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第二話:釣餌はラブレター

>>忍

 タッタッタ……、タッタッタ……。

 軽快に板張りの床を鳴らして旧校舎の廊下を駆ける。善は急げ!とばかりに僕は短い渡り廊下を突っ切ると、L字形に折れた新校舎の此方側、便宜上本校舎と呼んでいる、へ飛び出した。

 して立ち止まり、向かって左側にある、教室と反対側の、廊下にズラリと並んだ沢山の窓の1つから、運動部のユニフォームを着用している生徒以外は疎らとなった校庭の様子を俯瞰する。すると先程と同じ場所に、僕は馬鹿3人組が依然として屯しているのを認めた。


 正直、謎だ。

 いくら教室にこの手の物を持ち込んだ事を休み時間中に教師に注意されたり、同じクラスのやや潔癖な女の子達のグループに非難されたりしたからって、放課後、それも様々な女子学生の居る校庭で堂々と互いに持ち寄ったらしいエロ本の品評会?をしなくても良いではないか!本当、どうかしている。


 ここ1週間程佐藤の行動パターンを調査するに、大概一通り品評し終えると解散、その後帰宅する為に学研都市線の学校からの最寄り駅に向かう途上で、いかがわしい書籍類を専門に扱っている書店、彼等が云う所の桃源郷へ独り立ち寄って新しい獲物を狩りに行く、というのが定例化している。

 当然、この手の店に入る事は校則上御法度だし、制服を着たままなど言語道断なので、学校に密告すれば彼を退学、は難しくも停学程度なら……、出来る。だがそれをやってしまうと僕の方も任務が遂行出来ず、潤音様はもとよりお姉様からも叱られてしまうので、我慢しつつ静観している状況だった。


 さてと……、遠目だからはっきりとは識別出来ないが、傍らに雑に10冊弱積み重ねられた雑誌の冊数から察するに、後30分程度はこのまま品評会が続行されそうである。しかし……。一体何冊学校に持ち込んでいるのだろう?それ以前にお金とかの遣り繰りはどうしているのだろう?

 ひょっとして、小奴ら僕等魔法使いよりも謎めいた存在なのではなかろうか?それとも、エロの力は法律や経済上の問題さえ超越してしまうのが当たり前なのだろうか?よく解らない。


 まあ兎も角、折角良い事を思いついたのに、佐藤には校内で独りになって貰わなければ話が進まない。時間を潰す間、僕は彼を釣る釣餌を拵える事にした。


 本館校舎の廊下を走り、高等部の3年生の教室が並んだエリアへと入る、丁度左方向へ直角に折り曲がる角の直前にある右手の階段へ入る。そしてジグザグに曲折する階段を、何度か身体の方向を変えながら僕は1階まで一気に駆け下りた。


 新校舎。正確には新高等部学舎にある本館部分と呼ばれる部分には、高等部職員室や放送室や図書室……、そんな中等部職員室と保健室と生徒会を除く学校の中枢施設が所狭しと入って居る。その中には購買部……、というより、教室を1室丸々使ったコンビニのような店舗も入っている。


 上階と比べると通路の両側が壁になっている分少し暗い階段を降りて1階に降り立つ。

 僕達1年生の教室がある高等部教室棟部とは違い、本館校舎の部分には屋内に廊下がない。代わりにその幅員と同じ長さの、階段の幅と同じ薄い緑青色の石の敷き詰められた僅かな通路らしき物が、運動場の手前にある赤煉瓦の屋外コンコースに通じているだけだ。

 そして、その廊下もどきの、折り曲がり部分を利用した教室との壁の反対側、出口に向かって左側に、閉店時には壁の色と同じ白いシャッターを閉じるだけの扉も無く常時解放されていると言って同然の購買部、近隣の大学からの出張店という名目の大学生協の小さな店舗があるのである。

 生協とはいえ、20m四方の面積が確保されているかどうかの、本当に小さな店なので、品揃えは学生が使う文具類や学校着が中心の特化したものになっている。それでも大学の生協のように簡単なスナック菓子や小説、参考書やPC機器も扱っているし、注文すれば特別に入荷してくれていたりもする。学研都市と名ばかりの田舎に暮らさざるを得ない中高生には有り難い存在だ。


 購買の中に入り、手前に2つだけ並んだレジと奥のマスターがあるカウンターが鎮座する傍を通り抜け、レジの近くにある文具売り場の棚に真っ直ぐ向かう。レジの方からペン、消しゴム、シャープペンシルの替芯、そしてノートやクリアファイルへと大きな物に移り変わって行く棚に陳列された商品を視線でなぞりつつ、僕はある封筒と便箋のセットに目を留めた。

 同じ様な薄水色や薄黄色の物と対になった、鮮やかに淡い薄桃色で、少し濃い色をしたマゼンタのような桜色の外枠と羅線がある葉書用封筒と葉書大の縦書き用の便箋が5枚ずつのセットで透明なビニールに包まれている。便箋故に封筒の表側に宛先と郵便番号を記入する仕様になっているのが興ざめではあるが、女子から男子への告白文を記すには申し分ないだろう。

 透かさず手に取り、更に青い色のほっそりしたプラスチック製の0.5mm芯用のシャープペンシルへ手を伸ばす。レジへ持って行き、カウンター側のレジにいた店員の四十路辺りと思える女性の店員さんに向かい、

「お願いします。」

と、僕はそれらを差し出した。


 購買部を出ると、踵を返すように目の前の階段を2階まで登り、右折して道なりに左に曲がり、高等部教室棟の真ん中辺りにある次の階段まで走り、左折して再び1階まで駆け下りる。同じ新校舎の中なのに、本館校舎には他方と違って職員室と総務部の間を横断するコンコースと同じ赤煉瓦仕様の半屋外通路を除いて廊下らしい廊下が無く、高等部教室棟の部分と本館校舎の部分の1階エリアは断絶している為に、こういう遠回りのような迂回を余儀なくされる。

 まあいい、兎に角高等部の3学年分の下駄箱が一斉に並ぶ玄関ホールと1年生の教室が並ぶ部分に来た僕は、自分の教室である3組に向う為に右折し、すぐに静止した。


 新校舎の、旧校舎と向かい合う部分は少し変わった形をしていて、側面から見るとL字型をしている。2階以上と異なり、1階の真ん中にある階段前の廊下を中心にして、校舎の一部が東側に向かってボコっと出っ張っている。旧校舎側から新校舎を上から見ると、丁度凸と丁の字を重ねて組み合わせたような形をしているのだ。

 そして、その出っ張った部分、廊下を挟んで教室のある方と反対側は灰褐色の細かなタイル敷きの広い土間になっていて、高等部3学年分の背の高い白くて各スペースに扉の付いた沢山の靴箱が学年とクラス順に整然と並べられ、安置されている。さらに背中合わせに2台セットで固定された靴箱の列の両側には、青色の鮮やかなプラスチック製の安っぽい簀子が土間の上に置かれて延びている。まあ少々雑で節操ないが、普通といえば普通の玄関ホールと廊下の光景だろう。……と思う。


 向かって左側に広がる玄関ホールから、自分の身体の右側へと視線を変える。北側に教壇、南側にもう1台簡素な黒板を取り付けた2つの出入口を持つ、ごく一般的な教室らしい教室が廊下に沿うように、階段を挟んで4室ずつ。折り曲がり部分である南側の行き止まりには視聴覚教室の出入口が見える。


 4組の前を通り過ぎ、その隣の3組の教室の前で止まる。上の方に窓ガラスの嵌め込まれた2枚組の薄い臙脂色の引き戸を開け、僕は中へ足を踏み入れた。

 少し汚れたクリーム色の壁。すぐ右手と左手の傍にそれぞれ掲げられた長い黒板。右側の黒板の壁には、情報に銀縁の白文字盤の円い壁掛け時計と、足元に明るい色調の木材が使われた教壇がある。

 向かって10m程奥、校庭に面する壁には大きな窓が連なっているが、廊下側には窓がなく、2ヶ所ある出入口以外はのっぺらぼうになっている。もう卒業していった先輩諸氏の話だと、昔は廊下側にも窓があったらしいが、誰かが通って影が横切る度に生徒の集中がそっちへ逸れる為、3年前の改装の際に全て塞いでしまったそうだ。因みに、この新校舎は新校舎の名前を冠しているが、竣工は30年以上前である。実際ウチの学校で新校舎と呼ぶに相応しい建物と言えば、3年前の夏に建て替えられた中学部校舎ではなかろうか?入学したばかりの頃、早々に校庭の隅に急造されたというプレハブ2階建ての糞狭い仮教室に詰め込まれ、彼方此方工事をしていた学校内を探検して回ったのはいい思い出だ。

 そんな物だから、この校舎の教室の床は中等部校舎の白色のリノリウム材とは違い、れっきとした樫材が使われた濃い茶色の、4本組の細かい木枠から成るブロックを敷き詰めた板張りになっていて、磨り減った分光沢を増し、窓から差し込む夕日をキラキラと反射している。

 机は鉄のパイプの溶接によって椅子が繋げられた一体型タイプの奴で、椅子と机の感覚の調節が不可能な分、少なくとも背の低い僕には酷く使い勝手が悪い。しかも物が古いから、単に経年劣化で板材が焦げ茶色に変色しているだけでなく、落書きならぬ落彫りが随所に施されていたり、大きな穴が開けられていたりする。


 教卓を真ん中にして横8列と両端の7列以外は縦6列で並ぶ机の内、僕は出入口側から4列目の教壇から2番目の机を使っている。しかし、これがまた酷い。他の机みたいに少女漫画っぽいキラキラした女の子の落書きではなくて、物凄く掘り下げた相合傘の彫り物が拵えされてしまっている。勿論、昨年度以前は女子高だから、相合傘に入っている2人の名前は『百合子』と『真希』という風にどっちも女生徒の名前だ。それはどうでも良いのだけれど、溝か堀かと見間違う程深く穴が開けられているから、板書がし辛くて仕方がない。

 しかもよくよく見ると相合傘の傍に、

『真希死ね』

と、鉛筆で薄く書き込まれている事に気が付く度に思わず泣きそうになる。


 さて、そんな机の上に買ってきた便箋とシャーペンを置き、席に着く。そして、早速僕は釣餌を創る作業を開始した。釣りの方法は簡単。架空のラブレターを捏ち上げて佐藤の靴箱の中に隠し、ホイホイ掛かった彼を人気の無い場所まで誘導する。

 何か成功率が低そうな方法だな、と我ながら思うけれども、他に妙案が思い浮かばなかったのだから仕方ない。それにきっと佐藤の事だから、きっと引っ掛かる優しさを持っている、という虫のいい事を考えても差し支えない筈だろう。駄目なら駄目で、他の方法をまた模索すればいいさ。


 さて、便箋を覆っていたフィルムを剥がし、シャーペンも空気中に直に顕にする。そうしてその中から1組だけ便箋と封筒を取り出し、後は一先ず机の天板下のポケットに僕は隠匿した。

 どちらも横書きのそれらを前にペンを構えながら、どういう文面を綴ろうか思案する。取り敢えず封筒に宛名だけは書いておこう。

『佐藤 弘光様』

 別にポストに投函する訳でなし、そこの靴箱の中へ置くだけなので宛先を書く事も、勿論差出人の名前や切手も勿論不要だろう。問題はこの便箋に何と記述するか、という事だ。


『初めまして。……。』

 こんなのが頭の中に浮かんだ。でも何か激しく違うような気がする。

 ああ、もどかしい!ずっとお姉様に付いて女子ばかりがいる環境にいたからか、こういう男子に向けてのラブレターというか、告白の為の手紙の書き方が判らない。そもそも外見はともあれ、中身は男なのだから機会があったとしても結果は同じだと思うけれど……。


 もういっそ、高等部の北側に位置し、運動場を起点にして東の方向へ伸びる中等部校舎の更に北にある駐車場へ佐藤を誘き出せれば良いのだし、

『あなたの事が好きです!中等部の校舎裏の駐車場まで来て下さい。大きな柳の木の下で待っています。』

と、やっつけても別に構わないのではないか?というか、下手に色々書き綴るより、あの色情狂馬鹿にはシンプルな方がずっと効果があるだろう。うん。

 そう思って薄桃色の便箋に3行に分けて書き殴る。別に女の子らしく見せようだなんて気は掛けない。ミミズがのた打ち回ったような字がデフォルトならいざ知らず、長年の女子学生生活から、僕の書く字はもはや走り書きでも丸っこい字になってしまうからだ。

 便箋を封筒に突っ込み、糊がないので封をせずにフラップだけを折り畳む。セーラー服の胸ポケットにシャー芯を仕舞ったペンを挟み、フィルムにまだ入った残りの便箋等を小脇に抱えると僕は立ち上がった。


 教室から出て、廊下から玄関ホールの靴箱の列を眺める。高等部の場合、靴箱は南から1年1組から最北の3年8組まで順番に並んでいる。

 そしてその靴箱は左上から下に向かって番号順に並んでいる訳だが、何故か机は隣同士なのに、僕は靴箱の下辺り、佐藤は同じ列の一番上と離れている。しかも僕の慎重だと、靴箱の1番上の段には手が届き難いのだ。背伸びをしなければならない。ああ、嫌になる。


 何とか手紙を佐藤の白い地にゴチャゴチャと青や赤のラインが入り乱れた品の無いスニーカーの上に放り込んで蓋を閉めると、僕は自分の靴箱から普段履いている黒い女子学生用の革靴に、底とつま先のゴム部分が赤い綿製の白い学校指定の上履きから履き替えた。

 上履きを代わりに靴箱に仕舞った後、校舎から外に出る。目の前には柔道場と剣道場の入った武道場が、右の方へ行けば学校の食堂とカフェテリアと正門が、北側の中等部校舎との間には講堂と中等部職員室棟が、更に北駐車場を通り抜けて暫く行けば、僕とお姉様も暮らしている学校の寮もある。そして、今僕が立っている幅7m程の舗装道路は、それらを結んでいる学校内の車道である。因みに僕の立っている場所には高さ6m弱の黒褐色の偏光硝子を黒い鉄骨の屋根に載せたアーケードが頭上を覆っている。他にも数箇所こんな覆いが車道上にあって、校舎以外の各施設に大きく取られた軒先等を上手く使えば、例え激しい雨の日でも離れた場所にある講堂や中等部校舎へ濡れずに移動する事が出来るのだ。


 さて、武道場の傍に接近すると、僕は懐から1枚の召喚カードを取り出した。

 裏面は渋い焦げ茶色な、よくあるテーブルゲーム用のそれのようなカードだ。ただし表面は真っ白の画用紙のような紙である。強いて言えば鉛筆で書いた字で、

『GRS180-Athlete後期 奈良300う18-90』

とあるだけだ。

 頭の中でカードの魔導式を実体化させる詠唱文句を思い浮かべ、

「ほいっ!」

と宙へカードを放り上げる。


 ぽん、という音と共にカードが消え、突然中空から地面の上に車が飛び降り、サスペンションをガタガタ鳴らしつつ大柄な車体を震わせた。


 忠実にトヨタの180系クラウンのアスリートの後期型を模し、その上徹底的に改造を加えた。僕自慢の手製の魔導車の1台である。決められた型の構造式を組み合わせてカードを造り、無言で詠唱を思い浮かべて発動させれば何でも発現させる事が出来る召喚魔法具の1種だ。

 僕は車好きが高じて、こんなリアル系の魔導車の召喚カードを何枚も所持している。どれも窓硝子が黒いフルスモークで、サイドレールとイミテーションの左右2本出しマフラー、そしてハイマウントストップランプ付きの小型のリアウィングを含めたフルエアロ化をし、車高を10cmまで落とし、さらにフロントグリルを取っ払ってダクト等を丸見えにさせ、更に前後にフォグランプも付けて、徹底的に外装の左右対称に拘った改造を施しているのだ。

 車体は輝くようなシルバーメタリック。ナンバープレートの設置箇所には、カードの型式の隣に書かれた番号がそのままプレスされた精巧な字光式の偽装ナンバープレートが装着されているのだ。


 魔導車は、運転者が持つ魔力を動力源にしてエネルギー変換効率80%を誇る魔導エンジンをガソリンエンジンやディーゼルエンジンの代わりに搭載した軽車両の総称である。例え魔導式で表された16万倍や20万倍の倍力装置や、1.5~2の階乗倍に出力を上げる加速装置、魔力の一部を高電圧の電気に変えて充放電するバッテリーが搭載されていても、人の魔力を使って動かす限りは、自動車ではなく軽車両であると僕は固く信じている。

 まあ、どちらにせよ自動車にしか見えないから、偽物とはいえナンバーも付けているし、運転中に警察に遭遇したら一目散に逃げるのだけれどね。


 他の人に頼まれて制作された物ならいざ知らず、僕自身で持っている物には自分の魔力をコードして記憶させているので、魔導車には鍵というものは付いていない。ドアノブを握って魔力を流し込めば、自然と開錠され、スタートボタンを押すなり、ステアリングコラム右側にある摘みスイッチを捻ればエンジンを始動させる事が出来る。


 クラウンの運転席のドアノブに手を掛け、魔力を込めて鍵を開けて車内へ乗り込む。

 内装は普通の車と大差ない。スライドやリクライニングや座高でポジションが調節できるシートと固定式の後部座席のソファーがあり、人数分のシートベルトがあって、バッテリーがあるからオーディオやカーナビやエアコン、その他電装系の保安部品もきちんと可動する快適仕様だ。

 それだけではない。オービスだけでなく警察の取締や検問、パトカーの巡回位置まで正確に把握できるカーロケーターや、殆ど自動運転も可能な衝突事故防止装置と自動巡航機能、居眠り警告機能等、電子制御機構もふんだんに充実している。こんな車が、専用の紙とペンさえあれば簡単に出来るのである。


 シートベルトをし、己と気を以てリンクさせつつエンジンを掛ける。

 魔導エンジンの欠点なのか、魔導式構築時での僕のチューニングが悪かったのか、ブブブンッ!と何か詰まっているような歪な爆音を何故か始動時だけがなり立ててしまうのが、僕の車の一番の特徴だ。そしてエンジンが安定して回り始めると、今度はボッボッボッボと、少し耳に障るが改造車らしく低く静かな唸り声を延々と呟き続ける。これで魔力を送り続ける限り、何時でもすぐに動かす事が可能になった。


 そうこうして10分後、高等部校舎の北側から車道をこちらに向かって歩いてくる佐藤、新田そして木梨3馬鹿の姿が現れた。

 いつもなら教室へ鞄を取りに行った後、靴を履き替えて正門から帰宅の途に着く、否件の本屋への寄り道をしていくが、果たして今回はどうなる事やら……。個人的には佐藤だけが単独行動してくれるのなら非常に都合が良いのだけれど……。


 中腰になる新田の向こうに、靴箱の蓋の手を掛ける部分へ右手を伸ばす佐藤の姿を車の助手席ドアの黒い窓越しに見る事が出来る。案の定、一目で手紙に目が付いたらしい。一瞬で表情が固まって目が見開く様が、彼の動揺ぶりをとても良く教えてくれた。

 恐らく、先に行ってくれ、とか何とか言ったのだろう。何か遣り取りをした後、佐藤だけを残して他の2名が外に出て、そのまま右へ曲がって校門の方、此方から見て下手の方へ去って行った。

 一方、当の佐藤本人は靴箱と靴箱の間の簀子の上で仁王立ちになり、封から出した便箋を、少しならず引く位の、まさに灼熱地獄に居る赤鬼のような物凄い形相で、顔を紅くし鼻息を荒くして目を通している。


 さあ、確実に釣れたのかどうかは断言しかねるが、答えは駐車場で待っていれば判別するだろう。幸い向こうは此方の気配にすら察してはいないようである。僕はブレーキングをしつつギアをDに入れ、サイドブレーキを解除すると、そっと車を発進させた。


 東西に長く伸びる、真ん中の通路を境に右側にに展開するタイプの19台収容可能な屋外縦列駐車場である北駐車場は、講堂方面から中等部校舎の裏手を抜けて校庭へ向かう構内道路上にある。

 実質的にもう1台位は止められそうな広さだが、講堂から入って丁度11番目のスペースに枝のしなり具合が凄く宜しい妙齢の大きな柳の木が守護神のように鎮座している為、都合その数しか駐車出来ないようになっている。

 別にこの柳、恋が叶うお呪いがある訳でも、何か怖い曰くがある訳でもない。精々、馬鹿な納入業者が乗っていた軽バンを柳の根本に止められると勘違いし、車のリアを凹ませた事実があっただけである。ただ単に、駐車場を通行する車が暴走しないようにプレッシャーを与える為だけに存在している障害物なのだ。


 駐車場の中へ車を進め、1番手前、つまり東側の端のスペースにバックで駐車する。自慢ではないが、大概の駐車スペースなら1回で、あっても切り返し2回か3回でどんな車でも入れられる自信がある。特にこの駐車場は寮からも本館校舎からも勿論の事、中等部職員室さえも微妙に距離がある場所にあるので、中等部校舎に直接納入する業者のトラックやライトバンを除いて車が停まっているのを見た事がない。現に今も、僕の車以外に駐車している車両は影も形もない。

 停車措置をしてエンジンを切り、息も潜めてじっと待っていると、案外早く佐藤は現れた。中等部校舎の角から前方へ延びる正門方向への道路から左折し、左から右へ向かって浮かれたようにふわふわとした千鳥足のような歩き方で、僕の目の前を通り過ぎて行く。柳の木しか見えていないらしい。

 柳の木の根元に到着すると、佐藤はもったいぶったように学欄の裾を正したり、もじもじと辺りを見回したりし始める。そのあまりにもらしい行動を目の当たりにして、僕は隠れている事も忘れて吹き出してしまった。だって、本当に面白いのである。微塵にも訝しく思わずにまんまと引っ掛かった事に!


 その上都合のいい事に、彼は背中を柳の太い幹に思い切り預けている。しかも、丁度今校庭の方へ顔を背けた。

 さあ、行くなら今だ!


 エンジンを始動させ、素早く発車措置を取る。そしてハンドルを物凄い勢いで右に限界まで据え切ると、僕はアクセルを思い切り踏み込んだ。


 後輪が空転し、お尻を左方向に吹っ飛ばしつつガクンと沈み込むように車が急発進する。僕はハンドルを上手く操作しながら、車の鼻先を佐藤に向け、一直線に加速した。

 轟音のようなエンジン音と甲高いスキール音で気付いたのだろう。佐藤がハッと此方に振り返った。その目は見開いていたが、先程のそれとは異なり顔面は蒼白して身体も硬直している。

 どんどん距離が縮まっていく。だが、勿論僕は彼を轢き殺す心算は一切ない。ちょっと運転席側のドアミラーを掠らせて貰うだけだ。

 佐藤との差が5mを切った。ステアリングを若干左へ切ってぎりぎりのラインを狙う。ふと見ると、佐藤は両手を此方の方へ伸ばして掌を向けながら、ぎゅっと強く目を瞑っていた。きっと彼の方も覚悟を決めたのだろう。

 が、その時……。突然彼の両の掌の間に雷光のように眩しく光る、直径10cm位の白い光の球が現れた。同時に車内に居る僕にもはっきりと感じる程、巨大な魔力の気配が流れ込んでくる。まさか……!


 次の瞬間、クラウンは右っ腹から風魔法による爆風を受け、吹っ飛……びはしなかったがバランスを崩し掛けて前輪が思い切り左へ流れ、僕は慌ててカウンターを切った。腐っても魔導車、どんな攻撃魔法でも無効化する障壁位は備えている。

 それでも、車は進行方向に向かって殆ど真左に向き、中等部校舎が右から左へ流れるが如く見えるようにアスファルトの上を滑り、10m弱スリップした所で静止した。


 危なかった……、と安堵すると共に呆然としながら僕は視線を左側に向けた。よもや本当に、潤音様の言う通りだとは夢にも思いやしなかったよ。

 停止措置をしてエンジンを切り、シートベルトを外して車外へと降りる。そうしてドアを閉め、ドアノブを握って施錠すると、僕は車に手を翳した。

 その刹那、車が突然白い光に包まれ、みるみる内に小さくなり掌の中でカードに戻って行く。こうして元の1枚のカードに戻ってしまうと、取り敢えず僕はそれをセーラー服の胸ポケットの中にしまい。地面に尻もちを着きながら心底驚いたようにアワアワと僕の方を凝視する佐藤に向かってゆっくりと近付いて行った。


 流石に目の前まで歩み寄ると彼も少しは落ち着いたのだろう。冷や汗を掻きつつも僕の顔を見上げて佐藤は掠れた声を絞り出した。

「き、君は……白鷺さん?!」

 その無様な様を心の中で嘲笑しながら、僕はニッコリと彼に微笑み返す。

「ごきげんよう、佐藤君。」

「ど……どうして……。」

「ごめんなさい。事情があってあなたを試さなければならなかったの。でも、もう大丈夫ですわ。」

「…………。」


「ねえ、佐藤君。あなた、魔法使いには興味がなくて?」

 僕は自分も屈み込むと、彼の顔にグッと自分の顔を近付けた。

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