4-17 そして日は落ちていく
ルイーザの屋敷の中庭で、エレンは一人で立っていた。
いつもはこの時間、ルイーザと共に精霊術の鍛錬をしている。
しかし今、ルイーザは街の上層部に話をしにいってるのでここにはいない。
今日は、エレン一人での鍛錬だった。
だからと言ってサボったりはしない。日々の積み重ねが大切だと知っているから。
「……ウンディーネ」
呼ぶ。それは精霊の名前。四大属性の中でも水を司る上位精霊だった。
エレンがそっと差し出した掌に現出したのは、小人サイズの可愛らしい少女。
ただし瞳は無機質で、意思は薄弱なように見える。
「お願い、いつものように、あなたの力を貸して」
ウンディーネは何も言わなかった。
ただ、無言のまま精霊術がエレンの周囲で顕現する。
エレンの思った通りの現象が、エレンの魔力を吸い取って現出していく。
それをなしているのは掌の上のウンディーネだ。
彼女は何も言わないけれど、意識は繋がっている。精霊というのはおそらく薄弱な思考しかできないのだろう、ゆえに具体性はないが、何となくエレンのお願いに対して肯定や否定の意思などは伝わってくる。これは最近、やっと分かってきたことだけれど。
精霊術とは、精霊の力を借りて不思議な現象を引き起こすもの。ゆえにその鍛錬とはウンディーネの性格やできること、できないことを学んでいく作業だった。
それはルイーザから学んだことだ。
ルイーザ・マクアードル。火の精霊術師。
彼女に力を貸している精霊は、四大属性の中でも火を司る上位精霊サラマンダー。
ウンディーネより偏屈な性格をしており、扱いにくいようだった。
『こいつは面倒臭がりだが、強気な性格じゃ。特にわしの敵が現れた時に最も強い力を発揮する。逆にこういった鍛錬などの場では、ひどく面倒臭がって出力が落ちる』
そんな風に語っていたルイーザのことを思い出す。
対してウンディーネは比較的素直な性格をしており、エレンのお願いなら大抵何でも叶えてくれる。面倒臭がったりとかは、特にない。精霊術を使いすぎると、エレンの魔力がまだ残っていたとしても、ウンディーネの疲労で術式の完成度が落ちるのか、出力は落ちるけれど、それは仕方のないことだろう。
周囲で、水が流動する。躍動していく。
今までよりも滑らかに、魔力の無駄なく、洗練されていく。
やろうと思えば凍らせて尖らせ、武器にしたりもできる。
ここまで自在に精霊術を操れるようになったのは最近になってのことだった。
ルイーザの指導により、エレンの精霊術は飛躍的に成長していた。
エレンも加速度的に強くなっていく自分を自覚していた。
これだけの力があれば、アルスを守れるかもしれない。
今度は自分もアルスを守ると決めていた、エレンの努力の賜物だった。
「……おや、まだやっておったのか」
中庭にいたエレンに声がかけられる。
振り向くと、そこにいたのはルイーザだ。
どうやら用事を済ませて帰って来たらしい。
「はい。でも、そろそろ終わりにしようかな」
気づけば夕方になっていた。随分と鍛錬に集中していたらしい。
エレンはタオルで汗を拭きつつ、ルイーザのもとへと戻っていく。
「アルスはまだ戻ってないのかい?」
「はい。そういえば、まだ見てないですけど……」
確か冒険者ギルドの人たちにレイの情報を伝えに行っているはずだ。
おそらく、そろそろ戻ってくるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、ルイーザが立ち止まり、エレンをじっと見ていた。
「どうかしました?」
「……エレン。鍛錬中の記憶はあるのかい?」
「? もちろん、ありますけど……」
反射的にそう答えたけれど、言われてみると自信はなかった。
集中しすぎて、記憶があいまいになっている。
「ならばいい。だが、そうだな……一応、警告しておこう」
ルイーザはエレンの目の前でしっかりと目を合わせ、ゆっくりとした口調で言った。
「精霊に――呑まれるな。精霊術とは、精霊を支配下に置く術だ。立場が逆転することはない。そういう風に教え込まなければならない。前から思っていたが、お主は勘違いをしているところがある。いいか、精霊に力を貸してもらっている、そういう考え方はするな。わしらが、精霊を操っているのだから」
厳しい精霊術の師匠の教え。
いつもは何の疑問もなく素直に頷いていた。
けれど、こればかりは納得できない。
――だって、ウンディーネはわたしの、かけがえのない友達だから。
エレンはそう信じていた。
◇
イヴは、レイの瞳をまっすぐにとらえていた。
「……俺は」
聖女と呼ばれた少女がその仮面を脱ぎ捨ててまで問いかけられたもの。
レイはそれに対して、建前を返すことなどできなかった。
「俺は――女神を、信用してない」
勇者がそんな発言をするのは、もし広まれば問題になるだろう。
ただでさえ戦争中で、女神の導きがあると信じて士気を挙げているというのに。
けれどレイはイヴを信じた。
だから本音を返した。これまで抱いていた不信感を素直に吐露した。
「女神には多分、何かしらの思惑があって、それに都合がいいように俺たちを動かしているだけだ。そしてその思惑は、人間にとって良い方向に進むとは限らない。……俺には、そんな風に思える」
最近は『神託』とやらの内容も、とってつけたもののように思える。
今回のイヴに言わせた言葉も、女神が魔族を滅ぼしたいだけではないのか? それは人族の平和を願ったものではない。そんな風に思えてしまう。思いたくはないけれど。
イヴはふっと顔をほころばせた。緊張が解けたのだろう。
「……イヴの話に、付き合ってくれてありがとう」
「大したことは、言えてないけどな」
結局レイがしたことは、不信感を口に出しただけなのだから。
「そんなこと、ないよ。こんな風に思ってしまうイヴがダメなのかな、ってずっと思っていたからねぇ、何だか救われたような気がするんだ」
しばらく無言の時が続いた。
気づけば夕方になっていた。山間に日が落ちようとしている。
周囲でイヴの名前を呼ぶ声が聞こえた。誰かが彼女を探している。
「……ごめんねぇ、イヴ、そろそろ戻らなくちゃ」
「最後に、一ついいか?」
それは、そもそもレイがイヴを訪ねた目的。
「何かな?」
と言って立ち上がったイヴは振り返り、微笑する。
「もしお前が魔族に狙われるとしたら、何か心当たりはあるか?」
「レイくん、何言ってるの?」
イヴはくすりと笑い、理路整然とした口調で答えた。
「イヴはこれでも女神教の重鎮だからねぇ。捕えられれば、いくらでも利用できる。魔族にとって狙う価値は、十分にあるんじゃないかな?」
「……そうか、そうだよな」
レイは頷き、立ち上がった。
イヴに連れられ、教会の敷地の外まで一緒に歩いていく。
「今日はありがとな。急に訪ねて悪かった」
「んーん。イヴも楽しかったからねぇ」
「じゃあ、またな」
「うん、さよなら」
別れの挨拶を告げて。
笑みを浮かべて手を振る彼女には、どこか憂いがあるように思えた。
【お知らせ】
転生勇者と同じオーバーラップ文庫より私の新シリーズ「支援術師の迷宮探索記」が発売されます。
公式発売日は3月25日。三日後ですが、そろそろ書店にも出回っているかなと思います。
光を失った一人のベテラン冒険者が新人ヒロインに導かれ、再び立ち上がるまでを描いたゲーム風王道ファンタジー、転生勇者が好きな方はきっとお楽しみいただけるかなと思っております。
本屋などで見かけた際には、ぜひ手に取っていただければ幸いです。
転生勇者についても、ちょこちょこ更新していきたいと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。