59.変化
目の前には騎士。
振り上げられた剣はすでに我が身へと降りかかる。
だが、
「邪魔…すんなあああああああああああ!!!」
一蹴で、その剣の元から折った。
バキィィイイイン、と甲高い音と共に刃が宙を舞い、俺の右の拳は人型の魔獣の喉元を貫く。鈍い感触と共に血が噴き出す。
だが、周りの魔獣は否応無く襲い掛かる。
だから、俺は喉元に手を突っ込んだまま、“魔獣を振り回す”。
「うっらあああああああ!」
風の力も使い兎に角振り回す。それは周りの魔獣を遠ざけるのには十分だった。
左脇に、目を見開いてる蒼がいることを確認し、俺はひとまず魔獣から逃げるように走った。
・・・
・・
・
「は、離して…ください!」
若干他人行儀なのが気になったが、周りに魔獣は見当たらないのでとりあえず降ろす。
「大丈夫か、蒼」
「………」
答えは無言。
知らぬ間に居た犬を抱きかかえ、俺を強く睨んでくる。
まあ、予想していた事だ。
「魔狩りだ。長時間同じ場所にいるのは危ない。ついて来い」
「…嫌です」
そこにあるのは、拒絶の意思。
「私はお兄ちゃんが憎い。好きであると同時に、殺したいぐらい憎い。今だって、八つ裂きにしてやりたい」
「だが、現にそうしてない」
「それはパズズがいるからですよ。私がお兄ちゃんを殺ろうとしたら、パズズが邪魔するでしょ?」
『当たり前です』
「あっそ」
まあ、そんな事はどうでもいい。
「兎に角、来い」
「っ。聞いてたんですか?私はお兄ちゃんが憎いんですよ?」
「そうだな。悪い。こんな兄だが、せめて魔狩りが終わるまででいい。一緒にいてくれ」
「…理解、できない」
「………」
「私は、あなたが憎い。普通なら、パズズがいるとはいえそんな人を近くに置きたくはないでしょう?」
「そうか?どっちかって言うと、相手の方が気にするだろ。憎い相手の近くにいる。この場合、俺が憎い相手で、お前が近くにいる奴だが、俺の立場でそういうのを気にするなら、そもそもここにはいない」
「あなたは私より弱い!」
「認めるよ」
「私はあなたが憎い!」
「何度も聞いた」
「…後ろから殺すかもしれない」
「お前になら殺されてもいい」
『その場合は私も一緒ですよ』
「そうだったな」
パズズと運命共同体になったのを思い出し、思わず苦笑する。
だが、蒼の心はさらに燃え上がるばかりだ。
「何故あなたは自分の命を粗末にできる」
「粗末に何か、してないさ」
「してる…いつも、いつも、いつも!何故赤の他人の為に命を張れる!?」
「…それは」
言葉に詰まる。
これは俺の偽善だ。
ただ、目の前で起こった事を見逃せない。
くだらない正義感だ。
「あなたの自己満足でしょう!?普通の人は、見て見ぬふりをするんです。近くで起こっても、普通は無視するんです。野次馬に混ざるのも、“皆と同じでありたい”からです。人は集団で生きる動物。だから人はより多くの人が選択してる答えに安心する。だからみんな無視するんです。なのに、何であなたは“人と違うことをする”!あなたは私とは違う!普通でいれたんです!なのに、正義の味方を名乗り!調子に乗って人を殺し!自らこの殺しの世界に飛び込む!これは、あなたの仕事じゃ無い…」
だけど、今回の事で一つだけわかった事もあるんだ。
気付けたんだ。
たった一つの、本心に。
「お願いだから…普通でいてください。…あなたには、私と同じ…異端の道を歩んでほしくない」
だから、俺は…
「蒼」
「…何ですか」
「ありがとう」
ただ正直に、言ったんだ。
「は?」
「お前は、俺の事を考えてくれていた。今だって、由姫を殺した俺の事を、許してないにせよ、心配してくれる。だから、ありがとう」
感謝を。
「…ふざけるな」
「ふざけてない」
「ふざけてる。ふざけまくってる。意味がわからない」
「わからなくていい」
「ええ。一生わからない。あなたが何を考えてるかなんて」
「ああ、わかってる。だから…今話す」
「今更何を…」
「俺は、お前の兄でいたかった」
「………」
その目は、驚愕に満ちていた。
「俺は、“特別”、お前の言葉で言うなら、“異端” でいたかった。だって、お前はいつだって特別で、いつだって凄かったんだ」
「…買いかぶりです」
「違う。俺が命を粗末にするように人助けしてるのだって、“お前との繋がり…正義の味方ごっこという繋がりをまだ大切にしたかったからだ”」
「っ!」
これが、俺の本心。
「信じれもらえないかもしない。正義の味方ごっこは由姫への自慢だったし、正義の味方ごっこのきっかけだって忘れてた。だけど、俺は胸を張って言える。俺は、お前の兄だから命を張れるって」
「…嘘、だ」
「嘘じゃない。…そりゃあ、怖いとも思ってる。気付けば貞操の危機だし、俺よりかなり強えし、…でも、お前がそんなんだから、俺はお前を“好きになれた”」
「…嘘だ」
「俺は怖かった。お前に嫌われるのが、心の底から怖かったって思えた。いつも俺の事を考えてくれて、協力してくれて、一緒にいて、笑顔を向けてくれた。そんなお前に嫌われるのが…とても怖かった」
「嘘だ!」
蒼は声を荒げる。
「嘘だ嘘だ嘘だ!お兄ちゃんは嘘を言ってるんだ!」
「嘘じゃない」
「私はお兄ちゃんの思ってるほど凄くない!私は弱い!お兄ちゃんが思ってるほど“特別”じゃない!それに、今まで好きなそぶりなんて少しもしてくれなかったじゃない!何の証拠も無しに信じられるわけが」
言葉はそれ以上続かなかった。いや、“続けさせなかった”。
理由は…俺が蒼の口を、自分の口で塞いだからだ。
パズズが『ほぉー』とか感心したように声をあげる。
口を離すと、蒼はゆでダコのように真っ赤だった。
「な、なにを!?」
「妹だからって、嫌いな奴に“ファーストキス”はやれねえなー。…これが俺の、証明だ」
蒼の顔はさらに真っ赤になって少し面白い。
「…お兄ちゃんは変態です」
「男は皆そういうもんだ」
「お兄ちゃんはクズです」
「否定できない事はやらかしたな」
「お兄ちゃんはシスコンです」
「こんな事の後じゃ取り繕えねえな」
「お兄ちゃんはロリコンです」
「それには全力で異議を唱える!」
ロリコンじゃねえ!
…多分。
「…最低です。本当に。私、本当にお兄ちゃんの事を…“好きになってしまった”じゃないですか」
「そりゃ、光栄だな」
「怒りとか憎しみとか、そんなもんどっかに飛んでっちゃいました。本当は怒りたいのに、怒れないです。卑怯ですよ、こんなの。こんなんじゃもう、お兄ちゃん以上の人なんて期待できないじゃないですか。どうしてくれるんですか。お嫁に行けないじゃないですか」
「なら、俺と一緒にいろ」
俺の言葉は、もはや無意識だった。
「俺は、さ。ダメな兄だから、お前みたいな優秀な妹がいると助かるんだ。だからさ、もし困ったら、俺のとこに来い」
「…許したわけじゃ、ありませんから」
「ああ。わかってる」
そして、ガシャガシャと金属音が響く。
「全く、邪魔な奴らだ」
「お兄ちゃん」
「ん?」
「…私を守ってね」
「…ああ!任せろ!」
『では、騎士は姫を守る責務を果たしましょうか』
言われなくても。
そして、一歩踏み出した瞬間、風が変わった気がした。
そよ風から、少し強い風へと。
「…そうか」
難しい事じゃなかった。
同じものなんて、無い。
心が澄んでる今ならわかる。
俺が風に、何を見出したのか。
人の心も、今の世も、そして“風”も、同じでいることは無い。
今の俺と蒼の関係は、二度と昔のようには戻らない。
だが、それが普通なんだ。
1分1秒が、違う。
全てが“特別”。
俺が風に込めたのは、
「【変化】それが俺が風に込めたものだ」
『了解しました』
準備は整った。
後は、想像だけ。
「行くぞパズズ。…北風!」
辺り一体凍らす吹雪が、空間を支配した。




