第四話:お姉様とのお風呂
>>忍
淡い色合いの板張りの床に、安いファミレスにあるような4人掛けから6人掛け仕様の木製のテーブルと椅子のセットが所狭しと並んだ食堂の一角に、僕は隣接する調理場との間にある注文を取るカウンターから受け取った、白いプラスチックトレーに載った定食のセットを持って座り、お姉様と向かい合った。平べったい無地の面白みのない滲んだ菫色の屏風に面した4人掛けのテーブルの奥、向かって左側に僕が、その正面にお姉様が腰を下ろし、さらにその彼方には食堂の入り口を、屏風の向こう側の方には勘定場とキッチンスペースを望む事が出来る。そんな位置配置になっている。
「さっき、晶ちゃんと何を話していたの?」
落ち着いて食べ始めた時、お姉様がそんな事を訊ねてきた。別に内緒話でもないので、
「はい。晶ちゃんがマコタンを探しているらしくて、居場所を聞かれましたの。」
と答えると、然程興味も無かったのか、
「そう。」
と、お姉様は素っ気なく答え、また箸を動かし始めた。
丁度僕の背中側の、表の景色が一望できる大きな窓硝子に面するように、よく空港の出発ゲートの前にある待合所に設置してあって野球中継を延々と流している感じの大きなテレビモニターがあり、ゴールデンタイムの民放の騒がしいバラエティ番組を映している。あまり人が居ない所為か、乾いた笑い声だけを断続的に虚しく辺りに響かせている。
耳の中へ流れてくる断片から判断する限り、いつもの芸能人の身内弄りのつまらない話題に終始しているようだが、何となく気になって僕は時々ちょっと顔を右へ向けて後ろを見たら皿の上へ視線を戻す、を繰り返す。
「こら、忍。落ち着きなさい。みっともなくてよ。」
「ごめんなさい!」
お姉様に注意されて、僕は反射的に背筋を伸ばし、顔を彼女の方へ正した。
「忍。テレビが見たいのなら、場所を変わって上げてもいいのよ。」
お姉様は優しい口調でそういう風に仰って下さったが、
「大丈夫です。お姉様。」
と、僕は遠慮した。あまりお姉様に手を掛ける真似はしたくない。
夕食を終えると毎日の日課として、僕達は一度自分達の部屋へ戻って風呂へ行く支度をする。と言っても大した事ではない。2人分の寝間着と替えの下着とバスタオル、そして女性物の水着を用意するだけだ。
ここの学園は元々女子校。この寮も当然女子寮。よって、この建物の共同風呂に男風呂と云うものはない。だがしかし、少なからず僕のように女装姿で紛れている男が居るのも事実である。
入浴や着替えや水泳等、どうしても素肌の全て、ないし大部分を他者に露出しなければいけない状況になった時、僕等男の娘は性転換魔法を使って一時的に身体を完全に女性のそれに変える。これは別に明文化された規則ではないが、社会的に女性として生きている者のマナーとして、何時の頃からか皆の間で定着した習慣だそうだ。しかしそれでも寮生では、男も実は混じっている、というのは公然とした事実である故に、女性化した男子の前で全裸になる事に抵抗のある女子も多い。また、逆も然りである。
その為、ウチの寮の共同浴場に入る時は、全員水着を着用するというのが、規則として奨励されているのだ。
2つある真っ白で丸く輪を作る繊維がフワフワしたタオルの内、お姉様の傍にあるのにはきちんと畳まれた白い大きめのシルクのパジャマの上下と白いブラとパンツと共に、焦げ茶色をした艶めかしいハイレグの競泳水着が置かれている。
桔梗お姉様は、その収集が趣味なのかと思わず納得しそうになる程、たくさんの水着を所持している。ビキニ、ワンピース、競泳水着……。いろんな形、様々な色や模様をしたのを選り取り見取り揃えている。ひょっとしたら普通の服の分量よりもそっちの方が膨大にあるかもしれない。
淑女の嗜みとして水泳は勿論出来るものの、そこまで頻繁に海やプールに通われる訳でも、ましてや露出の趣味がある訳でもない。だから、お姉様がここ2年程の短い期間の内で異性の関心を高く買いそうな艷容な水着を大量に集めている理由は、物心ついた時からずっと傍に居る僕にも解らない。もしかしたら、お姉様が自身の胸の大きさについて悩んでいるという様な事を言った時、たまたま一緒にお風呂に入っていた僕が、お姉様の水着姿は綺麗だから好きだ、というような趣旨の事をうっかり言ってしまったからだろうか?思い当たる理由はそれ位しか、残念ながら僕には考えられない。
で、もう一方僕の方にもお姉様のタオルと同様に薄水色のパジャマと白い下着、そして今日は薄桃色の可愛らしい水着のセットが積まれている訳だが、幼い女児用のそれである。そう、今からロリ化魔法を掛けられて水着に着替えた時点から、翌朝起床して制服に着替える寸前まで、僕は小さな子供として日常を過ごしているのである。だから学校で使用する指定のスクール水着を除いて、僕がお姉様によっていっぱい用意されている水着は全て小さな女の子用のそれなのだ。
服を脱いで裸になり、お姉様に呪文を掛けられると、僕は素早く与えられた水着に着替える。淡いピンク色の無地に、股間を少し見せるようにウェスト周りに付けられたスカートのような大きなフリルが付いた、如何にもと思う水着だ。
着替え終わるとベッドの上に飛びつくように登って腰を掛け、僕はお姉様の着替えが終わるのを待つ。目を向けると、丁度お姉様がパンツを脱いで一糸纏わぬ姿になったところだった。
お姉様は競泳水着を適当に裏返して丸め、立ち上がって足を交互に上げてそれを通し、股間に向けて一気に引き上げる。そして、まるで初雪が降りた後の日の当たる高原のように白く滑らかな柔肌をゆっくりと侵食するように、どんよりと鈍い光沢を放つザラザラした布地が覆っていく様を僕はじっと見つめていた。
肩紐が両腕に掛けられ、前後左右から雁字搦めにするように薄布が纏わり付き、大玉のゴム毬の如しお姉様の両の乳房の上に覆い被さる。2つの乳頭にそれぞれある南天の実のような小粒の盛り上がりが、乳首の存在を主張し、行き場を失って藻掻くように潰れた山の谷間が肩布同士を結ぶ水着の縁の上に顔を覗かせ、ぴっちり張り付いた布地がその上で緩やかな、しかし緊迫感を秘めたアーチを面で構成している。
僕はベッドから床の上に飛び降りると、食い込んだ布地を直す為に尻肉に手を掛けているお姉様の所へトコトコと向かい、そのむっちりと肉付きの良い左の太腿と脹脛に抱きついた。
「お姉様!抱っこして!抱っこして!」
ふう……。と溜息を吐いて膝を折ってしゃがみ込み、僕の腰の縊れの側面に両手を添えながらお姉様が爪先を上げて中腰で正座をするように床に膝小僧を着く。僕は透かさず両腕を伸ばし、水着越しに彼女の両の乳頭に触れ、柔らかく弾力に満ちて仄かに暖かなそれを面白半分に揉みしだいた。
少し鼻につくけどいい香りを全身から放つお姉様の身体は、不思議とエロスティックな魅力で溢れている。ちょっと動く度にボヨンボヨンと弾む冗談みたいに大きな胸や安産型の熟れた桃の実のような尻からむっちりとした太腿とすっとしなやかに延びる脹脛、それでいて形の良い瓢箪のように括れた腰回り……。どこの部分であってもむしゃぶりつきたくて堪らない衝動に何故か駆られずにはいられなくなってしまうのだ。
胸囲が1mを余裕で超えるMカップの乳房と比べるまでもなく、小さな掌にそれを鷲掴みされている事に気付くと、
「こらっ!」
とお姉様は怒っているような、笑っているような妙な表情をすると、徐に手を上げ、思わず目を閉じた僕の両の頬をムグッと掴んだ。
「そんなに離れている訳ではないのだから、抱っこは駄目。自分の足でちゃんと歩きなさい。」
「む――――――っ!」
頬を膨らませるが、お姉様にプニプニ弄られるばかりで歯牙にもかけてもらえない。しかも立ち上がってしまったので、お姉様の胴体と共にプルプルと瑞々しく弾みながらゆっくりと上昇するおっぱいを仰ぎ見つつ、僕は諦めて手を離した。……と見せかけて、タオルやパジャマを取り上げる為に中腰で屈み込んだ彼女の、競泳水着の布地から大きく食み出した肉付きの良い柔らかな尻肉を掴み、体重を掛ける。
「じゃあ、おんぶ!」
「駄目よ。忍。」
「…………。」
拗ねて仰向けに寝転がった僕をよそに準備を終えたお姉様は、玄関で館内用の茶色いサンダルのようなスリッパを履き、ドアノブに右手を掛けながら床の上に背中を擦り付ける僕を見下ろしている。
「さあ、忍。早くタオルと着替えを持ってスリッパを履きなさい。」
「…………だってぇ。」
不貞腐れているので、お姉様が既に履いている物と同じスリッパを履くように促されても僕は無視し、彼女に背を向けるように身体を虫のように丸めて右の二の腕を床へ摩り付けるように転がった。
「それなら、わたくし一人でお風呂に向かう事にするわ。それでもいい?」
「…………。」
「わかったわ。じゃあ、いつまでもそうしていなさい。」
「…………………。」
「電気を消すわよ!」
「…………!」
「こわーいお化けが出るかもしれなくてよ?」
「……………!!」
「ほら、早くしないと置いていくわよ。3!2……!」
「ま、待って!お姉様!わたしも一緒に行く――――!」
お化けが出そうな程人気を失った真っ暗な部屋で独りぼっちとか、冗談じゃない!僕は飛び起きるとタオルとパジャマと下着の固まりを一緒くたに両腕に引っ掴み、半分ベソを掻きながらお姉様の元へ駆け寄った。
右手を挙げてお姉様の左手と繋ぎつつ、もう片方の腕でタオル等を抱え、サイズの合わない大人用のスリッパでパタパタと音を立てて共用廊下をてくてくと歩く。お姉様は僕に配慮してゆっくりと歩調を進めている心算なのかもしれない。が、そこは3歳児の身体。かなりの早歩きをしないとそのペースに追いつけない。
そんな感じで寮の玄関のあるロビーまで出てきた時、左手の玄関ホールの真向かいにあるエレベーターホールからスリッパを軋ませる音と共に、ぬっと人影が僕等の前に唐突に現れた。
お姉様の歩みが止まったのに乗じて右の掌を開き、慌てて背後に隠れてしまった。しかしお姉様の両膝の間の隙間から窺うと何の事もない。その人影の正体は潤音様だった。緋色の紐ビキニの水着の上に紺の絣模様が淡く染め抜かれた白い浴衣を無造作に羽織っている。どうやら潤音様も僕等と同じようにお風呂へ向かわれるようだ。
同級生の女子達がよく読んでいるファッション関連情報誌のトップを毎回飾る人気モデルのようにスレンダーな体躯をしている上に、ウチのお姉様より若干小さい程度の、本人曰くサイズはKカップの柔らかな肉の双丘を挑発的な色の布地で引き立てているから、見る者によっては破壊力が並の物ではなかろう。現に、小サイズのハンドボール位の球ならギリギリ包めそうな位は広く布地が割かれているにも関わらず、ビキニのブラジャーの周りから胸の脂肉が溢れ出し、何とも艶かしいオーラを醸し出している。もしも例の3馬鹿がこの潤音様の姿を目の当たりにしたら、鼻血を垂れ流したまま卒倒するかも……、否昇天してしまうのかもしれない。僕はそんな風に思った。
「あら、桔梗。それに忍ちゃん。」
「潤音。あなたもお風呂?」
そんな感じで、並んで歩みつつお姉様と潤音様は取り留めのない世間話を始めた。でも困った事に、ウチのお姉様にはお喋りに夢中になると手振りでリアクションをとる癖がある。この場合、手振りに使うのは、タオルを抱えた右手とは逆、僕と手を繋いでいた左の手だ。
無情かな。突如お姉様は僕の手を振り払うと、その手を口元に寄せ、クスクスと笑いを堪え始めた。
どうも面白くない。僕はお姉様に此方の方に興味を戻して貰おうと、お姉様の腰の辺りに向かって手を伸ばした。だが哀しいかな。普段ならそこにある筈のスカートやズボンの裾がない。どんなにジャンプをしても、我が手は空を切るばかりである。
仕方がないので、僕はお姉様の股間の左側に急なカーブを描く競泳水着の背側の端からその中へと指を潜り込ませ、布をギュッと掴んだ。
「ひゃっ!」
いきなり水着の中に手を入れられて尻に触れられたからか、お姉様はビクッと一瞬硬直し、そして振り返って僕を見下ろした。
「こら!忍。」
言葉ではそう言っているが、お姉様の口調はそう刺のある雰囲気ではない。だが、僕は咄嗟に手を引き、上目遣いに彼女の顔を仰ぎ見た。
「いけないでしょう。こんな事をしたら。」
「だって……。御手手……。」
右手を挙げて催促するとやっとわかってくれたのか、
「しょうが無いわね。」
と、やっとお姉様は僕の方へ手を下ろしてくれ、僕は少し嬉しくなった。
「本当、忍ちゃんはママが好きなのね~。」
「ちょっと、潤音。わたしはこの子のお母さん、っていう訳ではないのよ!」
「またまた……。みたいなものでしょうに……。」
頭の上の方で、半分呆れも入った潤音様の茶化す声と、それに冗談交じりに反論するお姉様の声が飛び交っているが、割りとどうでもいい。
「ねえ、忍ちゃん。お姉ちゃんとも手を繋ぐ?」
「…………?」
急に潤音様から話を振られ、僕は一瞬呆けた後首を傾げた。『も』と言われても、僕の左腕にはタオルと着替えが既にその中にあるからだ。だから潤音様と手を繋ごうと思ったら、その前にまずお姉様から右手を離さなければならない。
ああ、成る程……。一人心の中で納得した僕は、取り敢えず潤音様の顔も立てておく心算で潤音様とお姉様と交互に数度視線を行き来させ、結局こう答えた。
「お姉様が良い……。」
「やっぱりママの方が良いかぁ!」
潤音様がまたもや巫山戯た感じでそう言うと、
「だからママではなくてよ!」
と、透かさずお姉様も応酬する。だが、その潤音様の言い方に、何処か諦めのような腑に落ちない気配が内包されていると感じてしまった僕は、不思議に思いながら彼女の顔を暫く見上げた。
食堂の前を通り過ぎてすぐ、建物の1階の西端の突き当りに大浴場があり、その手前に銭湯や旅館のそれのような、板敷に大きな茣蓙が敷かれ、壁に沿うように大きな薄い緑色のプラスチックの底の浅い籠が各々収まった棚が備え付けられ、ついでにドライヤーと扇風機がある洗面所のスペースが入り口に入ってすぐ左手に設けられた脱衣所がある。
廊下の行き止まりにある緑掛かったクリーム色の、上の方に正方形の網磨り硝子の填った両開きのドアの右側の方を開けて中に入ると、三和土の所でスリッパを脱ぎ、僕等は框を一段上がった所にある板の間に上がり込んだ。
普通の部屋の玄関で言う土間に当たる1.5畳弱の広さのリノリウムの床の上には、自分が履いているのと同じスリッパが20足程まばらに散らばっているが、どれが自分の物だったか、を悩む必要は殆ど無い。何故なら、スリッパの甲の部分には金字で『103号-B』と云う風に部屋番号と何個目かを示すアルファベットが印字されているからだ。
脱衣所は16畳程の縦に細長い長方形の様な形をした部屋で、奥にある磨り硝子のアルミサッシの2枚組みの引き戸を開けた先に件の大浴場がある。向かって左右の壁には籠の入った、丁度僕の背より少し高い位の木製の安っぽい棚が並び、手前向かって左後ろには土間に接するように2台続きの洗面台が設置されていて、大きな鏡が壁に打ち付けられている。そうした中、僕とお姉様と潤音様は、右側の棚の下から2番目の所に3つ並びで空き籠が並んでいるのを発見すると、入り口側にいた僕から順番に並び、持っていたタオルと着替えをその中へ各々放り込んだ。
お姉様が髪を下ろし、潤音様が最後に羽織っていた浴衣を籠に入れるのを待ってから、僕はお姉様の胸に抱っこされた状態で一緒に浴場の方へと向かう。黄色い白熱電球の光の下、濛々と立ち込める霧のような湯気に巻かれても、背中越しに大勢の人の気配がビンビンする。
「あっ!シノピーだ!お――――い!」
後ろから如何にも小さな子供らしい、幼さ故の特有の高い、聞き慣れた声が聞こえたので、僕はその方へ首を左へ回して振り向いた。やっぱりというか、そこに居たのは黄色地にいろんな種類の果物が描かれている何ともカラフルなワンピースの水着を来た少し癖毛の目立つ肩までのセミロングの小さな女の子、の姿にされている同級生で仲間の石蕗 真……通称マコタンが居た。よく見なくても紫色の紐ビキニ姿の、ウチのお姉様と胸の大きさもいい勝負の、歳の割に少し大人っぽい雰囲気をした腰まで届かんとする巻き毛ロングの美女、彼の従姉で2年生の石蕗 澪嬢に抱き抱えられ、身体を洗われているのが判る。
「あら、澪さん。真ちゃん。ごきげんよう。」
僕も応えようと手を挙げ掛けた途端、お姉様が澪さんに向かって声を掛け、彼女等の右隣のシャワーの前へ行き、プラスチック製の深緑の風呂椅子を引き寄せ腰を下ろした。まあ、シャワーといっても壁に埋め込まれた鏡で個々を識別出来る、シャワー付き蛇口と液体石鹸やシャンプーとリンスの容器が載った簡易洗面台で拵えられた、この手の入浴施設なら何処にでもありそうな普通の奴である。間仕切りなど無いから、左にいる真達とも、右に座った潤音様とも普通に顔を合わせて会話が可能だ。
「ごきげんよう、澪さん。私達、隣、使ってもよろしかったかしら?」
「あら、桔梗さん、潤音さん。それに忍ちゃん……だったかしら?ごきげんよう。構いませんわ。どうぞお気遣いなく。」
「ではお言葉に甘えて……と。」
互いに挨拶もそこそこに済ませると、潤音様は早速前屈みになってシャワーの蛇口を捻った。
ジャ――――――――――――……。
少し勢いが強過ぎる位の水圧が、黒いシャワーヘッドの鏡のように磨かれたステンレスの銀盤に細かく開けられた穴から水を心太の如く力強く押し流す。円状に疎らに広がった水の糸達が、まるで勢いのある雨粒の様にパラパラと潤音様の白い肌を叩き、その体を伝って黒い石っぽい色と滑らかな凹凸のある形状をしたタイル敷きの地面へと滴り落ちていく。
ジャ――――――――――――……。
ぬっと両脇を掠めるように後ろから2本、右と左の手が伸びて、それぞれ目の前の蛇口と真上にあるシャワーヘッドを掴んだと思うや否や、僕はお姉様によってシャワーの水を身体に掛けられた。ブツブツと超高速で繰り返し小刻みにブラシを当てられた様な言い知れぬ感覚とともに暖かで滑らかな湯が、汚れや埃を削げ落としながら肌の上を流れ落ちていく。さあ、洗車の時間だ。
お姉様がシャワーの照準を僕から離し、自分の身体を流し始めると、自律型仮想自動車『シノピー』はお姉様の膝から立ち上がると、
「オーライ、オーライ!」
と心の中で呟き、規定の洗車位置まで微動した。そして、石鹸棚の一番左側に置いてある業務用液体ソープの白い容器に狙いを定めると、右手で容器の頭を押し下げつつ受け皿にした左手にドロリとした濁った白色の液状の物を乗せ、ゴシゴシと両手で擦り合わせて泡の固まりを作った。
僕はそうして捏ねた白い泡で遊びながら、それを足から順に腕や胴へと『シノピー』を手洗いする。
後ろに回ってお姉様と向かい合いながらゴシゴシと自分の身体を洗車する。お姉様の手によって、彼女がそうしているように肩紐を外し、水着を徐々に下ろして脱がされる。
そうして、お姉様という大きな洗車機によって背中等の、自分では何となく雑に済ませてしがいがちになる箇所も徹底的に洗われ、まるで本当に洗車機の中に閉じ込められた自動車の様に、腹や爪先から関係なく細かい固まりに散り散りになったシャワーのお湯が掛けられ、石鹸の泡ごと微細な汚れが落ちていく。
顔を洗い、小まめに注ぎつつシャンプーで洗髪を、リンスで整髪を済ませてから最後にもう一度シャワーのお湯で仕上げを済ませられると、僕はまだ途上のお姉様から離れ、濛々と白い湯気を盛大に吹き上げる四角くて広い湯船に向かってテクテクと歩き出した。温泉のように2段も下がっている底に向かう為の、早速水面下に沈んだ1箇所だけある階段の1段目へ足を置く瞬間、また心の中で『シノピー』は陸上から水上へとモードチェンジした。
「お――――い!マコタ――ン!」
僕はバシャバシャと両足をバタつかせて犬掻きのような姿勢で泳ぎながら、先客の1人である、仰向けでプカプカと浮かんで遊んでいる真に接近した。
「あ、シノピー!」
真も僕に気付いたのか、僕の方に泳いでやってきた。
「ねえ、ねえ。マコタン。さっき晶が、用がある、ってマコタンを探していたよ。」
「知っているよ――!」
それがどうしたの?とでも言いたげに顔を傾げる真を目の当たりにして、僕は何か凄く落胆した。
「なんだ。会ったの?」
「うん、お風呂入る前。」
「ふ――――ん。……ねえ、晶さ、マコタンに何の用だったの?」
「秘密――――!」
「え――……。教えてくれてもいいじゃない?」
「駄目だもん。」
「ケチ――っ!」
僕の目と鼻の先で、逃げるように泳ぎだした真を追うように、僕も犬掻き状態で足をばたつかせた。
「コラ――ッ!そこのチビ2人!お風呂で泳いじゃ駄目よ!」
と、湯船の何処からか注意する声が聞こえるが、思考は兎も角性格も子供に戻っているから、僕達はそのままはしゃぎ続ける。が、
「いい加減にしないと、ママに叱って貰うわよ。」
と、潤音様の声が右の耳元のすぐそこから聞こえてきたので、僕はぴくりと硬直するようにその場で固まった。真も、不安そうな面持ちで目をしょぼつかせながら潤音様の顔を見上げている。
「潤音様。お姉様には言わないで!」
「言わないで――!」
けれども、懇願した僕等に下された潤音様の言葉は、少し残酷なものだった。
「ん――……。でも、桔梗も澪もさっきから見ているわよ。」
「………………。」
しょんぼりと潤音様の顔を仰ぐと、僕は真とじっと顔を見つめ合う。どうやらやっぱりお風呂で泳ぐのは良くないらしい。……という事で僕等の思惑は一致した。
ただ、浴槽の底に足を着くと丁度水面が鼻のすぐ下まで来るので、二人共何かを強請る水棲哺乳類のように頭だけを水面から出している、という珍妙な格好になってしまう。しかしそれが妙なツボを突いたのか、何だか潤音様が凄く喜んだ。
「いやん、可愛い!モフモフしちゃうっ!」
……のは大変結構なのだが、真と共に二人纏めて両腕でぎゅうっと首の辺りを抱きしめられると凄く苦しい。僕は思わずイヤイヤと首を横にブンブンと振り回しながら抵抗し、お湯の中に潜って無理矢理脱出すると、丁度澪様と一緒に浴槽の中へ浸かりに来たお姉様の元へ逃げ出した。
「お姉様!」
正座をするように体を屈めて肩まで湯に浸かった、お姉様の膝の上に登るようにその胸に抱きついた途端、
「こらっ!」
と僕は彼女に脳天をポカリと叩かれた。
思わず目をしょぼつかせてお姉様の顔を見遣ると、
「お風呂で遊んでは駄目、といつもいっているでしょう?」
と怖い顔をして見下ろして居るのと目があった。
「本当、今日は怒らせる事をする事が多いわね。どうしてそんな悪い子になったのかしら?」
そんな事ないもん!たまたま見つかった回数が多かっただけだもの!……と、背中をお姉様の胸に預けるように後ろから両腕で抱かれたまま、僕は思わず頬を膨らませてしまった。
徐に、ザバアッとお湯を落としながらお姉様が立ち上がり、クレーンに吊り下げられたユーフォーキャッチャーの景品の縫いぐるみのように、ぶらりんと足を宙に投げ出したまま僕の体は上昇した。
「そろそろ上がりましょうか?」
「そうね、上がりましょうか。」
「なら、わたくしも……。」
潤音様も、真を抱っこしている澪様も湯の中から重い腰を上げる。そして、3人と餓鬼?2匹は連れ立って脱衣所へ向けて歩き出した。
脱衣所に戻ると、僕は一直線に自分達が使っている籠の所へ行き、自分とお姉様のタオルをそれぞれの棚から引っ掴むと、行きと同じようにピシャピシャと足の形にくっきりと残った水の足跡を茣蓙の上に付けながらトコトコとお姉様の元へ戻った。
「はい!お姉様。タオル!」
とお姉様に渡し、自分も広げて頭に被せて水滴を拭い始めると、潤音様が少し恨めしそうな目で潤音様が僕を見下ろしている事に気が付いた。
「あーあ、折角ならお姉さんのも持ってきてくれたら嬉しかったのに……。」
僕が首を傾げて見上げると、潤音様は溜息と共に不躾にそう僕へ吐き捨てた。まあ、確かにそうしたら喜ばれたかもしれないが、そこまで気を遣う必要はいったいあるのだろうか?
そんな事でムッとしつつ、僕は水着を脱ぎ始める。
「こら、忍。ちゃんと水気を取ってから服を着なさいって、あれ程いっているでしょう?」
「ちゃんと拭いた!」
「嘘おっしゃい。ほら、ここまだ濡れているじゃないの!」
「む――――!」
白いパンツを履いて、それからノースリーブのタンクトップタイプの白いインナーシャツを着ようと頭から裾を被ろうとした途端、お姉様から待ったを掛けられ、まだ少し肌が湿っているなと感じていた所を抵抗も虚しくバスタオルでゴシゴシと擦るように拭われた。
別に多少濡れていてもいずれ時を置かずに乾くのだから別に良いではないか、とも思うのだが、お姉様はこういう細かな事に結構五月蝿い。
しかし、何よりも僕の癇癪玉を刺激しているのは、澪様の足の陰から此方を覗き見てクスクスと声を殺しながら嘲笑っている真の姿だった。君だって僕の事を兎や角言える身分ではないだろう!と思うと無性に癇に障る。
更に腹立たしかったのは、パジャマを着てスリッパを履き、タオルに包んだ水着を持ってお姉さまや潤音様と共に1階の共用廊下を歩いていた時、食堂との壁に接して設置されている自動販売機群の中の1台の前で、少し先を行っていた真が澪様に直方体の紙パックの容器に入ったコーヒー牛乳を買って貰っているのを目撃した事だ。
僕も欲しくなったので、透かさずお姉様のパジャマのズボンの左側の白い裾を右手の指で摘み、ツンツンと引っ張りながら左手の人差し指で件の自販機を指さした。
「ねえ、ねえ、お姉様。わたしも欲しいです!」
「駄目よ。」
「……………。」
泣き面に蜂とはこの事か。シュンと落ち込む僕に追い打ちを掛けるように、両手でコーヒー牛乳の容器を支えて付属のストローで吸い付きつつ、ニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべる真の顔が僕の目に飛び込んで来た。あ――――、ムカつく!
見掛けが小さくて愛らしいから上級生とかに凄く可愛がられているけれど、真って絶対性格が悪い子だと思う。
部屋に戻って暫く経ち、阿吽の呼吸でそろそろ寝ようかという言葉が無意識に現れる雰囲気になる。
眠気眼を擦りながらも歯磨きを終え、踏み台から下りて洗面所から離れると、僕はプラスチック製の青い子供用のコップと水色の歯ブラシを手にしたまま部屋に居るお姉様の元へテクテクと駆け寄った。ちゃんと綺麗になっているか、磨き残しがないか確かめて貰う為だ。
誤解無いように弁明しておくが、僕自身が自発的にお姉様の膝枕の上に頭を載せて仰向けに寝転がり、阿呆みたいに口をあんぐりと開けて歯ブラシを突っ込まされている訳ではない。ウチのお姉様は細かい所に五月蝿いのだ。空自に入って戦闘機のパイロットを目指す訳でもなし、虫歯くらい別に出来ても別にいいと思うのだけれど……。真じゃあるまいし、僕は歯医者が苦手な訳ではない。
はっきり言って歯医者よりも、
「ほら、ここ。また歯垢が残っているじゃない。」
と怒られながら頬の裏を歯ブラシで突かれるあの気持ち悪い感触の方がずっと嫌だ。しかも、またコップと歯ブラシを洗って洗面所の棚に戻す序でに嗽をしなければいけない。何だか酷く二度手間を取らされているような気がする。
寝る時は寝る時で、僕のベッドは二人の物置場としてとても寝られるような状態ではないので、お姉様の方で一緒に、彼女の胸に抱かれながらいつものように就寝する。寝台の上から落ちないように壁際の方へ回され、暗くなった部屋の中でお姉様の大きな乳房と優しく包む両腕に挟まれて体を三葉虫のように丸めながら目を瞑る。
もし真夜中に目が覚めて、おしっこに行きたくなったらどうしよう……?暖かく包み込む布団と柔らかく当たる胸の中でそんな事を案じている内に、僕はだんだん夢の中の世界へと引き込まれていった。
おやすみなさい。