098:ときめき☆胸騒ぎ
復讐の念の募るあまりに、すでに死せる仇敵の墓を暴き、その死骸を鞭打つ──どこかで、そんな故事を聞いたことがある。
フルルの復讐心も、それに勝るとも劣らぬ熾烈なものだった。幾たびとなくジガンを切り刻み、その血肉を焼き焦がして、なお飽くことなく刃を突き立て続ける。
とはいえ、さしも深刻な怨恨も憎悪も、凶行を繰り返すうち、多少は薄らいでいったようだ。
四度目の断末魔の直後。狂熱から醒めたように、ふと、フルルはナイフを取り落とした。
「……もう、いいよ。これ以上は、生き返らせなくても」
返り血に染まった顔に、ちょっぴり寂しげな微笑を浮かべて、フルルは、ぽそりと呟いた。
「そうか」
俺は、そっとフルルの肩を抱いてやった。
フルルは俺の胸にとりすがり、泣いた。声をあげずに。
あふれる涙が、頬にこびりついた血を洗い流してゆく。
復讐は終わった。
ジガンの死骸はその場に穴を掘って埋めた。別にそのまま放置でもよかったが──多くの罪なき生命を奪った盗賊も、せめてこの地の土として、草なり木なり、新たな生命を育てさせてやりたい──と、フルルが願ったからだ。さすがに少々感傷的な気分になってるようだな。ぶっとんでるようでも、中身はまだまだ多感なお年頃か。
ともあれ寄り道を終え、馬車はふたたび街道へ出た。ここまで長々とビワー湖の沿岸を進んできたが、それもあとわずか。地図を見ると、次の駅亭を越えたあたりで、街道は大きくカーブを描き、湖畔を離れて、北方のルザリクへとまっすぐ伸びている。
「お姉さま、今日のお昼はなあに?」
「そうねえ。チーズフォンデュなんてどう?」
「あ、それいい! 白パンにチーズたっぷりつけて!」
「あつあつ、とろとろのチーズでね。うふふ」
「たっのしみー。もうお腹すいちゃったよ」
御者席に並んで座り、肩寄せ合って楽しそうに語らうルミエルとフルル。ついさっきまで凄惨な復讐劇を繰り広げてたくせに、なんとも切り替えが早い。というかフルルのやつ、自分が奴隷だってこと、もう忘れてるんじゃないか。別にいいけど。
視界の彼方、駅亭の屋根が見えてきたあたり。腰のアエリアが剣環をカチカチ鳴らしはじめた。
──ワンダリング、ワンダリング、ヤホー、ヤホー。
微妙な替え歌やめい。
これはあれか。ワンダリング・エンカウントってことか。どうせ追い剥ぎだろうが。
──アバレサセレー。
そうか。今朝はフルルとルミエルに任せっきりで、出番なかったもんな。よしよし、存分に血を吸わせてやろう。
「ルミエル。この先に何かいるみたいだ。止めろ」
「えっ? あ、はい!」
ルミエルはさっと手綱を切り、二頭の馬を止めた。
「何かって?」
フルルが聞いてくる。
「湖賊だろう。このへんを縄張りにしてる集団で、思い当たるのはあるか?」
フルルは軽く首をかしげた。
「んー、いくつかあるけど……たぶん、バテシバのとこかな」
「バテシバ?」
「バテシバっていう、ばあさんがリーダーやってるんだよ。十人いるかいないかっていう、小さな集団だけど、ジガンと同じくらい荒っぽい連中」
今度はババアかい。ここいらの追い剥ぎは、なんともバラエティーに富んでるな。
「そうか。ジガンの同類なら、襲われる前に先手を打たんとな」
俺は箱車から飛び降りた。
「少し、ここで待ってろ。様子を見てくる」
「はい、おまかせください」
ルミエルがにっこり微笑んでうなずく。フルルは、ちょっぴり不服そう。
「えー? わたしも一緒に行きたいな」
「フルル。アークさまのお楽しみを妨げてはなりません」
「はぁーい」
ルミエルにたしなめられ、フルルはこっくりうなずいた。仲良いなぁこいつら。本物の姉妹みたいだ。実年齢は多分フルルのほうが上だろうがな。そこはそれ。
楽しげにお喋りする二人を後に残し、俺は馬車を離れて、駆け出した。
先へ先へ、急ぎ進むほどに、次第に鼻につきはじめる血生臭い気配。
俺の察知能力が、奇妙な胸騒ぎを伝えてくる。そこらの追い剥ぎとかでなく、もっと険呑な何かが、この先に待ち構えているようだ。
アエリアが騒ぐ。
──イャッハァー! チノニオヒー! ハニー、トンジャエー!
え? 飛ぶ?
──アッチョンブリケ。
アエリアがいきなり魔力を解放し、途端に身体が軽くなった。オマエ勝手に何してくれてんの。ていうかその掛け声はちょっと。まあいいや。飛んでいったほうが楽だな。
ふよんふよんと、しばし低空を浮いて進むこと二、三分。駅亭の屋根の下に、ふたつの人影。
見れば、お揃いの白いフード付きの長衣で、頭から全身すっぽりと覆っている。二人とも、抜き身の長剣を手に、周囲を伺っている様子。追い剥ぎにしては、二人しかいないのが妙だ。フルルは十人そこらの集団だと言ってたが。
駅亭のやや手前で、いったん地面に降り立ち、慎重に近付いてみる。だんだん状況が見えてきた。
白い長衣の二人組。その足元一帯に、赤黒い血だまりができている。周りには、いくつもの血まみれの骸が散乱していた。五、六人くらいだろうか。そのなかに、銀髪のエルフ女らしい生首も転がっている。ひょっとすると、あれがバテシバとかいうババアじゃないのか。
つまりこれは──あの二人組が、襲ってきた追い剥ぎを返り討ちにしたところ──ということか。二人の長剣は朱にまみれ、ぼたぼたと鮮血を滴らせている。まさに今しがた、事を済ませたばかりという状況のようだ。
その二人組が、揃って俺のほうへ顔を向け、ざっと身構えた。フードの下の顔や表情は、まだちょっと窺い知れないが、こちらへの明確な敵意だけはハッキリ伝わってくる。それも相当荒々しい殺気。やる気満々のようだ。俺を追い剥ぎと勘違いしてるんだろうか。……いや、それにしては敵意が強烈すぎる。こいつら、どうも普通じゃない。
俺は無言でアエリアを抜き放ち、謎の二人組と正面から対峙した。
面白いことになってきた。こちらは単なる通りすがりだし、とくに争う理由はないが。先方がその気なら、喜んで受けて立ってやろうじゃないか。




