第三話:歓迎、魔法研究部!
>>忍
佐藤 弘光を引き連れ、意気揚々と旧校舎の部室へ引き返すと、これまで見た事が無い程の満足そうな笑みを浮かべた潤音様に迎えられた。恐らく例の水晶か何かで一部始終を見ていたのだろう。
ならば、それなりに褒めて貰わないと、労働の対価としては納得がいかない。なんせ、意外にもぶつくさと文句を垂れる佐藤を引っ張って高等部棟から本館部分を経由してここまで上がって来たのだから…………。
「ねえ、佐藤君。あなた、魔法使いには興味がなくて?」
中腰になってグイッと身体を近付けると、佐藤 弘光は顔を紅潮させ、異常に僕の胸元へ視線を向けて酷く取り乱しつつもこう訊き返した。
「ま……魔法使い?」
「そう、魔法使い。」
そう答えて立ち上がり、その場でくるりと反転して彼へ背中を向けると、僕は再び懐から18クラウンの召喚カードを取り出し、無言詠唱で3m程先に出現させて見せた。
「ほらね。こんな感じ!」
自分でも余裕で自覚出来る程、僕は佐藤に対して尊大な笑顔を向けて得意げになった。しかしながら、返ってきた彼の第一声は、僕の予想だにしないものだった。
「ま……マジック?」
「はあ……。」
あんまりな聞き返しに、僕はがっくりとして溜息を吐いてしまった。
「そんな小手先インチキの奇術師なんかと一緒にしないで貰いたいですわ。こんな物、懐には収まる訳ないでしょう?」
今眼の前で見せてやっただろうが……馬鹿!と思いつつバンバンと軽くクラウンの屋根を叩く。本物と同じ様に材質は特殊硬化鋼鉄なので、金属板特有の妙に澄んで乾いた音が掌に当たる度に辺りへ響く。色々と余分にオプションを装着した2t弱の物体を身体の何処かに隠して持ち歩ける強者が居るのなら、是非とも会いたいものだ。
阿呆みたいに目を丸くしながら、佐藤は僕とクラウンを見比べる。
「でも、仕掛けがあるんだろ?」
「残念でした。種も仕掛けもありませんわ。」
「嘘だ!」
まだ訝しいのか眉を顰めている佐藤は、恐る恐る右手を伸ばし、一瞬クラウンの左前輪のフェンダーに触れると、ビクッと肩を震わせ、すぐにバッと飛び上がるように後退った。
「これ……。本物なのか?」
そう問われると答えに窮してしまう。本物の車という意味では答えはイエスだが、トヨタのクラウンかという意味でなら、イミテーションの魔導車という理由からノーとなる。だが、目の前の質問者の狼狽ぶりを見るに、詳しい事情を話すと余計に事態がややこしくなりそうだ。今の僕の仕事はただ1つ。目の前のこいつをどうにかして旧校舎の部室へ引き摺り込む事なのだから。
「ええ、本物ですわ。……見て!」
僕は車の前を通って運転席側に回り込むと、ドアを開けて始動スイッチに指を掛け、さあ証拠よと示す心算で魔力を流しながらグイッとそれを押した。
ブオオオオオン……ボッボッボッ…………。
車体全体を微かに震わせてアイドリングするクラウンを呆けたように口をポカンと開けてただただ見つめる佐藤の姿を確認すると、僕はまたスタートボタンを押してエンジンを止め、ドアを閉めて車を元の1枚のカードに戻し、懐に隠して一礼した。
「信じられない……。どういう仕組みなんだ?」
あんぐりと口を開けたままでも感心する佐藤に向かって、僕は澄まし顔でこう答えてやった。
「あら、そういう物はありませんわ。強いて言えば魔法式に己の魔力と想像力を乗せて発動させるだけですわ。」
「しかし、何らかの理屈はあるだろう?」
「あら、理論で説明出来る物なら、それはもう魔法とは言わなくてよ。」
僕は背伸びをする為両腕を天へ向けて高く伸ばすと、勢いのままスカートの裾をひらりと翻しつつその場で一回転した。
「あるとしたら、それは文法。例外ばかりで定型的な法則とは無縁なものですわ。」
「そういうものか……。」
やっぱりこいつ単純で馬鹿だ。納得したように首を縦に振る佐藤の変に神妙とした顔を見て、僕はそんな事を感じた。まあ実際、論理と証明を突き詰めた所謂科学的な体系を持つ学問とは永遠に対極にある概念、それが魔法というものだから、どうしてと理詰めで問われても答えに窮するのだが……。魔力を放出し、それを知覚できる特殊能力者ではないと使えないし、科学的に解明可能な超能力と違って、素質があるからと云って直感と想像力を兼ね備えた力の流れの自覚がなければ、佐藤のように今までその才能がある事さえ気付かずに成長する者も多いのだ。
「さて、佐藤君。たった今、わたし達魔法研究部の試験により魔法能力が確認され、よってあなたを我が部の仲間に加える事になりましたの。おめでとうございますわ!」
パチパチとやや空虚に独り手を叩いて彼を祝福すると、佐藤はまたきょとんとした顔になり、僕の方を見つめ返してきた。
「試験?試験なんていつしたんだ?」
「もう、とぼけないで。さっきわたしが車であなたへ突っ込んだ時、あなたの身体から白い光が走って車を吹っ飛ばしたでしょう?あれがあなたの魔法ですわ。」
「……あれが……?」
佐藤は、右手で拳を作って顎先に当てると、表情をキュッと引き締めてもっともらしく俯いた。まんまあのロダンの有名な彫刻を彷彿とさせ、ある種噴飯物である。僕は込み上げる笑いを必死に堪えた。
「簡単にいえばそうですわね。」
「ふ――ん……。ん?」
どういう訳か唐突に、佐藤の表情が険しくなった。
「ちょっと待て。え――――っと、白鷺さん?」
「何ですか?佐藤君。」
「白鷺さんって、免許持っているの?」
「持っていませんわ。だってわたし、まだ15歳ですよ?」
即答、というよりあまりに頓珍漢な彼の質問の必要性が見出せず、僕は何も考えずに無意識に否定した。日本において4輪自動車の運転免許が取得できるのは18歳以上だと法律で規定されているのは一般的な常識だと思うのだが、一体彼は何故に明らかに仮定としても有り得ない疑問を僕に投げ掛けたのだろう?
「え……。と、云う事は無免……。」
「ええ、そうですけれど……。それが?」
そう訊き返すと、佐藤は得意げにこう説いた。
「白鷺さん、無免許運転はいけないんだぜ!」
何を言っているんだ、こいつは。そう僕は心の中で嘲笑した。それはあくまで公道での話だろう?
「あら、佐藤君。ここは学園の敷地内、私有地だから道交法の及ぶ所ではございませんわ。」
「だとしても、轢かれかけたぞ!」
「あら、そんなの。佐藤君が微動さえしなかったらぎりぎりの所で接触を免れる程度には手加減をしていましたわ。実際、怪我もなく済んだでしょう?」
「いやいや、そういう事じゃなくてさあ……。」
佐藤の声に明らかに苛立ちが混じり、荒ぶる。僕は彼の気を削ぐ為、咄嗟に目を伏せて両手で覆うと、しおらしく見えるようにしながら嘘泣きをする事にした。
「だって、だって!潤音様に何でもいいから早く確かめて報告しなさい、って急かされていたんですもの……。」
わたしは悪くないもの!シクシク……。と、突然さめざめと泣き始めた僕に呆気にとられたのか、沸き上がっていた怒りのオーラのような物がふっと佐藤の身体から消し飛んだ。しかし、すぐに生温い視線が僕へ向かって注がれる。
「いや、それにしたって……。ってか、潤音様って誰だ?」
「ほら、あの護国院 潤音様よ!知っているでしょう?」
潤音様はお姉様と同様、表向きは大層な資産家の令嬢で、才色兼備で端麗な容姿から色々な意味で高嶺の花として構内で名を馳せている。
勿論、無類の女好きである佐藤がそれを知らない訳がない。案の定、彼はすぐに顔色を変え、僕は思わずほくそ笑んだ。
そうして前述のようにどうにか僕は佐藤を魔法研究部の部室へ……、部長の潤音様以外の他の部員も全員女生徒だからハーレムが出来るかも知れないよ……と馬の前にまやかしの人参をぶら下げて連れて来たのである。
「お疲れ様。」
そう潤音様に労われ、やっと一仕事終えたのを実感した僕は内心得意気になっていた。名誉回復を通り越して少し天狗になっていたかもしれない。兎に角僕は、一番大好きで慕っている人……桔梗お姉様に褒めて貰いたくて、一も二もなく目を向けた。
でも、何故か……否理由は薄々想像出来ていた……、お姉様はキッと僕の顔を見据えていた。だが、新しく仲間を迎えるかもしれない和気藹々とした雰囲気を壊さない為だろう、何も言わなかった。
それなのに、却って怖さを増すのはどうしてだろう?僕は内心焦って周囲に目を配りつつ、お姉様の怒号から逃げ出すタイミングを図り始めた。でも、そうは問屋が卸さないのか、さり気なく後ろへ回り込んだお姉様に僕の両肩は彼女の両手で押さえ付けられ、身動きが取れなくなってしまった。
「こんにちは、佐藤君。魔法研究部へようこそ。わたしは部長の護国院 潤音よ……。」
此方の動きは無視したのか、気付いていないのか、潤音様は大きな胸を両側から己の2つの腕で挟むようにやや前屈姿勢を取ると、にこやかな営業スマイルでハキハキと自己紹介を始めた。
「そこにいる小さな娘が石動 麻冬。中等部の3年生。」
……?不可思議な事に、潤音様はお姉様と僕を飛ばして、態々距離を置いていたのであろう、一番遠くに居る最年少者の麻冬ちゃんを佐藤へ先に引き合わせた。と、同時にお姉様が両腕を引き締めるように僕を抱き寄せ、柔らかくて大きな物が僕の後頭部にずっぷりと当たって潰れる感覚が直接的に脳に伝達する。
「で、そこに居るのがウチの部の副部長をしている吉祥院 桔梗。わたしと同じ高等部2年生。そして彼女の胸に抱かれている娘は……。もう知っているから省いても良いわよね?」
酷い!と、これからお姉様による恐怖のお仕置きのカウントダウンが始まった最中にも関わらず、僕は心の中で咄嗟に抗議した。
と、その時すぐ右の耳元でお姉様がボソッと呪文を呟いた。その刹那、僕の足は地面から離れる。
気が付くと、僕の身体はお姉様の掛けた幼女化魔法によって、体格は3歳児のそれに、性別も男から本当に女へと変化してしまっていた。靴もタイツもスカートもパンツもブラも、そして乳パッドさえ抜け落ちるように僕から脱落し、足の下でちょっとした小山を築いている。いま、僕が身に付けているのは、辛うじて案山子のように伸ばした腕と密着したお姉様の乳房によって何とか踏み留まったダボダボのセーラー服だけである。
お姉様は、僕をその胸に抱かえたままくるりと反転して潤音様や佐藤達の方に背を向けると、ニコニコと笑っていた和やかな表情を先程見せたような険しいそれへと戻した。
「さあ、忍。解っているわよね?」
そう、最後通告を突き付けると、お姉様は左の膝を折るようにしてしゃがみ、その上に僕の尻を乗せてから両手を僕の脇の下から脇腹に添え直すと、そのまま持ち上げた。そして僕の身体を回すように位置を変え、さっきの膝の上に僕の腹を置き、そのまま背中をくの字に曲げ、お腹でも挟み込んで動きを完全に封じた上で僕の尻をお姉様の左手の方へ突き出させた。はい、『恐怖のお尻ぺんぺん』の始まり始まりである。
そんな物、15歳にもなって怖がるな、寧ろ憧れのお姉様に叩かれるならご褒美だろう、とも思うだろう。普段の僕ならそう思わなくもないかも知れない。だが今の僕は、幼女化によって思考以外は何もかも3歳児のそれになっている。勿論感覚もその例外ではない。しかも公衆の面前で尻を丸出しにさせられる、というおまけ付きである。
嫌だ!嫌だ――!僕は唯一動かせる足をばたつかせて抵抗した。が、世は無常。
「こら、暴れないの!もっと叩かれてもいいのかしら?さあ、歯を食いしばりなさい!」
地獄のような執行宣言と共に、ハ――ッとお姉様の暖かな息遣いが聞こえてきた。そして……。
パ――――ン!
そんな派手な音と共に、僕の尻から脳天へ向けて激痛が走った。痛覚は3歳児だからその激しさ、苦しみは筆舌に尽くし難い。
「ギャ――――!痛い!痛いよ――!エ――――ン、エ――――ン!」
痛さのあまり泣き出し、まだヒリヒリとする我が尻に無慈悲にも第二打が叩き込まれる。
バシ――――ン!
「わあ!ごめんなさい!お姉様、ごめんなさい!」
「この娘ったら、あれだけ危ない事はしてはいけないと言っているのに……。ハァ――……。」
「も、もう危ない事はしません!良い子にしますから!叩かないで――……!」
バン!
留めと言わんばかりに強烈な一撃を食らわすと、漸くお姉様は手を止めた。
「エグ……エグ……。うぅ…………。」
中々引かない痛みの所為でさめざめと涙で目を腫らし嗚咽を上げていると、お姉様のこんな声が駄目押しのように耳の中に入ってきた。
「忍、あなたのお尻も痛かったかもしれないけれど、わたしの手も痛いのよ!」
だったら叩かないで!というのは通じないのである。シクシク……。
俯せに寝かされた状態の僕を持ち上げ、今度は顔が向き合うように姿勢を変え、僕の顔を胸に押し付けるように抱くと、打って変わって落ち着いた静かな声でお姉様はこう語りかけた。
「もうああいう危ない事はもうしないって、今度こそ約束出来るかしら?」
出来るも何も、僕は全力で首を縦に振り続けた。流石にこれ以上痛い思いをしたくないし、皆の面前で失態を晒すのも御免である。
お姉様は再度僕を抱かえ、今度はそのまま地面に仰向けに寝かせると、まるで赤ん坊か人形のようにセーラー服の裾の中へ両手をまさぐり、床に落ちていたパンツやブラジャーを被せるように僕の身体に身に付けさせた。
「それじゃあ、元に戻すわよ!はいっ!」
お姉様がそう言って指をパチンとならすと、ポンっと一瞬で僕の身体は15歳の、身体は男だけれど見掛けは女という元の状態に戻った。
やれやれと思いつつ身体や服に付いた白い粉上の埃を手で叩いて払っていると、ふと何気なく振り向いた時に佐藤が呆然と口を半開きにして此方を凝視している事に僕は気が付いた。そして僕と目が合うと、彼は失礼にも右手の人差指で僕とお姉さまの方を指し、傍らに立っていた潤音様に、戸惑ったように口を濁しながらこう尋ねた。
「えっと……、あれは……?」
「ああ!いつもの事だから気にしないで……。で、それから……。」
何か、いつにもまして顔から火の手が上がっているが手に取るようにはっきりと感じて、僕は思わず目を伏せてしまった。
グラウンドの西側、中等部の校舎の傍を通ってさらに構内の敷地のどん詰まりまで道なりに北上すると少し開けた場所に出る。そこには5階建ての分譲マンションのようなシックなベージュ色の外壁の建物、中等部生と高等部生の為の寮がひっそりと、だけど重々しく建っている。
正面玄関の部分を中心にシンメトリーな外観をした横長の棟の、1階の103号室の1DK2人部屋に僕は桔梗お姉様と一緒に暮らしていた。
電車を使えば大阪や奈良、少々時間を食うが京都や神戸のような関西の主要都市にすぐにアクセスできる立地。そうでなくても最寄り駅が近くにあるのに、ウチの学校の周りには何軒も信用の出来る学生向け下宿やアパートが多いので、殆どの生徒が自宅通学、ないしそうしたアパートに入居して一人暮らしをしながら通っている。だから、実際この寮に住んでいるのは僕達も含めてごく僅か。そして九割九分は魔法と何らかの関わりを持った研究材料だ。
必要最低限の家具家電は備え付きなのは当然の事、部屋の中におまけみたいだとはいえトイレとシャワールームが1つずつ付いている上に、僕達が暮らす西側の住居部と玄関を挟んだ向かい側、つまり1階部分の東側には深夜帯以外は毎日営業している食堂や広々とした大浴場があって、至れり尽くせりである。
ただ、この寮に1つ問題があるとすれば、ここが女子寮だという事だ。要は学校に通う時と同じく私服だろうが何だろうが僕のような男の子でも女らしい格好をして振舞わなければいけないし、共同風呂に入る時は性転換して身も心も女性になりきらなければならない。
まあそれでも、自分達の様な異端児しか居ない環境で気兼ねせずとも過ごせる上に3食風呂付きである快適さを考えれば、この程度の我慢なら別にどうでも良くなってしまうのだけれど……。
北側にある共用廊下から部屋に入ると土間代わりのグレーのタイルカーペットと茶色の濃いフローリングという床材の違いだけで仕切られた玄関があり、その合わせて3畳程の空間の両側、それぞれ左側に脱衣所兼ランドリー、右側にトイレへ通じる扉があり、脱衣所の奥には夏場の行水以外は殆ど使われた試しのないシャワールームがある。
さらに廊下の正面にある木製の引き戸を左に開けると、基本的な居住スペースである、明るい色のフローリングが敷かれた9畳の洋室と、正面奥の窓硝子の向こうに見える、共用スペースと云う名の猫の額程の雑草が生えまくった庭が僕とお姉様の生活拠点だ。
9畳もあるというと広そうに感じるが、南北に走る中央線を境に、部屋の西側を僕、残りの東側をお姉様、と2人で分けて使っているのでそこまで広くは感じない。棚付きの机を2つ、ベッドを2つ置いてあるとそれだけでかなり手狭なように思えるのである。尤も、単純に1人4畳半しかないとはいえ、エアコンとかその他の家電や家具は1つあれば十分な上に、部屋の北側にあるトイレや脱衣所との間のデッドスペースがクローゼットになっているから、少なくとも僕に不便はない。何だかんだと他の共用空間とサービスが学生用の寮とは思えぬ程充実している所為で、眠る事さえ出来ればと考えればかなり余裕はある。
さて、日が傾いた頃、まだ機嫌が直らないのか心なしか黙りを決め込んでいるお姉様と一緒に部屋に戻ると、僕はリュックを床の上に置いて着替えもせずにベッドに腰を下ろし、部屋の入口のドアを挟んで2つ並んだ観音開き式の4枚折戸のクローゼットの内、東側の自分の方を開けて洋服を吟味する彼女をぼんやりと眺めていた。
この場に晶みたいなのが居れば、お前も早く自分のクローゼットの扉を開けて着替えろよ、と突っ込まれるかもしれない。実際、自分もそう思う。だけどそれは出来ない。制服以外の服を……、どのような装いにするのかを決めるのは、僕ではなく桔梗お姉様だ。
僕の意思に関係なくお姉様が服を見繕い、言われるがままそれを着る。それこそ、晶が指摘する所の『着せ替え人形』その物だ。
でも、だからどうした?とも思う。晶と違って僕自身は特に自分のファッションに拘っている訳ではない。それに男なら、いい歳をして母親の用意した服を着ているなんて奴は意外と多いだろう。僕もそんな者だ。ただ、それが尽く少女趣味全開の、キラキラしたお姫様が召すみたいな服や、フリルを多用した服とか、シックだけどゴスロリチックな服というだけである。
今日は、僕の方のクローゼットから裾が少し広くて藍の濃いジーンズのミニスカートと鈍い水色の長袖のトレーナーを出したお姉様は、何か色々と物が雑多に乗っている僕のベッドの上へ放り投げた。
「今日はカジュアルにこんな感じで良いわね?」
ね?と、語尾を上げているものの、どう考えてもそれは質問ではなく、既に決まっている事を軽く確かめるような体をしている。少なくとも僕に関しては、お姉様は一事が万事そんな調子だ。しかもそれが大きく僕の意に背いている訳でもない。いや、下手したら僕自身より僕の事を心得ているかもしれない、と畏怖する事さえある程だ。
だから、僕はお姉様には逆らえない。
だがしかし、何度説明しても上手い言い回しが思いつかない所為か、この感覚を晶は全然理解してくれようともしない。一度、
「でも、幾らあなたでもお母さんには逆らえないでしょう?」
と言うと、
「は?何でウチのババアがそこで出てくるんだよ?」
と、実に呆気なく、即答で返された。あまりに自然に突き返すような口調だったから、きっと晶は彼の母親とも、面と向かって平然とババアと言い放てる間柄なのかもしれない。思春期特有の反抗期と言ってしまえばそれまでかもしれないが、僕にはやや衝撃的な出来事だった。
だから、そういう点では晶とは解り合いはしない、と僕はとうに諦めてしまっている。
お姉様と他愛のないお喋りをしたり、たまに軽い叱責を受けたりしつつ学校の授業の復習と宿題を済ませ、時間が来たので二人で食堂のあるダイニングスペースの方へ向かったら、ダイニングスペースの一番手前の入り口の戸を、中から廊下に向かって押し開ける晶と出会した。少し違うような気もするが、噂をすれば何とやらみたいな感じがする。
「あ!晶!」
と、軽く右手を振って駆け寄りつつ声を掛けると、向こうも気付いたのか顔を上げて此方に向かって振り向いた。
「何だ……。忍か。今から飯か?」
「うん。晶はもう食べ終わりましたの?」
考えてみれば、これから御飯を食べる人が食堂から出てくるのはおかしいのだが、ついついそんな事を訊いてしまった。晶は僕の顔を訝しい目で一瞥すると、
「当たり前だろ。」
と一蹴した。
「何で、とっくに食べ終わってこれから風呂に入るから出てきたのに、そんな発想が出てきたんだよ?」
「それもそうですわね。」
何処か軽侮するような晶の声に対して、僕はただ苦笑を漏らす事しか出来なかった。
後から追い駆けて来たお姉様に軽く目礼して去って行く……かと思いきや、突然立ち止まって振り返ると、晶は僕に向かってこんな事を訊いてきた。
「そう言えば、忍。真に会わなかったか?」
「まだ見つかっていないの?!」
確か放課後に旧校舎の廊下で擦れ違った時も、それ言っていたよね?僕は吃驚して晶の苦々しげな顔を凝視する。正直、信じられなかった。だって真もこの寮の住人の1人だからである。共用サービススペースのある1階の西側に居れば大抵どの住民とも会えるし、彼とその従姉の暮らす205号室へ向かえば尚更である。
「うん……。何かなあ。俺、嫌われているのかなあ。」
自信喪失しているのか、珍しく晶が項垂れる。
「そんな事ないと思うわ!」
咄嗟の繕いから出た言葉だったが、実際真は晶になついている方だと思うから、強ち嘘は言っていない。
「もし急用でしたら。真に会ったら、あなたが探している、と伝えておくわ。何なら言伝をしてもよくてよ。」
そう提案するも、数瞬考え込むように黙った後、晶はきっぱりと首を横に振った。
「いや、いいや。……じゃあな。」
自室へ向かうのか、建物の東側に向かって去って行く晶の背中を見つめている内に、ひょっとして敬遠されているのは僕の方ではないのか?と僕は言い知れぬ漠然とした、一抹の不安に駆られたような気がして、何となく落ち着けなかった。