4-6 イヴという名の少女
教界都市ベリアル。
その街に入ってすぐの通りになる、どこにでもありそうな大衆食堂。
レイはその一角のテーブルに頬杖をつきながら、ガツガツバクバクと猛烈な勢いで料理を腹に収めていく金髪の美少女を眺めていた。
「いやー! レイくんだったっけ? イヴね、おなか空いて死にそうだったんだよねえー!」
金髪碧眼の美少女はセーラにも負けないレベルの大食いを披露すると、死にそうな顔をしていた先ほどとは打って変わった陽気な表情で快活に話しかけてくる。
「あ、イヴはねぇ、イヴって言うんだよ! よろしくねぇ!」
「話してちゃ分かったよ名前は」
「だよねぇ。あはは、イヴ、名前言っちゃうからなあ。あ、ありがとうねぇ、ご飯まで奢ってもらっちゃって。すっごく美味しいよ!」
「別にこのぐらいはいいけどさ……何であんなところで倒れてたんだよ」
「いやぁ、ちょっといろいろあってねぇ、イヴ、面倒くさくなっちゃって逃げ出したんだけど、ご飯食べる前に出てきたからおなか空いて倒れちゃったんだよねぇー!」
「無計画すぎるだろ……」
「流石のイヴも一食抜いただけで倒れるとは思ってなかったんだよねぇ」
あはは、と陽気に笑うイヴ。
危機意識が足りていないので、レイはしかめっ面で口を挟む。
「あのな、魔物に襲われたらどうする気だったんだよ」
「でも、レイくんが助けてくれたじゃん」
「たまたま俺でよかったけど、魔物か悪い連中だったらどうするつもりだったんだ?」
「でもねぇ、イヴは昔から運だけは良いから、たぶん大丈夫だと思うよ」
「……?」
その言い草にレイは微かに眉をひそめつつも、食事を口に運んでいく。
野山を走り近道をしてきた都合上、保存食を食べることが多く、温かい食事は久しぶりだった。
レイはイヴを横目に、のんびりと食事を堪能していく。
「それでねぇ、レイくん。その外套、良かったらちょっと貸してくれないかな?」
「うん? まあ別にいいけど……旅していたから汚いぞ?」
「そういうのは大丈夫だよ。イヴ、汚いものを羽織ると興奮する性格だから」
「大丈夫じゃなくね!?」
「ふふふふふ、さあ、早く……!」
はーはーと息を荒くして迫るイブに、レイはドン引きして椅子ごと後退していく。
だがイブの手に肩を捕まえられると、そのまま顔が外套に近づき、くんくんと匂いを嗅がれた。
「何だ。別にそこまで汚くないじゃん……」
「何で残念そうなんだよ……怖いよ、ていうか席に戻ってくれ、注目されるだろ」
「イヴ、育ちがいいからねぇ、綺麗なものばっかりの中で育てられてきたから、汚らわしいものを見ると……ちょっと興奮するんだよねぇ」
「初対面の人間に闇が深い性癖を暴露するのやめてくれる?」
「あはは、冗談だよレイくん」
「びっくりさせるなよ」
「半分くらいは」
笑顔でそう言ったイヴを見て、レイもまた安堵の表情のまま凍り付く。
「別に、単に汚いものが好きなわけじゃないから安心して。イブはねぇ、レイくんみたいな綺麗な顔をしている人の汚らわしい部分が好きなだけだよ」
「もっと闇が深くない!?」
「まあ外套、貸してよ。汚いもの羽織ると興奮するっていうのは本当に冗談だし、そもそも、それがそんなに汚くないことはさっき確認したでしょ?」
「どこまでが本当だか分かんねぇ奴だ……」
レイは戦々恐々としつつ、着ている灰色の外套を脱ぐと、イヴに渡す。
ガングレインの戦いの後に新調しているので、言うほど汚くはない。
一応レイも勇者という身分がバレると面倒ではあるのだが、今は『勇者レイ』の名前だけが広まっていて、顔を知っている者はそう多くない。顔と名前が一致するのは知り合いを除けば、ガングレインに住む者ぐらいだろう。
聖剣も鞘に納めている状態ではそれほど目立つわけではない。
とはいえ、レイと名乗った時点で勘付かれてもおかしくないとは思っていたが、どうやらイヴは世間知らずのようだった。
それとも、話題の勇者がこんなところにいるとは思っていないのだろうか。
ともあれ彼女はそれを羽織ると、フードを被って頭を隠した。
フードの下で、彼女はにへらとレイに笑いかけてくる。
「仮にも逃亡中だから、一応ねぇ」
「そもそもお前はいったい何から逃げてんだよ」
「それは、内緒なんだよねぇ☆」
「……親に怒られて家出したとかじゃないんだろ?」
「あはは、そういうのなら良かったんだけどねぇ……まあ、仕事で上司に怒られて逃げ出したって方が近いかな?」
「余計ダメじゃねえか……」
そんな風に言い合いつつ、イヴはフードを引っ張ってより顔を隠そうとする。
「こうしてないとイヴ、可愛いから目立っちゃうんだよねぇ」
「自分で言うのか……」
「レイくんもそう思うでしょ?」
「やかましいわ」
「あ、否定しないんだー☆」
そう言ってけらけらと笑うイヴの顔は、確かに可愛い。
この世のものとは思えないほどに。
「そんなことより……お前はいったいどうするつもりなんだ?」
「んー? とりあえず、しばらく逃げてたいし、レイくんについていこうかなぁ。この外套があれば、街の中にいてもバレないと思うし」
「お前……貴族じゃないだろうな? 大規模な捜索隊とか出されてたら、場合によっちゃ俺が誘拐犯扱いされそうなんだが」
「あはは、貴族じゃないし、それは大丈夫だよぉ」
ていうか、とイヴは話を続ける。
「レイくんは、見たところ冒険者だよねぇ?」
「ああ」
「この街に来た理由ってなぁに? 事情によっては、力になれるけど」
「そういや、ちょうどいいな……」
レイはのんびりと食べていた豆料理の最後の一口を飲み込むと、
「『賢者』ルイーザ・マクアードルがどこに住んでるのか、お前は知ってるか?」
そんなことを尋ねた。
前世では何度か関わったことのある、頼り甲斐のある戦友にして偏屈な婆さんである。
そして、今はアルスとエレンと一緒にいる可能性が最も高い人物だ。
◇
――教会都市ベリアルの街並みは、区画整理が進んでいて近代的な印象を受ける。
何というか、他の都市と比べて雑多な印象がない。
道もゆったりと大きめで、馬車や荷車が真ん中を通り、端の方を人が歩いている。
あえて印象を挙げるならば、「合理的」な街だろうか。
おかげで、通りで肩がぶつかる心配もなく、レイとイヴは雑踏を歩いていく。
先導するイヴはスキップのような歩調で進みつつ、時々くるりとレイを振り返る。
何だか妙に楽しそうだった。
「イヴねぇ、実はあんまり街を見て回ったことないんだ」
「この街に住んでるんじゃないのか?」
「……そうなんだけどねぇ、イヴはいつも教会の中にいたから」
「まさか、その追われてる連中とやらに閉じ込められてたのか?」
知らず、レイの視線が鋭くなる。
するとイヴは、その口元に淡い微笑を浮かべてふるふると首を振った。
「んーん。そういうわけじゃないし、みんな優しくしてくれるんだよねぇ」
「……」
「心配させちゃったねぇ、レイくんは優しんだね。でも大丈夫だよ」
困ったようなその口調は、おそらく本当のことを言っているのだろう。
なら、レイが口を挟む理由はない。
ただ、その背中はどこか寂しそうだった。
「……ていうか、街をあんまり散策したことない奴に道案内を頼んでいるのが現状なわけだが……本当に大丈夫なの?」
「ふふふふ、よく気づいたねぇ、褒めてあげるよ」
「何で自信満々なんだよ!? てか、まさか本当に知らないんじゃ――」
「だいたいの方角は分かってるよ☆」
「街中で家の方角だけ知ってても絶対分かんねえだろ!」
「『賢者』さまのお家がでっかいことは知ってるし、多分何とかなるよ」
「何の根拠もない……まあ道端の人に聞けばいいか……」
「うんうん。それじゃレイくん、しゅっぱつしんこー!」
「結局お前何の役にも立ってないんじゃ?」
「やだねぇレイくん、細かいところにこだわる男は嫌われるよ?」
ぎゃーぎゃー言いつつも『賢者』の住処を目指して街中を歩いていく二人。
くだらない会話の最中も、イブは終始楽しそうだった。