4‐19 一方、その頃
一方、ランドルフ・レンフィールド。
教会都市ベリアルにローグたちが到着する数時間前。
いまだ夜闇に世界は沈まず、日が高く昇っている時間帯にて。
――戦いが始まった。
ついに始まってしまった。人族と魔族の本格的な戦争。
いや、後悔するにはもう遅すぎる。水面下でとっくに始まっていたのだ。
自ら前線に立つ義勇軍総大将のランドルフは、矢継ぎ早に指示を出していく。
「第二部隊は第五部隊の方に向かえ! いいか、絶対に押し込まれるな!」
副官のクレアはどこかに消えていた。
――が、クレアはその“死神”という二つ名の通り本職は暗殺だ。自由に動かした方がいいとランドルフは理解していた。その分、自分の負担が増えるとしても。
正規軍は当然、義勇軍の後ろに配置されている。今更そこに文句を言う気もない。
というか――魔族を相手に、冒険者以外が相手になるはずもない。
「ええい……っ!」
斬り結んでいた魔族の兵士をランドルフは蹴り飛ばし、火魔法で頭を焼いていく。
続いて襲い掛かってきた兵士の剣をかわしざまに首をはねようとした――が、ギリギリのところで防御されたのでそのまま剣ごと膂力に任せて叩き潰した。
「流石は魔国軍だな……そもそもの能力が人間とは違ううえに、練度も高い」
ランドルフの呟きに、近くの冒険者が反応する。
「全体的に、押されていますね……これでも最前線に配置しているのは冒険者の中でも一流の者たちだというのに……!」
「ああ、だが……この程度でいいのか?」
「それは……どういう……?」
質問の意図をはかりかねて眉をひそめた冒険者を放置して、ランドルフは前に出る。
体から湧き出る魔力を、その剣に収斂させていく。
「炎よ、すべてを在るべき姿に還す始まりの炎よ、我が剣の秘奥となりて――」
詠唱。
それは魔術を使用する際に必要な想像力を補完する行い。
「――不遜にして魔なる者どもを緋の輝きのもとに斬り裂き、その怒りを示せ……!!」
ランドルフの一閃と共に放たれたのは斬撃状に灼熱を走らせていく凄まじい炎だった。
――“炎熱剣”。その異名の通りの技を敵軍に叩き込んでいく。
それだけで前線をだいぶ押し込むことができた。
「……やはり、出てこないな」
炎を纏わせた剣で次々と敵を斬り殺しつつも、ランドルフは周囲の警戒を怠っていない。
確かに、魔族の兵士たちの練度は高い。
ランドルフでさえも油断は許されないレベルだ。
しかし――役者が足りない。この違和感を最も明確に表す言葉をランドルフは見つけた。
戦争は数ではない。たった数人の規格外の強者によって戦況が一変するものだ。
勇者アキラが死んだときの王都事変を見れば、それは火を見るよりも明らかだろう。
王都を襲ったのはたったの七人。それが甚大な被害を及ぼした。
だが――この戦場にはそれがない。
仮にも奇襲である大要塞ガングレインの攻防戦を除けば、開戦の場所と言っても過言ではないこの場所に、敵の主力が見当たらない。
ここを制すれば士気も上がる大事な戦い――だというのに、ランドルフを含むほか数名の一流の冒険者たちが本気で戦えば負ける気がしない。
「……まさか、囮なのか?」
そう考えると、途端に魔族の兵士たちの戦い方が時間稼ぎをメインにしているようにも見えてきた。ランドルフのような規格外には対応できずとも、他の冒険者たちを相手にするときは死なないように、かつ前線は引かないように立ちまわっている気がする。
「だが、仮に囮だったとして――じゃあ、本命はどこなんだ?」
ランドルフに心当たりはなかった。
どちらにしろ、ランドルフの役目はここをきっちりと勝ち切ることだ。
囮だったとしても負ける気で戦っているわけではないだろう。
油断をするべきではない――とランドルフは自分に言い聞かせ、再び指示を出していく。
◇
――ランドルフたちの戦いから数時間後。
夜闇に沈んだ教会都市ベリアル。
『賢者』ルイーザ・マクアードルは街を囲むように張っていた結界への侵入者を感知した。
数は、たったの五人。
いくら不法の侵入者だとしても、こんな数ではせいぜい盗賊がいいところだろう。
そう思うはずだ――普通なら。
「……これは、まさか」
頭に過るのはレイから聞いた魔国軍襲来の話。
彼の言を疑っていたわけではないが、信じられない想いはあった。
まさか、本当にこのような辺境に、少数で奇襲を仕掛けてくるとは――。
「早すぎる……」
一応、『賢者』の権限で上層部に話は通したものの、まだ何の対応もできていない。
街の住民は避難させておらず、魔国軍襲来の情報など話にも出していない。
街の上層部の連中も、こんなに急な話とは思っていない。警戒すらしていないはずだ。
「……サラマンダー、行くよ」
火の精霊術師である彼女は自らが使役する精霊の名を呼びつつ、侵入者の方へ駆ける。
老いた体とはいえ、魔力で体を強化すればまだまだ走ることはできる。
侵入者が結界をすり抜けて入ってきたのは、街の北側だ。
深夜に静まり返った街を、ルイーザは屋根の上を駆け抜けていく。
だがルイーザが感知している魔力の気配は、すぐに各方面に散開した。
「……くっ、どうする……!?」
一瞬迷ったが――悩むまでもなかった。
街中に降り立った気配のひとつが、屋根上にいるルイーザの方へ向かってくる。
その気配はルイーザの対面の家の屋根にまでやってくると、足を止めた。
「よう、アンタの結界をすり抜けた以上、アンタだけは勘づいていると思ったぜ」
背が高く、すらりとした体格。特徴的なのは蛇のように細い瞳。
これまでの戦争で何度も戦い、仕留めきれなかった仇敵。
魔国軍『双璧』の片割れ――“天眼”のジェイク・レノン。
道路を挟んだ対面の家なので少し距離はあるが、街はいまだ静かなので互いの声はよく響く。おそらくは、すぐに騒がしい悲鳴が聞こえることになってしまうだろうが。
「……久しぶりじゃな。わざわざこんな辺境に何の用じゃ」
「いやぁ、俺様には何の用もねえんだが、ローグには何か欲しいモンがあるらしくてな?」
――やはり陽動か、とルイーザは思う。
ルイーザの結界をすり抜けた時点で、ルイーザに感づかれることは向こうも察していたはず。そのうえで、『すべてを見通す』目を持つジェイクがルイーザの位置を特定し、先んじて接触してきた。この街の最大戦力である『賢者』の足を止めるために。
それに、ジェイクには何度もルイーザと引き分けてきた実績もある。
「分かってるだろうが俺様の役割はお前の足止めだ。――どうする? ローグたちを止めたいなら俺様を倒す必要がある。だが、ここは街のど真ん中。俺様やお前クラスの連中が暴れたら、きっと被害は並じゃ済まねえだろうな?」
そう、正直言って警戒する前に街に侵入された時点で相当な不利を背負っている。
無論、彼らも少数で侵入している以上、時間をかければ彼らの方が不利になっていくのは間違いないけれど――ローグがいるのなら、引き際を見誤るとは思えない。
「そう、じゃな……」
正直なところ老いて衰えたルイーザでは、もはやジェイクと引き分ける自信もない。
街に被害を出すのも本望ではない。
火の精霊術師であるルイーザが全力を出せば、少し制御を誤るだけで火事になる。
だが、
「――ローグの目的は『聖女』じゃろう?」
サラマンダーから火を借りながら訪ねると、ジェイクは愉し気に笑った。
「俺様は知らねえよ。聞きたいなら、ローグの奴に直接聞いてくれ」
そう言って、蛇のような目を少しだけ開く。
その瞳から黄金の光が、禍々しい煌めきを灯した。
ジェイクのこの物言いは知っている時のものだ。
おそらくは『聖女』が目的で間違いないだろう。
彼女のことは、この街の守護者であるルイーザも知っている。
レイたちも動き出すだろうが、彼らだけに任せてはおけないだろう。
ここを戦場にするのは街の住人に申し訳ないが、むしろ早めに避難させる意味も込めて先んじて戦闘を始めさせてもらう。
ルイーザが先に戦い始めた方が、上手く死人が出ないようにコントロールできるだろう。
「そうさせてもらおうか。――行くぞ“天眼”、そろそろ決着をつける時じゃ」