4-3 レイたちは
――魔国軍による大要塞ガングレインへの襲撃から、二週間が経過していた。
ベッドが置かれているだけの無個性な病室。
そこには二人の人間がいた。
「……すっかり大丈夫そうだな?」
凛として涼やかな声を発したのは、ゆるくウェーブした金髪をたなびかせる女性。
フリーダ・クレール。
「ええ。老体ゆえに、快復が遅れて申し訳ない」
実直そうな声音で答えたのは、白髪で、鋼のように鍛え上げられた肉体を持つ老紳士。
エルヴィス・ジークハルト。
彼は剣の位置などを調整しつつ、肩や腕を動かし調子を確かめている。
「では、そろそろこの街を出るとしよう。もう用はないし、仕事も溜まっている」
フリーダは王国東方に広く影響力を持つクレール商会の長だ。
今回は『聖剣』という規格外の品のために仕事を後回しにしてでも北方に出向いたが、それが終わったのならさっさと地元に帰らなければならない。
聖剣を独自に入手し、王国に恩を売る。そういう建前上の目的は果たせなかったが、あれをレイが手にしたのなら、悪用される心配などはないだろう。
ただ問題は、これから再開される戦火の渦に、どう対処するか、だ。
フリーダの予想では、戦争が再開されるとしても、ここまで事態が性急に進行するとは考えていなかった。こうなると、商会も今まで通りではいられない。
戦争が起これば、流通の根本から変わる。
その流れについていけなければ、商人としてはやっていけない。
そして王国の経済を少なからず支えているクレール商会がまともに機能しないのであれば、軍への補給すらもままならず、王国に未来はない。
「武器を売りさばくことも視野に入れなければならんな」
「……そうですな」
かつて“死の商人”と揶揄された女の呟きに、エルヴィスは僅かに驚きつつも頬を緩めた。
そこで、彼らのいる病室の扉に、コンコンというノックの音が響いた。
「入っていいぞ」
フリーダがベッドに腰かけ、悠然とした口調で告げる。
すると、扉を開けて現れたのは冒険者らしき服装をしている青年だった。
「失礼する」
「……冒険者か? 何用だ」
「王国より依頼を受けて推参した。フリーダ様に、やっていただきたいことがあると」
「……聞こう」
フリーダが顎をくい、と上げて話をうながすと、
「イストラス帝国との橋渡しをお願いしたい、とのことだ」
「……橋渡し? 私は貴族ですらないぞ。確かに王国東方の商売を取り仕切る以上、帝国との交易は少なからず行っているが……帝国貴族の人脈など大してない」
「お願いするのは、帝国側の商人との橋渡しだそうだ。帝国そのものではない」
「……なるほど、ならば私以上の適任はいない。……が」
「フリーダ様、それは危険です。彼が言っているのは、帝国の了承なく帝国の商人を買収しようという話ですぞ」
「ああ、心配せずとも分かっているよ、エルヴィス」
優雅な仕草で、フリーダはエルヴィスに控えるよう命じる。
彼は頭を下げ、フリーダの斜め後ろに立った。
対する冒険者の青年は、あくまで仕事で伝令をしているだけだからか、その表情に変化はない。だが、役割はきちんと果たすべく、説明を続ける。
「此度の戦争において、帝国は高見の見物を決め込む所存の模様。王国上層部は交渉を続けてはいるが、望みは薄いようだ。なら、帝国の商人を買収し、物資の補給ラインは確保しておきたい。あわよくば、そこから帝国上層部にさらなる譲歩を引き出したい。ゆえに――」
「いいだろう。面白い、やってみる価値はある」
即答だった。
あまり期待はしていなかったのか、冒険者の青年は驚いたように片眉を上げる。
「……フリーダ様、ただでさえ仕事は溜まっているのですよ?」
厳しい表情のエルヴィスに、フリーダはくすりと妖艶な笑みを浮かべる。
「ふふ、デカい商売のチャンスを見逃す商人はいないよ。君もそう思っていたのだろう?」
フリーダの言葉は、エルヴィスや冒険者の青年に向けられたものではなかった。
閉まっている扉の、その奥。
「……これは失礼いたしました。まさか見破っておられたとは」
ギィ、と扉を開いた登場したのは、美しいと形容するしかない容姿を持った青年だった。
上等そうな服に腰には剣を持っている彼は、物腰柔らかな態度で一礼する。
「王国騎士団所属、副団長のエドワード・グリフィスと申します。どうやら、弟が世話になったようですね」
「グリフィス伯爵のところの……神童か」
フリーダは驚いたように目を見開く。
王都魔導学院をぶっちぎりの成績で卒業した稀代の天才にして伯爵貴族の家の長男。
そして今や時の人となっている新たなる勇者――レイ・グリフィスの兄だった。
「今回、帝国への使者として同行いたします。ご協力いただければ幸いです」
◇
「お、俺はもう大丈夫だって。そんな大した怪我じゃないし。それより……」
「あなただって、十分に重傷だったんですけど……まあ、確かにもう大丈夫そうですね」
「だろ?」
レイが言うと、眼前に佇む金髪ロングの治癒術師はため息をつく。
例の如く、いつもの美少女だった。
「ていうか、なんで毎度のように怪我してるんですか、わたしの身にもなってください」
「ていうか、何でいつも俺を治癒しにきてくれるの?」
「いつも、なぜかあなた方が近くにいるだけです。わたしはガングレインの事件を受けて、治癒術師が足りないと聞いたから応援に来ただけなので……本当にたまたまです」
「運命?」
「呪いの間違いじゃないですかね」
「ひどすぎる」
「……それにしてもあなた、勇者さまだったんですね」
金髪の治癒術師は、ちらりと立てかけてある聖剣を一瞥して言う。
「俺もびっくりだよ」
レイは肩をすくめた。
「……無茶ばっかりして。体は、大事にしてくださいよ」
彼女との初対面は何年前だったか。
確かランドルフと共にアルスの父を治癒するため、村を訪れたはずだ。
その次は、クロエラードの街の事件を解決した後だ。
もはや腐れ縁のようになってきている。
「あれ、そういえばまだ君の名前を――」
「セシルちゃん、終わったなら次の患者さんお願いしますー!」
ドアの向こうから彼女を呼ぶ声が聞こえた。
ドタバタと足音がひっきりなしに響く。相変わらず忙しそうだ。
金髪の治癒術師はくすりと笑った。
「……だ、そうなので、そろそろ失礼しますね。リリナさんとセーラさんも、安静にしていてください」
レイは彼女が去った後、
「セシルって言うのか……」
七、八年近く知らなかった名前を知り、何となく感慨深くなった。
レイの横のベッドでは、リリナとセーラがいまだ安静にして眠っている。
彼女らは、レイよりもよほど重傷だ。
別の部屋では、ライドたちも同じように寝込んでいるらしい。
あの男が残した傷跡は、火を見るよりも明らかだった。
「……早く、治るといいな」
そんな風に、レイはぽつりと呟いた。強く拳を握り締めて。
◇
それからまた一週間が経過した。
「いやいや、俺はもう大丈夫だって」
「だーめーでーすー! レイ様はまだ安静にしててくださーい!」
「そういうお前だってまだ怪我治ってないだろうが!」
「私はメイドだからいいんです! レイ様のお世話をするんです!」
「謎理論すぎる!? なら俺は主人だからいいんだよ!」
「……レイ、リリナ、治癒院では静かに」
「「……はい」」
最年少のセーラに諫められ、しゅんとなるレイとリリナである。
治癒院の病室だった。
修復作業が進んでいる大要塞ガングレインの街中に存在する大型の治癒院。
襲撃事件が起こるまではひっそりと存在していたその場所も、今では大量の患者を抱えて、てんやわんやとなっている。
数少ない治癒術師たちは大忙しだった。
ベッドに寝かされていたレイたちは慌ただしく行き来する治癒術師と、兵士や冒険者の間で飛び交う喧騒をドア越しに聞きつつ、ため息をつく。
レイは勇者だ。聖剣を手にし、それを掲げたことにより大勢の人に認知されている。
それゆえに、わざわざ個室を与えられた。
兵士や冒険者たちと一緒の部屋に置けば、質問攻めに遭ったり注目を受けたりでゆっくりと養生するどころではなくなるからだ。
「はぁ……俺も有名になったもんだ」
「それは勇者の再来ですから、仕方ないですよ」
リリナは指を立てて言う。
彼女は患者用の衣服を脱ぎ棄て、いつも通りのメイド服を着込んでいた。
メイドとしての誇りが云々らしい。
「みんな戦争が再開されるってことで不安になっているんですから、心のよりどころを求めているんです。それは勇者みたいな、絶大な戦力とか」
「……俺はまだ、あの頃の力は手に入れられてないけどな」
レイはため息をつく。
勇者への注目は前世で慣れていたとはいえ、もうあの頃から十数年も経過しているのだ。
いつまでもこの状態では肩が凝る。
ベッドに立てかけられている白銀の剣に目をやった。
聖剣。
そして、これに宿っていた神話の英雄――グレン。
レイは大目に見られただけだ。まだレイは、あの領域には辿り着けていない。
もっと、もっと――強くならなければ。
このままではあの男を、あの悪の権化を倒せないのだから。
脳裏に、ローグ・ドラクリアの笑みが過った。
「じゃあ頑張りましょう、一緒に」
リリナはレイの手に自分の手を添えて、柔らかく微笑む。
「レイ様は大丈夫ですよ。レイ様は、私の英雄なんですから」
レイはその笑みに見惚れて、恥ずかしくなって目を逸らした――先で、ジト目のセーラと目が合った。
彼女はあからさまに不機嫌な顔で、ぷいっとそっぽを向く。
「……レイ、デレデレしてる」
「し、してないって」
「嘘は、よくない」
「あれ? レイ様、私に褒められて嬉しくなっちゃったんですか? 可愛いなー。もう私より背は大きくなっちゃったのに、可愛いなー」
「やかましいわ!」
そんな感じのやり取りをしつつ、レイは体の調子を確かめていく。
一通り体操をしたが、どうやら支障はなさそうだ。
レイモンドからローグ、そしてライナスと連戦をこなし、レイは重傷を負っていたが、すでにほぼ完治している。ここの治癒術師が優秀である証だった。
だが、リリナとセーラはまだレイと違って快復しているとは言い難かった。
元気にふるまってはいるが、体にはまだいたるところに包帯が巻きつけられ、痛々しい。
これはレイが追いつくまで、さんざんローグに痛めつけられていたからだ。
彼女たちの痛々しい姿を見る度にあの男への怒りが募るが、今はどうすることもできない。仮に戦ったとして、引き分けるのがせいぜいといったところだろう。
自らの無力さに歯噛みしつつ、レイは外に出る準備を整えていた。聖剣を腰に帯剣し、それを隠すような形で外套を着込む。ローブを深くかぶった。
「じゃあ、俺は軍部を訪ねてくる。『六合会派』のあの男にも、まだ聞きたいことがあるからな」
「どうしてもって言うなら、私も行きます!」
「お前な、俺と違ってまだ治癒術師に許可もらってないだろ……」
「あ……」
ふらっと、レイの世話をしようとしていたリリナがバランスを崩す。
慌ててレイは彼女を支えた。お姫様抱っこのような体勢になる。
リリナの顔がかぁっと赤くなった。
「す、すみません……力が抜けちゃって」
「だからまだ休んでいろと言ったろ。いいな?」
「……はい」
不満げではあったが、自分が弱みを見せた以上は刃向かえないのか、リリナは大人しくセーラが眠っているところの隣のベッドにすごすごと入る。
「どこぞのお偉いさんが勇者を訪ねてきたら、今は砦に行ってるって言っておいてくれ。頼んだぞ」
レイはそう言って、灰色の外套を翻して外に出た。