4-20 それぞれの想い
まず街中にずしりとのしかかるように響いたのは、重い戦闘音だった。
先ほどから不穏な気配を感じ取っていたアルスは、音の方を向いて顔をしかめる。
「まさか……もう来たのか!?」
街の南で鳴り響く戦闘音の方では、上空まで荒ぶる炎が窺える。
あの炎はルイーザとサラマンダーのものだろう。街に侵入した魔族と戦っているのだ。
「そうなると、オレはエレンと合流してえな……」
あの『賢者』ルイーザがそう簡単に負けるとも思えない。
まずは魔族に狙われている可能性が高いエレンと合流したいところだった。
何より、こういう時にエレンを守るためにアルスはここにいるのだから。
エレンも強くなっているとはいえ、実戦で力を発揮できるかといえば不安が残る。
エレンと合流したうえで、ルイーザの加勢をするのがおそらく最適解だろう。
「頼む、まだ家にいてくれよ……!」
アルスは魔力で体を強化し、屋根上を飛び移るように走る。
しかしルイーザの豪邸に向かっている途中で、北方から別の破壊音が聞こえてきた。
思わず足が止まる。
アルスの視線の先にいたのは、大柄な体格でいかにも軍人といった雰囲気の魔族。
だがその身に纏う存在感は、ただの軍人とは比較にならない。
明らかに魔族の中でもトップクラスの実力者。アルスの額に冷や汗が流れる。
その魔族は教会都市の衛兵たちをひとりひとり丁寧に倒している。油断がなかった。
圧倒的な実力差を客観的に理解しつつ、多数の敵への最適な対処。
非常にやりにくそうな相手だった。アルス一人でどうにかする自信はない。
やはり当初の通りエレンとの合流を優先しようとしたアルスに、鋭い声の指摘。
「――逃げるのか、強者よ」
背を向けたアルスの足が止まる。
ゆっくりと振り向くと、まだ数十メートル以上もの距離が開いているというのに、魔族の眼光は真っ直ぐ遠方のアルスを捉えていた。
アルスは内心で苦々しく思いつつも、表面上は不敵に笑みを浮かべる。
「何だよ、見逃しちゃくれねえのか?」
「貴様のような強者を放置するのは計画の成功率が下がるのでな。申し訳ないが、不穏因子の排除という役目を請け負った以上は、見逃すわけにはいかないのだよ」
逃げられる気がしなかった。
仮に逃げたとしても、こんな奴を引き連れたままエレンと合流したくはない。
アルスの力になるために努力してきたエレンと協力したいと思いつつも、彼女を危険に晒したくないという矛盾を自覚はしている。それでも。
「……ごめんな、エレン」
ここで潰すしかない。
アルスは覚悟を決めて、腰の剣を引き抜く。
そんなアルスを見て、真面目そうな魔族は口元を僅かに緩ませた。
垣間見えるのは、戦闘を好む本性。
「私の名は『鋼鉄』のゲオルグ・ローレンス。魔国軍の『双璧』が片割れである」
「……アルス。冒険者だ」
名乗り返すと、ゲオルグから漂っていた殺気が急激に強まる。
その大層な肩書きは王国にも広まっているので、アルスも当然知っている。
王を守護する『双璧』。魔国軍の最高幹部にして最強格。
一介の冒険者でしかないアルスにとっては無関係な、雲の上の人物。
そのはずだった。
「……こんな辺境に『双璧』が何の用だ。計画っては?」
「それを知りたければ、私を倒すことだな。冒険者」
「だと思ったぜ……」
「そろそろ時間稼ぎに付き合うのも終わりだ。行かせてもらうぞ」
腰を低く落としたゲオルグに合わせて、アルスも戦闘態勢に入る。
ルイーザが戦っている方角から響いた轟音を合図に、戦闘が始まった。
◇
街の北と南で戦闘が始まり、騒然とする人々のもとに、雷が落ちた。
エレンはそれを見ていた。
鋭い轟音が空を切り裂いて地に叩きつけられる。人々の反応すら許さなかった。感電した者はそのまま焦げ付いた状態で倒れこみ、一瞬遅れて悲鳴が上がる。
途端に蜘蛛の子を散らすように逃げていく人々を見て、金髪の美少年は哄笑を上げた。
「ハハッ! とりあえず暴れてりゃいいってのは実に俺向きで楽しい役目だなぁ!? ローグの奴も俺って駒の使い方がよく分かってる。適切な扱いができるなら駒になるのもやぶさかじゃねえ。暴れられりゃ何だっていいんだ。俺はそういう性格だからよ」
誰に向かって喋っているのかも分からない、おそらくは独り言を饒舌に語り続ける。
聞く者が誰もいなかったとしても構わないのだろう。
自分が気持ちよければそれでいい。周りがどうなろうと興味はない。
ひどく分かりやすかった。感情がすべて顔に出ている。見た目よりもさらに若いのかもしれないとエレンは思う。圧倒的な力を手にした子供がどうなるのか。その典型例を見ているかのようだった。理由なく振るわれる莫大な力は災厄と変わらない。
「そう思うだろお前らも。おい怯えてねえで答えろよ雑魚ども。こっちは質問してんだぜ?」
怯えて足が竦んだのか、転んでしまった少女を見て彼は声をかける。少女は体を震わせ涙を流しながらも何かを答えようとしたが、その反応を見る前に興味を失くしたらしい。
首をぐるりと回しつつ周囲を見渡し、その視線は逃げなかったエレンを捉える。
「へぇ、逃げないのかテメェ。見たところ、そこまで腕に自信があるようには見えねえが」
「……そうかな? やってみなきゃ分からないと思うよ?」
エレンは答えつつ、クラークの近くで足を竦ませる少女に逃げるよう目で告げる。
少女は覚束ない足取りながらも何とか離れていき、クラークはそれに頓着しなかった。
「まさかと思うが、あの雷が俺だと分かってないなんてことはねえよな?」
「魔国軍『六合会派』の『東』を司る雷使いクラーク……もちろん知ってるよ」
「ハハッ! まあ流石にあれだけ暴れりゃ、王国の連中も俺の顔と名前を覚えたか」
けらけらと笑うクラークは、魔国軍でも戦力としては最強格。
ガングレイン要塞で暴れた魔国軍『六合会派』と名乗った連中の名は、もちろん王国に轟いており、要注意魔族として非常に警戒されている。
本来なら、エレン一人で相対することが許されるような実力差ではない。
それでも、ウンディーネと一緒なら、とエレンは覚悟を決める。
「……ウンディーネ」
体に濃密な魔力が渦を巻き、自在に蠢く水流を形成した。
ただし、それはエレン自身によるものではない。つまり魔法ではなかった。
クラークの視線が僅かに鋭くなる。
「やるよ。この人たちは、ここで倒す」
ルイーザのもとで鍛えた精霊術師としての力を、ここで解放する。
「……精霊術師か。まさかテメェ、ローグの奴が言っていた捕獲対象か……?」
たとえ自分の身が危険に晒されたとしても、この街を好き放題に荒らす連中を放っておけるはずがない。この街の人々には、たくさんお世話になってきたのだから。
「ごめんね……アルス」
一人で敵に挑んだことを知ったら、きっとあの人は怒るだろう。
それでも、この事態を見過ごせなかった思いだけは分かってくれると信じている。
「青い髪、背恰好も聞いた特徴と同じ、そしてウンディーネ、か。……間違いねえな。自分が狙われてることぐらい分かってるだろうに、わざわざ姿を現すとはな」
「街があなたの玩具にされる光景を、ただ見てるような人間にはなりたくないから」
「度胸は買うぜ、精霊術師。だがそれは俺に勝てる実力がなきゃただの無謀だ」
「だから、やってみなきゃ分からないって言ったでしょう?」
煽り返すと、クラークは手元で火花を散らしながらニィと笑みを深めた。
「――そこまで言うなら、手加減なしで行くぜ!!」
直後の出来事だった。
視界が真っ白に染まる。音を置き去りにした雷光が、エレンに直撃した。