4-13 アルスの覚悟
この街は仮にも女神教会の総本山だ。
ゆえに衛兵の数も多い上、教会も独自に警備の戦力を用意している。
つまりは普段から比較的安全が保たれている都市であり、冒険者の仕事は少ない。
プロとしてこの街で活動している者は、アルスの知る限り十人程度だろうか。
だからこの街の冒険者ギルドの規模は、どちらかと言えば小さい方だった。
外からだと、広めの酒場くらいにしか見えないだろう。
アルスはそんな建物の中のカウンター席で、支部長と会話をしていた。
ここは冒険都市アストラのように何十人も事務員がいるわけではなく、常駐しているのは二人だけだ。
支部長が冒険者の依頼処理のような雑務をしていることもある。
と言っても、辺境の冒険者ギルドなどだいたいそんなものらしいが。
「――で、その話を聞かせて俺にどうしろって?」
ベリアルのギルド支部長コンラッドは、アルスの話を聞いても顔色一つ変えなかった。
いつものような無表情にとやる気のなさそうな目をしながら、アルスにはよく分からない書類をぺらぺらとめくっている。
信じていない、というわけではないだろう。もちろん完全に信用しているわけでもないだろうが、馬鹿なと切って捨てるほどアルスの信用は低くない。新参とはいえ、アルスはこの街一番の腕利きだ。コンラッドからの評価はそれなりに高いと自負している。
「別に。ただ、伝えた方が良いと思っただけだ」
「そうか。まあ、俺の方から他の冒険者たちには伝えておこう。信じる者は少ない気はするがな」
「信じてなくても、知っているのといないのじゃだいぶ違うからな」
「なかなか賢いことを言うようになったな。もっと脳筋だと思っていたが」
「ガラじゃねえのは分かってるよ。でも、準備しておくに越したことはねえと思ってな」
アルスは嫌そうに言った。
コンラッドはその表情に僅かな笑みを滲ませる。
数か月の付き合いでようやく分かるようになる表情の変化。分かりにくい男だった。
「……戦争か。物騒な世の中になってきたな。ここ十数年はだいぶ落ち着いていたんだが」
コンラッドの言葉に、アルスは押し黙る。
アルスはその物騒だった十数年前を知らない。まだ生まれていないからだ。
対してコンラッドの年齢は、おそらく三十歳やそこらといったところだろう。
だからアルスとは違い、この空気感を懐かしむような表情をしている。
前線から離れた辺境にあるこの街でも、歩いていると誰もが不安そうな顔で噂話をしているような、どこか緊張感のある雰囲気。
かつてはこんな雰囲気が何十年も続いていたのか、とアルスは思う。
この冒険者ギルドの雰囲気も、若干ピリピリしているように感じる。
今も何人かは飯を食ったり酒を呑んだりしながらたむろっているが、アルスの話にも耳をそばだてているのだろう。情報収集能力は、冒険者にとって重要なスキルだ。
加えて、単純に戦争関連の依頼が増えていることもあるだろう。ちょっとした依頼だと前線の地形の調査や、拠点となりそうな場所の魔物駆除。もっと直接的なものだと、義勇軍への参加要請依頼など。辺境のベリアルですら、そうなのだ。もっと前線に近い都市の冒険者たちはもはや、戦争関連の依頼しかこなしていないだろう。
「……どうにか、なんねえのかな」
アルスには、難しいことは分からないけれど。
こんな空気が長く続くのは嫌だ、と純粋にそう思う。
レイは――勇者アキラはこんな空気感の真っただ中で、ずっと戦っていたのか。
戦場の中心で、この戦争を終わらせてくれるかもしれないという期待を背中に負って。
それは、いったいどれほどの重圧なのだろう。アルスには想像もつかない。
「……もし本当に、魔国軍の精鋭がこの街を襲撃するというのなら」
コンラッドはアルスに視線も向けずに、淡々と告げる。
「それはピンチであると同時に、チャンスでもあるな」
「チャンス?」
「つまり魔国軍の中核となっている戦力が、敵陣の奥深くへと突っ込んでくるわけだろう? もし倒せたとしたら、それは戦争を終わらせる大きなチャンスとなる」
「なる、ほど……」
「向こうだってこの作戦には大きなリスクがあることを承知しているはずだ。だから慎重になっているだろうに、すでに情報は俺たちに伝わっている。これは大きなメリットだ。だからと言って荒唐無稽すぎて、俺から本部に情報を伝えても一蹴されるだろうが……」
コンラッドがこんなに饒舌に喋るところを、アルスはあまり見たことがなかった。
やる気がなさそうに見えて、今は真剣に話しているのが分かる。
「――それでも俺は、君とルイーザ様なら何とかできると思っている」
「中々……高い評価でありがてぇな。仮にも相手は、魔国軍の中核をなす怪物どもだって話なのに」
今でも思い出す。
クロエラードの街の事件で、エレンを狙いに現れた魔国軍最強の怪物。
ローグ・ドラクリア。
当時のアルスは、あの男にまったく敵わなかった。
実力以上の力を引き出した自信はあるのに、勝てるビジョンが一切浮かばなかった。
それだけの差があった。
怖くなる、もしあのままエレンが連れ去られていたら、と思うと。
今エレンがアルスの横で笑っていられるのは、アルスに力があったからではない。
単に、運に恵まれただけだ。きっと二度目はない。
――だから、今度こそアルスは自らの手で、彼女を守らなければならない。
そうであると約束した。そうでなければ、傍にいる資格がない。
「俺の権限で、アルス、君に緊急依頼を出そう。当然、報酬は弾む。俺の給料からな」
「……何をしろってんだ?」
「何、簡単なことだ。――この街と、彼女を守れ。できるか?」
コンラッドが書類から顔を上げ、アルスの目を見た。
視線が交錯する。
「――できるさ、だから任せてくれ」
即答。
それが、アルスの覚悟だった。