4-1 影の支配者
魔国。
それは、人族が権力を握る王国に虐げられた魔族が、北方の領土を奪い取って造り上げた歴史の浅い国だ。数こそ少ないとはいえ、魔族は他種族よりも戦闘に秀でている。そんな彼らに国という安定した環境を与えてしまえば、ただでさえ厄介な魔族たちの総数が増え、徐々にその国家は王国の脅威となる。
そうだと分かっていて――しかし、王国は食い止めることができなかった。
だから、今もこうして魔国は君臨している。
「……帰ったか」
そう呟いたのは、厳格な雰囲気を醸し出す老兵だった。
短い白髪の下で顔にはしわを多く刻み、生きてきた年月を感じさせる。しかし、服を着ることなく外気に晒している上半身はいまだ衰えず、鋼のような頑強さを示していた。
ゲオルグ・ローレンス。
“鋼鉄”の異名を持り、長く魔国を支えてきた古き幹部の一角である。
「ゲオルグか。魔国軍保守派の中核、『双璧』の片割れがわざわざお出迎えとは」
対して。
軽い調子で返答したのは、長い銀髪に褐色の肌が特徴的な青年だった。
その美麗な顔立ちを見れば、魔国の民であるなら誰でもその正体に気づくだろう。
ローグ・ドラクリア。
魔国軍幹部にして、革新派を率いる怪物。
否。かつては内部分裂していた魔国軍を、ゲオルグたち保守派を抑え込むことで統一した今となっては、魔国の影の支配者と呼んでも過言ではないだろう。
「……保守派か。今となっては、無意味な呼び名だ」
ゲオルグは淡々とした口調で呟く。
その表情には微塵も揺らぎがなく、腕を組んで堂々と佇んでいる。その立ち振る舞いからは、年長者の風格が感じられた。基本的に長寿な魔族の中でも老兵と呼ばれる部類に入る彼は、今年で百歳を超えている。それでも現役の軍人だった。
かつてはジェイクと共に『双璧』と呼ばれ、魔王シャウラの側近をしていた男である。
「それで、俺に何の用だ?」
魔国首都エラングル。魔王が住む宮殿。
俗に魔王城と呼ばれる城の入り口付近で、ローグとゲオルグは向かい合っている。
ローグの質問を受けて、ゲオルグは僅かに押し黙った。
「――単純な話、何で民には黙ってるんだ? 新しい魔王が誕生したっていうのに」
その軽薄な声音はゲオルグのものではなかった。
ローグが振り返ると、入り口の方向から異様に手足の長い男が歩いてくる。
二メートルを越す長身痩躯。
さらりとした金の長髪に、普通の魔族よりも妖しく輝く紅の眼光。
「……お前までいたのか」
ジェイク・レノン。
魔国軍保守派『双璧』の片割れ。“天眼”の異名を取る怪物がそこにいた。
「おいおい、俺様がいたら悪いのか? まあ、どのみち見えてるから関係ないけどね」
魔国きっての二人の怪物に囲まれ、流石のローグも警戒心を抱く。
今や魔国は革新派――つまりは戦争賛成派の意見でまとまり、保守派――つまり戦争反対派は取り込まれたとはいえ、個人の感情はそう割り切れるものではない。
共同で作戦に取り組むようになった今でも、仲が良いとは決して言えなかった。
「――で? さっきの質問に答えてはくれないのか? 俺様たちは別に、喧嘩を売りに来たわけじゃないんだけど」
「そういうことだ。貴様の思惑が分からぬままでは、こちらも協力しにくい」
ジェイクの言に乗り、ゲオルグが言う。二人は真っ直ぐにローグを見ており、嘘だとは思えなかった。 ローグとは違い、そもそも彼らは嘘をつけるような性格をしていない。
「……魔王の誕生を公表しない理由、か」
彼らの疑問は当然のものだった。
かつての魔王シャウラが亡くなってから、すでに何年もの時が経っている。
魔王。それは魔族が進化を遂げ、強大な力を得た存在。突然変異のように誕生するものであり、せいぜい数十年に一人の魔王が誕生するか否か、といったところだ。
初代の魔王は、人族に虐げられていた魔族を纏め上げ、その圧倒的な力を以て国を造るところまで導いた偉大な人物だ。ゆえに、魔国の民は魔王という存在を信仰している。
もしシャウラに次ぐ新たな魔王が誕生していると知れば、戦争に燃えている国民の士気はさらに上がることだろう。
だが今、新たな魔王の存在はローグたち軍の上層部にしか明かされていない。最重要機密事項となっていた。
「何で世間に明かさないんだ? 国民の士気は間違いなく上がると思うけど。聖剣を操る勇者の再来で王国の士気は急上昇だ。こっちも対抗すべきじゃないのか?」
ジェイクの疑問に、ローグは薄く笑みを浮かべる。少し、笑いを堪えていた。
ローグは彼らに背を向けて歩き出す。それが歩きながら話すという合図だと知り、ゲオルグとジェイクは大人しく後ろをついてきた。
複雑怪奇な魔王城の中を迷うことなく突き進みながら、ローグは語る。
「確かに、お前たちの疑問はもっともだ。もし王国との戦争に勝つことだけを考えているのなら、当然そうするべきだろう」
ローグのもったいぶった言い回しに、ジェイクが眉をひそめる。
真意を読み取るべくゲオルグは言葉少なに尋ねた。
「……ならば、貴様は何を考えている? まずは目先の戦争に勝つことではないのか?」
そこでローグは足を止めた。
肩越しにジェイクたちに目を向け、呆れたように肩をすくめる。
そして衝撃的な台詞を言い放った。
「分かってないな。こっちは戦争なんて眼中にないんだよ。真の狙いは別にある」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
同じ言語を話しているのかどうかすら、疑わざるを得ないような言い草だった。
「何……?」
「いや、お前たちの言う通り、人族の征服は果たすべきだ。だが、先にやることがある」
「それは何だ?」
単刀直入なゲオルグの問いに、ローグは不敵な笑みを刻む。
「――まずは女神を潰す。すべてはそのための準備であり、残りは余興だ」
それは確かに、ローグが以前から言っていたことだった。
魔族がこの先、生きていくためには、女神を殺さなければならないのだ、と。
だが、
「神殺し……言うほど簡単なことではないだろう。現に、貴様はこれまで何もできなかったはずだ」
「その算段がついたと言っているんだ。話の流れで分かるだろう?」
「……」
「信じられないか、まあそうだろう。計画は、現地に向かいながら説明する」
「現地だと?」
目敏くジェイクが聞きとがめると、ローグは淡々と言った。
「ああ。これから少数の精鋭を集めて、王国の教会都市ベリアルを強襲する」
「な……っ!?」
わけが分からなかった。
王国との戦争など二の次だと言っているのに、王国の都市を強襲する?
それが女神殺しにつながる計画だというのか――? とゲオルグは眉をひそめる。
だが、教会都市ベリアルといえば、女神教会の総本山。世界中の人族に広まっている女神教の教え――その教会本部が君臨している場所だ。ゆえに王国の中枢都市の一角でもあり、この前、『六合会派』が急襲したガングレイン要塞には劣るものの、王国を支える堅牢な城塞の一つであることに変わりなかった。
何より、あの場所には――一人の伝説が待ち構えている。
「『賢者』……」
ジェイクが、何か思うところがありそうな調子で呟いた。
王国の教会都市ベリアルは、王国北方のさらに辺境に位置し、魔国軍の脅威に晒されかねない危険な場所にあるにも関わらず、難攻不落の城塞と呼ばれていた。
その理由が――王国において、『勇者』アキラと並んで称された人族の怪物。
火の精霊術師――通称、『賢者』ルイーザ・マクアードル。
稀少な精霊術師が持つ実力を知らしめた張本人だ。彼女が常に都市を守護しているからこそ、教会本部もそこから場所を動かさない。
ゲオルグは彼女と戦ったことはないが、ジェイクは何度も戦っていたはずだ。
同じ『双璧』であるジェイクと何度もぶつかり、まだ生き残っている。それだけで、彼女の強さは察せられた。
「ああ、『賢者』とも戦うことになるだろう。加えて城塞は堅牢で、教会本部が存在する以上、兵の数だって多いはずだ。だが、だからと言ってこちらも大軍を連れていけば動きは遅くなり、バレてしまえば奇襲にならない」
「……だから、俺様たちだけで、奇襲を仕掛けると?」
「ああ。この前ダメージを与えたガングレイン要塞とは別角度であり敵の警戒も薄い。陽動としてガングレイン方面にも軍を出し、王国の目を引き付け、なおかつ牽制させておく」
ローグは淡々とした口調で続ける。
ただ、自分の中では決定している事項を告げているだけのようだった。
「その間に、ベリアルに乗り込む。面子は俺と、お前たち『双璧』。それとクラーク」
「『六合会派』の残党なら、サラとルリも生き残っていたはずだが?」
「あの二人には別の仕事を頼んでいる。もう魔国にはいないはずだ」
「ガングレインの奇襲作戦からそのままとは、なかなか重労働をさせる……」
ジェイクが肩をすくめた。
「俺の計画も大詰めなんでな。使える人材を休ませておく理由がないんだ」
「四人で乗り込むのか?」
「いや、後一人――魔王様だ」
ローグが言うと、ジェイクが目を見開く。
「魔王様まで連れて、いったい何を目的にするってんだ?」
ジェイクに合わせ、ゲオルグも視線で問うと、もったいぶっていたローグはついに、今回の作戦における目標を告げた。
「教会本部において保管されている『聖女』。こいつが神殺しの計画に必要だ」
――影の支配者が、邪悪をともなって蠢き始める。