4-8 聖女
「確かこのへんだった気がするんだけどねぇー」
「……お前さっきも同じこと言ってなかったか?」
「あんまり街を出歩かないから、土地勘がないんだよねぇー」
「やっぱり人選を間違えたな……じゃあなイヴ。またどこかで会おう」
「待ってー! 構ってよーていうか、今度は本当にこのへんだから! マジだから!」
「俺は暇じゃないんだけどな……」
レイが呆れたようにイヴを見やると、彼女はうるうるした瞳でこちらを見てくる。
その人間離れした美貌に、思わず見惚れた。
『賢者』ルイーザの住所を知りたいだけなのだが、思いのほか時間がかかっている。
なぜかもう夕方になっていた。
(……それにしても)
これだけ歩き回れば、レイでなくとも気づくだろう。
明らかに、女神教会の人間が誰かを探しているという事実に。
そして、外套で顔を隠すイヴが、彼らを避けるようにして道を歩いていくことに。
ゆえに大通りを歩くことはほとんどできなかった。
時間がかかっている理由には、これもあるだろう。
僅かに、静寂があった。
イヴはくるりと振り返り、レイは足を止める。
「……気づいてる、よね」
「お前が逃げている相手のことなら、そりゃ気づくだろ」
「みんな必死になってイヴを探しちゃって、面白いねぇー」
「……お前はいったい、教会にとってどういう存在なんだ?」
レイの問いに対して、イヴはただ曖昧に笑った。どこか寂しそうに見えた。
「――『聖女』、レイくんは聞いたことあるかな?」
名前だけは聞いたことがある。風の噂で流れてきたのだ。
曰く、女神の祝福を受けた少女が存在する、と。
その少女は、『奇跡』を身に宿しているのだ、と。
聖剣に代わり与えられた、女神が王国に味方するという証。
そんな風にも云われていた。
「……噂程度なら」
「この街の外の人間なら、そうだよねぇ。協会は、イヴを外に出そうとしないし」
「教会の中にずっと閉じ込められているから、だからこの街の案内すら危ういってことか」
「あはは、レイくんはすごいな。全部お見通しだねぇ」
でも、とイヴは首を振る。
「閉じ込められているって言っても、別に監禁されてるとか、そういうわけじゃない。みんなは優しいよ。優しすぎて、だからイヴから目を離せない。それだけなんだよねぇ」
「……お前はそれでいいのか?」
「いいんだよ。たまにこうやって、気晴らしはしてるからねぇ」
レイたちのいる路地裏に、段々と足音が聞こえ始める。
魔力で耳を強化しないと聞こえない程度ではあるが……おそらく教会関係者だろう。
魔術か何かで、場所を絞り込んできたのだ。
「癒しの奇跡。最初から、イヴに持たされた力。……みんなはこれを女神様の祝福って呼んでるんだ。誰でも何でも『元に戻せる』、この力を」
「……」
「信じられないかな? でも、本当なんだよねぇ。イヴの力は――世界を冒すものだ」
「……それが本当なら、お前を狙う人間も多くなるだろうな」
「だから、誰か、イヴを守ってくれる人がいないといけないから困るよねぇ」
「腹が減って倒れてたやつの台詞とは思えねえな」
「あはは、でも、イヴは運が良いから――幸福だから、本当に危険な状態になることはほとんどないと思うよ。今回も、あなたが助けてくれたじゃん。再来の勇者レイくん」
「……気づいてたのか」
「顔だけじゃ流石に分かんなかったけど……その剣」
イヴの視線は、レイの右腰に括り付けられている剣に向いた。
「それ、聖剣だよねぇ? だから、勇者だと分かったんだ」
「よく分かるな。鞘はいたって普通だし、そこまで特徴的な鍔でもないと思うが」
そもそもレイたちが見つけるまで長い間行方不明になっていた聖剣を、まだ十五、六歳に見える少女が見抜けるものだろうか。
「分かるよ。その剣――何だかイヴに似てるからねぇ」
「どういうことだ?」
「あ、ごめんねぇ。――そろそろ時間みたいだ。レイくんは早く逃げて」
言われて気づく。
イヴを探している者たちの気配が、もうすぐそこまで迫っている事実に。
「……まだ話は終わってないぞ」
「『聖女』の誘拐犯にはされたくないでしょ? まあイヴが証言すれば大丈夫だけど、このまま見つかればレイくんにとってきっと面倒臭いことにはなる」
確かに、悠長に事情聴取などされている暇はない。
レイにはやるべきことがたくさんある。
ドタバタとした足音に舌打ちして、レイは路地裏から屋根に飛び上がった。
その瞬間、イヴの淡々とした一言が聞こえた。
「この道をまっすぐ行って、右に曲がってしばらく進めば、『賢者』の家はあるよ」
どうやらちゃんとわかっていたらしい。
一瞬後に、イヴのもとへと教会の者たちが殺到した。
「心配させないでよね」
「……ごめんねぇ、おばさん。」
年配のシスターなどは、イヴに抱き着いて泣いている。
それ以外の者たちも、皆ほっとしたような穏やかな視線をイヴに向けている。
イヴは珍しく神妙な表情で謝罪していた。
「大事にされてるのは、本当みたいだな」
レイはぽつりと呟き、そっと屋根を飛び移るようにして離れていく。
ある程度進んだところで地面に下り、イヴの案内に従って歩いていった。
◇
「――へぇ。女神の祝福を受けた少女、ね。そんな奴がいたのか」
「噂ぐらいは聞いたことあると思うけどなぁ」
「耳の右から左に流れてった可能性はあるんじゃねえかな」
「アルス……」
ジト目のエレンに、笑って誤魔化すアルス。
ルイーザは呆れたようにため息をついていた。
「あんたの記憶が、わしは心配だよ」
「流石に婆さんには言われたくねえな……」
「はいはい二人とも、紅茶淹れたよ」
エレンはなだめるように言って、紅茶をテーブルに置く。
「おやおや、ありがとう」
ルイーザが紅茶に手をつけるのを見ながら、猫舌のアルスは機を待つ。
「……エレンの修行は順調なのか?」
アルスが尋ねると、ルイーザは分かっているのかいないのか、不思議そうな顔をする。
五秒ほど沈黙があった後に、ルイーザはようやく声を発した。
「ああ、そうだねえ。だいぶ精霊を制御できるようになってきているんじゃないかぇ。ウンディーネは高位精霊だ。わしのサラマンダーと同じく、そこらの精霊とはそもそも出力が異なる。……もしかすると、あんたよりも強いかもしれないよ」
「ほらね、アルス。わたしは強いんだから」
ふふんと自慢げに胸を張るエレン。
「そうかよ。まあ強くなるに越したことはねえよな」
「あ、信じてないでしょ?」
不満げなエレンに、アルスは肩をすくめる。
アルスは自身の成長を自覚していた。
特にここ最近は、戦うほどに自分の動きが鋭さを増していく。
成長期が終わりに近づき、体ができて、理想とする動きを体現できるようになった。
おそらくはその影響だろう。アルスは著しく強くなっていた。
確かにエレンも強くなっているのだろう。だから、不安要素は減りつつある。
けれど、アルスには届いていない。
ルイーザとの修行風景をたまに見るが、その確信があった。
「そんなことねえよ」
「あんたたちがいきなり押し掛けてきた時は驚いたねえ」
「話が唐突だな……」
とはいえルイーザがマイペースなのは今に始まったことではない。
「しかも、まだ新しい精霊術師が存在したとは。わしらの世代を最後に、一度も見たことがなかったよ」
「ウンディーネが、わたしに力を貸してくれたから」
「高位精霊に好かれるのは、非常に稀有な才能。それを自覚しておくことだね」
「はい、『賢者』さま」
「ああ、その堅苦しい呼び方はやめておくれ。重荷で死んでしまうよ」
「あはは……ん? どうしたの、ウンディーネ」
エレンが不思議そうに自分の肩の辺りを見やる。
それを見てアルスが感覚を研ぎ澄ますと、この家に近づいてくる気配を察知した。
数は一人。
どうやら玄関に向かっているらしい。
足音、歩き方の時点で、武芸の心得がある者だと分かる。
「俺が出るよ」
「すまないねぇ、お願いするよ」
ルイーザを制し、アルスは屋敷の玄関へと向かう。
また『賢者』に用があるお偉いさんか何かだろうか。
そう考えながらガチャリと扉を開けると――
「よぉ」
「――レイ!?」
今、世界で最も噂されている幼馴染の姿が、そこにあった。