4-10 レイとアルス
「――ええ!?」
部屋に、エレンが驚く声が響き渡った。
「き、聞いてないよ!?」
「そりゃ、言ってないからな」
「……レイ、ひどいね」
ジト目になるエレン。
「それを言われると頭が痛いが……でも、何のきっかけもなく、いきなり俺は勇者の生まれ変わりだって言うわけにもいかないだろ」
「それは、まぁ……」
「仮に小さい頃にそう言ったとして、お前はそれを信じたか?」
「う」
エレンは目を逸らし、レイは肩をすくめる。
アルスは軽い調子で言った。
「オレは信じたぞ?」
「お前は単純だからな」
「おい」
レイはあえて何も答えずに紅茶に口をつける。
「――それに」
そして、息を吐いて言う。
「俺自身も、あんまり言いたくはなかった……のかもな」
『堕ちた英雄』。
そう呼ばれていた勇者アキラの名を、名乗りたいとは思わなかった。
その過去を受け入れた上で前に進まなければ、成長などないというのに。
「説明は終わったかぇ?」
話がまとまったあたりで、ルイーザが声をかけてくる。
レイがうなずくと、彼女は言った。
「それで、わしにどんな用があってわざわざこの街を訪れた?」
「まあ、話せば長くなるけど……端的に言えば――この街が、魔国軍に襲われる」
その言葉で、場に緊張感が走った。
まあ、確定じゃないが――と、レイは補足する。
「……にわかには信じがたい話じゃな」
この街の攻めにくさを知っているルイーザは顔を怪訝そうに歪める。
「軍で攻めてくるわけじゃない。それをやるには、この街の防備は堅牢に過ぎる。来るとするなら、あくまで少数精鋭。ローグ・ドラクリア級の怪物たちだ」
ローグ・ドラクリア。
その名前を出した瞬間、アルスの目に緊張感が宿る。
以前、敗北した過去を持つからだろう。
ゆえに、そのレベルの怪物が何人も――ということを想像し、危機感を持っている。
「……そこまでして、何をしようと言うのかぇ?」
「ローグは、戦争とは無関係に、この街にある何かを求めている……という話を聞いた」
「それ、信憑性はあるのか?」
「捕虜から聞いた話だし、まったくないけど……俺の勘は嘘じゃないと言ってる」
「……」
「俺には、ローグがただ単に王国の領土を奪うために戦争を仕掛けるなんて、真っ当な思考回路をしているとは思えないしな」
あの男は、もっと異常で狡猾で凶気だ。
「……この街にあるもの」
ルイーザがぽつりと呟いた。
「心当たりがありそうだな」
「ここは教会都市ベリアル、女神教会の総本山じゃ。となると……」
そこまで言って、ルイーザは首を振った。
「いや……流石にそれはないじゃろう」
「ルイーザさんが目的ってことはないのか? あいつは精霊術師に興味がありそうだったし、『賢者』ともなるとここに住んでいることもバレている」
クロエラードの街の一件で、貴重な精霊術師であるエレンはローグに狙われた。
それを知っているアルスは、そんな風に尋ねる。
「奴はわしには興味がないはずじゃ。ない、というと正確ではないが……わざわざこの街を襲撃するようなリスクを冒してわしだけを捕えようとすることはない。エレンに関しても同じじゃ。何かのついでなら、可能性はあるが……」
そこで場に沈黙が下りた。
「まあ……何にせよ、この街は危ない。だからできるなら離れた方が良い……って、それを伝えに来たわけだ。流石に信じてくれる奴は少ないだろうけど」
「レイのことは信じているんじゃが……わしがこの街を離れるかどうかとは別問題じゃ」
真剣な調子で、ルイーザは言う。
「わしはこの街に、もう二十年以上も住んでいる。民も、わしのことをこの街の守護者と信頼してくれている。ならば、この街が危機にさらされたとき、わしが矢面に立って戦わねばならん。――いや、わしがそうしたいと思っている」
「そうか」
レイは苦笑した。
ルイーザなら、そう言うような気がしていた。
それとは対照的に、アルスは難しそうな顔をしていた。
彼にとって最優先はエレンの安全だ。もちろん街のために戦いたいのは山々だろうが、エレンが危険に晒されるのであればその限りではない。
だが、そんなアルスの思考を読み取ったのか、エレンがアルスの手を握る。
「アルス」
「……分かった」
その会話の深い意図までは読み取れなかったけれど。
ここから逃げることはない――ということだけは理解できた。
「仮に来るとしたら、時期は?」
「そう遠くはないはずだ。ローグはすぐに動くと、ライナスの奴は言っていた」
「……なら、今のうちにもう一段階ぐらい成長しておかないとな」
「わたしも、ルイーザさんに教わって、それなりに精霊術を扱えるようになってきたけど、もっと頑張らないと」
むん、とエレンが腕に力を込める。
「わしも準備をしておかないとかねぇ……」
ルイーザも、怖いくらいに真剣な調子でぽつりとつぶやき、立ち上がった。
そうして、周囲のレイにはよく分からない機材をいじくり始める。
レイがここに来たひとまずの目的は果たした。
後は――本当にローグがここを襲撃にしにきた場合、今度こそ奴を討ち果たすのみ。
「レイ」
「何だ?」
「――たまには一線級の奴と戦わないと腕が鈍るだろ」
背を向けて告げるアルスからは、夥しいほどの剣気が迸っていた。
「久々に、模擬戦でもやろうってか」
「ああ。勇者になったお前の力を、オレが試してやる」
「……へぇ、大きく出たな」
不敵な笑みを浮かべて告げるアルスに、レイもまたニヤリと笑った。