0-1 何も知らなかった男の末路
少年の薄暗い視界には、泣き喚く少女の姿があった。
――死なないで、と。
そう懇願されて、困ったように苦笑する。
少年は現金な人間だから、こんなにも可愛い女の子に泣きながらお願いされたら、少しは頑張ってみようと思える。
だが、その願いは叶えられそうになかった。
痛覚が徐々に消えていく。
夢と現実の境界線が曖昧になっていく。
ああ、俺は死ぬのか――と、少年はぼんやりと思った。
別に不思議なことではない。
これだけの血を流しておいて、まだ生きていられるとは思えない。
「ごめんな…………」
思わず言葉が零れ落ちる。
胸中は悔しさで満たされていた。
「こんな不甲斐ない人間でごめん。『お前』をきちんと助けてやれなくて、ごめん。これじゃ格好つかないよな」
――そんなことない、と。
彼女は必死に首を振る。
もはや言葉になっているのかすら曖昧だ。
少年は、最後の力を振り絞る。
震える手をゆっくりと伸ばし、少女のさらさらした髪を撫でた。
そんなにくしゃくしゃに歪めていると、可愛らしい顔が台無しだ。
「お前は、笑っていて、くれよ」
しゃがれた声音で、ところどころで途切れながらも、告げる。
この先の未来に少女の笑顔がないのなら、少年は命を投げ出した理由が分からなくなってしまうから。
(こんなざまで、なにが勇者だ……)
あの時の力があれば――と、少年は今でも考えることがある。
だが、所詮は借り物の力に過ぎない。
その認識が甘かったのだ。
(そんな不確定な力に頼り切って戦い、皆に尊敬され、良い気になっていた自分を殴りたくなる……!)
天狗になっていたのだ。
勇者と呼ばれることが心地良かったのだ。
少年を支えていた強大な力が、何の前触れもなく消えてしまったとき、何よりも恐れていたことが実現した。
周囲に失望の視線を向けられるのが、何よりも怖かった。
だから引き篭もった。
少年は周囲との人間関係を拒絶して、ただ過去の栄光に縋り、食事を与えられるだけの日々を過ごしていた。
(きっと俺を勇者だと見つけ出したお前も、肩身の狭い生活を強いられていたんだろう。本当に、謝らなきゃいけないことばかりだ)
そんな少年でも、この前までは英雄だった。
借り物の力とはいえ、戦って皆を護っていた。
だから。
少女が魔族に襲われたと聞いたとき、少年は迷わず部屋を飛び出したのだ。
何の力もない状態で、ただ拳を握り締めて。
(それで、無我夢中で駆けつけたんだよ。まさか、こんなことになってるとは思わなかったけどな……)
今の少年は無力だと、誰よりも己自身が理解していたはずなのに。
(……本当に、馬鹿だよな)
少年は悔しさを噛み締めていた。
(俺はいったい、何をしていたんだ?)
ただ、引き篭もってる間の無為な生活を思い出す。
その時間を使って、少しでも努力して強くなっていれば、少女にこんな哀しそうな顔をさせることはなかったかもしれないのに。
あんまり気にするなよ、と言いたかった。
だが、最早言葉を放つことはできなかった。
本当に後悔ばかりが頭の中を過ぎる。
(ああ。お前の涙を拭えるような男に、なりたかったなぁ……)
♢
いつの間にか、少年の瞼は閉じていた。
水中を漂うような感覚が体を満たしていた。
漠然とした死の予感があった。
走馬灯のように思い出が脳裏を駆け巡っていく。
(ああ、そうだ。馬鹿みたいなことかもしれないけど)
――もし。
もし来世があったら、今度は自分自身の力で強くなりたい。
降って湧いたようなチートなんていらない。
今度こそ、自分自身に胸を晴れるように。
(俺は英雄気取りのままでいい)
だけど。
それでも。
彼女のような大切な人を護れるような人間になりたいから。
誰よりも、強くなりたい。
何ひとつ失わないように。
(だから世界で一番強くなって、本当の英雄になってやる)
そして。
少年の魂は転生する。
彼の願いを――勇者として世界を護る為に戦った男の願いを、神が聞き届けたかのように。
新連載です。
しばらくは毎日更新するので、暇潰しにでも読んでくれると嬉しいです。