57.後悔
吐き出してしまった…。
自分の醜い心を…。
「…お兄ちゃん」
アパートから少し走ってからすぐに息が切れてしまった。前なら全力で走ってもしばらくは走れたのに…。
やっぱり、お兄ちゃんに言ってしまったのが効いてるんだろう。何処までお兄ちゃんの優しさに甘えてるんだろう。
陽桜 由姫の事は本心だった。彼女とは近しいものを感じていたし、私から話しかける回数が多いのも、お兄ちゃんに次ぎ二番目だ。私個人の認識は“親友”だった。
由姫は昔から病弱で、何も出来ない子だった。私とは対極に位置していた。が、対極に位置していたからこそ、由姫と私の置かれていた状況は似通っていた。
孤独
周りには、人がいなかった。
それ故に、私は由姫と仲良くなれた。お兄ちゃんと由姫と私の三人。お兄ちゃんが由姫に惚れた時は、少し嫉妬したけど三人でいられるなら私にとっては最高の幸せだ。
だけど、お兄ちゃんの思い上がりが由姫を殺した。
憎むだけで良かったはずだ。それで、全てが終わる。
なのに、私のとった行動はなんだ。
キャラを変えてまでお兄ちゃんを元気付け、お兄ちゃんに恋していた。気付けば愛の言葉を叫んでたし、ぼーっとしてるとお兄ちゃんと呟いている。
嫌いで好き。
二つの感情が私の中でドロドロとして私の中身を醜くしている。
「自分の心がわからない…」
何時もなら、客観的にいくらでも分析できたのに、今回は無理だった。
私にはお兄ちゃんの存在は大き過ぎた。
前を見ているはずの目からは、いつしか情報が入らなくなっていた。
何も見ていない。
私の脳も段々と思考を止めて行く。
その時、
「きゃっ!」
「うわっ!?」
ドンッ、と誰かにぶつかってしまった。
「す、すいません」
「ああ、こちらこそ悪い。少し急いでてな」
ぶつかった人は見た感じ、お兄ちゃんと同年代ぐらいの男子だった。
その人は手に持った袋を掲げ、少し笑う。そして私も自分がいる場所が曲がり角だと気付く。どうやらギャルゲーの王道展開
【角を曲がったら美少女とぶつかる】
が起こったようだ。この人、中々の主人公属性をお持ちのようだ。
「なんかギャルゲーみたいですね」
…今私は何と言った?
普通ここはもう一度ちゃんと謝れば、相手も普通そうだしその場で別れられる。
というのに、何故ギャルゲー発現をしてるんだろう?
「へ?」
「ああ!忘れてください!」
ああ、そうか。
私はきっと寂しかったんだ。
不安定な精神状態が私の心のロックを甘くした。
私はきっと、この優しそうな人に甘えてるんだ。
そう自覚した瞬間、私はまた自分の心の醜さを見たような気がして、気持ち悪くなった。
「…ああ、あれね。美少女と角でぶつかるっていう」
「あはは…」
「…自分のこと美少女だって思ってる?」
一瞬イラっとした。
「何故そう思うんですか?」
「いや、美少女とぶつかるっていう部分、否定しないし」
「…周りからよく言われますからね」
「うわ、感じ悪」
私にはこいつをぶん殴っていい権利があるはずだ。
ただでさえ沸点が大分低くなってる私の心はそう長くは耐えられない。
「…感じ悪いって何ですか。私は昔から可愛いね可愛いねって言われて育ちました。今も変わらないし告白もたくさんされました。私の“私が美少女だ”という自覚はそういう周りの方から証明してもらった結果なんです。それを否定して何になるんですか。相手に向かって「私が可愛いなんて、あなたの目は節穴ですね」とでも言えばいいんですか。今更謙遜したって周りの女子からはいい子ぶってるとしか思われないんですよ。私はその上で自分が美少女だと思っています。自分に自信を持っています。人間の好みが千差万別だという事は百も承知。その上で聞きます。あなたは何を持って私を感じ悪いと言うのですか?」
とりあえず拳はしまって言葉攻めだ。
そして、相手のパターンも読めている。
『強いて言えば全部かな』
思いっきりはもらせてやった。
相手がしかめっ面をするのを確認し、私はそれに最高の笑みで応える。
「お前、見た目いいけど中身最悪だな」
「ええ、自覚していますよ。何故もう少し素直になれないのかここ数十分でとても後悔しているところです」
と、言ってからとても後悔した。
正直に言ってしまった分、記憶も鮮明に蘇る。
お兄ちゃんとの喧嘩を思い出してしまう。
思いっきり顔をしかめてしまった。
「どうした?」
「いえ、少々嫌な事を思い出してしまっただけですよ」
今更になって足早にここを立ち去りたくなってしまった。
何だかんだでこの人と話してる時は忘れることが出来たのだ。それを自覚すると、とても寂しい気持ちになったが、今は一人になりたい気持ちの方が強くなっていた。
「そうか。じゃあな」
「え?」
「嫌な気分になったら人に話すと和らぐって言う奴もいるけどさ、一人になって落ち着きたいって奴もいると思うんだよ。それに俺とお前は見ず知らずの他人。俺はあんたの事情に首を突っ込みたくないからな」
「…後半の方が本音ですよね?ですが、お気遣い、ありがとうございます」
「ああ。あと、風紀委員に見つかるなよ?ここの街のは、少々過激だ」
「はい。ありがとうございます」
…なんか不思議な人だ。雰囲気はお兄ちゃんに似てたかもしれない。お兄ちゃんの方が百倍いいけ…またお兄ちゃんの事を考えてる。
「はぁ…」
私は月も出ない曇り空の夜の街を、再び歩き出した。
「…あ」
「くぅーん」
少し時間が経って、私は捨て犬を見つけた。
「どうしたの?」
「わん!」
元気な犬だ。しかも人懐っこい。
…何だか昔のお兄ちゃんみたいだ。…家で飼えるかな?
「う〜ん…一緒に来る?」
「わん!」
私の心は少しだけ癒された気がした。
だけど、お兄ちゃんへの感情はまだ収まらない。
子犬を見てて和むと同時に、怒りやら悲しみやらでごちゃごちゃしている心が私の中で暴れる。
そんな私の心の中に気付いたのか、子犬は私の手をペロペロ舐める。
「ふふ、ありがと」
その時だった。
「え?」
光が急速に自分に近づいている事に、私はかなり遅れた。
ダンプがすぐそこまで迫っていた。
「あ…」
視界が色あせる。全てがスローモーションだった。
…まだ、何も解決してないのに。
お兄ちゃんの事とかお兄ちゃんの事とかお兄ちゃんの事とか。
…お兄ちゃんばっかだな、私。最後まで、ブラコンだったよ。
やっぱ私、お兄ちゃんの事好きなのかな。
今更、わからないけどね。
「さよなら」
子犬には悪いけど、一緒に死んでもらうことになってしまった。
ごめんね。
そんな思考の隅に、お兄ちゃんの声が頭に響く。
蒼!!
はは、死ぬ瞬間に思い出すのって走馬灯じゃなく、お兄ちゃんの声だったよ。
ダンプカーは一切減速する事なく、私がいた道を過ぎ去った。




