4-18 事態は動く
――イストラス帝国。
それはザクバーラ王国の隣国であり、王国と並び立てるほどの力を持った強国だ。
だからこそ魔国、ザクバーラ王国、イストラス帝国の三竦みの状態が保たれていたのであり、王国と魔国が本格的な戦争を始めた今、最も有利な位置に立てるのはイストラス帝国――に、なるはずだった。
だが――今、フリーダ・クレールの前に信じられない惨状が広がっている。
「何だ、これは……!?」
大きな会議場。帝国首脳部が集まって会議をしているはずの場所。
そこには――三十人以上もの死体が転がっていた。
「皇帝……」
そう。
帝国の長すら含む首脳部の全員が、物言わぬ骸となっていたのだ。
会議室は激戦の跡が残っており、あちらこちらが壊れ、崩れて瓦礫となっている。
「そんな、まさか……」
言葉すら出ない。
こんなことになっているなんて、想像もしていなかった。
フリーダは王国より直々に帝国との橋渡しの依頼を受けた。
より正確には帝国の商人たちと話をつけ、武器などの物資の補給ラインを確保したいとのことだった。
帝国と王国は戦争状態ではないとはいえ、帝国との同盟も組めていない現状では危険なことに変わりはない。
それでも武器商人としての復活を決めたフリーダは、この依頼を断らなかった。
だから従者のエルヴィス、使者として同行したグリフィス伯爵家の長男――王国騎士団副団長のエドワードと共に遠路はるばる帝国まで訪れたのだが――正直なところ、違和感を覚えたのだ。
帝国の商人との交渉はまったく上手くいかず、そもそも知り合いの商人がまともに見つからない。
民は笑い合っているのに、フリーダたちの姿を見かけた途端、潮が引くように消えていく。
おかしい。いくら国同士の緊張感が高まっているとはいえ、帝国の人々からは何か『統一された意思』のようなものを感じる。
そう思って、皇都までやってきた。
しかしこれまでの街とは違い、最も人がいるはずの皇都からはそもそも人の気配すらしなかった。
シンとした空気。風の音だけが響く大都市。
そして、人を探して宮殿までやってきたフリーダたちの前に――今、この光景があった。
「帝国が誇る『獣之牙』すらも、全滅か……」
動揺しているフリーダの横で、エルヴィスは冷静に死体を観察する。
エルヴィスの近くに倒れているのは、獣人の戦士たち。死体からでも、鍛えられたその体からは力量を察することができた。
『獣之牙』――それは、帝国が誇る最強戦力。王国が誇る『勇者』や『賢者』と比較されるレベルの者たち。
皇帝陛下直属の精鋭部隊――十人の、獣人の戦士。
エルヴィスはかつてその一人と手合わせしたことがあるが、接戦の末に敗北している。
その全員が、帝国首脳部と共に血の海に沈んでいた。
最後まで皇帝陛下を守ろうとしたのだろう、這いずるような跡も窺える。
エルヴィスはそっと血に触れた。見た目通り、乾いている。
「これは……死んでから、すでに結構な時間が経っていますな。すでに腐臭もしている」
エルヴィスの言葉を聞きながら、エドワードは思う。
それは、おかしい。
そもそも首脳部が全滅しているのに、それに民が気づいていないこともおかしい。
それにここ最近も、王国との外交に乗り気ではなくとも応じていたはずだ。決して、無視なんて真似はしていない。
だとするなら――今、帝国を操っているのは――
「あら、お姉さま。不届き者たちが呆けた面をしているわよ」
「まったく、サラたちと違って馬鹿ねぇ。誘い込まれたことぐらい、気づいても良さそうなものだけど」
声が、聞こえた。
この場に似合わぬ、ひどく可憐で甘い声が。
◇
――夜。
日が落ちて、空は暗闇に覆われた。
教会都市ベリアルもまた、人々の活動の時間が終わっていく。
「――さて、そろそろ時間だ」
そんな都市を、街壁の上から眺めている人々がいた。
だが、彼らは人族ではない。闇の中でも爛々と輝く紅い瞳が、その事実を明確に示している。
魔族。
王国の辺境。前線から離れた地。本来ならば、こんなところにいるはずのない者たちがそこに立っていた。
加えて言えば、その身から立ち昇る膨大な魔力が、彼らがただの魔族では終わらないことを示している。
それもそのはず。ここにいるのは、魔国軍の中でも最高幹部クラスの者のみ。
「いくら俺たちでも、ここは敵陣の奥深く。悠々と構えているわけにはいかないだろう」
呟いたのは、銀色の髪を靡かせる魔国軍急進派が長、世界最強の男――ローグ・ドラクリア。
「……うむ。やるなら電撃戦。早急に目的を果たして増援が来る前に離脱する」
頷いたのは、魔国軍保守派『双璧』が片割れ、鋼鉄の男――ゲオルグ・ローレンス。
「こんな街に俺様たちの予定を狂わす要因があるとも思えねえけどなぁ」
尊大な口調で嘲るのは同じく『双璧』の片割れ、天眼と呼ばれた男――ジェイク・レノン。
「ま、何でもいいや。楽しめりゃぁ何だって構わねぇ」
愉しげに笑うのは『六合会派』が東を司る美少年――クラーク。
「……ローグ、本当にやるの?」
「今更何を言っているのですか。ここまで潜入した苦労を水の泡にはしたくないでしょう」
「そんなものは、どうでもいい。けれど――」
「どちらにしろ、拒否権はありませんよ。――魔王様」
そして。
魔王と呼ばれた魔国の長が、この場所に立っていた。
「よし、作戦開始だ。健闘を祈る」
異常な戦闘能力を持った彼らは、一斉に城壁から跳んで姿を消していく。
魔王自ら率いる少数精鋭の奇襲部隊――夜闇に沈んだ都市の人々は、いまだ凶悪な気配に気づけない。