3‐36 護れたもの
次は四章だと言ったな。
あれは嘘だ。
三章終盤が流石に駆け足すぎたのでエピローグ追加です。
「気がついたか?」
エルヴィスが目を覚ますと、そこには豊かな双丘が見えた。
そこから少し目を逸らすと、金髪の女性に見下ろされていることが分かる。
「……フリーダ様」
「私の膝枕なんて、珍しい大サービスだ。感謝することだな」
フリーダはそう言って微笑する。エルヴィスはどうにか腰を上げた。
“鬼化”の影響で体中が痛んでいる。骨からボロボロになっているだろう。エルヴィスはもう歳であり、完全な快復は望めないかもしれない。
だが元より鬼を人の体に纏わせるなど、いくら先祖の血を継いでいるとはいえ無理のあることなのだ。このぐらいの代償はあって当然である。
「……復讐は、果たせたみたいだな」
フリーダは穏やかな瞳で言う。
「はい。これで区切りをつけることができます。私も……貴方も」
フリーダにその剣を見せ、自分はきちんと帰ってきたのだと示す。
彼女から買った武器を使って死闘に挑み、まだ生きている、、と。だから“死の商人”などではないのだと、その身を以て証明した。
これでフリーダと共に、未来へ向かって歩んでいくことができる。
「……ありがとう。エルヴィス」
フリーダは柔らかく笑みを浮かべた。彼女はその身に纏わりついていた呪いから、解放されたような気分になった。それは小さな呪いだったけれど、じわりじわりと確かにフリーダの身を侵食していた呪いだった。
その呪いをエルヴィスは、命を懸けて祓おうとしてくれた。
なら、それだけで十分だった。
それだけで、私は存在していてもいいのだと、救われた気持ちになったから。
腰を痛がるエルヴィスを見て、フリーダはその微笑を苦笑に変えた。
「……それと、お疲れ様、エルヴィス」
◇
魔国軍はライナスという指揮官を失っても『空間回廊』から迅速に撤退していった。
他の『六合会派』の誰かが全体の指揮を引き継いだのだろう。
レイは無理に撤退を止めなかった。見たところガングレインの被害は甚大であり、ここの兵士たちには、これ以上の交戦をする体力はないと判断したからだ。
崩壊した砦。レイは大きな瓦礫の上で、沈みゆく夕日に目をやる。
「……レイ」
聖剣を肩にかけるレイは、後ろから放たれたマリーの声に振り返った。
「おお。マリー、お前のお父様は大丈夫そうか?」
「ええ。額に傷を負って流した血の量こそ多いですが、命に別状はないみたいですの。しばらく安静にしていれば快復する、と治癒術師の方に言われましたの」
「そうか。良かった」
レイは笑う。マリーは少し俯いていた。彼女のツインテールが風に靡いていく。
普段は毅然としている彼女だが、今は危機が去った安堵で気が緩んでいるのか、その様子はどこかしおらしい。
「貴方は……勇者の再来だったんですのね」
「みたいだな……そこの人たち、こいつを使える牢獄まで運んでいってくれないか?」
レイは苦笑しながら、生き残っている兵士に指示を出す。
レイは軍の関係者ではないが、流石に聖剣の勇者に逆らう気は起きないのか、兵士たちは大人しく従い、足元に倒れるライナスを運ぼうとする。
「分かりました……というか、生きてるんですね」
「傷は深いが、死なないだろうな。目を覚ますと暴れ出すかもしれない」
「なら封魔鎖で縛り付けておきます」
「頼んだ」
封魔鎖は、縛っている者の魔力を分解し、上手く扱えないようにする魔術道具だ。
魔術師などを牢屋に入れる際に使われる。上等な魔石を必要とする稀少品なので数は少ないが、このレベルの大要塞であれば少しは余っているはずだ。
「……リリナさんや、セーラは?」
「無事だよ。今は安全なところで休ませてる」
「良かった」
ホッと息を吐き、胸に手を当てるマリーに今度はレイが尋ねる。
その目は折り重なって眠っているライドとノエルの方を向いていた。
レイは聖剣を肩に担ぎながら、そちらに向かって歩き出す。
「ライドとノエルが戦ってたヤツは撤退していったみたいだが、フリーダやエルヴィスさんはどこに行ったか分かるか?」
「エルヴィスさんが仮面の男と戦っていたところは見ましたが……」
マリーはかぶりを振るが、そこでレイが足を止めた。
目を細めると、安堵の笑みを浮かべる。
「……いや、どうやら心配はいらなかったらしい」
視線の先から、エルヴィスと彼の体を支えるフリーダが歩いてきた、
エルヴィスは傷だらけになっているものの、レイを見つけると軽く手を挙げた。
命に別状はなさそうだった。
彼の肩を支えるフリーダも何だか、気持ち晴れやかな苦笑を浮かべている。
「今、大急ぎで他の砦より治癒術師の部隊を呼んでいますの。同時に、念のため援軍も呼んで以後の攻撃に備えるつもりみたいですわ。まあ、流石にこの直後に、魔国軍がまた攻撃を仕掛けてくるのは考えづらいですが……念には念を入れるらしいですの」
「『空間回廊』は一本道だし、位置を知られた以上、もはや奇襲の意味はない。そこさえ見張っておけばいいんだからな。他の砦から援軍も来る以上、このルートはもはや袋小路。襲撃の心配はいらないだろうが……常識が通じない連中も何人かいるからな。警戒するに越したことはない」
レイは言う。マリーは何だか微妙な目をして、
「常識が通じない筆頭に言われると……何だか釈然としませんわね」
「勇者に常識がないみたいな言い方やめてくれよ」
レイは肩をすくめた。
そして周囲を見回していた視線を、僅かに細める。
「まあ……最悪の事態だけは避けられて良かったよ。決して、良い結果ではないが」
「そう、ですわね……」
死者は多く、また負傷者はそれ以上に多い。
治癒術師が総動員で治療しているが、数が足りていない。もう少しで援軍の治癒術師部隊が到着するので、それまで耐えてもらうしかない。
こういう時、治癒魔術が使えないレイは歯痒い気持ちだった。
「にしても、ついにこうなったか……」
時間の問題だとは思っていたが、今回の事件は間違いなく戦争の火蓋を切った。
未来に明るい展望はなく、目の前には崩壊した砦の惨状。レイの胸中には、この先どうなるのかという不安ばかりが募っている。
「あの……」
そんな風に表情を曇らせていたところ、マリーがレイのことを呼んだ。
後ろで手を組む彼女は、何だかもじもじとしながら赤い顔でレイを見た。
「どうした?」
「い、一応……言っておきますわ!」
彼女はふんと鼻を鳴らして腕を組むと、顔を逸らしながら、
「助けてくれて……ありがとう、ですの」
小さな声でそんなことを言った。
レイは何だか面白くなって噴き出してしまう。
「な……何で笑うんですの!?」
「いや、どういたしまして。ま、でも一緒の依頼受けた仲間だし、気にすんなよ」
「……感謝の意を伝えないのは、わたくしの流儀に反するので」
食い止められなかった悲劇がたくさんあって。未来に不安はたくさんあって。
それでも護れた笑顔は確かにあるのだと、レイは少しだけ救われた気分になった。