黒髪少女は嫌われヒロイン~意地っ張り悪魔は天使を目指す!~
「悪魔よ!」
「……」
目の前の女性が振り向きざまそう叫んだのを聞き、私は背後を振り返ってみた。
……が、まぁ悪魔など当然見当たらず。
瞬きを繰り返す私に、――そう、何故か私に、女性は
「悪魔! 不吉だわ! この街から出ていきなさい!」
……。
悪魔が出たら不吉ではすまないと思うのだが、私の思考はおかしいのだろうか。
というか。
「すまないが、悪魔とはまさか私のことを言っているのか」
私が念のためにそう聞いてみると、「当たり前じゃない!」と女性は叫ぶ。
「……どこがどのように悪魔なんだ?」
「不吉だわ! 去りなさい!」
頼むから会話をしてくれ。
私はショーウィンドーのガラスに映っている自分の姿を確認した。じっと丹念に全員を見回してみるが、不審な点はない。
角が生えているわけでもなければ、牙や鉤爪があるわけでもない。
どこからどう見ても、普通の女子高生。
強いて言うなら、特徴は普通の人よりは割と髪が長いことくらいか。腰くらいまではある黒髪。男より男らしいといわれていた私の、唯一女らしい点といえよう。
まぁ、そのままでは色々と面倒なので女らしくもなく特徴のまるでない黒ゴムで一つに結わえていたが。
「申し訳ない。私から言わせてもらえば、失礼だが貴方のほうが悪魔に近くないか? 真っ赤な髪に金の眼は、いくら美容とはいえやりすぎだと思うぞ」
「そうね、悪魔にとって私たち人間は悪魔でしょうね」
そんなことは言っていない。
「私はれっきとした人間だ。言いがかりはよしてくれ」
「なら周りの人に聞いてみましょうよ。ねぇ、そこのあなた。これは明らかに悪魔よね?」
と、女性が訊ねたのは、遠巻きに私たち二人のやり取りを見ていた野次馬の一人だ。
顎に髭を蓄えた、極平凡な顔立ちの壮年の男性。
とはいえその男も異様な風体をしている。
アイボリーの髪と髭。それから青い瞳。
いや、おかしいだろう。
と、色々考える私を他所に、男は怯えた目で私をちらちらと伺いながら、ぼそぼそと答えた。
「そ、そうだな。これは、悪魔だ」
どこがだ!
「ほら見なさい!」
「いや待て。それは早計だろう。よく見てみろ。私はいたって普通の人間だ。角もない、牙もない。爪も翼も何もないぞ」
「自分からそんなことを言うなんて妖しすぎるわ。どうせ魔法で隠しているんでしょう!」
深読みしすぎだ。
というか。
……………………魔法。
私はその言葉に唖然とした。
「……大変失礼なのは承知でお尋ねする。頭はご無事か」
「死になさい悪魔!!」
だめだ会話にならない。
私はそうだそうだと肯定を示す野次馬の群れを掻き分け、その場から逃げ出すようにして去った。
というのが、一ヶ月前の出来事。
あれから色々あった。
とりあえず判ったのは、ここはゲームの中ということだ。
恋愛を疑似体験するという、所謂乙女ゲームという奴だ。
そして私は何故かこの世界に「ヒロイン」として転生した。
しかしこの世界に住人は皆、大変……カラフルでドリーミーな髪と目をしていらっしゃる。
赤やら蒼やらピンクやら。地毛で二色と言うのもいる。とんでもない世界だ。
だというのに、黒い髪と眼の人間は存在しないらしい。そんなわけで私は悪魔呼ばわりと。いい迷惑である。
「……雑念は払わんとならんな。集中だ」
私はそう言い、矢を番えた。
ここは某魔法学校の弓道部道場だ。
転生の後、私は「転校生」としてこの学校にきた。
この世界には魔法が存在するらしい。大変結構なことだが私はそれを盛大にスルーして弓道部に所属した。魔法研究部とか、興味もない。
クラスでは当然、この容姿にドン引きして生徒は勿論教師も私に近づいてこない。
――あの6人を除いては。
ここ弓道部には、部員が私を含め8人いる。まぁそのうち一人は幽霊部員だが。
そのいずれもが、私を除き全て男子。そして、乙女ゲームの登場人物、加えて攻略キャラクターということで……美形、と。
心底どうでもいい。
私には目的がある。その目的の為に、この狂った世界にわざわざ転生したのだ。
それなのに、あの連中ときたら、私の足を引っ張ることしかできない。
私の目的とは何か?
つまるところ。
弓道の大会に出ることなのだ。
私は前世でも弓道部に所属していた。当時1年だった私は、大会を目前に控え――トラックにひき殺されて、死んだ。
いやこれはあんまりだと冥界に抗議したところ、「弓道の大会に出られる可能性のある世界」に転生をさせてくれることになった。
それがこの世界。
どうも、これは攻略キャラクターとヒロインが仲良くなって共に大会に出る、という筋書きのゲームらしい。
これの意味はわかるだろうか。
攻略キャラクターと仲良くならねば大会に出られない。
つまり、裏を返せば。
攻略キャラクターが、滅茶苦茶に、弓道音痴、ということだ。
まぁ弓道音痴などと言う言葉は無いだろうが、この際作ってしまえ。
とその時、道場の扉ががらりと開いた。
「あれ、君もう来てたの? 早いねぇ。っていうかあれだね。部室に来てみたら可憐な花が懸命に練習に打ち込んでるって、良いよね」
その声に私は肩を落とし、矢を下ろす。
「つべこべ言わずに練習したらどうだ」
私がばっさりと切り捨てた相手は、金の髪に青い瞳の青年だ。同学年の男子学生である。
外国人設定……だが、明らかにこれは日本人の顔だぞ。キャラクターの顔を作ったのは何処の誰だ。絵師は何故外国人の顔にしなかったんだ? あれか? 日本人顔の方が都合が良いのか?
「ふふ、君って絶対ツンデレでしょ。可愛いー」
金髪青年――もういい、金髪と呼ぼう――は涼しい顔でそう流し、弓と矢を持ってこちらへ近づいてくる。耳元と胸元で何かがきらりと光った。ピアスとネックレスだろう。
……こういう奴が一番嫌いなんだ。
「にしても君って、凄い腕だよね。前の学校では結構先輩たちにも頼りにされてたの?」
「私など足元にも及ばん先輩は何人もいた。お前たちの水準が異常なだけだ」
「えー? 前よりは上達したよ? 見てて?」
そう言うと、金髪は矢を番えて顔から表情を消した。
目を細め、的を見据える。
ぎり、と矢を引き――
ぱぁん!と派手な音がして、的の逆方向に矢がすっ飛んでいった。
「え!? あれ、何か間違えた!?」
「……お前の目は節穴か? 弓が逆だ。それから引きが甘い。もっとちゃんと矢を引け。脇を締めろ」
私がそう注意すると、「あー、やっちゃった。っていうか最初に言ってよー」と金髪が唇を尖らせた。
「早いですね。もう練習ですか。熱心な部員がいると、こちらも身が引き締まる思いですよ」
凛、とそんな声が道場に響く。
「あ、先輩ー。こんちは。いいでしょいいでしょ? 弓道部の華を独り占めしてるんですよ」
「それは大変羨ましい……独り占めはいけませんよ。皆平等にならねば」
というのは白髪を背中半ばまで流した青年だ。先輩である。当然、腕は大変酷いが。
「熱心で精が出ますね。貴女がいると、道場が華やぎます」
「世辞は結構。先輩も練習に打ち込んでいただきたい」
そっけなく返すと、白髪先輩は困ったように眉根を寄せて笑った。
というか、黒髪はダメで白髪は良いのか。おかしくないか。
「先輩見事にふられましたね。いやー、彼女、ストイックなとこも良いですよね。超可愛い。何ていうの? こう、磨けば超輝いちゃってもう」
「元気なのはいいことですが、彼女の言い分にも一理ありますよ。練習しましょう」
白髪先輩、さすがに今の流れだと金髪が哀れだぞ……
「お、結構来てるな。感心感心」
そう言って道場へ現れたのは銀髪の青年。白髪と同じで、先輩。部長だ。
滅茶苦茶に下手だが、一応部長だ。
「部長部長、俺さっき、彼女に教えて貰ってたんですよ。二人っきりで、密室で」
「なに? おい、それは本当か?」
部長が私を険しい表情で見据えてくる。
「教えてない。窓があいているので、密室でもない。それより部長は弓道音痴なんだからさっさと練習に取り組んでいただきたい」
「あ、部長も同じことを言われましたね」
白髪先輩が笑うと、部長は「同じこと?」と首を傾げたが、白髪先輩は笑うだけで答えなかった。
「ごめんなさい、遅れました……!」
慌てたように入ってきたのは、3兄弟だ。二人は後輩。青い髪の双子だ。後一人は赤髪の同学年男子。
「あ、先輩来てたんですね!」
「早いですね!」
双子は嬉しそうに私を見て挨拶をしてくる。いやこれは挨拶じゃない。挨拶なら「こんにちは」だろう。教育がなっていない。
「君はいつも早いな。尊敬するよ」
赤髪は笑って私に微笑みかけてくる。
「お前たちには私に挨拶をすることしかできないのか? 私よりも年上の先輩に先に挨拶するべきだろう」
私がそう言うと、
「そ、そうだった。こんにちは、先輩方」
「ごめんなさい、そうでした……先輩、おはよう!」
「おはようです!」
「今は夕方ですが……」
白髪が困ったように微笑む。
「まぁいい。とにかく練習だ練習!」
私がそう言うと、部員はわらわらと弓と矢を持って構えだした。
号令をかけろといいたいのかこれは。
「構え!!」
そういうと全員一斉に矢を的に向ける。
「引け!!」
ぎり、と音が鳴る。
皆、引いている位置に随分とばらつきがある。あるものは弓を持つ手のひじ辺りまでしか引けていない。またあるものは引きすぎてしまっていて、目標が定まりそうにない。内心私は溜め息をついたが、そのまま腕を前に突き出して、
「放て!!」
その声に、一斉に矢が放たれた。
……筈だが。
「あれ? 矢が落ちちゃった」
「ぬ、抜けない。矢が壁から抜けません……」
「後もう少しで的に刺さったんだがな。的のすぐ隣に刺さって終わった……」
「矢が届かないー」
「矢が的まで行かないー」
「ってか持ってて弓がぐらぐらするんだよな……」
……。
「……いいか。こうするんだ」
私は溜め息をついたが、気を取り直して構えの姿勢をとった。
目を細め、目標を定める。
人差し指を的の中心よりほんの少しだけ上に定め――
そのまま、指を離す。
その途端、ぱぁん! という心地の良い音と共に矢が的の中心に突き刺さった。
『おお~』
6人から感嘆の声が上がる。
おお、じゃない!
「ほら、練習するんだ、練習練習! 大会は夏休みだぞ!!」
大丈夫だろうか、こんな部で。
本当に、私たちは大会に出られるのだろうか……
何となくもやもやした気分で、私は再び弓を構えるのだった。
「……え、弓道部を、休む?」
「反芻する必要は無いだろう。とにかくそういうことだ。私はしばらく弓道部に来ない。放っておいてくれ」
私がそう言って部員たちに背を向けると、彼らは慌てふためいたように私の肩を掴んできた。
「ちょっと待ってください、どういうことですか?」
「ほんとだよ。何で君が休むの? 何かあった? 俺たちがあまりに下手すぎて嫌いになった? ねぇ、どうして?」
「何気に俺を巻き込むな。まぁ下手なのは認めるが……、本当に、何故突然こんなことを言い出したんだ。大会の予選は一ヵ月後だぞ」
「先輩僕が嫌いなのー……?」
「先輩教えてくれないのー……?」
「お前がいなきゃ、この部、絶対大会とか無理だって。どうして突然こんなことを言い出したんだよ」
口々に私を引きとめようとする部員たち。
……彼らだけだ、そんなことを言ってくれるのは。
嫌いなわけがない。嫌いになれるわけがない。
だけど。
「……もう、無理なんだ。すまないが、本当に……できれば、この学校も、辞めるつもりでいる」
「は……?」
私の言葉に、部員たちは全員唖然とした。
「え……学校を、やめる?」
「…………それは、お前の、本心か?」
部長は、私を真っ直ぐに見詰めて問うてくる。
「学校はともかく。弓道部を離れるというのは、お前が弓を嫌いになったからか?」
「……別に、弓道が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。弓道より好きなものなんて、……今の私にはない」
「なら、どうして? 何でやめるの? その言い方だと、家の都合とかじゃないよね。どうして辞めたいって言い出したの?」
私は目を伏せて俯いた。
「……私の噂くらい、耳にしたことはあるだろう」
その台詞に。
部員たちははっとした表情を見せ――それから、顔を歪めた。
「私は、この世界では悪魔だと言われている。黒い髪と、黒い眼。そんなものを持っているのは、この世界において私以外に他にない。私は、悪魔。そして……そうだな、学校の人気者を誘惑する、とんでもない悪魔だと噂されている」
学校の人気者とは当然、彼らのことだ。
「おかしいとは思っていたんだ。何故人気のあるお前たちだけしか弓道部にいないのか。他の、お前たちを好いている女など幾らでもいるはずなのに、そいつらはこの部には絶対に入らない」
「それは、確かに、そうだけど……」
「偶然じゃないんですか? 弓道など興味が無いからと」
偶然な訳がない。
この部活に、彼ら以外で入部しようとする人間はいない。それは、明確な理由がそこにあったからなのだ。
「ファンクラブというのを知っているか?」
「ファンクラブ? あぁ、なんかあるみたいだな」
「でもよく知らないよねー」
「ねー」
なるほど。彼らはやっぱり、ファンクラブの活動を知らなかったのか。
「ファンクラブは全部で6つある。つまりお前達1人につきひとつと言うわけだ。そのファンクラブの共通点であり、絶対の掟であるのが、これだ。「抜け駆けはしない」」
抜け駆け。
つまり、誰も弓道部に入ってはならないということ。
「ファンクラブは、それを破るものには何らかの形で制裁を下すといわれている。そして、ファンクラブに所属しない人間にも圧力をかけていると聞く」
「え……そう、なのか?」
「……知りませんでした。まさか、そんなことを、しているなどと」
「でも先輩は」
「入部してくれたよねー?」
「……お前にも、制裁が下されていると?」
部長が静かにそう訊いてくる。
私は、答えない。
けれどそれが肯定であるのは明白で。
「……どんなこと?」
金髪が、らしくもなく険しい表情で訊ねてくる。
けどやはり、私は答えられなかった。
どう言えばいいのだ?
彼らに、……余計な心配をかけたいわけではないのだ。
たとえ社交辞令でも私をちゃんと見てくれていたから。
黙りこんだまま俯く私に、白髪先輩は眉をひそめ、
「……答えられないようなことですか?」
「……別に、そういうわけじゃない」
「……でも言ってくれないの?」
「……先輩は僕たちのことが信用できないの?」
「違う! ……そうじゃ、ない。そうじゃない……」
何だろう。凄く胸の中がもやもやする。ぐちゃぐちゃに汚い物を詰め込んだみたいな。焦るような感覚とは違うけれど、少しそれに似ている。指先がひんやりと冷たくなるような、変な感覚。
「鬱陶、しいんだ!」
私が叩きつけるようにそう言った途端、道場の中は私の声に反響して、何度も何度もエコーをかけて……やがて静まり返った。
「お前達がべたべたと接してくるから、私がいつも嫌な目にあう。もううんざりだ! 放っておいてくれ!!」
そう言いきってから。
何度も繰り返すエコーで自らの言葉を確認し……心の中で反芻して。
目の前が真っ暗になるような感覚に落とされる。
違う。
こんなことが言いたいわけじゃない。
違うのに。
どうして、口はこんなにも嘘ばかり。
「……そうか」
部長が、ぽつんと呟く。
「……俺たちが、鬱陶しい、か」
「あ……」
違う。違う。
そうじゃない。
でも、どうして。
私の口は動かない。
謝りたい。
怖いから謝れない。
別に彼らが怖いわけじゃないのに何が怖い?
――人の反応が怖い。
あれだけ散々「悪魔」と罵られてきたのだ。何もしていないのに、ずっと、……ずっと。人が怖くなっても、……仕方ないのかもしれない。
何が「悪魔」だ。こんなにも私はちっぽけで、何にも出来ないのに。
「……判った」
私が何も言えないでいると、部長は頷いた。
「休部を、許可する」
途切れ途切れの溜め息が、私の口の中でか細く零れた。
ばかだ。
ばかだ、私は。
違うだろう? こんな言葉が聞きたかったわけじゃない。
……でも。
そうだな。
休部を許可できるくらいには……「どうでもいい人材」だった、ということか。
無責任にもそんなことを考える。
そんなことが考えたいわけじゃないのに。
「だが」
葛藤で目の前がどんどん暗くなっていく私の耳に。
部長は、告げた。
「戻りたくなったら、……いつでも戻って来い」
「……」
寮に戻って、私はベッドに仰向けに寝転がり、大きく溜め息をついた。
いつもこうなのだ。
意地を張りすぎて。
でも人の温もりに恋焦がれて。
前の世界では、こんなに酷くなかった。だから気付かなかった。
私が、淋しがりだったなんて。
意地っ張りで、でも人が恋しくて、だけど、怖くて自分からは歩み寄れない。
「……ばかだ」
素直になりたい。
人が怖いから、素直になんてなれない。
どうしてだろう。
ふっと身を起こし、ベッドから立つ。
この部屋には誰もいない。
本来なら二人で一つの部屋のはずなのに、「悪魔」とは誰も暮らせないからと、特別に私は独り部屋。
虚しい。
淋しい。
悲しい。
「……どうして、転生なんかしたんだろう」
こんなに苦しいなら、いっそのこと全て忘れていられたなら幸せだったのに。
弓道の大会まであと1ヶ月。
「……もう、いいだろうか」
いなくなっても。
私がいなくなったら、世界中が喜ぶのだろうか。
悪魔が死んだと。
……あぁ、狂っている。
この腐った世界も、人々も、そして浅ましくも軽軽しく転生を望んだ私も。
「私がいなくなれば、きっと……この世界は、「元」に戻るだろう」
そう言って、寮の屋上に行こうとした所で。
――コンコン、とベランダの方から妙な音が聞こえた。
「…………。…………?」
訳がわからず、閉めていたカーテンを広げ、
「うわ!!」
流石に仰天して私は転びそうになった。
「な、なんでお前が」
そう言うと、彼はにへらと笑った。そして、窓を開けてくれと言うようなジェスチャーをしてくる。
いつもなら。
いつもなら、放っておいたかもしれない。
馬鹿なことをするな。
ここは女子寮だぞ。
お前たちは暇なのか。
練習しろ。
そんなことを言って。
でも、今は迷わずに――
「っはぁ。ありがとー。あ、入るね」
そう言って制服についた葉を落としながら彼――金髪が部屋に入ってきた。
恐らくこの様子だと、寮の前にある木を伝って、とか、ベランダからベランダを飛び移って、とか結構とんでもないことをしてきたのだろう。
恐らく魔法は使っているのだろうが――当然、危険なことに変わりはない。
「何で、来たんだ?」
あぁ、ダメだ。
何て素直じゃないのだろう。
本当は。
本当は、来てくれて、嬉しい。
だって、私には誰も近づいてこないのに。
わざわざ、こんな所にまで来てくれる人がいる。
それだけで、嬉しくて、嬉しくて、どうにかなってしまいそうなくらいに嬉しい。
「ここは女子寮だぞ。しかも5階だ、5階。常識で考えろ。普通なら用があるなら玄関から入ってくるだろう!?」
虚勢を張ってそんなことを言ってしまう。
違う、そんなことが言いたいわけじゃなくて。
私は……
しかし金髪はヘラヘラと笑って、
「えー。あれだよね、夜這い夜這い。どうするー? こわーい狼さんが赤頭巾を食べにきちゃったよ? 襲っちゃうぞー!」
…………。
「ふざけにきたのか?」
「ううん。これ、素だから」
それは大した問題じゃない。
感激して少し熱くなっていた目頭が急激に冷えてくる。
「女子に追いかけられまくっている「王子様」が「悪魔」に何の用だ? 退治か?」
皮肉ってそう笑うと、金髪は微笑んだ。
「君ってさ。どうしてそう、いつも意地を張るの?」
思わず眼を見開くと、金髪は微笑んだまま私に歩み寄ってくる。
「ほら、今だってそう。凄く淋しそうな顔してるのに、虚勢は絶対張って、仮面だけは外さないよね。強がってる女の子も好きだけど、それでこっそり泣いてるんだとしたら、「王子様」としては見過ごせないわけ」
ね? と首を傾げてくる。
何だそれ。というか別に、
「私は、泣いてない」
「うん。でもね。君のこと、部員皆心配してるんだよ。例え……君が部活を辞めて、学校も辞めて、離れ離れになったとしてもね。ここで一緒に過ごしたっていう事実は変わらないんだから」
「し、知らん。そんなもの、私は」
「君が知らなくてもね。俺たちが勝手に構うの」
「何でだ。私は可愛くもない、優しくもない。お前達の周りにいる人間とは全然違う」
「それの何処がダメなの?」
……え?
「みんな可愛くなきゃいけないわけじゃないでしょ。まぁ俺は君のこと滅茶苦茶可愛いと思うけど……あと、訂正ね。君は、凄く優しいよ」
「優しくない」
「ううん、やさしい。わざわざ俺たちの練習に付き合って、全然上手くなくて上達しそうに無いのに、根気よく教えてくれてさ」
それは優しいんじゃなくて……ただ、大会に出られそうになかったから。
「あと、上手くできなくて落ち込んでるときには、ほら、不器用だけど結構慰めてくれてたでしょ。あれ結構、嬉しかったし」
「慰めてない」
「ツンデレツンデレー」
金髪はヘラヘラと笑って私の頭を撫でてきた。
「悔しいけど、俺たち全員、君より腕が凄い低くて。でもさ。やっぱり男だし、仲間を守りたいって思うのは仕方ないじゃない?」
「え……」
「男ってさー。そういうもんなんだよね。仲間とか、全力で、自分の手で守りたいって思っちゃえるような馬鹿なの。あ、でもこういう馬鹿なところってなかなか格好良いでしょ? ね? ね?」
微妙な気分だ。
言っていることは恐らく格好いいのだろうが、後半が壊滅的だ。
「でね。部員で話してて、決めたの。君が部に戻ってきてくれるように6人で説得しようって。期限はないけど、一応今は大会までが目安。一人一人毎日交代」
「毎日!?」
「そ! だから毎日誰かが夜這いにきちゃうよ~」
何て暇な連中なんだ!
「こんな時間に? 毎日? おかしいだろう!?」
「いいじゃん楽しそうで♪」
「楽しくない! というかここは女子寮だぞ? ばれたらとんでもないことに……っ」
「あーそこは平気。僕みたいな登場の仕方はみんなしないと思うし」
「当たり前だ! 木に登ったりベランダを伝ったり、無茶なことをして落ちたらどうするんだ! 死んでしまうかもしれないだろう!?」
「ほら。ねぇ、凄く、君って優しいよね」
金髪は何故か嬉しそうに笑う。
「他の人たちはみんな、女の子たちを色々説得して君の部屋に扉から来る予定だから心配要らないよ」
「それはまさか色仕掛けか? 犯罪の匂いがぷんぷんするぞ……」
「あっはっはー♪ まぁそういうこともあるよね♪」
「あってたまるか!!」
でも今日は、君が落ち込んでそうなのでドラマチックな訪れ方をしてみました♪と金髪。とんでもない思考だ。これで間違って転落したらどうするつもりだったのだろう。ここは5階だ。間違いなく死亡だ。
「あ、ねねねね、お茶にしない? お茶。お菓子持ってきたんだー」
「今から? こんな時間になってか?」
「まぁ、真夜中のお茶会もなかなかいいものだと思うよー」
そう言いながら私の目の前にぶらんと何かを吊り下げてきた。
「……何だそれは」
「え、愛のこもった手作りクッキー」
クッキー?
……クッキー。
「これは……何味だ?」
「割と普通に大切なとこスルーしたね。うん、傷ついてないよ俺。味? プレーン。つまりノーマル! 一番無難だもんねー」
……確かに無難だろう。
無難だろうが……
「……およそプレーンの色では、ないが?」
「じゃあココア味」
焦がしたなら焦がしたと言え!!
「美味しいと思うよ」
「食ったのか?」
「ううんまだ。君と一緒に食べようと思って」
「私を殺す気か?」
あの壁(断崖)を登ってここまで来たのだ。なんか色んな意味で飛んだ人間なのは間違いないだろう。
「え、喜ばせるつもりだったんだけど……」
金髪はクッキーを見て、
「……あ!」
「何だ」
「砂糖入れるの忘れたかも! ごめん、失敗作かもしれない」
「いや待てそれ以前に着目すべき点があるだろう!?」
……そんな訳で。
「わー、何これ凄い美味しい。何処で買ったの?」
結局先日買っておいたシュークリームを茶菓子にすることになった。
「駅の中のケーキ屋だ。……はぁ。せっかく7つも買っておいたのに……まさかこんな所で食べることになるとは思わなかった……」
溜め息をついて紅茶を飲もうとした途端、
「7つ? ……あぁ、もしかして部員全員で食べるつもりだったの? やっぱり優しいよねぇ、君って」
ぶっ、と紅茶を噴き出しかけ、
「! ち、違う! 私が! 7つ! 一人で! 食べるつもりだったのだ!!」
「うんなかなかそれは無理がないかなこれ結構大きめだし」
むっ……確かに私も随分と無理のある説明だとは思ったが! そこは何も言わないでおくべきだろう!
「この紅茶美味しいねー。うん、これはダージリンだね!」
「これはアールグレイだ」
「…………。うん、これはアールグレイだね!」
「言い直しても無駄だ」
「そこはノっておくべきじゃない?」
仕返しだ、仕返し。
っていうかダージリンとアールグレイの違いもわからんのか。味音痴か?
「……にしても。やはり、お前達は暇なのだとしか思えん。毎日私のところに来るなどと。暇人でなければおかしいだろう」
「あ、じゃあお礼してよお礼」
「お礼?」
「男子寮に夜這いに来て♪」
「断る」
どんなお礼なんだそれは。
と、やや頭を抱えかけていたところで。
「ねぇ。君はさ」
「ん?」
「何で、弓道部に入ろうと思ったの?」
突然金髪がしんみりと問うてきたものだから、私は思わずティーカップを置いてしまった。
「何だ、突然」
「だってさ。おかしいじゃない? 君の言う「王子様」以外に誰もいない弓道部なんて。はっきり言って異様だよね。その雰囲気だけで言うなら、結構色んな人が入りにくかったんじゃないかな。それに、君が言うように「妨害」があるなら尚更。それでも君は、ずっと、弓道部にいてくれたよね。どうして?」
「……どうして、って」
弓道が、好きだから。
ただ、それだけの、理由だけ。
私には、この世界に「飛ばされた」時からそれしかない。
「俺たちのことなんて知らないまま道場に来て、一人で誰もいない道場にいた君のこと、今もさっきのことみたいに思い出せるよ。あの時ね、後から来た部員たちで言ってたんだ。「誰だろう、あの綺麗な子」って。顔とか、容姿とか、そういうのだけじゃない。凛とした姿があまりに綺麗で、格好良くて、思ったんだよね。「あぁ、勝てないや」って。この子には、弓道で勝てない気がする。どんなに頑張っても。力量だけじゃないよ。気持ちみたいなものが。真っ直ぐで、凄く格好良かった」
初めて弓道部の道場に来た時のこと、か。
私も、よく覚えている。
道場には誰もいなくて。
私は立て掛けてあった弓と矢を勝手に持ち出し、「昔」のように番えた。
矢を放って。矢が的の中心に刺さって。そして、拍手が聞こえた。
「凄いね!」という、そんな声と共に。
振り向いてそこにいたのは、6人の青年たち。袴を着ていることから部員であろう事はすぐにわかった。
「是非入部してよ」
そんな風にいわれるなんて、思いもしなかった。
悪魔だなんだと罵られてきた。ここでもそうなのだと思っていた。
でも違った。純粋にみんなが、私の腕を買ってそう言ってくれている。
嬉しかった。泣きそうだった。
あまりの人の温かさに。
それでも私はやはり意地を張って言った。
「こんな時間になって、ようやく部員が揃うのか? 君たちはいつもこうなのか?」
それでも誰も怒らない。
そうなんだよねぇ、とみんなが頷きあって笑っていた。
「……私は、そんなに立派な人間じゃない」
「そう?」
「ああ。……いつも、見栄ばかりで。結局、……後で後悔してばかりだ」
私の言葉に、金髪は口元を緩めた。
「いいじゃない」
「え?」
あまりに軽い答えに私が金髪をまじまじと見詰めると、彼はクリームのついた指をぺろりと舐めて、
「ちゃんと君は後悔してる。君のそんな所、ちゃんと俺たちは気付いてるよ。だって君、いつも顔が泣きそうになるんだもん」
「なに!?」
私は割とポーカーフェイスだと思っていたが……
「あ、微妙な変化だけどね」
何故かほっとした。
……あの、ファンクラブの人間に弱みは見せたくなかった。
まぁ、休部などという時点で弱みなのかもしれないが。
「顔が泣きそうなのに、口はいつも嘘をつく。それがわかってるから。俺たちは君が嫌いになれない。どうしたってね」
私もだ。
私も、何をどうしたって彼らのことを嫌いにはなれそうにない。
「見栄っ張りな所が治したいなら、気長に治していけば良いじゃない。俺たちは君に付き合うから。いくらだって付き合ってあげる。まぁ、そんな意地っ張りな君も、俺たちは大好きなんだけどね」
金髪は紅茶を口にしてそんな風に言う。
「……治せるだろうか?」
「治せるよ。少なくとも、まずは思うところから始めないとね。可能性は、自分で作らなきゃ存在してくれない」
面倒くさいけどさ、と付け足す。
「だから」
金髪は紅茶を飲み干し――真っ直ぐに私を見つめた。
「逃げておいで」
逃げる……?
「怖いのなら。君を貶める人間が怖いのなら、俺たちのところへ逃げておいで。泣いてもいい。愚痴を零したっていい。俺たちは君を絶対に拒まない。大切な仲間だから」
仲間。
私のことを、そんな風に言ってくれるのか。
「それからさ。一緒に考えよう。そんな奴らを見返す方法。「悪魔」から、「天使」って言わせるくらいに、ぎゃふんと言わせてやろうよ」
……天使?
「それは、さすがに」
無理だろう、と言いかけた私の唇を、金髪がそっと人差し指で制する。
「無理じゃないよ。無理だって言うなら、それは君が俺たちと自分と可能性を信じなかった時だけ。――ね」
金髪は目を細め、
「大会に出たいって言ってたよね。みんなで一緒に、大会に出場しようよ。俺はみんな一緒がいい。まぁ引きこもりの若干1名は置いておいて、7人全員で、一緒に出場したいよ」
……私も。
私も、みんなで出場したい。
「それで、伝説作ろうよ」
「伝説?」
「そう、伝説。王子様の格好よさはちょっと落ちるけど。黒髪の綺麗な天使が、地上に舞い降りて王子様たちを勝利に導いたって言う伝説。ま、勝利とまでは行かなくても……王子様たちに力を与えたって感じの。当然、天使は君のことだよ? 俺たちのこと、ちゃんと鍛えてね?」
金髪は椅子から立ち、私に手を差し伸べてくる。
「俺たちに力を与えてくれますか? 黒髪の天使」
私はその言葉に立ち上がり――
「――あぁ。弓に誓って」
彼を真っ直ぐに見つめ、その手を握ったのだった。
黒髪の少女は王子を惑わす悪魔だろうか。
それとも世にも珍しい黒髪の、天より使わされた天使だろうか。
その答えが知れるのは、まだ少し先の話――