1-10 謎の魔物
二年前。
魔国を治めていた魔王シャウラは死んだ。
レイも、その情報は確実だと考えている。
北の森に住んでいるゴブリンやガードック。
それまでは夜に魔物と戦う度、敵が少しずつ強くなっていることを実感していたのだが、魔王シャウラが死んだという報告があってからは、その感覚がまるでなくなったのだ。
そして。
魔国は、他国に攻め入るどころではなくなった。
魔王はそう簡単に生まれる存在ではないのだろう。
人族の国のように、次々と人柱のように新しく擁立することはできない。
そのおかげか、ザクバーラ王国、レイストラス帝国、魔国――この三国間は現在、かりそめの平和を手にしているような形になっていた。
魔国の脅威が弱まり、『砂漠』を越えて侵攻を狙う王国と帝国。その二国間の睨み合いによって、緊張感は以前よりも増している状態になっているが。
(……過去を振り返っている場合じゃないか。今は、目の前の敵に集中しろ)
レイはゆっくりと剣を引き抜き、浅く息を吐いた。
三体のオークと一体のオークロード。
『前世』では何度か戦ったことはある。
膂力は脅威的だが、速度はそれほどでもない。
冷静に戦えば、どうということもなかった。
だが、今のレイにとっては――。
(――よし、殺す)
レイは影から飛び出すと、恐ろしいまでの流麗さで足に魔力を集め、一気にオークのうち一体の懐にまで踏み込んでいく。
そのままの勢いで袈裟斬りにする。
訓練通りの軌道を描き、剣はオークを二分した。
陽光を反射して、剣がギラリと輝く。
魔鋼という魔力伝導率の高い物質で研がれた剣。
脆い代わりに切れ味鋭く、レイは気に入っていた。
繊細なレイの魔力操作によって強化された剣は、剛毛に筋肉質な体格をしているオークですら、いとも容易く両断することが可能だった。
(まずは一体……)
レイが踏み留まると、オークロードの雄叫びに呼応するかのように、左右からオークが挟み撃ちにしてくる。
レイはそれを知っていたかのように飛び退くと、同士討ちしそうになって慌てて止まるオークの片割れに斬りかかった。
神速の剣閃が音もなくオークの首を切り落とす。
目の前の首が落ちたのを見たオークの片割れは、あまりの驚きに目を瞠った。
その体は隙だらけだが、レイは追撃を諦める。
右に体を投げた。
直後。
オークロードの槍が、先ほどまでレイがいた場所を切り裂いていた。
レイは転がりながらも火の魔術を練り上げていた。
火球が牽制のようにオークロードに迫る。
オークロードは落ち着いて躱したが、その後ろに立ち尽くしていた最後のオークを容赦なく焼き払った。
レイの火魔術は見た目よりも威力が高い。
オークロードは仲間を殺されて怒っているのか、地の底に響くような唸り声をあげる。
レイは無視して術式を構築していた。
相変わらずの無詠唱。
アリアから教えられた知識、物品を基に、レイが独自に編み出した異世界式魔術の神髄。
オークロードはレイを注視して槍を構えているが、それが仇となることに気づいていなかった。
(――フラッシュ!!)
カッ!! と、レイの体から強烈な閃光が放たれた。
イメージは電球。
それを己に見立てたのである。
オークロードは叫び声をあげ、たたらを踏んだ。
手を顔の前で交差して、その瞼は閉じられている。
(隙だらけだ……!!)
レイは霞むような勢いでオークロードに肉薄する。
その大柄な肉体が血を流して崩れ落ちたときには、すでにレイは剣を納めていた。
(……なるほど。オークロード、今の俺でも十分倒せるな)
レイは納得したように頷いた。
女神式剣術だけなら厳しい戦いになったかもしれないが、レイの異世界式魔術には独自の想像から生まれた固有魔術が多く、極めて初見殺しとなっている。
ちなみに女神式剣術とは、『前世』の己自身――英雄アキラの剣術のことである。
あの無駄のない完成された剣術は『女神の加護』が剣の行く先を道案内してくれていた。
だからレイは、この剣術をそう呼んでいた。
(……しかし、森にオーク共がやってくるとはな)
何か起きているのかもしれない。
たとえば、より強力な魔物に棲み家を追われているとか――そこまで考えて、レイは思考をやめた。
(……いや、あのオークロードにそんな弱気な雰囲気はなかった。考え過ぎだろう)
♢
翌日。
レイは気怠そうに起き上がる。
いつも寝る前に気絶寸前まで魔力制御の訓練をしているせいだが、今日は眠気が覚めるのが早かった。
(……なんか、外が騒がしいな)
レイは愛用している灰色の外套を纏い、腰に長剣を吊ると、自室から飛び出した。
リリナの部屋を覗いても姿がない。
廊下を歩いていると、次男のデリックを見つけた。
ちなみにデリックは王都の魔導学院を上位の成績で卒業し、家では魔術の研究に勤しんでいた。
剣技はいまいちだったが、勉学と魔術で優れた実力を発揮していたのだ。
その風貌に昔のようなやんちゃな雰囲気は見当たらず、理知的な双眸には穏やかな光が宿っている。
レイはデリックに駆け寄って声をかけた。
「おはよう、兄さん。何かあったの?」
「おお、レイか。どうも昨夜、魔物が村まで侵入してきて、村人が怪我したらしいぞ」
(……何だと?)
レイは静かに目を細めた。
「どんな魔物だ?」
「それが分からないから外で騒ぎになってるようだな。ゴブリンとかなら複数人いれば退治できるから、そこまで珍しいことでもないはずだし」
「……へぇ」
「まあ俺も又聞きだ。外で対応に当たっているエドワード兄さんに聞いた方が早いと思うぞ」
「なるほど。ありがとう」
アルバートはまた王都に出張中だ。
領主代理として、エドワードが事態に対応しているのだろう。
レイはデリックに頭を下げると足早に屋敷を出た。
村の広場に行くと、ざわざわと村人たちが会話を交わしていた。
彼らにエドワードの居場所を聞くと、
「エドワード様ならマルクの家にいらっしゃいます」
「……マルクさんって、アルスの父親だよな? まさか、襲われた村人ってのは……」
「ええ」
村人は哀しそうに目を瞑ると、告げた。
「レイ様の想像の通りでしょう」
「……そう、か。ありがとう」
レイは足早に歩き、アルスの家の戸を開けた。
アルスの父親――マルクは狩人だ。
家は村の外縁近くにあり、広さはそれなりだが、お世辞にも綺麗とは言えない造形をしている。
木と藁でマルクが自作したらしい。
「……アルス」
家の中にいたのは、ベッドに寝かされ包帯を巻かれているマルク、鎮痛そうな面持ちのエドワード、村の何人かの重役に――心配そうに顔を歪めるアルスだった。
アルスはこの七年で成長し、レイよりも少し背が高くなり、肩幅も広くなっていた。
「あぁ、レイか」
「大丈夫か?」
「オレは、な。父さんは……」
アルスが歯切れ悪く答えるが、
「大丈夫。マルクさんが死ぬことはないよ。近くの都市に馬を走らせている。すぐに治癒術師と、マルクさんを襲った謎の魔物を退治してくれる冒険者が来てくれるはずだ」
エドワードが安心させるようにアルスに言う。
レイは感心したように言った。
「エドワード兄さん、おそろしく手際良いね」
「父さんが残したメモに従ったんだよ。冒険者にしろ治癒術師にしろ、父さんのツテに頼っているだけさ」
エドワードは首を振る。
謙遜ではなく本心から言っているのだろう。
「ありが、てぇ……こと、だ」
重傷のマルクが、息も絶え絶えに呟く。
うつ伏せに寝かせられていて、背中の大部分は包帯に包まれ、血が滲み出している。
「気づきましたか!?」
エドワードが目を瞠り、ベッドに近寄る。
「あぁ、何とか……な」
マルクは呟きながら、荒く息を吐いている。
エドワードは強く拳を握り締めていた。
何もしてやれないことが悔しいのだろう。
いくらエドワードとはいえ、治癒術を扱うことはできない。
治癒術は精霊術ほどではないとはいえ、才能を限定されている分野だ。
そして人体に関する知識も必要とされている。
エドワードは魔導学院の講義によって医学の知識は多少なりともあるだろうが、それでも治癒術が使えない理由は――単純。才能がないからだ。
そんなエドワードを横目に、レイはマルクの受けた傷跡を観察する。
(……逃げ出したところを後ろから斬られたって感じだな)
それも切り傷。
爪か何かだろうか。
少なくとも致命傷ではないはずだ。
化膿でもしない限りは大丈夫だろう。
数時間以内に治癒術師も来るので、死ぬ心配はしなくても良さそうである。
(まだ話すのは辛い状態だろう……マルクさんが襲われた場所を調べてみるか)
レイは家から抜け出すと、村人の情報を頼りに襲撃現場に辿り着いていた。
アルスの家から見える場所だ。
村を囲んでいる柵。
そこに隣接している畑である。
マルクはここで畑を耕している村人と会話をしていたところ突如として魔物に空から襲撃されたらしい。
(空を駆ける魔物、となると……いずれにしろ今の俺が勝てる相手じゃない)
戦場となった畑は荒らされていた。
狩人のマルクは戦いの心得があるので、先に村人を逃し、自身は時間を稼ぐ為に交戦したのだろう。
魔物が棲み着く森で獲物を狩っているのだから、多少の魔力制御はできそうだが、マルクはお世辞にも鍛えられるとは言えない体な上、そろそろ年だ。
本人も少し前に、
「狩人に必要なのは森に溶け込むこと。それは魔物を回避する術だ。俺たちは冒険者じゃないんだ。魔物を倒すほどの腕はいらない。そりゃゴブリンぐらいは倒せるけどよ。必要なのは逃げ足と忍び足さ。儂にはそろそろ腰が痛くてできなくなってきてるがな!」
そんなことを自慢げに語っていて、冒険者に憧れるアルスが文句を言っていたような気がする。
実際これまでゴブリンとガードックが棲む森で狩りを続けてきたのだから、その言葉は真実だと見ていい。
(いくら村人を逃していて時間を取られたとはいえ、足の速いガードックから容易に逃げられる狩人が、後ろから斬り刻まれるレベルの空の魔物……)
だが、マルクが死んでいないことを考慮すれば、強力すぎる魔物――すなわちワイバーンやドラゴンなどの系統とは流石に違うだろう。
そもそも、そこまで有名な魔物ならマルクに庇われた村人も「謎の魔物」とは称さないはずだ。
「グリフォンだろうな」
「ああ」
真横から届いた声に、思わずレイは返事をしていた。
――気づけば。
いつの間にか鎧を着た大男が近くに立っている。
なぜ気づかなかったのか分からなくなるほどに濃密な存在感を漂わせていた。
レイは圧倒され、一歩退いた。
(……こ、いつ……)
焦げ茶色の長髪を無造作に垂れ流し、無精髭もそのままにしているワイルドな雰囲気。
動きやすそうな革鎧に、腰には二本の剣。
「“炎熱剣“の、ランドルフ……!?」
「お、俺の名前知ってんのかよ少年。よろしくな」
ランドルフ・レンフィールド。
『前世』で、英雄アキラに『世界樹』について語ってくれた最強の冒険者が、そこに立っていた。