4-14 始まりの気配
ランドルフ・レンフィールドは前線の砦で斥候の報告を受けていた。
「――そうか。分かった。下がっていいぞ」
執務室。豪奢な部屋で柔らかい椅子に深く座り、手を振って部下を下がらせる。
部下が部屋を出たことを確認してから、ため息をついた。
「……ったく、ガラじゃねえんだけどなぁ、こういうのは」
最強とも呼ばれ、“炎熱剣”の二つ名を持つ最も実績があり、有名な冒険者。
そんなランドルフが自身の心境はどうあれ、冒険者で構成された義勇軍の総大将に任命されるのは至極当然のことではあった。
目的はもちろん対魔国軍への備え。王国は冒険者ギルドを通じて依頼を出し、多くの冒険者を募って義勇軍を作成し、実績などに応じて部隊配属した。
結果、冒険者の中で最も実績のあるランドルフが総大将になったわけだが……正直、総大将というよりは正規軍との調整役がメインで、つまりは中間管理職だった。
面倒なのは、王国に冒険者というシステムがある以上、はっきり言って正規軍の練度はそこまで高くない。何なら辺境貴族が引き連れてきた農民に毛が生えた程度の兵も存在する。
だから戦力としては明らかに義勇軍の方が上なのだが、立場上は正規軍の方が上であり、何をするにも彼らを通す必要がある。
冒険者たちも正規兵の態度に苛ついている様子があり、義勇軍と正規軍の亀裂は頭の痛い問題だった。
「――それで、どうするんですか?」
それまで脇で控えていた女性が、鋭い口調でランドルフに問いかけてきた。
「そうだなぁ……」
何度目かも分からないため息をつきつつ、ランドルフは声の方向に目をやる。
艶のある黒髪。切れ長の瞳が整った容姿によく映えている。
身に纏っているのは、ここらでは見かけない奇妙な黒装束だ。
――“死神”クレア。
暗殺に長けた冒険者として淡々と実績を積み重ねた一流の冒険者。
確か最近はアルダートン侯爵の子飼いになっていたはずだが……義勇軍参加の依頼を受け、その実績からランドルフに次ぐ副将の座を与えられていた。
(まあ……十中八九、アルダートン侯爵の指示だろうな)
総大将となったランドルフが、どちらかと言えばグリフィス伯爵派――つまりは戦争反対派であることは周囲から見れば明白だ。グリフィス伯爵と対立しているアルダートン侯爵からすれば、義勇軍に手の者を潜り込ませようとするのは当然だろう。
「まあ……ひとまずは正規軍の連中に報告するしかないな」
「もちろんそうでしょうが……この報告を受けて、どういった作戦を提案するおつもりで?」
先ほどランドルフが受けた報告、それは魔国軍の進行度合いについて。
すでに魔国軍は『砂漠』の半分以上を踏破し、王国領の近くに拠点を築いていた。
正規軍からは敵影なしとの報告を受けていたが、ランドルフが諜報を得意とする冒険者を何人か選んで偵察させたところ、すでに敵がすぐそこまで来ている報告を受けた。嫌な予感は的中したわけだ。この手の仕事は冒険者の方が圧倒的に慣れている。
それにしたって正規軍の練度は心配になることばかりだが……それはともかく。
現に敵が迫っているという事実。それを報告したところで、正規軍はまともな対策は練れないだろう。だからランドルフ側から対策を提案し、それを承認させるという手段を取るほかない。クレアが聞いているのは、どういう手に出るのか、ということだ。
しかし、ここでクレアと対立する理由はない。
いくらランドルフがどちらかと言えば戦争反対派とはいえ、事ここにいたってしまえば悠長なことは言っていられない。すでに魔国軍はすぐそこまで来ているのだ。
いまさら言葉は通用しないだろう。やるしかないのだ。
「……まあ、迎え撃つしかないだろうな」
端的に言うと、「お前の意向には反さない」という意思は伝わったのか、クレアは無言で頷いた。それから二人で端的に作戦を詰めると、さっそく正規軍に報告しに向かう。
あまり時間的余裕はないのだ。
それに正規軍の首脳部を説得するのはかなりの時間がかかる。
あちらにも面子というものがあるのは分かっているのだが……頭の痛い問題だった。
救いがあるとすれば、
「……ランドルフさんですか。正規軍に何かご用でしょうか?」
「――ああ、良かった、君か」
首脳部とは言えないにせよ、正規軍の上の方にも話が分かる者が何人かいるということだろう。その一人が、ランドルフの目の前に立つ、少しひねくれてはいるものの端整な顔立ちの青年だった。
デリック・グリフィス。
グリフィス伯爵領より代表して兵を引き連れてきた、領主アルバートの次男。
勇者の再来として君臨したレイの実の兄であり、魔導学院を上位の成績で卒業した天才魔術師だ。
神童と呼ばれていたエドワードや、勇者であるレイより評判は劣るものの、優秀であることは間違いない。
「上の連中に話を通してくれるか? 報告したいことがある。できれば会議を開きたい」
「……なるほど。緊急の用件ですね」
「そうだ。話が早くて助かる」
「分かりました。すぐに手配します」
デリックはそう言って背を向け、近くの兵に指示を出し始める。
仕事が的確で素早い優秀な青年だった。
強いけれど危なっかしいレイとは違う頼もしさがある。
「……始まるか」
ランドルフは額を拳で揉みながら、面倒臭そうに言う。
またあの頃のような地獄が始まるのだと思うと、うんざりする気持ちだった。
しかも、状況的には明らかにこちらが不利。
戦争のなかった十数年の間に、正規軍の練度が下がりすぎている。
対して、敵は魔族だ。そもそも人族よりも種族的に戦闘向きであり、強い。
まともな戦力となりうるのは義勇軍に参加してくれたプロの冒険者連中だけだろう。
だが、やるしかないのだ。己が住んでいる国を滅ぼされたくなければ。
「……“炎熱剣”はもっと好戦的だと聞いていましたが、思いのほか優しい方なのですね」
クレアは、どこか嘲笑うような調子で言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫でしょう。確かに戦力では負けているかもしれませんが……要は、最後に勝っていればいいのですから」
――“死神”の二つ名を持ち、暗殺で名を馳せた一流冒険者は、嗤う。