4-16 聖女と勇者
演説が終わると、聖女イヴは大扉の奥へと戻っていった。
同時に、集まっていた聴衆も余韻に浸りつつ徐々に解散していく。
その中でレイは先ほど話しかけたシスターに、ダメ元で声をかけに行った。
「聖女イヴに、個人的な面会はできないか?」
「はあ。申し訳ございませんが、聖女様も忙しい身ですので……」
シスターは困ったような顔でそう応じる。
予想できる返答だった。だからレイは自分の出せるカードを切っていく。
「――俺は冒険者レイ・グリフィス。誰だか分かるか?」
一瞬だけ首を傾げたシスターだが、徐々にその瞳が見開かれていく。
「勇者の、再来……? いえ、ここにいるという話は聞いていません」
「ついさっき、ここに来たばかりだからな」
「勇者を名乗る偽物はこれまでもたくさんいました。確かに伝え聞いた外見的特徴は似通っていますが……貴方を信用するには、足りません」
「そう言うとは思ってた……が、教会関係者なら、これが偽物かどうか分かるだろ?」
レイは鞘に収まっている聖剣の刃を僅かに見せると、
「――聖剣よ、光を宿せ」
詠唱を呟く。すると、刃が淡い輝きを灯した。白銀の刃が、黄金に染まる。
その輝きは聖書にも載っている、聖剣を扱える勇者だと示す証。
すでにほとんどの聴衆が帰っている上、端の方でやり取りしているので、レイたちに注目している者はいなかった。
シスターの瞳がみるみるうちに驚きに染まっていく。
「……本物の、勇者?」
「そう言ってるだろう?」
「仮にそうだとして……なぜ、この都市に? どうして聖女様に会おうと?」
「仕事だよ。――魔国軍に、聖女様が狙われている可能性がある」
「……!? しかし、王国の重要人物ですから、多少の危険は当然では……」
「そんなレベルの話じゃないかもしれない。単純に、聖女の身柄を欲しがっている。まあ可能性の話だけどな。そのうちルイーザの婆さんからも情報が回ってくるだろうさ。その話をするために、俺は聖女様に会っておきたいんだ」
「……お話は分かりました。上に伝えておくことはできます。しかし、聖女様との面会は私の一存ではどうにも――」
「――エメ、勇者様を通しなさい。私が許可します」
脇の扉から、イヴが顔を出した。
流石に聖女が再び顔を見せれば、皆の注目はレイたちに集まる。
ざわめきが起こり始めた。
「聖女様。し、しかし……」
「いいから。責任は私が取ります。勇者様はこちらへ」
――勇者様だと!? と、さらにどよめきが広がった。
面倒なことになったが、何かを言う暇もなくイヴは奥へと歩いていく。
このチャンスを逃すと次はないと思い、レイは大人しくイヴについていった。
◇
一般市民は立ち入り禁止となっている区域。
レイが先ほどまでいた、いわゆる礼拝堂を抜けた先。そこには草花が美しく彩られた庭が広がっていた。透き通った綺麗な水の流れる川のせせらぎで、耳もやすらぐ。
その庭に石が敷かれた通路を抜けた先には、王都でいう宮殿のような施設となっていた。
まるで街からここだけ切り離されたような、神秘的な光景。その中で、くるりと回転してレイの方へと振り向く彼女は、ひときわ美しく風景に馴染んでいた。
「――何をしてるのかねぇ、レイくんは。まったくもう」
先ほどまでとはからっと変化した口調で、イヴは子供っぽく頬を膨らませる。
その仕草は先ほど演説していた『聖女』とはまるで別人だった。
「悪いな。急に押し掛けて」
「本当だよぉ。ここに部外者を入れて、それを後で上の人たちに説明するのがどれだけ面倒臭いのか分かってほしいなぁ」
イヴは神殿らしき場所の側面をぐるりと回ると、裏庭のさらに奥、木々に囲まれた森閑とした池の前で足を止めた。あまり周りから見えない場所だった。
イヴはため息をつくと、草原にどさっと腰を下ろす。
レイは手近な岩に腰を落ち着けた。
「ここはねぇ、イヴだけが知ってる秘密の場所なんだ。意外と周りから見えないでしょ?」
「そうだな。静かで、綺麗で、良い場所だ」
「こういう場所で、たまには一人にならないと気が休まらないからねぇ」
イヴは体も倒し、草原に寝転がった。
「衣装が汚れるんじゃないか?」
「ちょっとくらい大丈夫だよ。それにここは綺麗だからねぇ」
イヴが大きく深呼吸をする。
レイはそのさまをずっと見ていた。
「……随分、普段と違うんだなとか、言わないんだねぇ?」
「別に、そういうこともあるだろ。お前は『聖女』に求められている役割を果たしてるだけで、それ用の仮面を被ってるってだけの話だ。俺にだってそういう経験はある」
レイも『勇者』に求められた役割を果たすため、民衆の前ではそれ用の仮面を被っていた。
人間とはそういうものだ。状況にとって仮面を使い分ける。
「……そっか。勇者様だもんねぇ」
イヴはぽつりと呟くと、空を仰いだまま尋ねてきた。
「戦うの?」
「何の話だ」
「……魔族と、戦争をするんだよねぇ?」
「もう、避けられないだろうな。話し合いの段階はとっくに越えた」
「レイくんも、戦うの?」
「ああ」
できることなら戦争なんてしたくはない。
けれど、レイは勇者だ。そう名乗った以上、王国を守らなければならない。
……いや、そうではない。
レイが、レイ自身が、この国を守りたいのだ。
――だから、それを為すために戦う。
「怖くないの?」
「怖いよ。命が懸かってるんだ。怖くないわけがない」
「じゃあ、どうしてレイくんは戦えるの?」
「大切な人たちを守れないことの方が、怖いって知ってるから」
だから恐怖を乗り越えられる。勇気を持って立ち上がれる。
「……でも、それは、敵を殺すことになるんだよねぇ?」
「そうだな」
「魔族って、心のない怪物なんかじゃないんでしょ? イヴたちと同じように、笑ったり、怒ったり、泣いたりするんでしょ? イヴたちと同じような、人間なんでしょ?」
「……そうだな」
イヴの声は震えていた。
――魔族は、人ではない。
そう断言した自分の演説を、怖れているかのように。
「イヴは、神様の託宣を受けて、それをそのまま皆に伝えているの。そうしなくちゃいけないの。それが聖女の器に選ばれたイヴの仕事で、それが間違いだと思ったことはなかった。でも、最近の神託は……何だかとても残酷で、哀しいことのように思うんだ」
イヴの演説は、魔族と悪だと断定し、糾弾するものだ。
確かにそうやった方が士気は上がるだろう。
自分たちは間違っていないと信じることができるのだから。
悪を成敗するのは、正しいことだ。だから戦う。
綺麗な言葉だ。酔いしれそうになる。
そう信じられたらどんなに良かっただろうか。
けれど現実の戦いはそんなに綺麗なものじゃない。
何が正しいのかなんて結局何も分からなくて、それでも守りたいもののためには、戦うしかないのだ。
「ねぇ、レイくん」
イヴは身を起こし、真っ直ぐな瞳でレイを見つめた。
「レイくんは、神様の教えが正しいものだと思う?」
少しだけ、声が震えていて。
それを押さえつけようと、必死に気丈に振る舞っていることが分かった。
その震えは当然だろう。
イヴは女神教会の重鎮で、聖女の役割を与えられた神に愛された子だ。そんな彼女が、女神の教えを疑う言葉を口に出すなんて、どれほどの覚悟が必要なのだろうか。
「……俺は」
それに対して。
同じく神に愛され、『女神の加護』を宿す聖剣の資格を手にした転生勇者は。