4-12 今度はわたしが
アルスとの模擬戦を終えたレイは、ルイーザに頼み事をしていた。
それは街に、魔国軍襲来の警戒をしてほしいということだ。
レイは勇者とはいえ、いまだに顔は知られていないし、信頼もされていないだろう。
立場が不安定なのだ。
王国の希望と呼ばれつつあるものの、その実態は一介の冒険者に過ぎないのだから。
ゆえにこの街の守護者として名が知られ、信頼されているルイーザに頼むのが最も良い。
「いくらワシでも信頼度の低い情報で街の上層部を動かすには多少の時間がかかる。ゆえにお主の名も使わせてもらうぞ」
「ああ。存分に使ってくれ」
「それでも警戒態勢に移らせるのが手一杯。避難させるのは現実的ではない。時間をかければ何とかなるかもしれんが……お主の話では、それでは間に合わんのだろう?」
おそらくな、とレイは頷く。
こんな辺境の都市が、急に魔国軍に襲撃される。確かに現実的な話ではない。
前線から離れているし、軍隊を派兵するにはいくつかの要塞を破壊しなければそもそもたどり着けない。あるとすれば、かつての王都襲撃のように少数精鋭での奇襲のみ。
少数の精鋭を危険に晒してまで、この街を襲う価値があるのか?
「婆さんの目から何か分かるか?」
「何か?」
「魔国軍の首魁ローグが、危険を冒してでもこの街を狙う心当たり」
「そうじゃな……」
ルイーザは手にしていた紅茶をテーブルに置くと、ゆったりとした口調で言った。
「あるとすれば……まあ、三つかのぅ」
彼女は指を三本立てた。
その指のしわがれた様子は、レイに否が応でも時の流れを感じさせる。
誰もがあの頃と同じではない。それはレイも一緒だ。
「一つは、わしを殺すため。『賢者』ルイーザの名は、まあ向こうでもそれなりに知られているだろう。戦場に出てこられることをおそれて、奇襲を仕掛けて殺そうと考えるのは……まあ、ないではない。可能性は少ないと思うがの」
次に、と彼女は続ける。
「もう一つは、エレン。確かお主も関わっていたはずじゃな。あの娘が、ローグにさらわれそうになった事件に」
「……ああ」
思い返されるのは、クロエラードの街で起こった事件。
冒険者試験の裏で画策されていた陰謀。
レイは冒険者養成学園の学園長マリアスから、人造魔族の少女セーラを救い出した。
その際、マリアスを裏から唆していた黒幕ローグは、稀少価値の高い精霊術師であるエレンを見つけ、本国まで連れ去ろうとしていたのだ。
「ただアルスの話だとあくまでついでって感じだったっぽいし、エレンのためだけに動いてくるのはちょっと考えにくいかもな」
「そうじゃな。だが、精霊術師は稀少なのは間違いない。ゆえに狙う者も多い」
自身も精霊術師であるルイーザが語ると、かなりの説得力があった。
レイは考えを改める。
そうだ。精霊術師にはいろいろな危険がつきまとう。
だからアルスも、彼女を守るための力を手に入れると誓ったのだから。
「じゃがまぁ、エレンがこの街にいることまでは流石に知られているはずがない」
「確かに。知られていたら狙われるかもしれないけど、そもそもバレている可能性は低い」
「そうなると、最もありそうなのは最後の一つじゃな」
ルイーザはいったん紅茶で舌を湿らせると、
「わしが考えている最後の可能性は――『聖女』の身柄を奪うため」
その言葉を受けて、レイは眉をひそめた。
「『聖女』……?」
聞き覚えはある。
というか、誰もが名前くらいは知っているだろう。
なぜなら、その称号は『創世神話』において英雄の次に有名なもの。
最も女神に愛され、最も女神を愛したとされる最高の女神教徒。
寵愛ゆえに特別な力を宿し、その力を以て多くの人々を救ったとされている。
神話に謳われ、今も教会には彼女が祈りを捧げる様子を描いた絵画などが遺されている。
「『創世神話』に謳われた『聖女』。最近その名を継いだ者がいる。確か、イヴじゃったか」
「それは初耳だな」
レイはそう言いつつ、名前そのものには心当たりがあった。
この都市に来る直前に出会った、輝くような金髪に美しい碧眼の少女。
彼女は――自らのことをイヴと名乗った。
「本当に最近のことで、まだ王国中には知られてはいないのだろう。この教会都市ベリアル周辺には広まっているのじゃが」
「これまで『聖女』の称号を継いだ者なんていなかったはずだ。最も女神に愛され、最も女神を愛した者。そんな称号を受け継ぐのは怖れ多いとされて」
「そうじゃのう」
「なら、どうして急に?」
「女神の寵愛を受けていると、そう確信できる者が誕生したからではないか? わしは直接見たことがあるわけではないから、断言はできんが」
「婆さんでも見たことないのか? ここは女神教会の総本山だし、この都市にいるんだろ?」
「うむ。普段は厳重に警護されているんじゃろうな。顔すらも分からぬ」
「……なるほどな」
先ほど、道端に倒れていた少女の素性が明らかになっていく。
普段は厳重に警護されている。
だから街の人々は彼女の顔を知らなかった。
だから彼女は暮らしているはずの街の様子をあまり知らないと言った。
だから教会の連中が彼女のことを捜索していた。
あの『聖女』の称号を継いだ者だとすれば、その扱いにも納得がいく。
「……それで?」
レイは、続きを促した。
「その二代目『聖女』が、どうしてローグに狙われると思う?」
「『聖女』とはすなわち、最高の女神教徒である証。そんな存在が敵の手に渡れば、王国の士気が落ちると考えるかもしれん」
「まだ存在自体の知名度が低いなら、士気に影響を及ぼすかは微妙なとこじゃないか?」
「とはいえ間違いなく魔国側の士気は上がるじゃろう。魔族は人族を守護する女神を憎んでいるからな」
「……なるほどな」
「あるいは……」
ルイーザは顎に手をやりながら呟き、僅かに息を止めた。
「『聖女』という様々な逸話、伝承を背負う価値の高い人間で何かしらの儀式を行おうとしているか、といったところか」
「何だと……?」
「いや……これは、ただの推測じゃが、可能性は低いな。わざわざ危険を冒して『聖女』をさらってまで行う価値のある儀式。どんなものか検討もつかん。忘れておくれ」
ルイーザはそこまで言い切ると、紅茶を飲み干して立ち上がった。
「前線から離れた辺境とはいえ仮にも女神教会の総本山。警備は元から甘くはないし、わしもいる。そこを奇襲しようと言うのなら、かつての王都襲撃クラスの連中を揃えなければ不可能じゃろう。それでも、お主は警戒するべきと言うのじゃろう?」
「ああ。こいつは俺の勘だが――ローグは間違いなく出てくる」
「ほう」
「あいつは根本的に自分の力しか信用していない。大事なことは、必ず自らの手でやる」
「ふむ。それは、中々に説得力のある情報じゃな」
「あいつと一番戦り合ったのは俺だ。思考回路くらい分かるさ」
「あの男とまともに戦えるのがお主だけじゃった、とも言えるがのう」
「婆さんだって普通に戦ってたろ」
「わしにできるのは時間稼ぎがせいぜいじゃ。衰えた今ではそれもキツいじゃろうが……そもそも、あの男はお主と戦う時ぐらいしか本気は出さんよ」
適当に言いながら、ルイーザはひらひらと手を振って部屋を出ていった。
この街のお偉いさんのもとへと向かったのだろう。
「さて……」
と、レイが自分の紅茶を飲み干したタイミングだった。
「あれ、ルイーザさんは?」
エレンがエプロンをつけた状態で入ってくる。
以前よりも少しだけ伸びた蒼い髪を二つ縛りにしていた。
成長して大人びた容姿に子供っぽさが加わって、可愛らしい。
「こりゃアルスも惚れるわな……」
「な、何なの急に!?」
「それより、アルスは?」
「それよりって……あの人は、冒険者ギルドに向かったよ。レイの言ったことをギルドの支部長に伝えるために」
「そうか。あいつも動いてくれるのはありがたいな」
「アルスはここの冒険者ギルドでは一番強いっていわれてるし、新参とはいえそれなりの発言力はあると思う」
エレンはそう言いながら、軽食が乗ったトレーをテーブルに置いた。
「……って、ルイーザさんは?」
「ついさっき外に出たぞ。この街の領主のとことかに向かったんだと思うが」
「せっかくお食事を用意したのに……」
エレンは頬を膨らませる。
どうやらレイの分もあるようだった。
「じゃあ、レイが全部食べて」
「まあ普通に食えそうな量だな。ありがたくいただくぞ」
「ルイーザさん、いつも食事をしたかどうか忘れるんだから……」
「おいおい、大丈夫なのかそれ?」
「やっぱり歳のせいなのかな……?」
「言ってから気づいたけど、そういえばあの婆さん俺が転生する前からそうだな」
「元から忘れっぽいだけなの!?」
「多分」
適当に言いながらスープを口にすると、レイは目を瞠った。
「……美味い」
「でしょ? 頑張って料理の練習もしてたんだよ」
ふふん、と相変わらず成長が見えない部分を張って鼻息を鳴らすエレン。
「アルスは幸せ者だな」
「べ、別にアルスのためだけじゃないんだけど……」
「アルスのためではあるんだな」
エレンを赤面させて楽しみながら食事を終えると、レイは席を立った。
「レイもどこかに行くの?」
「ああ。ちょっと気になることがある」
「……あんまり危ないことはしないでね」
不安げにレイを見たエレンは、きっとレイやアルスがこれから危険に首を突っ込むかもしれないことを察しているのだろう。
「そいつは保証しかねるな。でも、安心しろ。死にはしない」
自分が死ぬと、悲しんでくれる人がいるということを知っているから。
レイはあえて胸を張り、大丈夫だと約束する。
「アルスだって死なせはしないさ。お前は安心して待ってろ」
レイがそう言うと、エレンはふるふると首を振った。
不思議に思って彼女の目を見ると、覚悟の決まった強い目をしていた。
「わたしはもう、アルスに守られるだけじゃない。あの日に、そう決めたんだ」
――今度はわたしもアルスを守るんだ、と語る彼女を見て、レイは笑った。
「そうか」
――アルスは幸せ者だなと、レイはもう一度繰り返した。