55.濁る心
蒼side
「これ以上お兄ちゃんを戦わせないでください!」
自分で見て、自分の心で、そしてお兄ちゃんの戦う姿を見て、そう決めた。
お兄ちゃんは危うい。
誰よりも強い力を持ちながら、誰よりも浅い戦闘経験。
そのアンバランスさが今回、“不幸にも私の目の前で”露呈してしまった。
「蒼ちゃん、気持ちはわかるけど落ち着いて。紅くんはもう戦力なのよ」
「そうだよ。それに、紅はいつも命がけで目の前の危機を救ってたじゃない」
そう輝雪と雌豚が言ってくる。
…そういう問題では無い。
「そういう問題じゃ無い。お兄ちゃんは誰よりも出しゃばる。だから誰よりも危険にさらされる。そんなんじゃ、いつか絶対死ぬ!」
「紅くんは、それを覚悟で“こっち側”に来たのよ」
「…雌豚に晶!なんで何も言わないの!?」
「今雌豚って言った!?」
「焔、ふざけてる場合じゃ無いよ」
「いや。ふざけてるのはあっち」
「僕は、紅はきっと誰が止めようと続けるとわかっているから。だったら、僕たちがすることは止めることじゃない。ケアする事だと思ってる」
「…チッ」
晶は、お兄ちゃんの親友じゃなかったの?死ぬかもしれない親友を放っておくような奴だったの?
…お兄ちゃんを止めれるのは、自分だけだ。
「…ごめんなさい」
不意に、声がかかる。
「紅と一緒にいたのは私。私が紅の行動に気付いてサポートしていたら、こんな事にはならなかった」
九陰だ。
その言葉を聞いて、何故か私の頭の血は沸騰する勢いで上る。
「あなたが、あなたがそんな言葉を吐くな!お兄ちゃんと殆ど時間を共有してない奴がお兄ちゃんの行動に気付くだと!?ふざけるのも大概にしろ!」
「っ」
私も、なぜこんな事に怒っているのかわからなかった。
自覚はしている。これは、子どもが何かが気に入らなかった時に何でもかんでも他にその怒りをぶつけるような、そんな理不尽な怒りだ。
でも、その気に入らない“何か”が、私自身にもわからなかった。
体の隅々が、まるで炎になったかのようにその体温を上げる。
その時だ。
「蒼」
声がかかる。
この声は、今の話題の中心になっている人だ。
「…お兄ちゃん」
なぜ。
その言葉が出かかる。
だがやめた。理由など聞かなくても、お兄ちゃんなら絶対に起きる。そういう人だ。
「…なに」
ダメだ。
私という入れ物の中は今、怒りで充満しつつある。例えお兄ちゃんでも、いや、“お兄ちゃんだから”、今話せば、私という入れ物の蓋は、怒りという中からの圧力で空いてしまう。
そうすれば、自分が恐れている“何か”まで出て来てしまう。
…ダメだ。話しちゃダメだ。
でも、
「そこまで怒るなよ。俺が好きでやった事なんだから、とは言えねえ傷ができちまったけど」
なぜお兄ちゃんは、私に話す。
「紅、大丈夫なの?」
「怪我は」
「ああ、大丈夫だ。今は蒼と話させてくれ」
なぜお兄ちゃんは、私に喋らそうとする。
「…わかってるなら、寝ててください」
そしてなぜ、私は応えてしまう。
「大丈夫だって。昔も、こんな事いっぱいあったろ。小学生の頃とか、さ」
どうしてそこまで私と話そうとする。小学生の頃の記憶は、お兄ちゃんにとって禁忌のはずだ。
陽桜 由姫を思い出してしまうだろうに。
「っ!」
ズキンッ、と頭に痛みが走る。
封印していた感情が、思考が、心が、過去が、思いが、全てが、私という器を壊そうと、出ようとする。
「あ、蒼?」
「大丈夫、です。続けてください」
「そ、そうか…」
こちらも陽桜 由姫を思い出したのか、若干顔色が悪くなっていた。
だが、今の私はそれどころでは無い。
出るな、私の醜い感情。また、いつものように奥の方で黙っていろ!
だが、お兄ちゃんの次の言葉でその行動は無意味となる。
「今俺がやってる事だって、ある意味では昔の“正義の味方ごっこ”の延長みたいなもんだ」
ドクンッ。
「…ざ……な」
「え?今なん」
「ふざけるな!!!」
醜い。醜い醜い、私の心。
「蒼!?」
「何が正義の味方ごっこの延長だ!“きっかけ”を忘れたくせに!そんな奴が、正義の味方ごっこなんて言うな!!!」
「どうしたんだよ急に。きっかけって」
「…本当に、忘れたんだね」
打って変わって、静まる私の心。
…いや違う。
マグマだ。今は私の感情がマグマとなって器から流れてるだけ。いつか、また噴火する。
そして、流れ始めたマグマはもう止められない。
「正義の味方ごっこは、お兄ちゃんが小学2年生、私が1年生の春に始めた。その頃から私は周囲から浮いていて、友達がいなかった。自分で言うのもあれだけど、私は優秀過ぎた。そして周りはレベルが低過ぎた。そのおかげで、私は周囲の人間に興味を失ってた」
「………」
「最初の頃はお兄ちゃんだって興味はなかった。家族で毎回のように顔を合わすけど、能天気にいつも笑ってるお兄ちゃんが、その時からどうして笑えるのか不思議でしょうがなかった」
「…そうだったのか」
「うん。でも、そのお兄ちゃんが急に私の手を強引に引っ張って、外へと連れ出した。いきなりの事すぎて流石の私もびっくりした。何をするのか聞いたら、『蒼を周りの奴らに認めさせる』とか言って、いろんなとこに連れ回してた。
最初は乗り気じゃ無かった。そもそも、レベルの低い奴らに認められても嬉しくなったしね。でも、お兄ちゃんは違った。一生懸命私の事を考えてくれた。でも、そんなある時。私とお兄ちゃんの目の前で財布を落とした子どもがいた。私の頭脳でその子の話から財布を落とした所を割り出し、見つけたの。その時、その子が私とお兄ちゃんに言ったの。
『ありがとう』
て。それが、“正義の味方ごっこ”の原点」
きっとお兄ちゃんは忘れてる。
私の中でずっと眠っていた、私とお兄ちゃんの初めての正義の味方ごっこの記憶。
「私、その頃からお兄ちゃんの事が好きになった。私を導いてくれるお兄ちゃん。異性としてはダメだけど、大切な人としてお兄ちゃんが好きになった。
でも、あの日に全てが壊れた。
お兄ちゃんは、段々暴走を始めた。調子に乗ってた、とも言える。少しばかり強い肉体と、少しばかり事件を解決した経験に酔いしれてた。だから、どっから聞いたのかわからないけど、陽桜 由姫の話をしてきた。
そして起きた。あの事故が」
「っ」
「待って蒼ちゃん!それ以上は」
「私はその頃からお兄ちゃんが“大嫌い”になった」
晶の静止の声がかかるも無視して進める。
私の本心を。
皆が息を呑む雰囲気を感じた。
「由姫は、私にとってもお兄ちゃんの次に出来た大切な人だった。なのに、暴走したお兄ちゃんは由姫を殺した!自分の無責任な行動のせいで!」
一度漏れた感情を止める事はきっと出来ない。
醜い、醜い、醜い。
「でも、同時に好きにもなってしまった。お兄ちゃんが、由姫の死を体験した事によって、“私と同じステージ”に立って、“異性として好きになってしまった”」
「…自分の力を把握し、自分の大切なものをちゃんと守れる人」
輝雪が呟く。それは、輝雪に言った私の好みのタイプ。
そう、お兄ちゃんはあの頃から、自分の力を知った。そして、自分の日常として大切な物だけをくくった。
「大嫌いなのに大好きになってしまった。私には、どうしていいかわからなくなった」
「…蒼、俺は」
「喋るな!こんな事なら、あなたを恨む道を進んだ方がよかった…。負の感情を、記憶を、都合の悪いこと全てを、自分の奥底にしまってたのに、なのに!」
もう、抑えられない。
「あなたは!私の最後の心まで裏切った!!!」
「あ、蒼…」
「結局私はあなたに死んでほしくなかった!嫌われたくなかった!だから自分の負を全て封印したのに!あなたは何故死に急ぐの!?もう、私の心を傷つけないで!もう、私を苦しめないで!もっと自分の命を大事にしてよ!!!」
「俺は…」
「きっかけも、命も、過去も、全てを捨てた人の言葉なんか聞きたくない!」
耐えられなかった。これ以上ここのいると、
自分の中の“鬼”が、きっとお兄ちゃんを殺してしまう。
「っ!」
私は、自分が泣いている事に気付かないまな部屋を飛び出し、“夜”の街へと走っていった。




