「転生して、多少は心変わりしていることを願いたくてな」
「俺が守りたいから守る。助けたいから助ける。理由なんて、それで十分だ」
「……だろうな。やはりお前は『勇者』だよ」
「そういうお前は、なぜイヴを狙う? 何が目的だ?」
「ふむ。そいつを答えるのもやぶさかではないが……俺より、魔王様に任せるか」
「魔王様、だと……?」
「まさか、気づいていないのか? ……あまりにも魔力量が膨大すぎて、感知できる許容量を超えてしまっているのか……? 勇者レイでもそうなってしまうとはな」
「その言いぐさからすると、ここに魔王がいるって言うのか?」
「その通りだ。ほら、俺の後ろにいるだろう? 待望の再会といこうじゃないか」
「待望の……?」
レイが怪訝そうに眉をひそめた、その時だった。
炎が揺らめき影となって見えない広間の奥から、何者かが足音を立てて歩いてくる。
その肌がぴりつくような威圧感に、自然とレイは剣を抜いて構えた。
「……悪趣味だね、ローグ」
「何を言っている、貴女が望んでいたことでもあるだろう?」
その声は。
レイがよく知っているもので。
血の気が引いていく。なぜか、目を逸らしたくなった。理解したくないものを、今から見せられるような。本当は気づいていたことに、嫌でも目を向けざるを得ないような。そんな不吉な予感を前に、レイは自然と、顔を険しく染めていく。
炎が避けていく。魔力の圧に負け、彼女の周囲の火が揺らめきながら消えていく。
炎の影から姿を見せたのは、巫女装束を身に纏った美しい黒髪の少女。
「……アリア」
そこにいたのは。
レイがこの十五年間、ずっと探していた一人の少女だった。